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生前、「日暮里ちゃん」という愛称で周囲から親しまれてきた彼は、実際のところは名前を持っておらず、
死ぬまで、駅の改札から一歩も外へ出ることがなかった。正確に言えば、死ぬ間際に担架に乗せられて、
改札をくぐり抜けたのが、彼にとっての唯一の「外出体験」であった。信じがたい話だが、本当にそうなのだという。
昭和二十年代の初頭に、日暮里駅の二番線ホームのゴミ箱に棄てられていたところを発見されたのが最初であ
ったらしい。
十歳の頃の日暮里ちゃんの日課は、環状線に乗車して、電車と共にぐるぐると回り続けることだった。昼飯時に
なれば池袋で降りて駅舎へと向かう。もっともこの頃には、渋谷や新宿などの駅舎にも可愛がってくれる人がい
てくれたので、食事に困ることは無かった。だが、たまには外の空気も吸わせてやろうと、売店の店員などが外
に連れ出そうとしても、改札を通過することだけは頑として拒み続けたのだという。思春期を迎えた日暮里ちゃ
んは、比較的容易に童貞を捨てることができたらしい。売店の店員として駅構内で働いていた女たちが、彼のこ
とを不憫に思って身体を与えたということだそうだ。
日暮里ちゃんは無事に童貞を捨て、男として成長していった。十五歳を過ぎた頃には、積極的に清掃作業に従事
するなどしていたが、「駅からは一歩も外に出たくない」という信条は、彼の中で、より強固なものに変化して
いったようだ。成人後の日暮里ちゃんにはあまり良い逸話は残されていない。満員電車で痴漢をして駅員に
拘束されたり、終電で酔客のポケットを探るような不始末もあったようだ。しかしその一方で、棄てられた新聞
や雑誌を丹念に読む行為は習慣となっていたらしく、博識な面も持っていたようである。
晩年に環状線の車内でたおれ、たまたま乗り合わせた医師から「末期ガンの疑いが濃厚」であるとの見立てを
受けた彼は、半ば無理やり担架に乗せられ、駅の外へと連れ出された。だが、改札を通り抜けたと同時に心臓
が止まってしまい、そのまま意識が戻ることはなかった。
日暮里ちゃんの冥福を心からお祈り申し上げます。