【正定】坐禅・立禅・歩行禅(経行)実践スレat PSY
【正定】坐禅・立禅・歩行禅(経行)実践スレ - 暇つぶし2ch150:神も仏も名無しさん
10/09/30 10:39:42 Q0UVfHvq
恋愛体質ってなに?
師とかに依存しすぎて本質を見失うとかいう意味かな

151:神も仏も名無しさん
10/09/30 15:41:18 AdrMEnMb

>148
自分はいきなり接心(7日間)を受けたのだが、それで坐り方はわかった。どこをどうすればいいかが
はっきりわかるわけではないが、「意味も目的もわからない」というようなことはない。少なくとも
気持ちいい。
だから毎朝30分坐るのが楽しい。そして5か月経った。
実生活でなにか変ったかというと、何も変化なし。ただし食事など節制をしているので体重は5kg減って、スリムになった。
測定器での体年齢が15歳若返った。呼吸が非常に柔らかくなり、普段でも体の隅々が気持ちがいい。ちょっとした
待ち時間でも、瞑想状態に入れるので、頭がスカッとする。その程度の変化はある。いやこれでも自分には大変な変化
なのだが、周囲の人から見ればなにも変わらないだろう。

 自分は恋愛体質かも。なんだか気持ち良すぎる。坐禅に恋してしまった。
11月か12月にもう一度接心を受けてみようと思っているが、それより滝業みたいな苦行の方がいいのか。


152:神も仏も名無しさん
10/09/30 16:10:33 Q0UVfHvq
>>151
初心者がいきなり摂心、五ヶ月でそこまでというのは、かなり適性があるのでしょう。
道場によってもちがうけど、普通摂心では日に七時間以上すわるのだろうから。
山田耕雲氏の本で、外国人の女性がいきなりの摂心で見性したという実例を
書いていたけど、そういう体質に近いのかもしれませんね。
彼女は、座禅はまったく未経験だったが、ピアノ(?)の演奏家で、演奏する行為と
瞑想にはいる行為との間に共通する感じがあった、とかなんとか言っていたそうです。



153:神も仏も名無しさん
10/09/30 23:50:44 k9p0QJrR
>>147
素人座禅ですが、「頭の中でグリッ」という顕著な感じこそないものの
頭蓋の左右端(内側は前頭葉と側頭葉の境目辺り)がジンジンするよう
な感じがします。感覚のないはずの脳が刺激を受けて痺れているような
感覚です。マジメに始めて数カ月ですが、これは好ましい変化なのでしょ
うか?
そういえば、始めて間もない頃、瞑想したまま寝てしまって目覚めたら
頭の左右がエアバックみたいに膨らんで圧迫されている感じになったこ
ともありました。脳が左右それぞれ外側にはみだした感覚でした。

154:神も仏も名無しさん
10/10/01 12:34:36 vexgQho5
>>153
気にしない気にしない。

頭が刺激されるとか、目の前に光が現れるなんてのは誰にでもある。
見性前も見性後も何も変わらない。これが原則です。

155:神も仏も名無しさん
10/10/01 13:30:48 1w98NYSd
禅宗ではそういう言い方が普通なのかもしれないけど、
2chなどでは初めての人も多いだろうから、少し不親切な気がしないでもない。
見性してもする前とした後とでまったく変わらないなら修行しても意味がない。
なにが変わらずに、なにがかわるのか、そういうあたりを経験にもとずいて
面倒くさがらずに話すことが多少経験ある者たちのあるべき態度だと思うけど

156:神も仏も名無しさん
10/10/01 13:35:07 vexgQho5
>>155
禅宗じゃない。
本当に何も変わらない。
何か変わったとしても、何が変わったのかすらわからない。


157:神も仏も名無しさん
10/10/01 13:37:38 1w98NYSd
>>156
これは反論ではなく、ただ聞きたいだけなんだが、
であるならどこで見性したという境をつけられるのだろう

158:神も仏も名無しさん
10/10/01 13:48:47 vexgQho5
>>157
正直に何も変わってない。
あと見性とかいう大げさなもんじゃない。
昔からそうだったし、何だそんなことかと気づいただけだよ。

159:神も仏も名無しさん
10/10/02 03:49:35 zHd+Pzlu
>頭蓋の左右端(内側は前頭葉と側頭葉の境目辺り)がジンジンするよう
>な感じがします。感覚のないはずの脳が刺激を受けて痺れているような

 自分(初心者5か月)もそれはある。自分の場合、その感覚をボールに
して腹に落とすと気持ちがよくなる。
 上顎から舌をとおって喉に抜けるとき唾液がかなり出る。
そのあとは胸のあたりでスカッと広がる。気功に小周天というのがあって
経絡にそって気のボールを回すらしいのだが、遊びとしてそんなことを
試みたりしている。
 たぶんその「ジンジン」が気ではないかと思う。頭のてっぺんにできやすいが
前頭部にできると、集中し過ぎた時のような不快感(頭痛の手前?)があるので
腹に落とす。
 そうすると頭はスカッとするし、胸から下が宇宙空間のように広がる。
そこでボールは消える。
 こういう感覚は人それぞれではないかと思う。たぶん普段でも起こっている
のだか、頭痛のように強くならないと気が付かない。坐禅で心が静かになる
ので気が付くようになるのだろう。
 曹洞宗の坐禅では只管打坐で何も教えないけど、小乗では頭のてっぺんから
意識でスキャンするようなこともやるようだ。マスタベーションをわざわざ
教える必要はないというのが道元の考え方だろう。
 ブッダも弟子のマスタベーションには相当苦労したらしい。ありとあらゆる
方法を考え出してやり始める。
 まあほどほどに楽しんだらよいのでは。W


160:神も仏も名無しさん
10/10/02 15:23:33 I3uflNnk
うまくいえないが、脳がジンジンするのは、眠っていた部分が活性化するプロセスではないかなと自分は思う。
人は本来使える脳のほんのわずかしか一生の間につかわないというから、禅という特殊な状態に身をおけば、未経験な体感というのはいろいろ起こるだろうとは思う。
マスターベーションと道元の話はよくしらないが、性的な快感と瞑想にはいるときの感覚には共通するものがあるのではなかろうか。
ヨガでグンダリニーというのか、尾てい骨あたりから背骨を通って頭頂部にぬけるラインには、通常生活しているだけでは未開発な神経があるように感じる。
禅定にはいるとき、このラインがふくらむというか、しびれだすというか、気というのかパワーが貫通する。気持ちがいい。
自分の場合、頭頂部になんか厚い膜のようなものを感じて、そこが未開発な気がしている。
やぶれそうでやぶれない。やぶれたらすごく気持ちよさそうなんだが。
そんなふうに、禅ですわっていると見かけはただすわっているだけなんだが、脳や神経は異常なほど動いている。

