悟りを開いたことあるけど何か質問ある?at PSY
悟りを開いたことあるけど何か質問ある? - 暇つぶし2ch709:神も仏も名無しさん
11/09/22 17:05:01.62 rYNI+ET4
>>708
さて、他者の思考とはなんでしょう
自分の脳の中に、他者の思考が存在するのでしょうか?
それは、他者と思っている、自分の思考ではないでしょうか?

あなたは、わたしの文章を、読んで、わたしの思考と思うかもしれないが、
それは、あなたの脳で変換されます

そこらへんを追求すれば
自分がいないことと、自分しかいないことがどういうものか、わかるかもしれません

710:神も仏も名無しさん
11/09/22 17:19:23.80 npgDoAXb
473
「仏陀の言葉」なんて後世の人が編集したのかもしれないし
それを真に受けるのは危険ですよ
一切空というのは仏陀も空ということで
仏陀なるものを盲目的に信じるのも迷いという事になるでしょう
そういう訳で、貴方も目の前のことをまず「観る」事から始めたらどうでしょうか


711:神も仏も名無しさん
11/09/22 17:36:22.23 AbzLW1VD
他人や世界のすべては自分のつくりだしたもの、と思ってる奴ならば、
わざわざこんなところに書き込みをして他人から返事をもらおうとするわけがない。
自分の力では制御できないもの、こそが他人や現実の世界なんだよ。
それとも何か?すべては幻影と思っている奴は、
他人や世界を自分の力ですべてコントロールできると考えているおめでたい奴なのか?

本当に悟った奴にとって、この世が幻想であろうとそうでなかろうとどうでもいいこと。
希望もなければ絶望もないわけだから、過去も現在も未来も、どうでもいいことなんだよ。
幻想に囚われている奴ってのは、幻想ということにしなければ精神を保てないってこと。
幻想を理由にして苦しみから逃れようとしている偽の覚者。

712:神も仏も名無しさん
11/09/22 17:41:14.41 AbzLW1VD
「空」を「哲学的な無」と勘違いしてる奴は、物理学を勉強しろよ。特に量子論。
真空とは何を意味しているのか、偶然とは何を意味してるのか、
答えを知れば自ずとわかるだろうよ。

713:473
11/09/22 18:00:24.73 j4m4vurC
>>709
他者の思考についての言明ではありません。
思考というものは特に誰のものでもなく出したり入ったりします。
ここで述べたのは全ての経験からくる価値観や情動や世界観やそういうものの事です。
思考単品でしたら当たり前のようにやり取りがあります。
それをどう認識しどういう立場を与えるかは全ての経験からくる価値観や情動や世界観=自我
が関わります。

>>710
先ほどテーラワーダ仏教の悟りの段階についてレスしたのですが、
そのうちの前半が驚くほど自分の経験に合致していたし、良い意味でとても厳しいものでもあり、
ブッダは自分よりは信頼できる方なので、生まれ変わりを知りもしないのに使ってみました。
真に受けていないように冗談として語っています。
知ってたら自分の認識から自分の言葉で書くのですけど。

>>712
仰ることには大変同意できます。
幻想という言葉を他人のために自然なタイミングで使うのはおかしなことではありませんが、
自分のためのタイミングで頻繁に使うのだとしたらあなたのおっしゃる動機が働いているとみるのが自然でしょう。
それ故に解放は自他という区別が存在しない状態でしかありえないと祖師は語るようです。

他人と自分という分断を作り出しました。
自分がある以上、世界の残りの部分は他人でしかありえません。
全体性か自他の関係かではないでしょうか。

全体性というアナロジーか空というアナロジーを使うかは祖師の好みにより、
また弟子も向いた方に落ち着くかと思います。

714:473
11/09/22 18:35:25.92 j4m4vurC
>>709
でもやっちゃってました。
「他者の思考」という言明は瞑想のものではありません。
仰る通り思考は思考です。

瞑想が起きただけでは全ての経験からくる価値観や情動や世界観=自我
からは自由になれませんが、自分のものも他人のものもなく思考からは自由になれます。
故に思考との同化、自分の思考=思想信念というものは無くなります。

瞑想が失われれば寝ぼけて信念に同化してしまいますが、自発的にその影響から逃れられます。で、また瞑想が失われて、、。


715:神も仏も名無しさん
11/09/22 21:42:15.66 z8DgNxBO
何を言いたいのか分からない
分かる人いますか

716:神も仏も名無しさん
11/09/23 00:42:00.98 frCMMTyZ
>>715
言葉の意味は判るけど
何を言いたいのかが良く解らない。
つくづく言葉の限界を感じる。

717:神も仏も名無しさん
11/09/23 01:16:20.81 9/e/gv7C
自分の脳みその中にいる他人は、他人そのものではなくて他人の像だってことでしょ
でも、普通に生きてると、それが他人そのものだと思ってしまう
要するに、他人がどのように見えたとしても、自分の思考でしかない
逆をいうと、自分の思考を他人に投影していると言える

もし、それを理解できたら、
乗り越えられるんじゃないかな

718:神も仏も名無しさん
11/09/23 02:00:33.85 4oKxlQrz
>>715
473の言っていることは俺もよくわからん。
ま、わかる部分だけ読めばいいんでないの。

719:神も仏も名無しさん
11/09/23 02:14:24.31 kt8e8BqJ
瞑想状態が持続しないで通常意識になっちゃうということでしょう


720:神も仏も名無しさん
11/09/23 02:52:28.04 4oKxlQrz
あとさあ、いい加減、他人や現実は幻想だから、
自分がつくりだしたものだからどうのとか言うのやめて欲しいですわ。

たとえば、自分が一生懸命、時間とお金をかけてつくった家が災害で全壊したとする。
その家はもちろん自分のものだ。自分のものだからといって喜べるのか?
あるいは、自分のからだに悪性腫瘍ができたとする。
その腫瘍は自分のもの(あるいは自分が作り出したもの)でしょ?
自分のものだからといって喜べるのか?
あるいはまた、愛する人が死んだとする。
幻想だからといって喜べるのか?悲しみも感じなくなるのか?
そんな非人間的で感情を殺した奴が、悟った、と言ったところで、
何の意味もないし、馬鹿か、としか言いようがない。

自分のものだろうが他人のものだろうが、嫌なものは嫌なだけ。
現実が幻想とわかれば苦しみは消える、なんてことは有り得ない話だね。
苦しみを消すには、その大元になる存在を消すしかない。
だからこそ、悟りを得た者は愛着のある物や趣味、愛する人を捨てるんだよ。

721:神も仏も名無しさん
11/09/23 03:25:20.01 frCMMTyZ
>>720
悟ると全ての執着が消えて何かどうでもよくなるよ。
執着する対象が無くなるって言ったほうが近いかな。

>たとえば、自分が一生懸命、時間とお金をかけてつくった家が災害で全壊したとする。
>その家はもちろん自分のものだ。自分のものだからといって喜べるのか?
こんな時も喜びはしないが、全てを受け入れて起こったことはしょうがない
と自然に思えるようになるよ。

>だからこそ、悟りを得た者は愛着のある物や趣味、愛する人を捨てるんだよ。
捨てるわけじゃないが、どうでもよくなるんだ。

722:ama
11/09/23 10:20:22.71 imA4BWje
>>535
> 自我が死につつあるとき、それを自我が解説しだして結局自我が玉座に座る。
これは起こりがちですね。
そして、解説せずに、そこにい続けると、完全な静寂があるんですよね。
(ちろん「完全な静寂」も解説です。)

> 別に何も起きてはいない。起きていると認識するのが自我であり精神です。
まったくです。
また「何も起きていない」というのがポイントだったりしますよね。

> 鏡のような精神ってご存知ですか?
いえ、存じません。

> 目覚めた人間は現実そっくりの夢を見ることが可能でそれを真実と混同するのです。
>
>
夢は現実とそっくりだったり、非現実的だったりします。
夢とはそんなものじゃないのですか?
現実そっくりだったりしても、目が覚めると夢だったと分かりますから、混同することはありませんが・・・。

723:ama
11/09/23 10:21:58.13 imA4BWje
>>535
>> よって、至福は、とても静かです。
>> そして、至福は死です。
>> それゆえに最強です。
>> これが、最近の私の体験です。
>
> いや、幸せは体験でありはかないものですが、
> 至福は体験ではなくそれそのものであることとそもそも定義としてあったのに、
> 「至福が私の体験」ですか?
> 結局体験者である自我が体験しているだけとまた白状してますよ。
至福、という言葉は少しだけ違和感があって、私的には、静寂、と言った方がしっくりとくるのですが、
まあ、とりあえず至福としておきます。
で、
それそのものを誰かにお伝えするには、解説するしかないですよね。
そこにいるとき、体験者はいないのですが、それを解説するとき、
「至福だった」といわざるを得ず、あるいは、「静かだった」などといわざるを得ないわけです。
ご指摘の通り、解説するのは自我です。
では、そこにい続けるとき、至福や静寂があるのか?
ということですよね。
そこにい続けるとき、「私はその中にいる」とか、「その中にい続けよう」とか、「思考を観よう」とか、「思考が起こった」とかとか、
などのようなモノがあるのか?ということを確かめたいと思うわけです。
(もちろん思考が起こっているようには見えますが。)
おっしゃる通り、至福(静寂)は、体験ではありません。
それそのものです。
ですから、至福(静寂)自体は、私でもありませんし、それそのものですらありません。
それは、私の知っているものでしょうか?
表現できる言葉があるのでしょうか?
473さんの観たもの(体験したもの、気づいたもの、まあなんでもいいのですが)は、
やっぱり、私、だったのでしょうか?
いえ、それを、「私」と呼ぶなら、それは、もちろん私です。
表現の仕方は自由ですから・・・。
ですよね?

724:神も仏も名無しさん
11/09/23 10:42:04.30 kt8e8BqJ
1さん
自分がやってるビジネスが計画通り行かなくて凹んでるんですが
悟ればそれも楽しめる心境になるものでしょうか


725:ama
11/09/23 10:56:32.11 imA4BWje
>>544
分かりません。


726:神も仏も名無しさん
11/09/23 11:16:01.95 kt8e8BqJ
わからないというと?



727:神も仏も名無しさん
11/09/23 11:18:17.60 kt8e8BqJ
1さんは悟れば人生が楽しくなるとおっしゃってましたが


728:神も仏も名無しさん
11/09/23 11:30:54.64 t8Erb5sR
真我の位置はどこらへん?後ろ?のどこ

729:神も仏も名無しさん
11/09/23 11:59:48.46 kt8e8BqJ
商売で成功する方法を教えて欲しいわけではなく
どんな状況であろうと、客観的に物事を捉えられ判断する方法を求めていますが
1さんの悟りは特にそういう事とは関係ないのでしょうか?


730:473
11/09/23 14:26:02.48 D7fvEkuM
≫ご指摘の通り、解説するのは自我です。

私はそういう意味で自我を指摘したのではなく、全くあなたは自我にとらわれて、知性に経験にとらわれて
しゃべっているという指摘をしたのです。
別に誰もがそうなのですが、自分は自我を脱しているというつもりになっていると問題です。
便宜的な人格を使うということと、自我にとらわれているということは当然別の話であり、別に私でなくても、
比較的知性的な書き込みをした人は「対話能力がない」「アスペルガー」と批判するでもなく分析していたでしょう。
自分が自我にとらわれているとわかっていれば、わかっているなりの事を語ればいいのです。
それに気付かずに究極に達したと思って語ることは自己欺瞞です。

そのあたりお話が通じていないので申し訳ないですがご返答になっておりません。
また「ということ」
ということにこだわるということは全く知的な理解にこだわっていることの現れに見えます。
素直に言うのはいいことです。突っ込まれないようにテクニックが発達したらおしまいです。

まだあなたは自我についてよくわかっていないのではないでしょうか。
自我を得ても自我と同化しているうちは自我を把握することはできません。
単体の思考と、感情と記憶と経験の集合体であり価値観と信念と夢と幻想の世界を織りなす自我はという構造は別のことです。
光明を得た人は思考を使うでしょうが、自我はないでしょう。自我は錯覚と迷いの構造です。それを使う必要性などないのではないでしょうか。
自我がないからこそ後述する適切な思考の使い方が初めて可能になるのではないでしょうか。
これについても先ほどまで多くを語りました。

731:473
11/09/23 14:27:09.19 D7fvEkuM
≫表現できる言葉があるのでしょうか?
光明どころか瞑想についても語ることは不可能で、それについて語るのは冗談程度のものでしょう。
言葉で瞑想は表現できませんし、もちろん伝えることもできません。
あれは道に人を誘うための冗談のようなもの。言葉で表せないものを言葉にするのだから。
むしろ言葉は、虚偽を、信念を混乱させ緩やかに解体するようなロジックとして使われるべきではないでしょうか。
そうすることによってのみ実際に他者は彼自身の意識で瞑想に至るのです。

