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★しあわせのトンボ:イエスかノーか=近藤勝重
大学のクラスの同窓会があった。時の話題も話題になり、一人がアベノミクスについて「やってみなくちゃわからない。やってみなくちゃ」と声を上げた。
「そりゃそうだ」と笑って応じる声もある。やってみたものの……となってからでは遅い気もするが、議論にはならず、話はそれぞれの病気自慢に移っていった。
帰途、学生時代を思い起こした。ベトナム戦争、あるいは授業料値上げ反対のスト突入などをめぐって、キャンパスや教室ではすぐに議論の輪ができた。
しかし最後は「要するにどっちなんだ」と問い詰めるようなやりとりになった。思い出してほろ苦くなるのは、議論でむしろ学生間の対立が深まったからだろう。
今、年を重ねて自覚するのは、イエスかノーの答えが簡単に出せるほど物事は単純ではないということだ。
実際、世の中がいろいろわかってくるにつれ、是非善悪の判断一つも難しく思えてくる。AかBかと迫られてはなおさらだ。
Aだと答えて、それが多数になると、Bの側の人は切り捨てられてしまう。
本来、Aの人もBの人も同等の権利を持っているはずなのに、と思うと、A、Bともに大事なのでは、と思ってみたりする。
以前にこれとよく似た趣旨のコラムを書いて、ある弁護士さんからファクスをいただいた。その中にこんな言葉があった。
<「味方と敵」「勝ちと負け」のある仕事を30年近くやってきてわかったのは、「勝つこと」より「解決すること」の大切さ>
コラムより深い理解に恐縮したが、その時、ふと思い浮かんだのは憲法だった。
弁護士さんの言葉には前文や9条の理念にどこか通じるものがあると思ったのである。
付記しておくが、二者択一でも答えられるテーマが幾つかある。憲法もその一つで、護憲か改憲かと問われれば、迷わず護憲と答えるだろう。
学生時代のゼミの論文に「憲法がある限り希望を持って生きられる」と書いた覚えがある。
未収束の原発事故をはじめ、いろいろとひどい国である。これで憲法がヘンなことになったら、どんな国になるのだろう。案じられてならない。(専門編集委員)
.毎日新聞 2013年04月26日 13時44分
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