161:神も仏も名無しさん
10/10/02 21:20:08 olXGLGeP
なんでチャクラの話になるんだ。
期待が膨らんでどんどん危険域に突入してる人が大杉。
もう知らん。あとは自己責任で。

162:153
10/10/02 22:20:38 CfWIz2qA
皆さん、さまざまなご意見をありがとうございます。
自分としましては、脳の意識のない部分が何かの自覚を示しているようにも
思われますし、また「気」の感じにも似ていると考えておりました。ただ、
それを腹に落とすというようなことには気づかなかったので、試してみます。

私は現在、人生の谷間みたいなところにあって実生活では苦悩の日々を過ご
しております。しかし、素人瞑想を始めてから、日々起こる不安や悲しみを
以前より楽に受け止める(というか、“うっちゃる”)ことが出来るように
なりました。
見性にはまだまだ遠いのでしょうが、ここを越えまた稜線を望む日の来るこ
とを希望といたします。

今後ともヨロシクお願いいたします。

163:神も仏も名無しさん
10/10/03 02:12:57 7VkOUoGy
>>162

あなたが法身です。

164:160
10/10/03 08:54:35 Mp6jFaeH
>>162
自分はジンジンは「脳の活性化するプロセス」と書きましたが、それが「気」てせはないという意味ではありません。
「気」とは人体をコントロールするエネルギーですから、脳に変革を加える場には当然強い気があつまるのも自然なことと思います。
自分は気の操作は上手ではありませんが、白隠の南蘇の法にもあるように、禅病や神経症の原因は頭に気がのぼりすぎて、イライラや不安感の原因になっている場合がある。
そういう場合に、白隠がしたように、頭にのぼっている「気」を下半身へさげていくことによって改善されることがあるのでしょう。
気孔では気のコントロールをよくいうようですが、禅においても大切なこととかんじます。


165:神も仏も名無しさん
10/10/03 11:56:50 7VkOUoGy
>>162

遠くない。
あなたはこれまでも今もこれからも自性清浄心だよ。

166:神も仏も名無しさん
10/10/03 23:00:54 bexFZ1pV
>>161
若さゆえ

167:神も仏も名無しさん
10/10/04 11:23:27 VMMvh6HE
只管打坐という。
坐禅は結跏趺坐でひたすら坐ることだが、
身体的な体が坐っているわけではない。
では、いったい何が坐っているというのか?
車ではなく牛をたたけ。

168:神も仏も名無しさん
10/10/04 11:45:13 O1MhMzXJ
ここは実践スレなんだから、つまらん禅問答はいらん

169:神も仏も名無しさん
10/10/04 12:08:06 i5ULzx4b
みなさんは座禅専用座布団とか使ってますか?

170:神も仏も名無しさん
10/10/05 08:53:44 n1YCxrul
家ですわるときは、やわらかめの座布団を折っている。
でも四角いとモモの裏あたりを圧迫してしびれてきたりするから、
寺でつかう丸い形の坐蒲(ざふ)があれば一番いいだろうね

171:神も仏も名無しさん
10/10/05 19:59:57 qRSimRjs
ありがとうございます。
やっぱ丸い坐蒲のほうがいいですか。調べたらamazonでも売っていたので購入してみます。

172:神も仏も名無しさん
10/10/06 03:55:02 QaD1E3ff
>160
神経だとか脳だとかで説明すると、なんとなく違和感を感じる。
意識そのものはもっと神秘的世界に属する気がする。
 最近読んだ「奇跡の脳」(ジルボルトテイラー)なんかによると、左脳が壊れると
ニルバーナの世界に入るらしい。坐禅をやってるものとしては少しショックだった。
寝たきりになると、筋肉が落ちて、骨が解けて歩けなくなるし、頭も馬鹿になるが、
坐禅をして思考を止めるというのは、ひょっとして、左脳が解けて馬鹿になっている
のではと思ったりもした。ある意味再構築としてはそういうことも部分的にはあり
うるのかもしれない。坐禅をして極端に馬鹿になっているような人も実際にはいる
ような気もする。「こいつ脳みそが解けているんじゃないのか?」というような宗教人
にも出会ったような気もする。
 睡眠は重要だが多すぎると有害だし、坐禅も多すぎると有害だろうと思う。
 自分はカルトと言われる集団の洗脳プログラムを受けたことがあるが、それもたったの
1週間程度だったが、かなり気持ちよく洗脳された。W
心理操作によれば、人格変容などは簡単に起こるし、脳というのは非常に危うい存在だ
というのを身に染みて感じた。
 とはいえ自分はそういう事柄(人間機械論?)に同意しているわけではない。

173:神も仏も名無しさん
10/10/06 17:15:26 dudjeHPZ
>>172

さすがに左脳が壊れるというのはない。
ただ右脳優位になると聞いたことはある。
つまり右脳が左脳の上位に立って左脳を支配するということ。

坐禅は思考を停止させることではない。
普通の人は左脳優位で頭の中がゴチャゴチャしてるが。

174:神も仏も名無しさん
10/10/06 17:47:21 a84yflNp
馬鹿になるというのが何をさすのか推測するしかないが、論理的思考が鈍るとか、
健忘とかをさすのだろうか。
それならば、当人が何をめざすのかという自覚によるのだろうと思います。
比喩がゆるされるなら、座禅とは、本来ひとつの自転車しかもたない人間が、
努力によって二つ目の自転車を得ることだ。そして二つ目の自転車ばかりこいでいたら、
そりゃもとの自転車はさびついてしまう。けれど、両方の自転車を按配よく乗っていれば、
どちらも良い状態をキープできる。それをするかしないかは、本人のライフプランをどこにおくかでしょう。
スピリチュアルな世界に埋没していきるか、あるいは世俗世界と精神世界を両立していくのか、
だとおもう。
「左脳が壊れるとニルバーナ」について私の理解では、左脳というのは、
水道でいうなら蛇口のようなものかもしれない。どれだけの量をどれだけの水圧でどれだけの時間開くか、
それを調節するのが蛇口であるとしたら、
左脳も人間の奥底に秘められた無尽蔵な知識を必要なときに必要なだけ出す蛇口であるとも言える。
それが本当に壊れたら、あるいは停止するだけでもそうだが、
それをニルヴァーナという名がふさわしいのか知らないが、
貯水湖そのものに触れることにはなるかもしれない。