そして光明にしろ瞑想にしろそれを伝えるのは、この場合は自らを証明するのはロジックではなく響きになります。
響きと「すでにある固定観念を破壊するもの、相手に感応している、ロジックより響き、新しい、融合様々な形。」
というその人の総合的な実存のレベルです。自分の場合、響きより後者の人間の総合的な理解方で表現しています。
あなたは瞑想の部分だけ自分から抜き出したいようですが人間は総合的にみるほかありません。

また、ロジックではなく体験を重視して語るなら、私、ではなく彼が、全体がすべて行うという表現を本物のそちらのタイプの人は使います。
光明を得たマスターも、小悟を得た人も、、。
全体性をいなくても認識していなくても、「私」が全体性に比してちっぽけだと感じる祈りの道の小悟のひとは私、ではなく「彼」を使うでしょう。
ただこれは、いわゆる仏教の道ではなく祈りのスーフィーの道ですので安易に鞍替えするものでもないかと思います。

そして>>697がこの話に言いうるもっと具体的な形です。でも一連のレスで非常に多くの角度から語っており、あまり言い残した感はありません。

732:473
11/09/23 14:32:36.36 D7fvEkuM
>>717
私たちは利己的な、嘘をつく他者を邪悪だと思うことがありますが、当の邪悪だと思われている人は、
「みんなやってるんだから」「しかたない」「本当はやりたくないんだ」「無自覚」「これが常識」
という主観であり、善良な一般市民のつもりで生きています。
するとその人への評価とその人自身の自己評価に大きなずれが生じます。(話が通じない)
邪悪な行為をあえてやる人はおらず、それは弱さであり、常識であり、無意識なのです。

しかし、こういったことを理解することは不可能です。こういったことを考えても何も変わらないのです。
他者の主観をいくら考えようとしても、奇跡の探求を何回も読んでも全く理解は進まないのです。
(グルジェフもあえて多くを語らずただワークをさせました。)
理解するためには思索ではなく自己の根本的な変化が必要なのです。

私たちが理解しなければならないことは私たち自身が、
思考、感情、感覚という分裂、あらゆる欲望と記憶の分裂を内に秘めており、
他人との争いがどうこうというより、私たち自身の内側で主導権争いが絶えず行われているということです。
自分の中で戦争が起きている限り、他者とも戦争するほかありません。

私の中で主導権争いに勝った思考や感覚が一時的に私を名乗り、負けた思考は敵役として他者に投影されます。
かくして他者は自分の抑圧した欲望をあてはめられて邪悪と認識され批判されるのです。

また主導権に勝った思考や感覚がそれを自分の意志だと思っている限り、他人にも意志があると勘違いしてしまいます。
話せばわかると思ってしまうのです。
いえ、他者に意志はなくすべて無意識と常識でしかたなく起こっており変化の余地はありません。

これも起こっていることの一端に過ぎずとにかく自分の内部分裂の理解がカギになります。

733:473
11/09/23 14:34:27.00 D7fvEkuM
>>720
そもそも人は死んでしまいます。
変化、変化こそが宇宙の本性であり、停滞や安定はほんの例外にすぎません。
長持ちする、永遠に続くものがあると思い込むのが悲劇の始まりで、人類は
集団でその間違いを美化して共有するものだから悲劇は増す一方です。

人は死ぬ。50年後の死を受け入れるのも明日の死を受け入れるのも大した違いはないと思いませんか?
死を受け入れると感情の働き方が全く違ってきます。
死を受け入れないことが迷いであり、実際にある死を実際に単にあるものとみているのが明晰な意識です。
このあるものをあると受け入れるというだけの事に、それも一瞬でも受け入れるということに相当の修業を要します。

一時的なものでもそれは人生観を変えます。


734:473
11/09/23 14:40:19.52 D7fvEkuM
ロジックではなく体験を重視して語るなら

ではなく

人間の総合的な理解という方向性ではなく
瞑想の体験そのもので何かを伝えたいなら、
いや、ひとの観念を緩やかに解体し鎮め、人々に瞑想に目覚めるように誘導するなら

彼という表現が出るような実存でもって、彼という主体を使うのが適していると思います。
正しい実存で使われた彼という表現は人の自我を、思考を鎮めます。
実は1さんにはそれが向いているのかもしれません。

735:小林白蓮
11/09/23 16:27:21.49 dANHig7u
>>728

>真我の位置はどこらへん?後ろ?のどこ

※それはある意味、心はどこらへん?後ろ?のどこと述べているのと一緒であります。

  大川先生の教えでは、私たちの心の場所は、胸元の中央にあり、心臓の横にあり
  ます。

  私たちは、仏から分かれた仏の子であります。

  仏の子人間に限らず、仏性として仏と同じような性質が心の奥に宿っています。

  仏性こそ真我であります。

 真我の仏性を磨きをかけることこそ、悟りに到る仏道修行の本義であります。

736:神も仏も名無しさん
11/09/24 02:48:11.48 e/6ppmYr
OSHOってバグワン・シュリ・ラジニーシのこと?
473のいう「祖師」ってこの人のことかな

737:神も仏も名無しさん
11/09/24 12:37:32.80 HxMp8yqj
悟りは自身が感じるモノで、開いたり閉じたりするモノではない


738:ama
11/09/24 13:31:46.06 WXXxA0oo
>>546

私が申し上げている悟りは、葛藤なく自由に楽に生きることです。

私も入門をしたことはありません。
高次元へは行ったことがありませんし、
如来の存在を見たこともありません。
私も難しい会話は苦手です。(苦笑)

悟りは今ここにありますので、先に行く必要はありません。
逆に、まったくのゼロに戻ってみるといいかもしれません。

739:ama
11/09/24 13:33:20.88 WXXxA0oo
>>566
> 無条件の至福が起き、あらゆる体験の儚さを認識し、それそのものであるような瞑想が起きる。
> けれどそういうスペースから結局帰ってきてしまうわけです。
> あなたはそれを正直におっしゃってましたね。
> 結局元に戻ってそれを体験として記憶するのです。

おっしゃるとおりです。

> そのスペースにいるときだけがあなたなのではありません。

いえ、そのスペースにいるときは、私はいないと申し上げています。

> 体験を超えたものもあなたですが、体験しているのもそれを説明してしまおうとしたり、
> 意味を共有したいと望むのもまたあなたなのです。その全体において自分を理解せねば自己欺瞞に陥ります。

同感です。
自分を理解するというのは大きなテーマですね。
理解とは価値判断とは違うわけですが、
どのようにすれば、本当の意味での理解が出来ると思われますか?

> それもあなたの一部ですが、24時間だか1週間だかそれを合計してのあなたです。

記憶にあるもの全ては私ですね。

740:ama
11/09/24 13:35:00.61 WXXxA0oo
>>566
> 誰だって一番いいところだけ抜き取ればいくらでも良く見せられます。
> あなたは自分の宝物を分かち合いたいのでしょう。
> その気持ちはわかりますが。あなたの本当の持ち物はあなた全体なのです。
> 宝物だけあげる訳にはいかないのです。実存の譲渡においてはあなたはあなた全部を上げるしかありません。

私は大した宝物を持っていません。
悟りも悟りの体験も宝物ではありません。
言うまでもないことだと思いますが、
そんなものは捨ててしまった方が、よっぽど役にたったりしますよね。
つまり、悟ったことなどないものとして、常に新しく確かめてみないと、そこにはいられないわけです。
ただ、みなさんにとって、悟りの方向に進むもしくは最後の局面を飛び越えるもしくはすでに飛び越えていることに気づくもしくは戻っていることに気づくきっかけになるようなことがお話できればとは思います。(成功しているかどうかは分かりませんが・・・(苦笑))
あるいは、人によっては悟りなどというものは、忘れてしまった方が良い場合もあります。
釈迦であれOSHOであれ誰であれ、悟った(といわれている)人が語ったことは宝物のように扱われます。
これは諸刃の剣で、役に立つ面もあるのですが、それによって悟りから遠ざかったりもします。
その意味で、私の話などは、ゴミ箱にでも捨てた方が、その行為をもってして悟れたりするかもしれません。

> ≫私が死んでいるときに思考が消えていきます
>
> ここであなたの言う私、は私ではなく一片の思考にすぎません。

おっしゃるとおり私が申し上げている「私」とは、一片の思考です。
あるいは、その他諸々の思考です。
あるいは、その思考に意味をつけたり判断したりしている者です。
あるいは、「この思考はどこから生まれてくるのだろう」とか「見えない思考があるはずだからもっと見てやろう」のように、ただ気づいている状態から出てしまっている(戻ってしまっている)思考です。
もっと言えばそれを「思考」だとか「記憶」だとか「あった」とか「見えた」とか「ん?」とか「あっ!」などのように考えている思考です。

741:ama
11/09/24 13:42:25.37 WXXxA0oo
>>566
> 一片の思考との同化が無くなると、目に見える言葉で把握できる思考は静まります。鎮めることができます。

おっしゃっている同化とは、それに引っ張られ、それを自分と思い込み、自分であるかのようにその思考を採用することですね。

> しかしその状態において本当の意味での私、目に見えない思考の集合体は相変わらず機能しているのです。

目に見えない思考の集合体とは、記憶(思い出せないことも含めて)と言い換えてもよろしいでしょうか?

> そしてこの無意識の言葉にならない思考全てが静まった時、私は消えるのだと思います。

おっしゃるとおり、無意識の言葉にならない思考(記憶)が全て静まったとき私は消えます。
ところが、そのときに私が存在するかどうかを確認すると私は存在します。
思考が動くわけです。(人は見たいものを見る。)
ですから、その中にいるそのときは、私が存在するかどうかを確認することができません。
そして、それが、私が存在しないということなのです。

あと、確認ですが、無意識の言葉にならない思考全てが静まるといっても、記憶がなくなってしまうわけではないですから、
無意識の言葉にならない思考全ては、出てこないだけであいかわらず存在はしていますよね。

742:ama
11/09/24 13:44:28.65 WXXxA0oo
>>566
> 私が消えたら思考が消えるというのは順序が逆でしょう。
まあ、私も思考も同じものですから、順序を問題にしてもしょうがないのかもしれません。
ここで申し上げたかったのは、私が力を与えなければ思考は消えていくという意味です。
解説したり、判断したりすると、その思考は思考として強まりますよね。
でも、ただひたすらにそのスペースにい続けるとき、思考自体ありません。
ないのです。
なにもない。
で、473さんは、そのスペースをやっぱり私(私そのもの?もしくは体験しない私?)と呼ぶのでしょうか?
申し上げるまでもなく、大切なことは、それをどのように呼ぶかではなく、
本当はどうなのかを確かめることですよね。
とはいえ、確かめると確かめている人はいなくなってしまいますし、
いない状態で確かめようとすると確かめる人が出現するのですが・・・。
そして、このことをもってして確かめることが出来たりするわけです。

> 私が消えたら思考が消えるという言明は、
> 思考の同化が消えて目覚めが起きて、無意識の集合体である統一された自己が生まれるプロセスを示しています。

「思考の同化が消えて目覚めが起きて」というのは、
それがどのような思考(私のように見えるもの)であってもそれを判断せずに観ること、
つまり、それと自分を同一視せず、切り離し、過ぎ去らせることですね。
ただ、無意識の集合体である統一された自己の出現というプロセスは、誰にでも起こることではなさそうです。
単に、どのような自分であっても全てを認める、というプロセスのことなら、誰にでも起こると思います。

743:ama
11/09/24 13:48:14.63 WXXxA0oo
>>566
> 他者の影響に過ぎない偽りの自己が消え、あなたの本質が核である統一された自己の誕生です。
> そして思考が静まればそれすら消えるのでしょう。

他者の影響に過ぎない偽りの自己というのは、生まれてから後天的に刷り込まれた思考、
つまり、親や教師やマスコミなどから植えつけられた思考のことですね。
私の本質が核である統一された自己というのは、上記で言うところのスペースでしょうか?
もし、違うとおっしゃるなら、そのようなものは出現させなくても悟れます。
少なくとも私には必要ありませんでした。
あるいは、どのような自分であっても全てを認める、というプロセスのことなら、私にも起こりました。

744:小林白蓮
11/09/24 14:12:22.65 UgJk1IXe
※悟っているかどうかは、降魔成道をして宇宙即我の悟りの体験をしていることです。
 降魔成道無くして、宇宙即我の悟りの体験をすることはありません。

 大川先生の教えのように、この世からあの世に移行するとき、肉体は死んでも霊
 として新たな生の始まりであり、この世とあの世を越えた神仏の働きや高級霊の
 背後を直視して、高級霊のインスピレーションを受けれるかであります。

 そして、反省を突き詰めた姿として、心の内に満月のような仏性を直視できるか
 であります。 

745:神も仏も名無しさん
11/09/24 14:15:43.52 /SxK3NOL
この1の絶対的安心に基づいてる感触
なんでそうなのかというと、何もない からだ
何もない んだから失う心配もない(失うには失うものが必要)
脅される不安もない(脅される対象がないのでされようがない)

それに比べて473よ
何をそんなに怖がっているのさ>>708
>自分の経験によってでなく、相手の立場にも立ってみようと、
>互いの立場を混ぜ込んでゆこうとすると、自分の見識を捨てようとすると
>たまらなく怖い。訳が分からなくなる。
>人前でなくてもこの恐怖がわかるのなら、、。

