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【朝鮮戦争の暗示 半島激動】日本も“参戦”していた朝鮮戦争 掃海艇や人的面で米軍を後方支援 (1/2ページ)
2018.3.30
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昨年末から今年初頭にかけて、北朝鮮籍の木造船が相次いで日本海沿岸に漂着した。嵐に遭って流されたらしい。朝鮮戦争(1950~53年)の後、日本海沿岸には機雷が流れ着いた。
日本海沿岸では、50年から55年にかけて漂着した機雷が自然爆発する事故が計23件発生し、3人の死者が出た。朝鮮戦争が始まる前には、第2次世界大戦中の米国製、55年以降はソ連製の機雷による被害が発生し、日本国内の船舶の運航の脅威になった。
「機雷の漂着は、当時の新聞が大きく取り上げたが、今は忘れられつつある。冬に大陸から日本に吹く季節風や潮流の特徴、そして、朝鮮半島と日本の近さは変わらない。機雷は今も現役の兵器で、関心を向けるべき問題だ」
この問題を調査した、防衛省防衛研究所の石丸安蔵所員(2等海佐)は、こう語った。
米軍は朝鮮戦争中、仁川(インチョン)と、元山(ウォンサン)の2カ所で大規模な上陸作戦を行った。機雷を除去する掃海作戦は、米海軍だけでは足りなかった。米軍の要請に基づき、日本の海上保安庁の掃海部隊が出動し、掃海を行った。
当時の日本は連合国による占領中で、非武装化されていたが、掃海艇は残されていた。
元山沖では掃海艇1隻が触雷して沈没し、日本人1人が死亡した。占領が終了しても誰も公表せずに、70年代まで伏せられていた。平和憲法に抵触する可能性があったためだろう。
現代戦は膨大な補給活動が重要だ。
当時、韓国の李承晩(イ・スンマン)大統領は「反日意識」が強く、後方支援要員である日本人の韓国からの退去を主張した。
だが、国連軍司令官になったマーク・クラーク大将は「戦争遂行のために、日本の技術者や機材を使用することが必要だ」と反対を押し切った。彼の回顧によれば、運送や病院などで4000人程度の日本人が働いていたという。
戦争の物資を供給する朝鮮特需で、日本の戦後復興は加速した。それ以外に、人的の面でも日本は事実上参戦していた。
一方で、日本の参加は危険も招いた。
米ジャーナリスト、デイヴィッド・ハルバースタム氏の著書『ザ・コールデスト・ウインター 朝鮮戦争』(文春文庫)によると、中国共産党と人民解放軍は、日本の港湾・鉄道労働者に諜報網を組織した。
朝鮮戦争初期から情報を集め、極秘だった米軍の仁川上陸作戦(50年9月)の概要もつかみ、戦争後半に中国軍が参戦した後も情報を活用した。
当時、北九州や山口県では国籍不明機が接近すると、米軍が空襲警報を鳴らした。攻撃の可能性もあったのだ。
こうした史実は、朝鮮半島の軍事情勢と日本が密接に関係していることを示す。起こるかもしれない第2次朝鮮戦争に、日本はいや応なしに巻き込まれる。国家としても、国民一人一人の生活の中でも、その準備は十分だろうか。
■石井孝明