175:神も仏も名無しさん
10/10/06 18:05:40 MIXn3bdx
初めてきたけど難しいなあ。
僕にはシッタカブッタ読んでる方があってそうです。

176:神も仏も名無しさん
10/10/06 19:01:43 MIXn3bdx
座禅組み 定印した手で 蚊を殺す

177:神も仏も名無しさん
10/10/08 07:43:55 Ttjd54Cp
人生楽しくいきるには、馬鹿になるのも悪いことばかりではない

178:神も仏も名無しさん
10/10/08 10:41:07 VX1Pvxdo
バカボン=薄伽梵=仏 ですよ。

179:神も仏も名無しさん
10/10/08 18:39:53 dtC0T2di
最近の楽しみは座禅しまま何センチジャンプ出来るのかという事だ。

180:神も仏も名無しさん
10/10/08 21:38:23 Ttjd54Cp
>>179
左脳をお大事に

181:神も仏も名無しさん
10/10/10 00:40:41 FMN3O4U9
これだけははっきりいえるが、最終到達点などというものはない。
節目節目での進歩や高い境地というものはあるが、無限にその奥はある。
だから、何かそこに到達したかのようなことを軽々しく語るような者たちの話は、
聞き流す程度がよろしかろう。

182:神も仏も名無しさん
10/10/10 19:11:43 xBRt04WR
>貯水湖そのものに触れることにはなるかもしれない。

これはいいたとえだね。

>これだけははっきりいえるが、最終到達点などというものはない。

あるかないかは行った人でなければわからない。だからあるかもしれないし、
ないかもしれない。
 芋虫が蛹になり蝶になったら、それは最終到達点だ。蝶もあっちの蜜を吸い
こっちの蜜を吸いしているうちに少しは進歩するかもしれないが、芋虫からの
変容に比較したら微々たるものだ。
 今、芋虫のあなたも、もし蝶に解脱したら、それは最終到達点と思ってもよい
でしょう。これは十分ありうる。もちろん私には真偽はわからない。

183:ケンシロウ
10/10/11 18:50:40 ET8L9k5i
あるのかないのかどっちなんだ?

だからないアルよ~!!!

184:神も仏も名無しさん
10/10/11 21:03:43 xjBItWgQ
唯識思想でいえば、アラヤ識というのがある。
眼識、耳識、鼻識、舌識、身識、意識は読んで字の通りで、
その奥にマナ識があり、それはいわゆる個人的な無意識とか潜在意識というものだろうか。
そして、その奥にアラヤ識という、集合的無意識とでもいうのか、人類規模にさかのぼる無意識の世界があるという。
普通、禅とか瞑想とかいうと、この世界にアクセスすることが目標というか、願望というふうにとらえられる場合が多いのではなかろうか。
が、唯識思想では、その奥にもアマラ識、ケンリツダヤ識といわれるものがあるらしい。
おそらく宇宙の果ての果てのような無意識をさすのだろうが、想像もつかぬ。
ヨガの瞑想でも進歩の段階を七つほどに分類していて、最後の段階はまったく自我を喪失した、限りなく死にちかいものとされていたような気がする。

というように、仮にあると仮定したところで、そうしたものなのであって、宇宙が有限であるのは確かだが人間からすれば限りなく無限と同等であるのとかわらない。
まぁ、悟ったとか見性したとか言いたい気持ちもわかるが、少しずつの進歩を謙虚に喜ぼうということだ。



185:神も仏も名無しさん
10/10/11 23:22:18 uurfOWXF
荒屋敷

県立陀屋敷w

186:神も仏も名無しさん
10/10/12 10:36:24 /7dcm4ZC
止観双運。
瞑想の入門書を読むと止と観のバランスが大切だと書いてあった。今は只管打坐を
やっている。これは止のことだろうか? これだけをやっているが、どのあたりから
観の練習をすればよいのだろう? そもそも観の練習はどうやるのだ。
一つの方法として、「まず呼吸に気づき、それから身体の精妙な動きに気づき、
さらには心の動きに気づき、そして心の本源(意識、無)に気づく。」
と書いてあったような気がする。立ち読みなので忘れたが、要点としては、先ずは
止により定力(集中力)を鍛えて、観ができる力を養う。
 止は自分にとっては驚くべき方法だった。
 しかし観とは何なのか? 「気づく」てどういうことなんだ? 止に比べて観は
方法論的にあいまいな感じがする。 ラべリング? あれはどうも納得できない。
率直に違和感がある。
 素直に考えると観の方法論としては現代的にベストな方法は哲学ではないだろうか?
仏教哲学には唯識なるものがあるらしいが、修行としてはべつにそんなわけのわからん
ものをやる必要はない。あるいは心理学という選択もあるかもしれない。

187:神も仏も名無しさん
10/10/12 12:54:00 pFZZ5y0B
>>186
昔の俺だ。
座る、ごちゃごちゃ考える、座る、ごちゃごちゃ考える、座る、ごちゃごちゃ考える、のループ。

ある日の「気づき」ですべて氷解したがね。

188:神も仏も名無しさん
10/10/12 14:00:20 HfI5oe9N
そうか。やぱり、観とは「ごちゃごちゃ考える」ことなのか。
 最近プラユキ・ナラテボーの”「気づきの瞑想」を生きる”って本を読んだが、
そのあたりのことが詳しくかいてあってすごく参考になった。
この人は非常にバランスのとれた悟りかたをしているという印象をうけた。
仏典の和訳による引用もセンスがいい。
 たとえば、
 
これある時に、かれ在り
これ生ずるが故に、かれ生ず
これなきときに、かれ無し
これ滅するがゆえに彼滅す

 とか、他にもカーラーマ経の引用だとかもセンスがいい。漢語をベタベタ貼り付ける
のはどうも好きになれん。慣れの問題とは思うが、漢文ベタベタは品格と言い情緒と
いい随分格下に見える。

一番印象に残ったのは、瞑想髄煩悩で
 静謐(シーン)
 確信(これっきゃない)
 理解(わかっちゃった)
 .....そのた。
自分にピッタリ当て嵌まっていて驚いた。

189:神も仏も名無しさん
10/10/12 21:19:18 R2DYm6BF
つまり、わかったと言う事はわからんと言う事だ。

190:神も仏も名無しさん
10/10/12 22:07:13 meXoc9OR
安定して入れるようになると、もう止とか観とか無意味になるのは確かかもね

191:神も仏も名無しさん
10/10/12 22:11:07 Jldm6bM9
>>187
“ある日の「気づき」”がどういうものであったのか教えて戴けないでしょうか。
 