746:神も仏も名無しさん
11/09/24 14:44:58.59 Tg4I4rWD
仏陀は、誰某は、、ああいったこういった、、、
そうやって積み上げていった自分の見識を捨てようとすると
>たまらなく怖い。訳が分からなくなる。
だからもっとしっかりとした見識を、経験を、もっともっと高く積み上げていく
それを捨てようとすると起こる恐怖と一緒に

747:473
11/09/24 14:54:34.63 PduxhH8e
≫で、473さんは、そのスペースをやっぱり私(私そのもの?もしくは体験しない私?)と呼ぶのでしょうか?
そこから始まるのでって、それを呼ぶ理由はありません。
肉体として社会生活をする私を私と呼ぶだけで足ります。
一つの冗談として存在するわけでもなく存在しないわけでもない無上の悟りなどと、
維摩経のヴィルマルキールティは語っておりました。

> ここであなたの言う私、は私ではなく一片の思考にすぎません。

≫おっしゃるとおり私が申し上げている「私」とは、一片の思考です。

いえ、話が通ってません。
複数の思考と記憶と夢の構造である無意識の集大成である自我=私
表層で一時的に主人になってる思考=私
後者から目覚めて初めて前者に取り掛かる準備ができるということです。

ちょっと過去レスを読み直してみてください。
どうもやはりご自身のペースでしゃべりたいことをしゃべっているだけで私の述べていることを把握できていません。

≫ただ、無意識の集合体である統一された自己の出現というプロセスは、誰にでも起こることではなさそうです。
単に、どのような自分であっても全てを認める、というプロセスのことなら、誰にでも起こると思います。
表層的な自己認識と同化していると、無意識の自分を知らないし受け入れられません。
自分の全てを受け入れるということは無意識を受け入れられる、無意識を知っている、表層意識が主人ではないということになります。
(瞑想が失われると表層意識が主人になってしまうがまあ自由に取り戻せる)
これは方向を変えただけで同じことを意味していると思います。

≫> それもあなたの一部ですが、24時間だか1週間だかそれを合計してのあなたです。
悟りは現れたり失われたりだとか、映画なども見るとおっしゃられていたはずですが。
無論私もそうなのですけど。

748:473
11/09/24 15:05:46.98 PduxhH8e
ああ、真ん中あたりまちがったかも。
話が通ってるのか。

間違いを指摘したのに、
「はいそういう意味です」ですか。
なんと調子のいい。しかも言葉の間違いではなく知っている人なら間違えないであろう人間の精神の事実関係の間違いなのに。
まったくそんな意味であなたは語ってない。逆の意味や明らかに異なる意味で語っていた。
もう何言っても、自分の自我に都合のいいように解釈して持論がより隙がないよう磨かれてゆくだけか。

まあそれもよい。

持論を信じ込む人間に恐怖はない。
持論があれば、無明があれば恐怖がある。
無明が消えるまで恐怖は友だ。

749:473
11/09/24 15:11:15.43 PduxhH8e
私が提示しました

私の本質が核である統一された自己というのは

(でも、ただひたすらにそのスペースにい続けるとき、思考自体ありません。)

というようなスペースによって(意識によって)ばらばらだった無意識がつながって一個の自我になるという意味合いです。
一個になったときその人のタイプによって統一の現れ方はずいぶん異なります。
そもそも多くの知識があるかどうかで統一された際の矛盾の激しさは異なりますから。
そういう人は物事を信じ込むという時間の無駄をしないのが美点ではありますが。

750:473
11/09/24 15:20:26.02 PduxhH8e
何かがおかしい。

≫おっしゃるとおり私が申し上げている「私」とは、一片の思考です。
うん?自我をつかってしゃべるほかないということにおけるレスですかこれは。
それとも
私がないとき悟りがある悟りがあるとき私はないという話においての私ですか。

前者だったらさんざん一片の思考としてではなく、自己閉鎖的な自我としてあらゆる人があらゆる角度で指摘してて、
あなたは自分の言明がそういう印象を与えることに気づいてすらいないようですが。
例え悟っていてもまわり無視のテープレコーダーに意味があるかな。
それならせいぜい質の良いテープが(本が)いくらでもあります。


751:神も仏も名無しさん
11/09/24 15:43:24.11 1ausCk87
まあ要は今を生きなさいということだ。
別に1は偉くもないし
普通の人間だよ
悟りを普通ならぬものに持ち上げるのはオカルト


752:神も仏も名無しさん
11/09/24 20:02:29.50 Rre5YxRm
何かがおかしい473

753:神も仏も名無しさん
11/09/24 21:25:22.19 Rre5YxRm
473の思考が、理解不能な悟りを怖がってしまい
体系づけてどうにか自我の思考の範疇で飼い慣らそうとしてる

754:神も仏も名無しさん
11/09/24 21:44:58.59 1ausCk87
1の悟りは要するに今この現実を認識するというもので、オカルトでも超能力でもない
俺らは物事を過去の記憶を投影して見ているものだからな
つまり過去に生きている。
目の前のものをよく見るというのは現在を見るという事で
現在に生きるということでもある


755:神も仏も名無しさん
11/09/24 21:58:08.84 iGvLld0O
全く読まずにレス
>>1
全方位からの視点でも手に入れた?
余計な情報が入りすぎて気持ち悪くならない?

756:神も仏も名無しさん
11/09/24 22:15:17.83 Rre5YxRm
多分、「悟りっていわれるものがどうということもないものだった」
とすると非常にまずいことになる理由 が、473にはあるんだろうと思う
そういうわけで473は、1より、その理由と向き合ったほうが良いのではないかな
その理由とひとまず向き合わずにすむからと、延々と1を批判し続けても仕方ないよ

まあここまであれこれ説明できるんだから本人も自分がどうしてこんなことをしてるのか多少自覚はあるんだろうけどね

757:神も仏も名無しさん
11/09/25 00:40:19.39 W7PqIhIF
正直1も473も、そろそろ違った視点から悟りを語ってくれないかな。
同じ所を繰り返されるのは飽きた。

758:神も仏も名無しさん
11/09/25 01:36:43.38 6LfAOIyP
ただ1に関しても、一度自我が解体した経験があるというだけで
とりわけ優れた才能があったり知性が高かったりという人ではないようである
釈迦が凄いのは単に悟っただけでなくて
それを説明する能力があり、高いカリスマや知識、知能、教養などが備わっていたという所にあるんじゃないだろうか


759:神も仏も名無しさん
11/09/25 02:15:42.41 r05g0FrO
説明する能力、高いカリスマや知識、知能、教養 か、、、
それらを乗せる土台がどういうものかで、カルト教祖、独裁者、にもなる
分かりやすく上に乗せられたものより、その下、何に基づいてるのか かな

そして「それがすごいと思うことができる基礎」がこちら側に無いと、そう思うことも不可能だったわけだから
なぜ自分がその部分をすごいと感嘆するように既にセッティングされているのか を考えてみたりするなあ

760:神も仏も名無しさん
11/09/25 02:53:10.96 6LfAOIyP
じゃあ凄いじゃなくていいよ
違いがあるということね


761:神も仏も名無しさん
11/09/25 03:21:39.45 Q0glC/nE
違いが分かる男の、ゴールドブレンド

762:神も仏も名無しさん
11/09/25 09:43:21.66 TeK1SOAZ
悟るとは、自分は無価値でただの肉の塊に過ぎないって認めることでしょ

763:473
11/09/25 12:03:59.79 3Cx5Jt7F
悟りなんか道の第一歩目でしかない。
だけど究極について説明する力だけ生えるから危険だ。

今までの大まかな流れは1さんに対しては、
それを盲信して他者を批判するような人がシンパだった。
そして知性的に物事を見て特に誰も盲信もしないし批判もしないような人は
対話能力のなさを指摘していた。
みんな彼の悟り云々ではなく自我、それも対話能力が他者のレスの内容を理解しない未成熟な自我を指摘していただけ。
悟り云々の問題ではなかった。
(まあその未成熟な自我と悟りという光明への第一歩は矛盾しないと述べていたわけだし、テーラワーダのリンクは素晴らしかった。貼った人感謝)

ただそれだけのこと。
悟った人はただ当たり前の人であります。悟りなんかに全く構わずただ普通にしゃべるだけでその
当り前さが出てきて、わかる人にはわかります。
ただ当たり前の人であるということはどんなとてつもないこともできるかと思います。

私も自分の悟りではなく自分の自我を気にはしています。
正面から相手取るとむしろ強化されてしまうのでのんびりしていればいいのですが、
目覚めている≫自我を気にする≫≫ボーっとしてとらわれる という順ですね。

また、みんなと仲良くする人間関係、嘘をつかないつかせないルールの人間関係、
宗教において真理を婉曲に描写し、虚偽を解体してゆく人間関係
これらのルールが矛盾するので内部で混乱と恐怖が起こります。

そして私の通常の生活では、この3つのうちの一つが主導権を取って行動するので、
いつも「行動が極端に」なってしまいます。これが人間の姿かとおもいます。
1さんも最初の頃の自分自身の現状の暴露と瞑想についての言明が全く別人みたいでしょ。
でもこれは私の場合とまた違いますね。人によっていまカギとなってる内部対立は異なりますから。

764:473
11/09/25 12:24:30.91 3Cx5Jt7F
そしてこの深層の混乱が収まれば、うまくやっていけるというより、自分の中がすっきりするというより
他人という対象そのもの自分という主観そのものが無くなってるでしょう。
(それに触れたことぐらいはあります。)
ほぼそれはそのまま光明かもしれない。
そこまで至っていないしそもそも語ることもできない悟りや光明を描写するより、
それへの妨げについて論じるほうが実効性があるように思う。
実際各時代の祖師もその時代の人の社会固定観念、光明への固定観念を解体すべくその時代の常識の逆をついてしゃべったのであり、
実は今私がやっていることと方向性は似ていたのです。
より私の方が複雑なのは、現代人が複雑で情報過多になっているからです。

だからもっと1さんに今の自分における具体的な質問をしたらどうかなと。
そうしたら私がないからということ以外で答えるほかないでしょう。
それが皆さんにとっても有益でしょうし。
1さんの実体としての本当のいいところ(と悪いところも)が出ると思います。

765:神も仏も名無しさん
11/09/25 13:15:14.85 6LfAOIyP
悟ると心理的に平安になり、平安だからIQも上がり、色んな事に冷静に対処出来るということはあると思うが
それ以上でも以下でもないな。
要は悟って何をするかだよね


766:神も仏も名無しさん
11/09/25 14:25:02.35 prYOeQ5P
悟って何をするか?
ただ生きるだけだよ
何か大層な物語でも描いてるのか?人を救うとかなんたらかんたら

767:神も仏も名無しさん
11/09/25 14:57:00.55 yYbnNLF1
1をあれこれつついても普通の人と何も変わらんぜ
>それが皆さんにとっても有益
「473にとって」では?

>1さんの実体としての本当のいいところ(と悪いところも)が出ると思います。
あなたには、「事象a(1さん)」に対し、ある何かが手持ちの尺度を用いて何らかのジャッジを下すという構造
判断をx、結果をb(良い、悪い)の ax=b という構造がある
ありのままに見れば、なんのことはない a=a(1さん=1さん)だ
だがそこにおいての介在(判断x)とは何か 思考、自我では?(>>409-411)

そもそもそれが良いとか悪いとかいう話ではない
単に、自我の働きとはそういうものだということだ
ただそれを自覚してない(できない?)とややこしいものになる

自覚がない理由は前に書いた あなたには自ら吐露した前提がある
「求道者としてなら強烈な自我を保持しつつ他者と関わるのはOK」(>>666
なぜこれを持ってるか については人に聞くより自分に聞いたほうがいいかと

768:光 ◆DlyW/s8ibQ
11/09/25 16:04:49.66 8C0FlPa/
困ってます!
助けてください!


セックスしたくてたまらないですがどうしたらいいですか!?

