10/05/26 03:07:06 b5crr25B0
>>947 ドラマですよ。
1.身代金の準備は当事者の母親と檜山との話し合いですることであって、
その相談現場に警察は立ち会いませんよ。
檜山が愛人だと知っていても、警察はその関係の深いところに立ち入りません。
母親が愛人檜山からお金を受け取ったとしても、
警察には出してもらえませんでしたと言うことは可能です。
もちろん、現実では捜査で警察が檜山に現金を出したか否かを確認することはありましょうが、
ドラマのルールとしてそういうことは無視して、
現金や用意できなかったと主張する母親の流れを警察も最後まで信じたという設定はドラマのルールとして成り立ちます。
母親が現金を檜山から受け取りながら、警察には受け取ってない旨主張し、
新聞紙を警察が用意すること、檜山はてっきり現金が渡されたと思って、そのまま死んでいったということは
ドラマのルールとしては成り立ちますよ。
また、餓死についても単なる設定であって、現実が餓死でなくても、手紙で餓死と書いて、
檜山も村雲もそれを信じたということは現実には村雲が葬式に立ち会うのでしょうからそう単純でないですが、
ドラマ上は葬式に立ち会って、母親の死に顔を見ていない設定ですから、ドラマの虚構のお話としては成り立ちますよ。
最大の論点は歌織のセリフ、「あの親子は悪くなかった。」というセリフは
脚本上は、現金を檜山は出したという意味になるのではないのでしょうか。
そうでなければ、檜山父親にも母親の死、村雲の片腕の責任はあることになり、
檜山に対する復讐も成立してしまうのですから。