 私も
“座る、ごちゃごちゃ考える、座る、ごちゃごちゃ考える、座る、ごく稀に透き通る、
座る、ごちゃごちゃ考える・・・” なんです。

192:神も仏も名無しさん
10/10/12 22:15:42 meXoc9OR
鉄棒の逆上がりとか自転車とか、できないときって、いろいろ考えるよね
勢いをどのくらいつけるかとか、どこに体重のせるかとか
できるようになると、もう何も考えない

193:神も仏も名無しさん
10/10/13 11:20:33 MJX96vLN
>>191

そういうのは知らない方がいいだろう。
知るとあなたはそれを目標にしてしま
う。そうなるとさらに遠ざかる。鼻先
に人参をぶら下げて全力疾走しても永
遠に人参に手が届かない状態になる。
確かに目的や目標のような指標がある
とわかりやすい。だが坐禅に関しては
方法はない。実践の期間もない。そし
て、目的はない。
あなたは今でも、いつでも気づいてい
る。「気づいているはずだ」ではない。
現に「気づいている」のだ。

194:神も仏も名無しさん
10/10/13 13:36:06 iNnftwAG
座禅しながら今日の晩飯の事でも考えているのがよい。

195:神も仏も名無しさん
10/10/13 14:35:44 iNnftwAG
何かに気付き、その度に何かを見落としてるかもしれないし、見落としてないかもしれない。

196:神も仏も名無しさん
10/10/13 21:04:53 hii983/I
家で座ってる人は法界定印にこだわりあるのかな
自分は法界定印だと肩がこるので、
ヨーガ風に手の甲をひざにのせているけど、
道元は法界定印の必然性になんといっているのだろう

197:神も仏も名無しさん
10/10/13 21:28:30 jovsTdGg
座り方の問題では?
自分も最初はハンカフザでやってたら肩こってしょうがなかったけど
両足重ねないタイプのあぐらにしたら良くなったよ

198:神も仏も名無しさん
10/10/14 09:48:32 EjPOfZos
気づきとか色々言い方はそれぞれだけど、
ひとつの入口の目安としては、空間、時間認識があいまいになるというのは
いえるかもしれない。
左脳的時間認識がにぶると、一時間が五分にしかかんじられなかったり、
三時間すわってたのに、一瞬だったような気がしたり。
時計の針が気になるようなら、まだ左脳がビンビンに生きているという目安かな

199:神も仏も名無しさん
10/10/15 05:38:00 q+FS3juJ
聞いた話だが、10年近く本気で修行した僧などは、
摂心などでは日に何時間の座禅を一週間もつづけるわけだが、
やっている本人は何時間もすわっている自覚はないらしい。
すわれば知らぬうちに終わりの鐘がなる。
すわったと思ったら一瞬でおわっている。
だからこそ、あれだけの長時間あの姿勢でなんともなくいられるのでしょう

200:神も仏も名無しさん
10/10/17 04:05:52 uUjdwPTB
中級者向けのいい本ないかな
座りもしないで知識だけで書いてるようなのではなくて、
実践にもとずいた

201:神も仏も名無しさん
10/10/17 05:25:33 ZXkyF7m0
 本を探すのも修行

202:神も仏も名無しさん
10/10/17 09:06:02 ZXkyF7m0
 ダライラマの「大乗の瞑想法」に書いてあったが、坐禅で集中力をつけて
その集中力で法を分析する。それが「観」だそうだ。
分析というのは、それに先立って完全に理解したものを、ディヤーナの
状態で分析することをいう。
 さらに「理解」とは
1)完全に覚える。
2)唱和する。
3)徹底的に考える。
 が必要条件ということだ。

まとめると
第一段階の理解:文章を記憶する。声にだして表現できる。意味を完全に理解している。
第二段階としての観(分析):ディヤーナに入る。理解したものを深く集中的に考察する。

観の対象は12分教?となっていたが、現代的には好みの哲学書と考えていいだろう。
 こうなると、左脳の使い方も半端じゃない。


 坐禅を修行と考える人が多いが坐禅は修行ではなくて遊びか休憩かもしくは寝ることだ。
覚めた状態で寝るのが坐禅の特徴だろう。
そして「観」が修行なのだ。

>方法はない。実践の期間もない。そし
>て、目的はない。

 これはまさしく「遊び」の特徴だ。理由も目的も時間もなく無条件に面白い。それが遊びだ。
しかし遊んでばかりではダメ。目標をたててちゃんと勉強しなさい。


203:神も仏も名無しさん
10/10/17 09:24:07 ZXkyF7m0
 孔子は「よく遊びよく学べ」と言った。これこそが止観である。「止」つまり坐禅ばかり
ではだめだ。しかし「遊び」や「休憩」や「寝ること」を低くみるのはこれもまた間違いだ。
遊びは非常に大切で、しかも強力だ。遊びによって定力(集中力)が着く。
 坐禅は驚くべき遊びだ。こんな遊びを嘗て知らなかった。坐禅をはじめてから他の遊びは
どうでもよくなった。もう一生遊んで暮らせる。


204:真言・念仏・禅は謗法邪宗
10/10/17 21:12:03 bhE5zqpR
(よく誤解されるのでことわっておきますが、私はどの宗教団体とも関係ないです)

「真言・念仏・禅」の邪宗が多い理由。まず、邪義「真言」が、なぜ広まったのか。
それは、像法の末に伝教(最澄)が「法華経最第一」を確立した「後」に、
空海(弘法)によって伝来したからである。

つまり、天台・伝教の破折を「まぬかれている」のだ。

伝教(最澄)が南都六宗の邪義を破った後に、空海(弘法)によって伝来した真言が、
後に天台宗の人々が真言に「籠絡されていく落とし穴」となってしまった。

真言は、天台の一念三千の法を「盗み入れて」自宗の極理となし、「真言宗は天台宗と
法理の次元では同じだが、天台宗にない印と真言という事相があるから勝れている」
との邪義を立てた。その策略にかかり、天台宗を真言へとおとしめてしまったのが
比叡山第3代座主の「慈覚(円仁)」である。

伝教が一生の闘争で確立した「法華経最第一」の原則を崩し、「理同事勝」の邪義を唱え、
天台宗の真言密教化に踏み切ってしまった慈覚が、謗法の端緒を開く元凶となった。
さらに、慈覚の弟子「安然」は、禅宗を促し、「恵心」は、念仏を広める役割をした。

高徳・碩学と仰がれた慈覚が、後世の安然や恵心の邪義を引き出す呼び水になったのだ。
法をより深くむしばむ害虫は、他宗ではなく正法を護るべき天台宗の中にいた。
(よって現在の天台宗は、慈覚・安然・恵心の謗法を引継ぐ邪宗・謗法宗である)