769:473
11/09/25 16:34:06.50 3Cx5Jt7F
借りてきた言葉で別人のふりをしたりしない。
見せかけのおだやかさで怒りを抑圧したりはしない。

だからといって怒りを表出させるべきでもなかった。
なんてレスを返した記憶があります。

強烈な自我ということなら1さんや765さんだよね。
考え方が違うからってそれを投影されても、、、、いつものこと。

770:473
11/09/25 17:22:36.17 3Cx5Jt7F
「実体としての本当の」いいところとは

意識によって働き始める自由闊達な生きた知恵。

なのだから、

わるいところ
というのは、無意識によって働いてしまう固定観念や執着や恐怖

をただ指しているだけとなります。
またどうも1さんは最近格好つけたがりなので彼自身が自分の普段の姿を悪いことととらえて封印してる節があるなあ、と。

文脈から読めばこんな感じの意味になると思います。
言葉そのものを買ってしまう人は少ないと思いますが念のため。

ただ自分のありのままの姿を隠して美化しようとすることも別に悪いことではないんですよね。
それこそ自我の働きです。

771:神も仏も名無しさん
11/09/25 18:02:31.74 Rk43h9nZ
>>766
お寺で仏が実在すると考える人にとっては「人を救うとかなんたらかんたら」
は考えてもいいんじゃないか?仏が実在して人を助ける事なんか無いと思ってる人には考えもよらない事だろうけど。
ここで語られてる悟りが浅すぎて人を救うという事が全くもって想像できないからそんな疑問を持つんじゃないのかな。

772:神も仏も名無しさん
11/09/25 19:01:31.19 ezxyCcT1
悟りに浅いも深いもないがな
それがあると思うもの があなたにあったとしてもね

>>770
>意識によって働き始める自由闊達な生きた知恵。なのだから
なのだから・・・じゃなくてさあ
「悟った人とは、意識によって働き始める自由闊達な生きた知恵を持つ」が、なんでまず無言でいきなりそこにありきなの?
でそれは完全盲目に全く問わず、次
「ということ、なのだから」という展開が始まっちゃってる

1どうのこうのの前に、あなたが作り上げた 自己完結してる固定観念や執着が まさに1以前にあるじゃないですか
それが、「と、いうことなのだから」、もし「1がそうでなかったら」という恐怖を生み続けてますよ、
あなたの敷いた前提が、1=1じゃなく、1=恐怖の対象にしてるんじゃないですか という話ですよ、と

773:神も仏も名無しさん
11/09/25 19:13:43.72 Rk43h9nZ
>>772悟りに浅いも深いもないがな
それがあると思うもの があなたにあったとしてもね

悟りには小悟と大悟がある「小悟 大悟」で検索すれば出てくる
小悟は数知れずと、1の人は小悟だと推測する。大悟なんて2chでお目
に掛かる事なんて期待できないかもしれない


774:773
11/09/25 19:19:46.57 Rk43h9nZ
>>772
URLリンク(www.j-theravada.net)
URLリンク(plinst.jp)

これも追加

775:神も仏も名無しさん
11/09/25 21:02:18.06 qkda0XaL
>>768
ソープに逝きなさい

776:神も仏も名無しさん
11/09/25 21:02:47.37 ilrLd4fp
>悟りには小悟と大悟がある「小悟 大悟」で検索すれば出てくる
前も書かれてましたよ「人は見たいものを見る」とね

「悟りには小悟と大悟がある」と信じる人のために作られた「小悟大悟で検索すれば出てくるページ」があり
案の定それを信じるあなたが、小悟大悟で検索、結果それを発見した、とまあそういうことです
ありました?そうですねありましたね、という感想ですかね、、、
「オーカーリューホー」で検索してみますか?ありますよ?

473もそうですが、どうして何はともあれと真っ先に外に向かうのか
向かうべきはまず自分ではないでしょうか
自分が何をしてるのか分からないまま、あちこちから引っ張り出してきて次々と並べ立てても仕方ないわけです

777:神も仏も名無しさん
11/09/25 21:07:05.21 W7PqIhIF
悟りを前にして、悟りを理解しようとするのは愚の骨頂。
橋を前にして橋の材質や構造を知ろうとするのと同じ。
そんな事を知る前に、とっとと橋を渡れ。

778:773
11/09/25 23:15:26.46 Rk43h9nZ
>>776
悟りには小悟と大悟があるっていうのは禅宗において共通しての定義のようなものだと思っていたが違うの?
日本の禅宗全体がそう考えていることであるというなら、素人の776氏がいう事よりも信用できる事なのではないかと思うが。

あと大川隆法は小林白蓮氏が言っている事なので禅宗が言っている事と一緒にしないで欲しい。
あと776氏は774のurlについてはどんな考え方をしています?



779:773
11/09/25 23:34:16.96 Rk43h9nZ
“小悟”と言われる小さな悟りを積み重ねて釈迦は35歳で“大悟”と言われる大きな悟りを得ることができ
URLリンク(www.sotosyu.org)


 これは、平成十二年十一月十二日に、NHK教育テレビの
     「こころの時代」で放映されたものである。

昔からこれは白隠さんが言っているんですけれども、大慧宗杲(だいえそうこう) という中国の人は、. 大悟十八遍、小悟その数を知らず.
大きな悟りを十八遍開いた。 そして、小さな悟りなどは、その数を知らず、と。
URLリンク(hk-kishi.web.infoseek.co.jp)

780:773
11/09/25 23:40:50.54 Rk43h9nZ
>>776
「悟りには小悟と大悟がある」と信じる人のために作られた「小悟大悟で検索すれば出てくるページ」があり
案の定それを信じるあなたが、小悟大悟で検索、結果それを発見した、とまあそういうことです
ありました?そうですねありましたね、という感想ですかね、、、


779を読めばお釈迦様と白隠禅師の教えに出てくる言葉ですが、そのような答えになりますかね?



781:ama
11/09/25 23:47:02.13 8iq0aujA
>>572
たとえるならそのようにも言えると思います。

782:ama
11/09/25 23:48:34.15 8iq0aujA
>>574
自分をごまかすと幸せに生きていくことは難しいと思います。


783:ama
11/09/25 23:49:50.64 8iq0aujA
>>578
はい、幻想です。
そして、私達も幻想の中で生きていますから、当然、被害をこうむります。

784:ama
11/09/25 23:52:06.12 8iq0aujA
>>580
正しく見るために必要なことは、たった今、新しく見ることだと思います。
自分は何も知らないものとして、初めて見るようにして、
こうであるはずだという前提を一旦脇に置いておいて見るのですね。

785:ama
11/09/25 23:53:01.92 8iq0aujA
>>620
分かりません。
私の一番のお勧めは、自分で確かめてみることです。
これが何よりです。

786:ama
11/09/25 23:58:23.87 8iq0aujA
>>651
> 失礼ですが、まだ死にきっていないように見受けられますが?
はい、私は死にきっていません。
死にきることは無いと思います。
問題は、それ(私)によって私が苦しむかどうかですね。

787:ama
11/09/25 23:59:51.81 8iq0aujA
>>660
473さんのご質問の趣旨が、私は今ひとつ分かっていないようです。
現在働いている私の自我の何を指摘されたいのでしょう?

788:神も仏も名無しさん
11/09/26 00:01:30.52 vmYSlUQj
>>amaさんご苦労様
このスレ、主のamaさんが居ないとね

789:ama
11/09/26 00:02:44.33 8iq0aujA
>>661
すみません、おっしゃっていることが分からないです。
単純に、悟った(と言われている)人がいて、その人の話を聞いて、
悟るとこういうことが起こる、悟る方法はこうである、その途中にこのような段階を経る、
このようなことが起きた場合その原因はこうだからこうすればよい、
などのような話に感銘を受けたとして、そして、どうされますか?という質問です。
質問の仕方を変えるなら、もし、悟った(と言われている)人がいなかったら、
あるいは、彼からの情報が何一つ得られなかったとしたら、どうされますか?
とそんな感じです。

790:神も仏も名無しさん
11/09/26 00:04:52.92 ilrLd4fp
>>778
>違うの?
そーなの?

>日本の禅宗全体がそう考えていることであるというなら、素人の776氏がいう事よりも信用できる
じゃあ信用しましょう 次なに信用しましょうか? 最終的には悟りを信用しますかね?

>url
見たいもの(自己肯定?)が見れてよかったですね と

791:神も仏も名無しさん
11/09/26 00:15:27.55 65/JIBuZ
>>789
前者の質問はその質問を何故したのか聞きたいです。
この質問は私に関してのものではなくあなたに関してのものではないでしょうか。

私は悟りの段階とか感銘などの話ではなく、自己知や訓戒、自我のトリックについて語っていましたし、
リンク先の内容もそうでした。
ですからこんなつながりのない質問をすること自体あなたが相当悟りという概念にのめりこんでいることを
しめしているかもしれません。それは自覚不可能なほど無意識に刷り込まれているのかもしれません。


792:神も仏も名無しさん
11/09/26 00:32:15.38 65/JIBuZ
>>789
後者の質問は質問自体があまりに素晴らしい。
この質問に出会えたこと自体を本当に感謝したい。

これは一つの解放ではないですか。
人は師との束縛、宗教と社会の内的葛藤を断ち切らなければいけない。
しかし、あくまで宗教があったからこそここまでこれたし自分に意識が向いたのです。
もし彼らからの情報がなかったとしたら今の私はありません。
それこそ生まれ変わりがなければ私には何のチャンスもないでしょう。
宗教の助け無く一から気づいてゆくには時間が足りなさすぎるのです。

忘れることは大切なことですが、それを覚えたからこそなしえたことがどれだけあるか忘れる訳にもいかぬでしょう。
どうにもそれは恩知らずですね。
自分は無意識であり、それを気づかせてくれた何かがあって今の自分がある。
ありがとう。これが普通です。
未だ無意識な人はつまり過去とあまり変わっていない人はそれを感謝する理由もないのではないでしょうか。

最高のスートラではありますが、質問としてはこれもブーメランです。
私の場合悟りという概念には頼らずとも過去束縛していた思考、今束縛している思考、
無意識の思考の葛藤である自我、こういった今自分を束縛しているものを語るだけで足ります。
しかしあなたこそ悟りという言葉やその他の言葉やロジックをを相当借り受けているように見えますけれど。



793:神も仏も名無しさん
11/09/26 00:39:24.79 65/JIBuZ
1さんは「目標」や「どうする」ということと戦ってるだけかな。
争いというのはいろいろな微妙な形をとる。

ずっと私は、既存の観念を解体するために祖師は語っていた、
ショックを与え無思考にするために語ったといい続けているのにそれを読み取れていない。
言った通りやるようになり、真に受けるようになったら逆を言うだけのことなんだけどね。

794:神も仏も名無しさん
11/09/26 00:44:14.84 r4RAFV3h
>>780
テレビでそういってたもん
先生がそういってたもん
本にそう書いてあったんだもーん

そうですか と

795:神も仏も名無しさん
11/09/26 00:54:29.45 ZIFlrPoP
訳の分からない質問に、訳の分からない回答がつき
さらに訳の分からない質問が続く。
誰かamaさんと473さんの質疑応答を判りやすく解説して下さい。

796:神も仏も名無しさん
11/09/26 01:04:23.22 /06BNudF
>>795
amaさんは悟った世界からの話で、
473さんは悟っていない世界からの話

amaさんは本質を捉えているから無数に表現できるが、
473さんは字や知識からamaさんを捕捉するしかなくて、
amaさんを捕らえかねている。

個々の質疑応答はその成れの果てといった感じがする。

797:神も仏も名無しさん
11/09/26 01:07:46.26 vmYSlUQj
>>796
おお、全部目を通してはいないが、amaさんの評価高いね

798:神も仏も名無しさん
11/09/26 01:15:37.14 /06BNudF
>>797
いくつかのレスをみたけど、amaさんは悟っているよ。

書物や聞きかじりの知識ではなく悟りの境地・体験からの
表現を普通にできているから。

しかし、このスレタイで建てるとは恐れ入ったw

799:神も仏も名無しさん
11/09/26 01:49:14.33 ZIFlrPoP
>>798
amaさんは世界が実在しないと分かっているし、世界をそう見てる。
amaさんは自分が実在しないと分かっているが、まだ完全にはそうなっていない。
あと、もう少しだと思うよ。

800:さんちゅ ◆PyuQX798ps
11/09/26 17:19:08.62 L/koyL0/
800get

801:473
11/09/26 19:51:25.86 65/JIBuZ
≫このようなことが起きた場合その原因はこうだからこうすればよい
正しく経典を読んだ場合は、知的な理解によってエゴが強まるというより、
どうしようもないということを得心してゆくような仕掛けになっております。
ああやればこうやればということはある段階を超えると書いてあるものではありません。

エゴを理解していく過程でエゴを知的に理解してゆけばエゴは強まるばかりですね。
ただ達成に酔ったり、方法に希望を持つよりはましなのでそれらに同化することをやめ、
最後にその知的な理解が消えるのかもしれません。


802:神も仏も名無しさん
11/09/26 20:15:39.77 PKq63nkp
>>1
悟っても退屈を感じるか?
退屈を紛らわす為に、特定の現象刺激を必要とするか?
慢性的な退屈感 空虚感 虚無感に苛まれているのだが、
悟るとそれも無くなるのか?


803:神も仏も名無しさん
11/09/26 21:06:43.19 s2YHkYkb
>>799
言葉の問題かもしれないが、ここで言う「完全」ってなんぞ?

意味は分かってもらえると思うけど、無限なら完全?

私はamaさんに無限を感じ、一切の顛倒夢想を離れた境地は
得てはいると思う。

ただ、それの境地を生きてはいないのも感じる。
しかし、それはamaさん自身の次の課題であり、
悟りを修したか否かでいうならば、Yesでいいかと。

804:神も仏も名無しさん
11/09/26 21:12:28.56 +9Tekx3+
799の話って面白そう
もう少し詳しく語って欲しい
聞きたいことは同じく、自分が完全に実在しないということについて

805:神も仏も名無しさん
11/09/26 21:21:17.77 ZIFlrPoP
>>803
>言葉の問題かもしれないが、ここで言う「完全」ってなんぞ?

