11/09/20 03:05:31.66 dW5GXHrt
>>535続き
どうも落ち着きがないけれど、根本的な認識の違いがあると話が進まない。
無条件の至福が起き、あらゆる体験の儚さを認識し、それそのものであるような瞑想が起きる。
けれどそういうスペースから結局帰ってきてしまうわけです。
あなたはそれを正直におっしゃってましたね。
結局元に戻ってそれを体験として記憶するのです。
そのスペースにいるときだけがあなたなのではありません。
体験を超えたものもあなたですが、体験しているのもそれを説明してしまおうとしたり、
意味を共有したいと望むのもまたあなたなのです。その全体において自分を理解せねば自己欺瞞に陥ります。
それもあなたの一部ですが、24時間だか1週間だかそれを合計してのあなたです。
誰だって一番いいところだけ抜き取ればいくらでも良く見せられます。
あなたは自分の宝物を分かち合いたいのでしょう。
その気持ちはわかりますが。あなたの本当の持ち物はあなた全体なのです。
宝物だけあげる訳にはいかないのです。実存の譲渡においてはあなたはあなた全部を上げるしかありません。
≫私が死んでいるときに思考が消えていきます
ここであなたの言う私、は私ではなく一片の思考にすぎません。
一片の思考との同化が無くなると、目に見える言葉で把握できる思考は静まります。鎮めることができます。
しかしその状態において本当の意味での私、目に見えない思考の集合体は相変わらず機能しているのです。
そしてこの無意識の言葉にならない思考全てが静まった時、私は消えるのだと思います。
私が消えたら思考が消えるというのは順序が逆でしょう。
私が消えたら思考が消えるという言明は、
思考の同化が消えて目覚めが起きて、無意識の集合体である統一された自己が生まれるプロセスを示しています。
他者の影響に過ぎない偽りの自己が消え、あなたの本質が核である統一された自己の誕生です。
そして思考が静まればそれすら消えるのでしょう。