☆ 卍 仏教 @ 質問箱 卍 ☆ パート28at PSY
☆ 卍 仏教 @ 質問箱 卍 ☆ パート28 - 暇つぶし2ch780:神も仏も名無しさん
10/12/14 14:20:02 kTdWkpCq
>>779
言わんとする所は解る。
だが、今問いかけたのは、
《・『排他的ではないにしても、「悟りの質的違い」及び「方法論としての優劣」が、そこに存在するということ』
 ・『そうした「違い」「優劣」が、最初から意図されたこと』》
という2点が、「一乗説」「大乗という標榜」の骨子ではないのか?ということだ。
解釈として「宥和的である」というのは、「後付け」という批判を免れ得るのか?と。
>四諦・声聞乗の教えでは一切智の仏位に到達できない。
>一切智の仏位と羅漢には大きな違いがある。
>これは大乗側の【勝手な言い分と思われてきたが、そうでないと】思う。
とある通り、そこに(差別的)差異が存在することは明白だと思う。
(そしてそれこそが、「後代の排他性の種」であることも疑いなかろう?)

勿論、上座部に於いても、初めて法輪を転じたこと・おしえ(sAsana)の原点であることを最大の理由として、
諸々の弟子達(→阿羅漢)と釈尊(→ブッダ)との間に境界が設けられた事実はある。
 *(神格化の一端として、銀幕のスターへと押し上げる庶民的感性を免れ切ってはいない。)
同様に、大乗仏教に於いても、
「仏法の難見であること、その行じ難きこと」を理由とした「スーパースターの渇望、設定」でないと言い切れるのか。
隠居相手に大乗小乗の(辞書的)解説をしたこともあるが、そうした流れの中で発せられた「一乗」「大乗」なる幟なれば、
「それは宥和的言辞である」というのは、【解釈の遡及】ではないのか。


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