上手く説明できるか分からないけど
意識では「自分は実在しない」って分かってるけど
無意識では、まだ「自分は実在しない」って分かってないってこと。

だから、自分の存在が有るような無いような感じになってる。

でも、これは俺にはそう見えるってだけで、amaさん的には問題無いのかもしれない。




806:神も仏も名無しさん
11/09/26 21:42:37.21 ZIFlrPoP
悟りについては濁して書かないと
無用な敵を作るからな、用心、用心。

807:神も仏も名無しさん
11/09/26 21:47:06.98 s2YHkYkb
>>805
他人の悟りって実は見れないよね。

私は自分の悟りとその人の言動をいくつか付き合せて、
同じものを持っているからこの人は大丈夫そうだ、ってなる。

私は>>71-72とか全体的にパーッと眺めて、大丈夫そうと思った。

あとはamaさん的な問題の有無はamaさんのレスを待つとしても、
あなたの悟りでは、表層意識の下まで意識できて、そこで「自分は
実在しない」といったところまで行ったのです?

808:神も仏も名無しさん
11/09/26 21:48:50.77 s2YHkYkb
>>806
用心するなら、まずageないほうがいいんじゃ・・・

809:神も仏も名無しさん
11/09/26 21:55:26.12 ZIFlrPoP
>>807
>あなたの悟りでは、表層意識の下まで意識できて、そこで「自分は
>実在しない」といったところまで行ったのです?

さあ、どうでしょう。ご想像におまかせします。

810:偽イルミナティ
11/09/27 00:31:43.38 VmQoZTF0
自身の中で体験している世界が他者と共有できない
個人体験に過ぎないという認識のどこが悟りなの
認識と体験は根本が異なる
体験は語れるはずなんだがね

811:神も仏も名無しさん
11/09/27 00:53:56.27 aPuc8XUr
>>810
自己満足や自己顕示以外で体験を語る理由って有ると思う?


812:偽イルミナティ
11/09/27 01:15:14.38 VmQoZTF0
海外旅行した人と外国の話で盛り上がるとかそういうのは理解できる
でも海外旅行した事ない人や出来ない人相手に外国の話を聞かせるというなら
それは自己満足や自己顕示を感じる

813:神も仏も名無しさん
11/09/27 02:00:10.94 aPuc8XUr
>>812
悟りについて体験を語るのも同じような物だと思わない?

814:ama
11/09/27 07:17:51.23 Qz9JVUC9
>>662

私もこうあるべきということをお話しているのではありません。
こうだったというお話をしています。

無意識は回答しません(できません)。
顕在意識(顕在している思考)がご回答しています。

815:ama
11/09/27 07:18:50.55 Qz9JVUC9
>>724
はい、楽しめるようになります。

816:ama
11/09/27 07:20:41.46 Qz9JVUC9
>>726

失礼、間違えました。

私がお見受けする限りでは、悟りはもっと素晴らしいもの、もっと大変なもの、というお考えをお持ちなのかもしれません。
あるいは、私はまだこうだから(このプロセスが起きていないから)これは悟りではない、のようなお考えもお持ちなのかもしれません。
○○しなければ悟れない、という考えにしがみつくと悟りは遠ざかります。
あるいは、真の自我(?)というものの開発(開拓)に腐心していらっしゃるのかもしれません。
でも、自我は自我、なんですよね。
自我を高めよう、削ろう、増やそう、など、自我について何とかしようとすると、迷路にはまり込みます。
それをやっているのも自我ですので、一人相撲になってしまいます。
悟りは、自我のやることではありませんので、悟るためには自我を手放すしかありません。
そして、もちろんこれは、誰にでも言えることです。

817:ama
11/09/27 07:24:42.93 Qz9JVUC9
>>727
楽になる、の方がもう少し正確かもしれません。

818:473
11/09/27 12:23:10.56 i0GNjuTK
780からのレスと、最初のほうのレスを読んでさすがに得心が行きました。まったくいいお答えをいただいていると思います。
私の疑いはピントがずれていたようです。

「こんなことをいうやつは悪人だ。」
「ある程度物が解っているのにこういうことをいうということは自己欺瞞にはまっている。」

というのは大体の場合当たるのだが、
物が解っているが事情には疎い善意の人がいたら、そしてそうと知らずに偽善者と認定されるような発言をしていてそれに気づいていなかったらどうする。

相手が自分が知っていることを知っているという前提で相手の言うことを聞くと冤罪が量産される。

相手は知識として何を知ってるのか、相手はどんなつもりでどんな意味を込めてしゃべっているのか。
思い切り見落としてしまった。

みんながどんな本を読んでいるか、そしてこれらの書き込みにどんな印象を持つかわかってないと無意味なことですれ違う。
これは悟り云々ではなく現代日本人の宗教知識を理解しておかないと会話ができない、自分にとってはなんてことない描写が
とんでもない冒涜や思い上がりや無知として受け取られる恐れがある。というよりそれがお生きている。

何と指摘するのも今更大変ですが普通なら偽善者でしかありえない書き込みがけっこうあり、かといって本人自身の言葉があまりに優れているので、
本人自身の言葉が優れていればすぐれているほどこいつはとんでもない偽善者だと決めつけてしまった。
優れているがゆえにこんな発言するはずがない、するとしたら自己欺瞞にはまった愚か者だという決めつけが起きたのですが、
優れているけどあまり近代宗教や偽の指導者の特徴に詳しくなくそのあたりまったく気にしなかったとしたらという方向の可能性を
まったく考えていなかった。(近代宗教をかじった人なら同じように感じる人は多いと思う、というか多かった)
まあ、普通だったらすぐ怒るはずがまったく揺らがないのでいい加減違和感がありましたし、しまいには780からのレスで切って落とされて感動。

819:473
11/09/27 13:01:19.33 i0GNjuTK
グルジェフや和尚に親しんでいればありえない微細な表現のミスがありましたし、私のそのミスの指摘は理解できないようでした。
それはグルジェフや和尚で、偽の教師やある程度進んで堕落した人がどのようにふるまうのかということを知っていないとぴんとこなかったかもしれません。
また、クリシュナムルティーも加えた近代宗教のロジックを考慮して微妙な表現に気を使って当然だと私は思い込んでおりましたし、
そう思い込んでいる人は多そうです。1さんがその流儀に参加していないことに気づかなかったのはあなたの力量が優れていたからです。
それに目がくらんだ。

また、近代のマスターだけでなく、ブッダや、老子や、キリスト、スーフィーマスターなどあらゆる祖師と比べて、
物腰が普通の自我に近く、悟りの言明も彼らよりスケールが小さく、他者理解も薄い。
あらゆる意味で彼らより見劣りする書き込みをしていながら、「悟った」と言明すると私や、近代古代のマスターに親しんでいる人にとっては
ものすごい違和感になります。
なんでその違いを無視して同列の悟りという表現をするのか?と考えだすと1さんがどんな自己欺瞞をしてるのかと想像してしまいます。
(本人はあまり気にしてないのでしょうけど)
1さんはそのあたりの差異や比較を多分あまり気にされていないのでしょうが、これを気にしないということが、真摯で物の違いの分かる
探究者には想像もつかず、結果1さんを偽善者と決めつけざるを得なかったかと思います。



820:473
11/09/27 13:05:26.42 i0GNjuTK
マスターが弟子をかき乱すために普段なら言わないようなことをいう、期待に反したことをするというのを計算してやるのはありですが、
最初から偽善者認定されて信頼を失うようなことをするのは論外でしょう。
まっとうな実存と不用意な言葉による混乱と誤解、そういう無意味なものを誘発したくなく、近代宗教及び古典に良くも悪くも世話になっている
人たちを解放してゆくのであれば彼らの束縛と
「彼らがあなたの悟りという言明にについてどういう印象を持つか」について学ぶ必要があると思います。あなたはよくても周りは困りますよ、ほんと。
悟り関連の言明がなければ私も素直に接していたと思いますので。
マンスールは自分は神であり、また人と神の間に預言者は必要ないといいましたが、これは人々の精神にとってあんまりな暴力に映ったのでしょう。
ひどい仕返しをされました。

学ばなくてもあなたは困らないのでしょうけど、どうせこういうスレッドを建てるなら、、。
他者を解放してゆくということは個人の悟りではなく、スクールの知識、あらゆるタイプがどんな束縛にあるかの体系的な理解が必要です。

それでも私に付き合っていただき780からのようなお答えをいただくとなんというかとてもすっきり解放されました。
そして、悟りと知識が関係ないということを、生と知識が関係ないということを本当の意味でできた実感ことに無量の感謝を感じます。
ここまで他者を悪しざまに見たのは近年まれにみることでこの体験は自分の倒錯を明らかにしてくれました。

821:神も仏も名無しさん
11/09/27 13:25:31.12 j5Zp/897
とうとう敗北宣言かよ。
期待してたのに。

822:神も仏も名無しさん
11/09/27 14:48:47.87 qyqWy761
何かよく分からないけど怒ってるのね

823:神も仏も名無しさん
11/09/27 15:56:40.74 j5Zp/897
>>822
怒ってないですよ。
amaさんと473さんの噛み合わないやりとりが好きだったんで
これで終わるのが残念に思ったんですよ。

824:473
11/09/27 18:39:39.25 i0GNjuTK
≫無意識全体、あなたの自我全体による回答ではなく

≫無意識は回答しません(できません)。
顕在意識(顕在している思考)がご回答しています。

ですか。
何で私の言う普通の意味での無意識(意識的な行動と無意識な行動の無意識)
と無意識の構造である自我という言葉を、

あなたは完全に無意識を克服し思考との同化を表層からも識意下からも完全に克服した人間の
表出しない単純な記憶としての思考ということに置き換えて返答するのですか?
私は自我という言葉と並べて無意識を使っているので、この無意識は(意識的な行動と無意識な行動の無意識)
という意味以外で取りようがないですよ。

あなたが悟っているのならこれへの答えは、私には無意識はないということを何らかの形で表現するしかないでしょう。
表層の意識の下にある深層意識の、無意識な複数との思考との同化が自我でしょう?
無意識があるなら悟っているのではなく多かれ少なかれ自動人形であり、そしてその動きはその人の本性にも
世界にも合致しないゆえに災難は避けられません。また生と死という観念も避けられないでしょう。

まあ私の書き込みと一般通念を無視して
「表層に表れないそして同化していない記憶としての思考」を無意識という意味で語るなら一応つじつまは合うのですけどね。
無意識は意識とも瞑想とも悟りとも対極の状態として使われるのが普通ですよ。

そもそも無意識は表層の行動にも逐一影響を与えます。
そうでなければ誰もが自由に表層の意識通りに行動できます。
あなた無意識の思考があるという事実そのものを頑なに避けていませんか。
自分が不自由であるという事実を理解したことがあるのですか。
(まあそういう意味で無意識を使ってないとかそういう落ちのような気がしますがね)

825:神も仏も名無しさん
11/09/27 18:54:45.27 aPuc8XUr
やっぱり、473さんはこうじゃなくちゃ。

826:神も仏も名無しさん
11/09/27 20:53:42.22 8jtuAsZC
何か言いたいことがあるらしいが面白いほど分かりにくい

827:824続き
11/09/27 21:48:41.71 i0GNjuTK
>>814
≫私もこうあるべきということをお話しているのではありません。
こうだったというお話をしています。

1さんは寝ているときも含めて、
もしくは少なくとも起きているときはずっと悟っているのですか?
24時間のうち目的を追ったり、意識を失って無意識に物事に熱中したりということは全く無いのですか?
私は素直な話そういう時間は普通にありますから、悟りの方より悟っていない時間と、悟ってない時間の原因である
自分にとって未知である無意識にうごめく思考の方を話題にします。
悟っていない時間があり、その原因を無意識の深層にに抱えているのなら悟りについてばかり語るのは
「こうあるべき」姿へのこだわりではないでしょうか。
という意味の質問になります。

828:824続き
11/09/27 21:55:59.62 i0GNjuTK
「だった」ことは無意味です。「だった」?どうしてこんな言葉を使うのだろう。
習慣の差かな。やっぱり。この文脈でだったとかいうのは地雷すぎる。
今どうかということが大事です。

しかし今の時点でどうかでもまだ無意味です。一時的なことであることがほとんどです。
時間はなく、永遠ですか?

829:神も仏も名無しさん
11/09/27 22:04:53.79 v6oAOsD8
無意識って悟りの体験とは関係ないから悟りの人でも、意識を研究して
きた人でもないと答えられないと思う。

ニルヴァーナの意識状態を聞くのなら、いくらでも答えられると思うが。

830:神も仏も名無しさん
11/09/27 22:17:56.29 8jtuAsZC
とりあえず1と473はトリップを付けてくれ

831:473
11/09/27 22:24:50.87 i0GNjuTK
無意識が意識下に照らされていないと、無意識が勝手に動き出して大変なことになるのです。
そういう意味での無意識の撲滅が悟りです。
そういう意味で無意識が存在したら絶えず無意識VS 無意識 無意識vs表層の思考
ということになって大変です。

また無意識とは「無意識に働いている思考」のことなので無意識の思考がある以上は物事をありのまま見ることも不可能です。
無意識の思考がなくすべての思考が意識に照らされている時が二ルヴァーナの意識状態かもしれませんし、さらにその先かもしれません。
少なくとも無意識の思考が夢であり我々の作る幻想というより世界そのものです。

それがあっちゃあどうしようもありません。普通の人です。

「しゃべれる思考は一つだけ」
だけど
「意識はすべての思考を照らしており今言葉のために使ってるは当然としてそれ以外のどの思考とも同化がなくまたそれに覚醒し気づいている」
という無意識がなく意識しか存在しない全ての思考に覚醒している状態かと思われます。
これは意識では無理ですね。覚醒でなければ。
そうでなければ普通の人間と変わりがありません。

832:神も仏も名無しさん
11/09/27 22:55:42.60 v6oAOsD8
>>831
えっとね、「無意識の撲滅が悟り」と定義しちゃうと、それ以外は
悟りではなくなってしまうよね?