そして、謗法に毒された人々を救うため、末法悪世の変革のために、次々と起こる
大難・迫害に命がけで戦い勝ち越えてきた、末法における妙法流布の法華経の行者が
日蓮である。謗法の人々も今は法華経を誹謗しているが、亡国・亡身の危機に直面した
とき、一切の仏寺・一切の神寺を捨てて、「南無妙法蓮華経」と唱えるようになるだろう。





205:神も仏も名無しさん
10/10/18 11:27:16 XXUF43f2
よく座禅において、別の目的のために座禅することを凡夫禅というらしいね。
たとえば健康のためとか、人間関係をよくするとか、仕事を繁盛させたいとか
本来座禅には目的というものはなく、座禅そのものが目的であるからということらしい。
で、自分についていうと、数年前に個人的に不幸があり、
またそれに関連する出来事について怒りと後悔が消えない。
四六時中そのことを考え、腹が立ったり他人にあたったり意気消沈したり。
で、こうした不快感を招いているのは、つまるところ他人とか出来事にあるのではなくて、
それを感じる自分の心に原因があるのではないか、自我をどうかすることでこの苦しみは
消えるのではなかろうか。
自分が座禅を始めた動機はそうしたものだった。思う結果がでているかどうかは修行途上だからひかえるべきだが、方向性はみえているような気がしてきた。
えらい禅僧は、禅をこころざす心が大事だとはよくいわれるようですが、
ここのみなさんはどういう動機から座禅をされるようになったのだろうか、聞いてみたい気もいたします。


206:神も仏も名無しさん
10/10/18 19:27:33 WCWsPFwF
>>205
自分の場合は、しいて言えば暇だから、かなあ
人生退屈だし、余暇の時間にすることもないし、坐禅でもするか
っていう感じ
そんな立派な動機とかはなかったなあ
はじめて2年ほどたつけど、見性の兆し的なものもないし、まあこうやって座ってもやっぱり何もならずに死ぬのかなあ、みたいな感じ

207:神も仏も名無しさん
10/10/19 08:50:51 QilCorPX
さすがにマジメな禅入門書には書けないだろうけど、
頭をカラにするとか、すべてを投げ出すような気持ちとか、身心脱落とかいうのって、
平たく言うと性行為でイクときのような気持ちをいうような気がする。
もうなにもかもどうでもいいから好きなようにしてくれ、と
まじめな場ではもちろんそんな表現できないから小難しい言い方をするけどね

208:神も仏も名無しさん
10/10/19 21:27:17 zoepaaWZ
初心者ですが質問させてください。
坐るとほどなく視界がモノクロ・ネガポジ逆転したり、
全体に変色します。
また見えている物の境界がにじんだり、ぶれたり
渦をまくように動いたりします。
>>5氏と似たような感じかとも思いますが、坐禅的に
この状態は正しいのでしょうか?
坐って一点を見つめるというような事は自分には
すぐに上のような状態となり無理なのですが、
このまま座り続けてもよいものでしょうか?

209:神も仏も名無しさん
10/10/20 05:34:48 YVyYn3gj
そんな現象が起こる人がうらやましい。俺はそういうのは起こらん。
頭が弱いのだろう。芸術家にはそういうのが多い気がする。常人には
見えないものが見える。
俺は頭が強いんで、酒のんでも酔わないし、葬式にでて笑ったりする。W
 しかし、坐禅をすると多少まともになる。笑わないし、ちゃんと静寂に入る。
精神的には変化がないが、肉体的変化が大きい。タコのように体が柔らかくなった。
ヨガをやってる嫁よりも坐禅しかやらない俺の方がヨーガのポーズがキチッと
決まる。まるで時間が止まったようにピタッと静止する。


210:神も仏も名無しさん
10/10/20 07:55:23 Vw+bvxEG
>>208
半眼にする理由は、眠気をそらす、意識を目にむけて雑念をへらす、といったあたりかと思われる。
だから、眠気をもよおさず、雑念をおさえることができるのであれば、絶対必要というものではないと個人的には思う。
ヨーガの瞑想では目をとじる場合も多いのではないかな
信頼できる禅宗の方の本には、その人は一点をみつめていると気持ちがわるくなって吐き気さえもよおすので、
目はほとんどつかわずに、外界の生活音に耳をすまし「聞くともなく聞く」という方法で雑念を消すとも書かれていました

211:208
10/10/20 23:41:19 VjVRls/6
お二方レスありがとうございます。
アプローチは人それぞれという事でしょうか。
余計な事を気にせず雑念を消してみます。


212:神も仏も名無しさん
10/10/21 08:12:13 CTc9T+Zj
みんな体型も体質もちがうのに同じやり方を強制するほうに無理がある
大事なのはどうすれば一番頭をカラにできて安定した体制を長時間たもてるか、
自分で試行錯誤するしかない

213:神も仏も名無しさん
10/10/22 06:50:20 AKAjY2Fq
 慣れてくると歩いていても瞑想できるんだろか?
できれば、仕事しながら瞑想していたい。


214:神も仏も名無しさん
10/10/22 08:18:51 Ff3OWonu
>>213
交通事故に気をつけよう

215:神も仏も名無しさん
10/10/22 17:32:42 AltK1zYN
>>213
私が通ってる禅センターのお師匠の師匠がそんな事をいってたらしいよ。
禅なんて運転しながらでもできる、というか禅センターでの座禅は、
不安などに心を惑わされない様に雑念を消して日常生活を送ることができる様になるための訓練だと。

216:神も仏も名無しさん
10/10/22 21:43:31 Ff3OWonu
禅の修行をつむことで「不安などに心を惑わされない様に雑念を消して日常生活を送ることができる」
平常心をつねにもちつづけられる。だから活動してようと座っていようと常に同じ平常心をもてる、という意味ならわかるが、
本当に禅定にはいると意識はとぶので、少し誤解をまねきやすいかもしれないね

217:教外別伝・不立文字【邪義】
10/10/23 00:38:00 9OM/C2eY
禅は、教外別伝・不立文字の「邪義」

「教外別伝・不立文字」の自己矛盾が禅宗。
釈尊が禅の一法を迦葉に拈華微笑して、教を離れて別に伝え付嘱したというが
それをいうこと自体が「教」になっている。
また、「文字を立てず」というが、そのことを言葉にして語れば、「教」であり、
「文字」を立てていることになる。
また、人に伝える時には、言葉や文字を使わなければ弘通できない。
達磨が説いた「直指人心・見性成仏」の義も、法華已前の権大乗教ですら説いている
低い教えにすぎない。
言葉で表せない悟りに到るために教えが説かれたのであって、この教えを不要というのは
目的地へ行く道を否定するのと同じで、それでは、目的地に到着できない。

