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東日本大震災で、東京電力福島第1原発事故の対応を指揮した陸上自衛隊中央即応集団の宮島俊信・前司令官(58)が、毎日新聞の単独インタビューに応じた。
深刻さを増す原発、見えない放射線の恐怖の中で、「最悪の事態を想定し、避難区域を原発から100~200キロに広げるシミュレーションを重ねた。
状況によっては関東も汚染されるので、日本は終わりかと考えたこともあった」と緊迫した状況を明かした。
自衛隊が警察や消防などの関係機関を指揮下に置いて任務に当たったのは自衛隊史上初めて。しかし、自衛隊に暴走する原子炉を止める能力はない。
宮島さんは「ヘリコプターによる原発への放水は、本格的な冷却装置ができるまでの時間稼ぎにすぎなかった。高濃度の放射能などへの不安はあったが、
我々がここまでしなくてはいけなくなったというのは、かなり危険性があるという裏返しだった」と語る。
その上で、「危険に立ち向かってでも事故を抑えるんだという日本の本気度を示す一つの手段だったと思う。あれが大きな転換点となり、
米国を中心に各国の積極的な支援につながった。自国が命を賭してやろうとしなければ、他国は助けてくれない」と話した。
一問一答は次の通り。
--原発事故対応の指揮を命じられたのは
◆自衛隊内では3月14日、同20日には菅直人首相(当時)から警察、消防も含めて一元的に指揮するよう命じられた。
(1)物資輸送と水の供給(2)原発を冷却するための放水(3)避難民支援や除染(4)ヘリコプターによる放射線測定などにあたった。
--これまで原発事故対応の訓練は
◆まったくしていなかった。あくまでテロなどの備えとして持っていた放射線の知識を流用して対処した。
毎日新聞 12月31日(土)9時37分配信
URLリンク(headlines.yahoo.co.jp)
(続)