でも悟りは、「ありのままにして、何も定義しないこと」なんだ。

思考を止めることとも、感覚を全てなくすことととも違う。
それはただ、価値判断や比較することを止めた状態なんだ。

意識の下で何が起こっているかは正直わからないんだ。

ただ、不意に価値判断が止まってしまったら、悟りがきちゃった、
というのが普通の悟り人なんだ。

833:473
11/09/27 23:15:07.25 i0GNjuTK

無意識が勝手に定義し続けます。
定義が思考の本質であり、無意識が残っているとそれが無意識「に」起こり続ける。
無意識の「思考」が動き続けているなら価値判断も動き続けているのだ。


834:473
11/09/27 23:19:03.29 i0GNjuTK
申し訳ない。
これは知ったかぶって論争するようなことではなく、
自らの不自由と無知を痛感しつつ生きるという性質のものであった。
これを知っているという自分の自我は始末に負えない。

835:ama
11/09/28 07:18:54.43 J9KBOC/D
>>728
真我というのが、静寂、あるいは、私(思考)ではないもの、のことであれば、
それはどこにもないと言えますし、目の前、つまり、今ここにあるとも言えます。

836:ama
11/09/28 07:21:32.41 J9KBOC/D
>>729
私の申し上げている悟りは、必ずしも物事を客観的に捉え判断する方法ではありません。

結果的にそのような私(自我)になる可能性はありますが、それを目的とはしていません。
そのような能力は、まあ、おまけくらいにとらえています。

837:通行人さん@無名タレント
11/09/28 09:20:42.54 jptNhcNw
無意識の撲滅って、カルマを作らない、ってことと同じじゃない?
どこかに傾こうとしたときバランスをとるのがカルマなら、
例えば人はみんな自分と全く同じ考えをしなきゃいけないって思考は、
無意識を働かせるカルマになるって思うんだけど。

だって、自分以外が或るから自分が存在する理由になるでしょ?
人や動物や物体や・・・全て自分と全く同じなら、自分が存在する理由がなくなるじゃん。
存在するうちは、存在してていいんじゃないの? 
此岸も彼岸もほっといて、今を生きれば楽やん、って思うんだけど。

838:神も仏も名無しさん
11/09/28 11:03:07.44 KM/Hg2F+
>>1
今さらなんだけど、amaさんはどうしてこのスレを立てようと思ったの?
自分の悟りを世に知らせるため?
自分の悟りに共感してくれる人を探すため?
ただの自己満足?
自己顕示欲を満たすため?

839:神も仏も名無しさん
11/09/28 11:35:53.54 jptNhcNw
>>838
他人の推測だけど、
一人でも苦しみを減らすことが出来るきっかけを作れるかもって思ったんだと思う。
それって出来るかもしれないけど、出来ないかもしれない。
例えば親鸞という人は、それを一生かけてそれをやって
「結局は出来なかった、真理は自分だけのものだった」
って言ったらしいよね。実際はどうとかじゃなくて、
自分では確認できないものなんだと思う。
それを>1さんが手放してるんなら自己満足でも顕示欲でもないんじゃない?

840:偽イルミナティ
11/09/28 12:10:57.88 tfmLJlmB
悟らずとも、花の美しさは人にとって根源的な物で誰しもが感じる事が出来る
その瞬間は誰しもが本質や真理とコネクトしてるのと同義だ
悟りの証明なんて個人的な体験に過ぎないんだから、信じる必要なんて全くない
必要な価値観でさえない、所属を生み出し結果として差別や諍いの切っ掛けになるくらいなら
悟らずとも楽しく生きる事が出来る方が素晴らしいし、カッコイイ
そういう人生哲学としての自己の信念を持った人の方が、
悟りを開いた人間なんかよりよっぽど素晴らしく思う

amaさんがなんで悟りについて語っているのかは理解できないが、悪意があるとは思ってない
ただそれらの価値観が因果として「あなたは足りていない」という静かな呪いに繋がるならば
全ての宗教と同様に否定せざるを得ない

841:神も仏も名無しさん
11/09/28 12:40:21.82 vkPGou1O
花って美しいか?

842:偽イルミナティ
11/09/28 12:43:44.82 tfmLJlmB
たとえだよ
野生にあるもの全ては悟りという概念関係なしに
本質や真理と共にあるという事が言いたかったんだよ

843:神も仏も名無しさん
11/09/28 12:51:28.92 vkPGou1O
そうか了解
極論の返しとして
覚せい剤うちながら生きてる人はどうだろう
覚せい剤が足りてる限りは、暴れなくて静かなの
覚せい剤うってても、真理と共にある

薬のない生活が良いという証明なんて個人的な体験に過ぎないんだから、信じる必要なんて全くない
必要な価値観でさえない、所属を生み出し結果として差別や諍いの切っ掛けになるくらいなら
覚せい剤うって楽しく生きる事が出来る方が素晴らしいし、カッコイイ
そういう人生哲学としての自己の信念を持った人の方が、
薬なしの人間なんかよりよっぽど素晴らしく思う

同じ?

844:偽イルミナティ
11/09/28 13:01:33.01 tfmLJlmB
違うと思うよ
そんな人やばいだけじゃない?
普通の社会に属しているならば
普通の感覚で語らなきゃ
超越してれば良いなんて事はないでしょ

845:神も仏も名無しさん
11/09/28 13:08:01.54 +A/s/XmF
たらればの話をする人の心が落ち着くということはない。

846:神も仏も名無しさん
11/09/28 13:14:46.06 vkPGou1O
悟りが超越した話かどうかは分からないから語ってない
ただ覚せい剤の話と君の話は条件は似てると思うんだけど
悟らなくても、薬を絶たずとも、本人が幸せで問題がなければ良いという点で
ああ、あと本人がそれで良いんだ構わないという信念がある点もか

847:神も仏も名無しさん
11/09/28 13:18:44.48 vkPGou1O
薬漬けの彼によれば
その瞬間はどうしていようが結局誰しもが本質や真理とコネクトしてるのと同義なのだから
そこでどう生きていようが、押し付けがましく差別や諍いの切っ掛けになるようなものを持ち出してこないで欲しい
という点で同じ?

848:神も仏も名無しさん
11/09/28 13:22:06.65 vkPGou1O
せっかく日常の根底に潜むややこしそうな話から目を背けられるとてもイイ薬を手に入れたのに
amaさんがなんで悟りについて語っているのかは理解できないが、とりあえず悪意があるとは思ってない
ただそれらの価値観が因果として「あなたは足りていない」という静かな呪いに繋がるならば
否定せざるを得ない

こういう風にしたら構造的にどう違うのか分からなかった

849:偽イルミナティ
11/09/28 14:13:55.05 tfmLJlmB
そんな事いってないんだけど、、、
超越していれば全てが足りるなんてのは
烏滸がましすぎじゃない?
悟りよりも日常を大事に生きるべきだって話だよ

850:神も仏も名無しさん
11/09/28 14:36:04.48 vkPGou1O
いや悟りが何なのか分かりませんけどね、それはまあどうであってもいいんですが
要は悟りよりも日常を大事に生きるべきだって話のところで
そういう話であれば、薬漬けであっても彼は彼なりに日常を大事に生きてるなら、何も問題ないということになりますよね?
ということなんですよ

851:神も仏も名無しさん
11/09/28 14:42:10.88 vkPGou1O
彼が悟りの不要を主張するとき
薬漬けの彼が、君と同じ構造で上記のように君に主張してきたら
そのときどう考えますか?ということです

852:神も仏も名無しさん
11/09/28 14:42:54.01 vkPGou1O
あ、ミス

君が、悟りの不要を主張するとき
薬漬けの彼が、君と同じ構造で上記のように君に主張してきたら
そのときどう考えますか?ということです

853:神も仏も名無しさん
11/09/28 14:44:36.47 KM/Hg2F+
「烏滸がまし」って何かと思って調べたら
「おこがましい」か、難しい漢字知ってるね。

854:神も仏も名無しさん
11/09/28 16:48:38.48 jptNhcNw
薬漬けの話、マトリックス思い出したw

悟った人にかける言葉と、そうでない人にかける言葉って
もしかして逆になったりするもんじゃないかな。

無に還れ⇔無から創造しろ、みたいな。

855:♯syankara
11/09/28 17:40:55.51 w8JZd+9c
悟りが何かと対立するようなものならそれは社会とは別の体験にすぎないし、
また麻薬と何ら変わりのないものだろうね。

悟りは体験ではないし、体験ではないというものでもない。
体験ではないという発想は体験からくる。
体験ではないし、体験ではないものでもない。

体験ではないという言明なら表層の思考との同化から目覚めれば自然と出てくる。

856:473 ◆xIpfQokPjM
11/09/28 17:50:30.91 w8JZd+9c
トリップってこうかな

857:v・。・V わん♪ ◆WhiteFoxEM
11/09/28 18:17:44.95 asS40c4J
KasapagjQ2 <= #セBワZ9rI]
BikuniK.pM <= #M|%Ha=op
nmOmn/Gf0. <= #-フ2X-2w4
GasyuuaCRM <= #IZYz?2|!
Orie//j0rs <= #&MHQpC=X
/Binta/4xo <= #+)ルf)#Q3
./Rita//Qs <= #iヘチシhlPa
ZigokuoURg <= #9U-~ZDH:
ZirikiGieg <= #EYgZ#?sh
RiyakuQeWg <= #0メ%D0LiV
Asyurad1kk <= #AミkkP:B「
AnandauZQc <= #hTZWW/jS
Zazen/5wKs <= #c+nBYXWT
Mujyou4gAU <= #;jR,du,セ
Agon//9ByE <= #Kオ=nSGhU
Binta/sJCI <= #&DLb=2v-
Waratakeb2 <= #e%`IV@1X
DarumaG9Fo <= #'Nt+\d?T
BikuniNg3o <= #ep4y*V*n
Uchuu/coyc <= #-6aY?kZ*
30bou/KeDw <= #AS゚4&@1p
Yasya/m6jk <= #Bホチ-;J4;
Ango//PStg <= #j!:3X-/a
ggrks/UC6A <= #PラhVdWCb
Arasi/HTMI <= #u`ZS9gVa
Tarikihh3c <= #シム~~_1;$
Inga//cTIY <= #ooi[NYsE
WarataxhjU <= #AムタS8+MR
ZigokujxMg <= #0&ンzYD~P
SyakyaFRhw <= #nxi#x&bセ
Zange/C8OY <= #Eヘモu4K[c

858:偽イルミナティ
11/09/28 20:21:12.47 tfmLJlmB
日常を大事に生きている人が薬に逃げるとは思わない
そういう部分を無意味に複雑に捉えないかな
例外の様な人物もいるのだとは思うよ
ボブマーレーなんかは確かにかっこいいし

859:神も仏も名無しさん
11/09/28 23:42:39.58 YQxW86Fm
>>855
悟りに対してのそれぞれの解釈が対立してるというだけだね確かに

860:神も仏も名無しさん
11/09/29 02:04:26.40 CM1oGJ6K
>>858
かっこいいよねドラッグって
URLリンク(www.qetic.jp)
URLリンク(www.qetic.jp)
URLリンク(chitekizaisan.blog28.fc2.com)

861:ama
11/09/29 07:55:03.90 18+OpGKX
>>730
> 私はそういう意味で自我を指摘したのではなく、全くあなたは自我にとらわれて、知性に経験にとらわれて
> しゃべっているという指摘をしたのです。

???
そうなんですか?
そんな主旨のご質問ではなかったと思うのですが・・・。
まあ、いいです。

私は、あまり頭の回転がよろしくありませんので、
その意味では知性に囚われているかもしれません。
また、経験には大いにに囚われています。
自分自身で確かめることが何よりも大切だと思っていますので。

私の好きな言葉にクリシュナムルティの
「もし一冊の本もなく、一人のグルもいなかったら、どうしますか?」
というのがあります。

問題は、その囚われ(条件付け)が自分を苦しめるかどうかですよね。
そして、それは時間が大いに関係しているようです。
1日囚われるのか、1時間囚われるのか、1分なのか、1秒なのか、一瞬なのか。
究極は一瞬がいいですが、まあ、1秒でも1分でも、
要はその囚われに根ざした(その囚われから出発した)思考や行動を起こさなければいいわけですね。
違います?