218:神も仏も名無しさん
10/10/23 01:27:59 UAdg3ADB
そうかな?よく分かんねーや

219:神も仏も名無しさん
10/10/23 06:36:34 5p3PLeo1
月を指す指をうんたらかんたら

220:神も仏も名無しさん
10/10/23 08:56:48 4cW2ywyY
言葉や理屈で悟れないのは本当かと。
言葉は道路標識かな。方向をしめすだけで、自分で歩いていくしかない。
歩行禅については、禅の熟練者ならば意識の操作に慣れていて、ブロック単位のon off
が可能ではあるかもしれない。ふくろうは外敵から身をまもるために半身寝かせて
半身目覚めているというが、熟練した禅者もそうしたことができるかもしれない。
が、それはそうした境地に到達した人たちの余技というか試みといった類のものであって、
入門者とはなんのかかわりもない世界かと思われる。
まずは座りに座りぬいて「三昧」とはどういうものか知ってからだ

221:神も仏も名無しさん
10/10/24 13:19:56 1dIThU3G
禅と呼吸法を混同している人がいるのは注意が必要かな
腹式呼吸とか丹田呼吸というのは、副交感神経優位になってリラックス効果があり、
また酸素を多くとりこみ血液の循環をよくするが、そうしたリラックス効果と
禅でいう瞑想とか禅定とはまったく異質のものだ。
禅では呼吸法とか数息感というのは心身を安定させるプロセスにすぎず、
一度禅定にはいるともはや無呼吸といわないまでも微呼吸状態といってもよく、
呼吸法などはもはやほとんど意味をなさない。

222:神も仏も名無しさん
10/10/24 20:32:33 X8PHLVoO
 確かに微呼吸状態になる禅定もあるようだが、全部がそうじゃないと思う。
そういうことを書いている人は天外司郎氏しかしらない。
あまり一般的じゃないのでは?


223:神も仏も名無しさん
10/10/24 21:11:11 1dIThU3G
曹洞宗の南直哉氏が無呼吸をほのめかしていたが、本意は「大事なのは呼吸ではなくて、
瞑想状態にはいれるのであれば、呼吸法など個人個人にあった方法でいい」という
はばのひろいニュアンスだったように記憶している。
曹洞宗公式サイトの「座禅の作法」でも呼吸法については、「深々と息を鼻から吸い込み、
これを徐々に口から吐き出します。この深呼吸を数回行った後は、
自然と鼻からの呼吸にまかせます。」
とあり、「自然にまかせる」ことをよしとしている。
私がいいたかったのは、変に呼吸法と禅を結びつける態度は誤解をまねきやすいのではないかということです。

224:神も仏も名無しさん
10/10/25 00:18:40 oe1aTlQT
街の中を歩く時は無理だが、
山登りの時など無心で登っている時がある事に気がついた。
無意識で歩行禅の様な状態になっているという事か。

225:神も仏も名無しさん
10/10/25 04:29:40 VIkAaSX/
 接心では呼吸を数える方法で指導を受けたが、呼吸を数える方法や呼吸を見つめる
方法ではなかなか禅定には入れなかった。自分が禅定に入るコツは
1)結跏趺坐であること
2)なにもしないで静止すること
このふたつ。呼吸を数えたり意識するのをやめることで禅定にはいれるようになった。
 恐らくこれを只管打坐というのではあるまいか?
逆に坐禅ができるようになって、はじめて呼吸を見つめることができるようになった。
「微呼吸状態」というのは代謝が非常に落ちた状態で、かなり深い禅定なのではあるまいか。
自分の場合はそんなに深い禅定には入れない。呼吸がゆっくりになり、軽い変性意識状態に
なる程度。
 座り続けると徐々に深まって微呼吸状態になるのだろうか? それともまったく違った
種類の禅定なのだろうか?


226:神も仏も名無しさん
10/10/25 07:53:31 bdXLi/pm
君たちはね、難しく考えすぎ。
そういう俺は簡単に考えすぎ。

227:神も仏も名無しさん
10/10/25 08:10:45 V7ydeKpI
難しく考えようと易しく考えようと禅定にはいれればいいのだ。
禅定には深浅があり、ある意味そこからが本物の修行であるともいえる。
禅定にはいれるようになった、もうわかっちゃったからいいや的な人は、オードブルだけ
食べて帰ってしまう人とかわらない。高僧でもそういう人がままいる。

228:神も仏も名無しさん
10/10/25 09:12:00 bdXLi/pm
射精する瞬間は確かに禅定に入っている気はする



うっ!!!

229:神も仏も名無しさん
10/10/25 13:39:45 V7ydeKpI
性的快感というと不真面目な話題にとられがちだが、
人間には本来薬物も酒もつかわずに、自力だけで陶酔をうめるようにできている。
ただ、それを意図的に、持続的にやれるようにするとアホになるから、
うまいこと中々できないような具合にできている。
ヨーガのクンダリニーというのは、まさにそれを目覚めさせて支配しようという試みといえる。
禅修業などやるような人間は当然自制心があるから、そうした陶酔感を永続的に生産的に活用できる。
前の人が驚くべき遊びといっていたが、使う人によってはアホにもなり、賢く使えばすばらしい玩具にもなる。

230:神も仏も名無しさん
10/10/25 16:39:35 QJxrmF+6
禅の呼吸法は

"Who am I?"  と鼻から息を吸い込んで
"I don't know…" と口からゆっくり吐き出す

とアメリカで習った。

231:神も仏も名無しさん
10/10/26 10:43:56 f3nYByGd
数息感は「数える」という思考が邪魔になるから、
そのアメリカ式はお経とおなじように、言葉に意識を向けられるから有効かもしれないね
なにもわかんない 私は誰? ってのはおもろいw

232:神も仏も名無しさん
10/10/26 14:45:41 NQr1c+ar
     /\___/ヽ
   / -‐'  'ー-  \
  . | (●),(、_,)、(●) ::| スウーッ
  |    /,.ー-‐、i  :::::|<Who am I?
  |    //⌒ヽヽ  .::|
  |    ヽー-‐ノ  :::::|
   \    ̄   ...::/
   /`ー‐--‐‐―´\



     /\___/\
    / ⌒   ⌒  ::\
    | (●), 、 (●)、 :|
   |  ,,ノ(、_, )ヽ、,   ::|<I dont know!!
   |   ト‐=‐ァ'   :|
   |   |,r- r- |   .:::|      
    \  `ニニ´  .:/     
    /`ー‐--‐‐一''´\

