【加農・榴弾・高射・速射】旧日本軍の火砲を語る15at ARMY
【加農・榴弾・高射・速射】旧日本軍の火砲を語る15 - 暇つぶし2ch158:名無し三等兵
13/02/01 07:18:39.99
唐突で申し訳ないが……
米陸軍の公刊戦史に、ルソン島中部マニラ東方で1945年3月17日に、
日本軍の150mm迫撃砲および小口径迫撃砲による砲撃を受けたことが書かれている。
これによると、Mt. Baytanganに向かった第6師団第172歩兵連隊第1大隊のうち、
前方2個中隊が150mm迫撃砲60発以上に撃たれて、
歩兵による逆襲の兆候もあったため、出発地点まで全面退却した。
12人死亡・35人負傷のほか、ジープ1台と砲兵用の通信機、
37mm対戦車砲と60mm迫撃砲各2門などを遺棄している。

日本側記録を見ると、これは第8師団命名「振武山」の争奪戦で、
野砲兵第8連隊の平井隊(十榴2門)と中迫撃砲第4大隊(出倉隊:24門)が付近にあり、
このうちの後者による戦果だったようだ。

おなじみの河合武郎「ルソンの砲弾」によると、出倉隊の残弾はわずか各砲10発だったというが、
現地指導に派遣中の重砲兵学校教官大井雄三中佐の効果的な指導を受けていたと。
大井中佐は、現地編成の独立重砲兵第20大隊(鹵獲十五加)の指揮官で、
空襲で砲を失ったものの前線指導で腕をふるっていたらしい。
そのおかげか、平井隊も段列要員で特設した中隊にもかかわらず上手く戦えたと、


次ページ
続きを表示
1を表示
最新レス表示
レスジャンプ
類似スレ一覧
スレッドの検索
話題のニュース
おまかせリスト
オプション
しおりを挟む
スレッドに書込
スレッドの一覧
暇つぶし2ch