862: ◆xIpfQokPjM
11/09/29 09:40:11.50 Ig8iUn47
(昔の話のレスから順にやると話が混乱するけどな)

囚われていれば行動や表層の思考以前に、その世界そのものがその囚われになっているでしょう。
その時点でもうどうしようもありません。
「そこまで」の宗教と、「そこから」の宗教は全く異質なものです。
対処療法と根本的な開放は異質なものです。
それが直近のレスの無意識の話につながってきます。

「また苦しみが存在しない」ことと「苦しみを感じないという体験」は別のものです。
苦しくないということは大切なことですか?前者のためには苦しみと直面する必要があります。
後者の場合はうまく苦しみを感じないような幻想を持てばいいだけで、瞑想は表層の混乱を鎮めそれの役に足ったりもします。

(できればとりあえず直近のレスまで来てほしいけれど)

863:473 ◆xIpfQokPjM
11/09/29 09:44:58.41 Ig8iUn47
経験に囚われているということとクリシュナムルティのいうあるがままは全く逆の事でしょう。
それで悟りとおっしゃいますか。
右手のやっていることを左手は知らない。無意識の分裂とはそんなものか。

全く人のことは言えないので自分の1日の行動も見直します。

864:神も仏も名無しさん
11/09/30 00:16:28.33 8oVzw2XU
1は悟りの瞬間、この世界とか自分とか、何がどうなっているのかを体感して理解した
だが、その理解したものの中に今も居続けていると分かってはいるが、その理解をし続けている事はできていない
ってことじゃね?

865:神も仏も名無しさん
11/09/30 00:33:33.33 8oVzw2XU
>要はその囚われに根ざした(その囚われから出発した)思考や行動を起こさなければいいわけですね。
違います?

囚われに根ざした思考や行動を起こさなければいい、という囚われ は?
これが473の問いかけか
>>824-823

866:神も仏も名無しさん
11/09/30 00:34:20.84 8oVzw2XU
>>824-833

867:神も仏も名無しさん
11/09/30 00:49:34.14 8oVzw2XU
てことは473のいいたいことは
1はこの悟りの只中で、垣間見てきてしまった真理を、経験として残してしまっていて
その経験に囚われており、その囚われに囚われないように生きるということは、完全に生きるということではないのではないか
ということ?

経験に囚われない、という思考が無意識の中に刷り込まれてしまったら
それを取り除くのも一苦労しそうだ

ではどのように生きたら完全に生きることができるのか
その場その場にあらゆる思考を挿まず、完全にそれそのものになって対応していく?
ただそれには一回あの経験をして、分かっておかなければならないし
その経験と理解により、つまりこうなってるから、という大きな納得?のようなものが必要か
その後、安心して一生懸命に生き切っていけばいいのかな

868:神も仏も名無しさん
11/09/30 08:40:26.92 IUTKIgnD
>>1
>>861
囚われに基づく行動を控えようって言うのは、生き方のハウツーの話ですよね。
生きているうちはどうしても苦しみを感じてしまうけど、悟りで見えた「法」への方向、
つまり「方法」があるって知っていれば、どんな本もグルさえ必要ない。

だって自分自身を信じればいいだけだから。本とかグルの言葉を使用するのは
自己確認作業や、他人への説得の道具でしかない。でもそれが逆に誤解を招く。
なんだあんたは知識だけじゃないか、・・と。

「苦」の種類として「言葉」も含まれるけど、『囚われ』という言葉ひとつにしても
人によって捉え方は同じじゃないよね。それが、分裂を生み、対立を生むんじゃないかな。

869:神も仏も名無しさん
11/09/30 08:46:44.89 IUTKIgnD
>>868
つまり言いたいことは、言葉で悟りを説明するのは、本当に難しいんじゃないかな。
可能かもしれないけど、不可能かもしれない。

たとえ自分は悟った、と認識している者同士でさえ、意見は違う風に見えたり、
更に昨日の自分、今の自分、明日の自分すら、違っていると思う。


870:神も仏も名無しさん
11/09/30 09:54:19.25 nqIo0fvS
そのような不完全な言葉で
あまねく全ての真理が何世紀も伝播可能だと思う?
amaさんがこのスレで
誰かに悟りを施す事が出来ると思う?
amaさんにも答えてほしいな

871:473 ◆xIpfQokPjM
11/09/30 10:09:09.90 P9Im425G
囚われがあって初めて、無意識の執着の働きがあって初めて、
「どうすれば」という迷いが生まれます。

どうすればいいかわかっているのは単純思考の愚か者ですし、
迷いがないというのもまた無意識の葛藤から逃れ単純な思考にはまっているだけの事です。
しかしそれは表面的にではあるが病んでいないだけ素晴らしいことでそれは悟りの一瞥の恩恵でしょう。

自我がなければ自由がある。
迷いはないし迷いがないということすらない原初の自由。最初で最後の自由。
根源的開放。
真実と接触するまでにあらゆる修行が必要ではあります。
修行が不要であるという事実と直面するために信じられないほどの修業が。

究極の努力と絶望の後、一瞬でも自我が止みリアリティーと接触する。
そしてその瞬間にまた自我がそれを定義づけする。

私はない。体験はない。幸福と不幸は一つだ。
こうやって自我は帰ってくる。
自我が止むことによる一瞬のリアリティーとの接触と自我の構造が永遠に止むこと、無意識の思考が完全に意識に照らされることはまた別です。
自我が止むというその時のそのありようと、それを記憶していて語る自我とは全く次元の違う現象なのです。
自我はそれを同じだと勘違いします。自我は非体験が中心であったあれを体験の次元に焼き直してしまうのです。
その時の自我の復権のありようはその人なりにです。私は単純な自我の復権は許しませんでしたが複雑な自我がさも真理を解っているかのように錯覚しています。


872:473 ◆xIpfQokPjM
11/09/30 10:11:10.05 P9Im425G
≫経験に囚われない、という思考が無意識の中に刷り込まれてしまったら
それを取り除くのも一苦労しそうだ

完全な覚醒がありでもしない限り経験には囚われているのです。
経験にとらわれまいとすることは事態をより混乱させるだけで、対象無く目覚めることが根本的な解放です。
「究極の努力と絶望の後、一瞬でも自我が止みリアリティーと接触する。」
あの自我の死よもう一度。
≫つまりこうなってるから、という大きな納得?
分かっておいてはならないのです。
わかるという機能、わかるという主体が死んでいれば一回目のリアリティーとの接触ですべて終わるでしょう。
納得するということや「そうか」という感覚は、過去の記憶や経験が感じるものであり、
過去の囚われが過去の囚われからくる古い自分という土台はそのまま、悟りの体験という甘美な重荷を背負うことになります。

意識に統括された知識ではなく、好き勝手に動く無意識の葛藤と矛盾の集合体である自我、主体。
「どのように」ということもそういうことなのです。「どのように」か生きる主体は、自分の過去の全てを夢の世界の執着の全てを運び続けます。
しかしそれもいいのです。
人生の重荷だけは下せませんが全ての重荷を一度に降ろす可能性ならあるのではないでしょうか。
安心に生きるというより不安を降ろせば、不安はありませんし安心もありませんし不安がないということもないでしょう。

私たちは一切の敵なく世界のすべてを自由に愛するべく生まれた存在です。
一個の人間として、家族の一員として便利に生きようとするならば、結局家族の一員であることに縛られて苦しみ続けることになります。
持った物に持たれてしまう。マスターの一人であるミルダッドはおっしゃいます。

ご参考になれば。

873:神も仏も名無しさん
11/09/30 10:14:36.57 IUTKIgnD
>>870
以前した質問に、>>353でamaさんが答えてくれたのあるよ。
誰かにとってきっかけとしてはあるかもしれないね。


874:神も仏も名無しさん
11/09/30 10:47:38.79 IUTKIgnD
>>473
常に「どのように」じゃなく、常に「どうあるか」って選択はあってもいい?
そしたら「どのように」は自然とついてくる。


875:神も仏も名無しさん
11/09/30 11:28:38.33 488XMpC7
>>874
「どうでもイイ」って選択も含めて欲しいよ。
「どうでもイイ」って思えたら
「どのように」も「どうあるか」も全部どうでもよくなる。

876:神も仏も名無しさん
11/09/30 18:26:41.27 IUTKIgnD
>>875
それもありだよね。

877:神も仏も名無しさん
11/09/30 21:34:44.76 XzMCZTcB
>>872
>「どのように」ということもそういうことなのです。
>「どのように」か生きる主体は、自分の過去の全てを夢の世界の執着の全てを運び続けます。
ここのところから
次の流れに行くのは
>人生の重荷だけは下せませんが全ての重荷を一度に降ろす可能性ならあるのではないでしょうか。
>安心に生きるというより不安を降ろせば、不安はありませんし安心もありませんし不安がないということもないでしょう。
どうかと思う
つまり右も左もダメだから全部捨てる、というような若干粗雑な印象というか

>一度に降ろす可能性
一気に安心も不安も取り除いてしまうというのはどういうことなのか
非人間的なものになることを推奨しているような印象もある
精神病患者には不安も安心も執着もない者がいるだろうが、彼らを目指せというのか

そういうことではなく
私しかいない、私しかいなかった、私というものすらなかった、分けるものがなかった
分けられない一つが様々な形をして現れているだけに過ぎなかった
そのことに安心して、その理解を背負わず、つまり一生懸命に瞬間瞬間に完全に身を投じて生き切る
そうして今を全うし続けて常に満タンに生きる、そういうことなのだろうかと思った

んでちなみにマスターとかは知らない

878:473 ◆xIpfQokPjM
11/09/30 21:48:51.65 P9Im425G
そのように生きることができれば素晴らしい体験にたくさん出会われることでしょう。

そういった生の経験を積めば荷を降ろせば降ろすほどそれが自然とわき出ることに、畢竟いかにうまく生きるかより
いかに自分自身がその障害でしかないかということも解ってきます。
そしてその何もないところからこそあなたが知っているもしくはまだ知らないかもしれない素敵な生が湧き出てきます。

安心と不安を降ろすことは安心も不安もなく安心も不安がないということもないという理解であり、
またそういう理解も理解する人も存在しないということです。

879:神も仏も名無しさん
11/09/30 21:52:04.04 XzMCZTcB
イメージとしては溶接工
溶接部?の火花のところが目の前の仕事や物事や感情など
目の前の物事(溶接部火花)に完全に集中一体化しているとき、自我や過去や悟りとは~つまり思考の入り込む余地はない
彼自体はそこにいるが、物事と完全に一体化しているので過去が形成した彼というものはいない、そこに教えも何もない状態

だがこうやって生きる前に、一度見ておかなければ、分かり切れないのではないかと思った
何もないを分かり、だからこそ安心してその理解すら捨てて生き切る、ができるのでは、と思った
逃避で忘我ならそれこそ薬でも宗教でも何でもあるので

880:神も仏も名無しさん
11/09/30 21:56:56.92 XzMCZTcB
>>878
そっかやっぱそうなんだ
んじゃ禅でもしてちょっくらどうなのか見てくっかなあ

ところでじゃあ473はこんなところで何をしてるの?っと

881:473 ◆xIpfQokPjM
11/09/30 22:20:40.40 P9Im425G
日々迷っています。
なぜか今はここでやり取りをしているみたいです。

自分がはまってしまっているときはどうすればいいのかわからないのに、
人がはまっているのを見ると案外どうすればいいのか解る、、いや思い出すのです。
そしてそれがほかならぬ自分のためになります。

きっと何か不思議なものが自分とみなさんを助けてくれるのです。

というときもあれば、自分ができもしないことをできるつもりになって得意に他人にやり方をとうとうと語ることもあるかもしれません。

≫いちどみておかなければ
宗教の修業をすれば強烈な体験があなたをまっているし、その先に、いやその元にその一度見て一度理解することがあります。
自分に合った修行と日々の留意の2つがあれば、2つが調和すれば。あとは起こるままに。


882:神も仏も名無しさん
11/09/30 23:55:03.83 5hcQgFs1
>>878
>そしてその何もないところからこそあなたが知っているもしくはまだ知らないかもしれない素敵な生が湧き出てきます。

「生」に素敵は無くてもイイんじゃないの?
ただの「生」のどこがいけないの?