233:神も仏も名無しさん
10/10/27 08:18:17 XTelcapj
人には寝付きやすい人と寝付きにくい人がいる。
ふとんと枕があればコトンと寝てしまうような人は呼吸法なぞ必要ないし、
睡眠薬のんだり苦労しないと眠れないひとは呼吸法をつかって気持ちをおちつかせる。
ということであって、最終的には呼吸法は禅において本質的な要素ではない。

234:神も仏も名無しさん
10/10/28 08:05:13 yhVTxE0t
このこと言う人少ないけど、音楽かけて座るのは意外とありなんじゃないかな
ホロトロピックセラピーで過呼吸やるときも音楽かけるし、瞑想のセミナーでも
特殊な周波数の音をかけたりする。
要は、音に意識をむけることで思考を遠ざけるというわけで、理にかなっていると思うが

235:神も仏も名無しさん
10/10/28 10:33:32 yhVTxE0t
性行為をすると、心臓病のリスクが半減する! 「」
スレリンク(newsplus板)

おそらく性的快感にはセロトニンとかβエンドルフィンとかが密接に関係していて、
心のストレス解消や苦痛軽減、もっといえば日常生活を楽しく暮らすことができることにつながる、という話かと思われる。
禅や瞑想も、こうした話からそれほど遠い話ではないのだ。
ひらたくいうなら、禅や瞑想とは、意図的にセロトニンやβエンドルフィン等の脳内麻薬や快感神経を支配制御することにほかならない。

236:神も仏も名無しさん
10/10/28 14:06:31 xk/g2yzD
     /\___/\
    / ⌒   ⌒  ::\
    | (●), 、 (●)、 :|
   |  ,,ノ(、_, )ヽ、,   ::|<I dont know!!
   |   ト‐=‐ァ'   :|
   |   |,r- r- |   .:::|      
    \  `ニニ´  .:/     
    /`ー‐--‐‐一''´\

237:神も仏も名無しさん
10/10/29 21:53:06 W6yyqkkA
下手な瞑想と上手な瞑想がある。マントラ(お経)や旋回や凝視や、そんな瞑想は
下手な瞑想で、只管打坐が一番上等な瞑想だ。と思いつつ、夢の中でうろ覚えの
お経を唱えながら、心と体がどんどん変わっていくのを感じる。
「お経はこんな風に読むのか」と納得している。そういう不思議な夢を見た。
普段、お経は唱えない。重要とも思っていない。しかし深層ではお経の不思議な効用
を知っているのかもしれない。


238:神も仏も名無しさん
10/10/30 01:16:48 larPS+jl
知っているかもしれないし知ってないかもしれない

239:神も仏も名無しさん
10/10/30 09:34:43 JJdEgym2
TM瞑想のような無宗教の合理的セミナーなんかでも、
ある種お経のような言葉をえんえんと唱え続けたりする。
要は、人間てのは普通にしていると晩のオカズのことや、
仕事の得意先の顔色やら、女子高生のミニスカとかが頭にうかんできたりするもんだから、
なにかそうした意識をそらせるツールが必要ってことだよ。
滝にうたれるのもしかり。お経しかり。マラソンや登山で無心になるというのもそうかもしれない。
方法は数あっても目的はほぼひとつであり、意識を統一することであって、
それが徹底されたときにおどろくべきことがおこるというわけだが、その道は簡単ではない。

240:神も仏も名無しさん
10/10/31 03:16:37 fMRgWZWq
経だとか無理に考えることはない
自立訓練法ってやつ、あれはかなりいい、意識を統一させようと努力するのは無駄だ
意識はあるままにある、とらわれずに内観せよ、無心に「なる」のではない、無心で「ある」のだ

241:神も仏も名無しさん
10/10/31 09:31:09 uupEjorL
     /\___/\
    / ⌒   ⌒  ::\
    | (●), 、 (●)、 :|
   |  ,,ノ(、_, )ヽ、,   ::|<Oh! I know!! I stood on the mountaintop!! It's SATORI!!
   |   ト‐=‐ァ'   :|
   |   |,r- r- |   .:::|      
    \  `ニニ´  .:/     
    /`ー‐--‐‐一''´ \
    \          /
     \        /
      \      /
       \    /
        \  /
         \/
        【切り株】

242:神も仏も名無しさん
10/10/31 09:50:39 qqDW8xyb
言葉は難しいけど、「意識の統一」というのは肩に力がはいって「統一してやる」っていう
意識がちょっとうるさい感じ
「意識の解放」「意識をとっぱらう」そんな感じ。

243:神も仏も名無しさん
10/11/01 13:27:53 /GMgbQnS
難しい話しても意味ない大衆にお経というものを考案した
一遍とか法然というのはえらいね

244:神も仏も名無しさん
10/11/03 15:27:36 +1+vMeQ+
道元が立派なのはいうまでもないが、やや秀才肌向けかな

245:神も仏も名無しさん
10/11/05 17:02:15 md3tl5Uz
最近アーユルヴェーダに関する本よんでいたら、
寝ている人のミケンにオイルを長時間たらすんだってね
まぁいってみれば滝行で水の勢いのために通常の意識をわすれてしまうように、
ミケンのオイルに意識がむかうことによって、日常意識から離れるというものなのかもしれない。
なにしろ素人だからくわしくはしらないが。
ただ、思うのは、日常的な意識、思考、そういうものから離れるということには、偉大ななにかがあるのだろう

246:神も仏も名無しさん
10/11/07 09:54:30 yp95rMDs
坐禅歴6か月
 昨日は久しぶりにはらわたが煮えくり返った。
坐禅は随分上達したつもりでいたが、感情コントロールはまだまだ全然できない。
大手企業の脳タリンがエラそうに難癖をつけてくるとシバキ倒してやりたくなる。
このまま坐禅を続けていたら、そのうち感情コントロールはできるようになるんだろうか?
感情コントロールは坐禅とは関係ないかもしれないな。


247:神も仏も名無しさん
10/11/07 13:27:19 Za1Nj25R
自分もこの間、細かい事がいろいろと重なり
イライラが抑えきれなくて困った。
禅の時のように呼吸を整えたりしたけどダメだった。

まだまだ禅が足りないのだろうか?
脳内物質の湧き方と分解のされ方の問題か?

