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事件は2006年の2月1日の朝、京都の桂川河川敷で、車椅子の高齢女性とその息子
が倒れているのを通行人が発見。女性は当時86歳だった母で死亡。息子は首から
血を流していたが、一命を取りとめた。 この息子は10年以上認知症の母を
1人で介護していたが、ここ数年はその認知症がひどくなり昼夜逆転、徘徊などを
するようになった。息子は会社を休職しデイケアを利用したが介護負担は軽減せず、
事件の半年前に退職、生活保護を申請したが失業保険の給付を理由に認められ
なかった。介護と両立する仕事を探すも見ける事が出来ず、事件の2か月前に
失業保険の給付もストップ。カードローンの借り出しも限度額に達し、デイケア費や
アパート代が払えなくなり、2006年1月31日に心中を決意した。「最後の親孝行に」
と息子は車椅子の母を連れて京都市内を観光し、2月1日早朝、桂川河川敷の遊歩道で
「もう生きられへん。ここで終わりやで」などと言うと、認知症の母がこの時だけは
正気に返ったように「そうか、あかんか。康晴、一緒やで」と答えた。息子が
「すまんな」と謝ると、母は「こっちに来い」と呼び息子の額を母の額にくっつけると、
母は「康晴はわしの子や。わしがやったる」と言った。 この言葉を聞いて、息子は殺害
を決意。母の首を絞めて殺害し、自分も包丁で首を切って自殺を図った、、、、、
幸か不幸か、息子だけは一命を取り留め、殺人罪で起訴され有罪と成ったが
異例の検察側から情状酌量の申し入れがあり、裁判官もそれを受け入れ
刑期はかなり軽減された。
この母と心中しようとした息子は、10年懸命に母を介護しながら働いた。
しかし認知症はひどくなる一方で、ついには仕事を辞めざるを得なくなった。
それでも失業給付を受けている間に、介護と仕事が両立できる職を必死で
探したが見つける事が出来なかった。 藁にもすがる思いで、一度断られた
生活保護を再度願い出た。 それを京都市はにべもなく断った。 在日韓国人や
暴力団員へは、補助や生活保護を必要もないのに大判振舞いするのに、この
母子へはビタ一文援助をしなかった。