883:神も仏も名無しさん
11/10/01 00:01:46.67 52xA+Bll
>>881
自分にただ起こる様々な出来事を「体験」と名付け
あたかも自分の為に用意されていると感じるのは
エゴを喜ばしているに過ぎないと受け取りなさい。


884:ama
11/10/01 08:47:24.49 L402hn8X
>>730
> 自分が自我にとらわれているとわかっていれば、わかっているなりの事を語ればいいのです。
> それに気付かずに究極に達したと思って語ることは自己欺瞞です。

このスレで書いているときは、かなりの自我モードですので、
自我の色んな色がが出ていると思います。

おっしゃるとおり、たとえば「私はいて私はいない」という考えに囚われていると、
究極に達することは出来ません。
この状態で、私は今究極に達していると思うなら、それは自己欺瞞ですね。

> まだあなたは自我についてよくわかっていないのではないでしょうか。

たしかに、私が私(自我)について分かっていることは、そんなに多くありません。

> 自我を得ても自我と同化しているうちは自我を把握することはできません。
> 単体の思考と、感情と記憶と経験の集合体であり価値観と信念と夢と幻想の世界を織りなす自我はとい> う構造は別のことです。

なるほど、私(自我)の全体像を把握することと、ひとつひとつの思考に気づいていることとは、別のことということですね。
私(自我)にはさまざまな一面がありますが、ひとつひとつ単体で観るのではなく、総合的に把握する必要がある、ということでよろしいでしょうか?
要は、簡単に言うと、1個や2個ではなくもっともっとたくさんあるのだから、
その全部を観て把握しないと、真の悟りはない、つまり、真の自由は無く、葛藤からの開放も無い、
ということでよろしいでしょうか?
私も、ひとつひとつ観ていくことは大切だと思います。
地道にひとつひとつ観ていくしかないわけです。
そして、それは、他者との関係において、人生に起こるさまざまな出来事との関係において、
見えてくるんですよね。

885:ama
11/10/01 11:56:10.31 L402hn8X
>>731
> ≫表現できる言葉があるのでしょうか?
> 光明どころか瞑想についても語ることは不可能で、それについて語るのは冗談程度のものでしょう。
> 言葉で瞑想は表現できませんし、もちろん伝えることもできません。
> あれは道に人を誘うための冗談のようなもの。言葉で表せないものを言葉にするのだから。
> むしろ言葉は、虚偽を、信念を混乱させ緩やかに解体するようなロジックとして使われるべきではないでしょうか。
> そうすることによってのみ実際に他者は彼自身の意識で瞑想に至るのです。

同感です。

> あなたは瞑想の部分だけ自分から抜き出したいようですが人間は総合的にみるほかありません。

総合的に観るとは、過去に生きることではありませんよね?
まあ、お掃除は必要でしょうが、お掃除が生きる目的でもありませんでしょうし・・・。

886:ama
11/10/01 11:57:40.62 L402hn8X
>>747
> > ここであなたの言う私、は私ではなく一片の思考にすぎません。
>
> ≫おっしゃるとおり私が申し上げている「私」とは、一片の思考です。
>
> いえ、話が通ってません。
> 複数の思考と記憶と夢の構造である無意識の集大成である自我=私
> 表層で一時的に主人になってる思考=私
> 後者から目覚めて初めて前者に取り掛かる準備ができるということです。

なるほど、理解しました。

> ちょっと過去レスを読み直してみてください。
> どうもやはりご自身のペースでしゃべりたいことをしゃべっているだけで私の述べていることを把握できていません。

申し訳ないです。
通訳が欲しいです。(哀)


887:ama
11/10/01 12:09:02.68 L402hn8X
>>750
> ≫おっしゃるとおり私が申し上げている「私」とは、一片の思考です。
> うん?自我をつかってしゃべるほかないということにおけるレスですかこれは。
> それとも
> 私がないとき悟りがある悟りがあるとき私はないという話においての私ですか。

瞑想状態において、消えていくモノのことを言っています。

888:ama
11/10/01 12:10:57.89 L402hn8X
>>755
> 全方位からの視点でも手に入れた?
> 余計な情報が入りすぎて気持ち悪くならない?

いえ、そのようなものは手に入れていません。

889:ama
11/10/01 12:11:47.59 L402hn8X
>>768
> セックスしたくてたまらないですがどうしたらいいですか!?
セックスしてください。


890:473 ◆xIpfQokPjM
11/10/01 12:16:37.27 +aJPMo/K
>>882-885

宗教には3つの次元があり、そこで直面することも求められるものも全く異質なものです。
人間は平等です。
私が過去に、もしくは過去生で行ったとてつもない修行や、幾度となく苦しみに目覚めること。
そして幸福に染まらないよう耐えること。
そういったことを同量やらないでそれを行った人と同じものが見えたら逆に不平等ではありませんか。

まず、社会の次元です。
ここで、大成功したが故の空しさ、もしくは自分自身にあまりに振り回されすぎ自分自身に心底うんざりしていること、
もしくは愛と良い意味での責任に満ちた充実した人生でありその先を希求するハートが高鳴る。
など社会において宗教に入る条件を満たしておく必要があります。

第一の次元
その条件を満たしてこそ、とてつもない修行と日々の留意が可能になります。
日々の留意は社会から見れば狂気です。これをするほどの動機が自分の中にあるでしょうか。
その修行と留意の中でとてつもない体験を何度も得て、そしてそれを体験すればするほど繰り返しを求める
ようになりそれに苦しんでいく中で、ある日ふと体験とは夢に過ぎないものであるという真実の一瞥を得ます。
瞑想が起きるのです。


891:473 ◆xIpfQokPjM
11/10/01 12:31:00.30 +aJPMo/K
第一の次元の修業はなんでもいいです。
既存の真っ当な宗教組織のもと掃除を繰り返したり、oshoのダイナミック瞑想でもいいです。
oshoの指導者、組織は死んでいるが技法は生きています。得やすいものほど価値があるのが真実の世界の法則です。

第2の次元
表層の思考と同化しないことがある程度自らの意志でできるようになります。
この時点でほとんどの修業は意味をなさなくなります。
それが瞑想でも「何かをする何か意図を持つ」ということはこの次元の人にとっては
同じことだからです。
今までばらばらだった自分の無意識を調整して、目覚めたのはいいですが相変わらず眠りやすい自分を
一つ一つ理解してゆく局面です。
たしかに思考を一つ一つ理解してゆくしかありません。
しかし今主人になってしまった表層の欲望に対してではなく、無意識の一つの欲望に取り掛かる事も可能です。



892:473 ◆xIpfQokPjM
11/10/01 12:35:20.47 +aJPMo/K
第3の次元
これは言葉を超えています。
数千数万数億のあらゆる思考や感情の記憶全てを意識の光で照らす覚醒。
どうしても思考は相対するもう一つの思考しか見れません。
瞑想が起きた人の思考は「2元対立の夢」にはまらず「一つずつ別の思考を順番に吟味してゆくこと」はできるでしょう
どうしても数億の思考を同時に照らす何かが必要なのです。
もしこれがなければ私は私のままチャンスがありません。

表層の思考、夢にとらわれなければ無意識の総体である自我の働きをようやく利用できます。
これですら表層の思考に同化するより大分真っ当であり、また欲望に振り回され欠乏に悲しむこともなく、
また他者に救いを求めることもなく良くも悪くも自己の総体に落ち着くことができます。
そうあってこそ無意識の総体とそれがつくるあらゆる世界、自分、いやあらゆる認識が、
主体と客体の束縛がなかったし、無かったということもなかったのでしょう。

宗教には社会での準備も含めて4つの段階があり、各々全く別の事です。
真実において光明を得た人において段階はないのですが、実際人間の精神の特性からかこれらの段階を
踏むことが「多い」 かと思います。
今自分がいる段階以以上の話題は全く理解できないし、理解できないことこそ賢明さ、誠実さです。
多くの場合理解を超えたことを自分の経験で定義してしまい歩みが止まってしまいます。
今現在この人はどの段階にいてそしてどの段階の事を語っているかということを理解しなければ
無意味な言葉の争いになってしまいます。
(本当はその人にふさわしいこと以外混乱するから語ってはいけないのですがoshoは混乱させるためにそうしていたし
匿名掲示板なんだからそうするほかないし、それらの混乱は私の理性も研ぎ澄まされる)

893:473 ◆xIpfQokPjM
11/10/01 12:39:37.41 +aJPMo/K
≫総合的に観るとは、過去に生きることではありませんよね?
今現在私は時間に生きています。
今無意識を直接すべて見ることができればいいのですがそれはできません。

しかし直近192時間の行動というより直近192時間の喜びや苦しみや希望や失望を
思い返せばそれは自分の無意識の状態を図るチャンスになれます。

最終的には「今」全ての無意識をとらえる覚醒がいるのですが、
現時点では無意識を把握するため過去の自分の動向を参考にしています。

894:473 ◆xIpfQokPjM
11/10/01 12:51:26.35 +aJPMo/K
無意識を把握することは不可能なのだと感じます。
無意識が私であり、無意識が世界を作っています。

無意識を認識することは認識者を認識することであり、それは認識者とあらゆる認識の死です。
しかしその死からこそ生があふれていると祖師は説きました。

895:473 ◆xIpfQokPjM
11/10/01 13:37:00.16 +aJPMo/K
>>768
> セックスしたくてたまらないですがどうしたらいいですか!?

セックスをしたいという自分にとどまってなにもしないでいてそこで自分に起こっていることを感じてください。
そういった蓄積があればいざセックスをした時セックスと自分自身への深い理解も生まれると思います。

セックスを敵視する理由は何もありません。
欲望がある時は、なにもせず欲望にとどまり、またあるときにはそれを行い楽しみ理解も深まると思います。
たった一つの極端な答えがあるわけではありません。

セックスの欲望、男女の愛はよくて2人の、基本的には一人の閉鎖した欲望です。
万人に向かう愛と閉鎖した欲望の帰結が全く異なることは意識は知っているはずなのです。
意識はそちらに向かうし、思考はいつも閉鎖的な欲望を追い家族や社会や世界からの報いを受けるのです。

896:神も仏も名無しさん
11/10/01 13:57:34.33 SbiBcNK7
>>886
>通訳が欲しいです。(哀)

やっぱりamaさんでも、そう思うんだ・・・











実は俺もずっと前からそう思ってた!!

897:ama
11/10/01 14:48:32.25 L402hn8X
>>788
>>amaさんご苦労様
> このスレ、主のamaさんが居ないとね
恐れ入ります。

898:ama
11/10/01 14:49:24.13 L402hn8X
>>791
> 前者の質問はその質問を何故したのか聞きたいです。
> この質問は私に関してのものではなくあなたに関してのものではないでしょうか。
はい、まったくもって私に対する問いです。
この2つの問いは、同じことを私に問うています。
本や話などで悟りやその方法などについて聞いたとしても、
結局私は何も無いところから始めるしかないことに気づかせてくれます。
私は無力であることに気づかせてくれるわけです。
そして、そこにこそ、悟りへの入り口があったわけです。

899:ama
11/10/01 14:50:29.75 L402hn8X
>>792
私の場合は、悟り自体やそのプロセスや方法論などに関するいろんな言葉で頭がいっぱいになっているときに、この言葉が気づかせてくれました。
今、という瞬間には悟りもプロセスも方法も何も無い、ということに。

900:ama
11/10/01 15:03:13.30 L402hn8X
>>801
素晴らしい経典ですね。

901:ama
11/10/01 15:07:35.23 L402hn8X
>>802
まったく退屈しません。
悟りの達成ゲームもこれまたスリリング&エキサイティングです。
ただ、悟ってしまうと特定の現象刺激は必要としません。
(「必要な自分」というものを選択することは出来ます。)
必要とはしませんが、向こうから勝手にやってきます。
そして、去っていきます。
来るもの拒まず去るもの追わずです。
執着し、もう一度味わいたいと思ったときに、苦しみが生まれます。
悟ると、慢性的な退屈感 空虚感 虚無感は無くなります。
それを望まない限りは・・・。

902:v・。・V わん♪ ◆WhiteFoxEM
11/10/01 16:17:09.82 5EhJe1tZ
Flowing Water 2 Hours
URLリンク(www.youtube.com)

903:神も仏も名無しさん
11/10/01 16:52:04.62 SbiBcNK7
>>1
悟ってしまうと、悟りについて思ったり
悟りを人に伝えようとか、悟りについて答えようとか
なんかもうどうでもよくなりませんか?

904:ama
11/10/02 16:02:18.46 HmHNOCdF
>>824
たしかに私は無意識からの影響を受けていると思われますので、
その意味では無意識が語っているとも言えるのでしょう。
私に分かるのはその程度です。
あまりそういうことを意識して書いていません。
ただ、私らしく語る、自然に語る、リラックスして語る、それだけです。
それが、無意識なのか、そうでないのかと聞かれると、正直よく分かりませんし、どちらでもいいです。

もちろん、無意識の思考があり、その中には私の自由を奪うものがあることは理解しています。
問題となるのは、無意識の役に立たない思考であって、無意識の思考すべてではないですよね?
役に立たない思考の真っ只中にいて、それに気づいていないときは、私は自由を奪われます。
まるで眠っているような状態です。
そして、何かが起きてそれに気づかせてくれます。
おっしゃっている無意識とは、その無意識のことでよろしいですね?
私が自分に役に立たない思考を持っていて、それに気づかないで生活していると、
必ずそれを気づかせてくれる何か出来事が起こります。
役に立たない思考は、ほとんどの場合、価値判断であり、後天的に刷り込まれたものです。
その根本は自己否定のようです。
欠乏感からくる恐怖ですね。
簡単に言うと「何かが足りない」感のようなもの。
そりゃ苦しいに決まってます。
なぜ、そんな役に立たない考えを、私は後生大事に持ち続けているのでしょう?
何かがおかしいのです。
本来、私達は足りないところなど無いはずですよね。
なのに足りないと思っている。
ここは、笑うところです。
笑うしかありません。(笑)


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