248:神も仏も名無しさん
10/11/07 14:49:20 FGgPqwW0
以前総持寺の参禅会へいったときに聞いた話では、
禅修業をつむと第一次感情をもつことは当然ながらあるが、
第二次感情をもつことはなくなる、もしくは少なくなるという話をしていた。
つまり、誰かにムカツク。これが一次感情だ。まぁそんなのは誰にでもある。
が、その相手を恨んだりいじめたりいやがらせしたいとかいう、
持続的な感情、これを二次感情というのだと.思われるが、それがなくなるという意味らしい。
もっとも修行の優劣によって差はでてくるだろうし、すぐにそうなれるものでもなかろうが

249:神も仏も名無しさん
10/11/07 14:57:40 FGgPqwW0
>>247
>脳内物質

禅の効果は脳内物質のコントロールというような説もあるようだが、
むしろ、日頃つかう脳の変化というのもあると思う。
怒ったり劣等感もったり憎んだり嫉妬したり、そういうことをする脳を
我々は生まれつきつかっきているわけだが、それとは別の脳をつくりだすこと。
ぜんぜんいままでの価値観とはちがう価値観をもった脳を、脳のなかに育てること。


250:247
10/11/07 17:34:32 Za1Nj25R
>>248,>>249
ありがとう。
2次感情の抑制という部分では少しずつ実感出来て
いるので、新しい脳の形成が出来る様さらに精進します。

251:神も仏も名無しさん
10/11/07 20:01:38 4qRoIG7s
おだてられればいい気になる。悪口言われりゃ腹が立つ。
これはどうしようもない事だ。
それを受け入れたら後は他人の事などほうっておきなさい。

252:神も仏も名無しさん
10/11/08 08:27:38 gRu7JeUm
ほうっておくということができるようになるための修行かもね、禅て


253:神も仏も名無しさん
10/11/08 23:45:43 w6vw1F/I
思い出したらまたはらわたが煮えくり返ってきた。



254:神も仏も名無しさん
10/11/09 06:50:20 QJgKL35U
 怒鳴りまくる奴って、怒鳴ったことをケロッと忘れてる。普段は普通なのだが
機嫌を損ねると、怒鳴り始める。しかししばらくしたらケロッとしている。
 ある部位の記憶に障害があるのではないだろうか? 怒りと記憶は関連している
気がする。
 逆に、必要な時に怒りが発生しないのは明らかに問題だが、怒りが生じたにせよ、
それが記憶に残らないというのも何らかの問題?があるのではないか。
 そこは微妙なところがあるように思う。
 怒り狂う人と逆に怒りの生じない人、 性格的には全く別のように思えるが、実は
構造的には似ているように思う。
坐禅は脳の構造を変えるきわめて強力な方法だと思う。強力が故に決して安全とは
言えない。失敗の可能性もあるし、可能性どころか失敗の方が多いかもしれない。
 臨在の公案禅なんかを読んでいてもそんなことを感じたことがある。どこか狂って
いる感じがある。


255:神も仏も名無しさん
10/11/09 08:39:55 WDnGQSwl
記憶がなくなるというのとは少しちがうのではないかな。
主観的から客観的になる、という言い方はどうだろうか。
恋でも、ほれまくっている最中は会いたい一心で仕事も勉強も手につかないで、
相手のことばっか考えている。が、恋がさめてしまえば魔法もとけて正常にもどる。
かといって、恋していた記憶がなくなるのでもなく、してきたことバカさかげんを忘れたわけでもない。
つまり、客観的に冷静に自分をみつめることができるようになったわけだ。
恋がそうなるには時間がかかるが、怒りや悲しみといった感情も原理的には似たようなもので、
親や子供が死ねば自殺したくなるほどさびしいが時間が解決してくれる。
これもまた主観が客観へと移行するからといえなくもない。
禅者は、そうした過程が、通常のひとたちよりもすみやかにというか、即座に近い形で
おこなわれるという言い方はどうだろう。

256:神も仏も名無しさん
10/11/09 10:56:03 hMss0+PX
スレ違いのようで恐縮ですが、
剣と禅のつながりについて少し。
剣道では”残心”という言葉があって、打ち合った後に振り向き、
必ず残心の構えを取らなければなりません。

残心の構えとは、相手の喉元に竹刀を向け
常に臨戦態勢であるという意味です。
同時にもう一つ意味があり、
振り返って残心した時点で、過去の打ち合いの事は水に流そう。
打ち合えば当然、どちらかが打たれる訳ですが、
そういったものを引きずるのではなく、一度、過去を清算しようではないかいう意味があります。

257:神も仏も名無しさん
10/11/09 17:34:18 WDnGQSwl
>>254
>失敗の可能性もあるし

失敗なのかプロセスなのかは誰にも分からないね。
自分も座禅を続けていたことで過去の不愉快な記憶がこびりついて苦痛になることもあるし、
不安神経症のように小さなことが気になったり、被害妄想がおこることもないわけではなかつた。
禅は、脳のソフト的改変というより、ハード的改変といえるから、予測不能な変化がおこりかねないのは確か。
でも、フィギアの選手が身長がのびたことでジャンプできなくなったからといって、それを失敗といえるだろうか。
それに順応させてさらにいいジャンプできるようにすればいい。
自分は座禅によって時には起こる苦痛はプロセスにすぎず、かならずや良い方向へ向かうことを信じている。

258:神も仏も名無しさん
10/11/11 08:53:28 LKikjjYP
たけしの家庭の医学で座禅による副交感神経の推移を調べていたが、
座禅未経験者に目をばっちりあけさせていたけど、あんなにしっかりあけると
目痛くならないのかな
だけど、座禅や瞑想の目的を副交感神経上昇によるリラックスととらえちゃうと、
もうあれだよなぁw

259:神も仏も名無しさん
10/11/14 22:11:16 ce0X6EaL
科学者は禅を副交感神経とかセロトニンとかシータ波とかで説明したがる傾向があるみたいだけど、
「左脳優位から右脳優位への転化」というのをうまく説明できないと、
見当違いにおちいるだろうね

260:神も仏も名無しさん
10/11/16 01:26:52 fR4CayNM
南浦紹明(大応国師)って入宋する前と後で思想に変化ってあったのかな?
中国の虚堂智愚から何を教わったんだろう?

261:神も仏も名無しさん
10/11/17 18:06:43 Q8CWM3CA
俺が知ってる悟った人

井上義衍
原田雪溪
川上雪担

義衍さんは亡くなった。雪溪さんはまだ生きてるが相当高齢。
最後のせったんは2ちゃんだろうがyahooだろうがミクシィだろうが
どこでも辻説法する親しみやすいタイプ。

262:神も仏も名無しさん
10/11/17 21:00:39 HiQDCzI5
>>261

騒動衆か (-´ω`-)シュン

263:神も仏も名無しさん
10/11/18 01:14:30 PjibRm1u
>>262
おや名無しさん、スカートの陰からコソコソご苦労さん

264:神も仏も名無しさん
10/11/18 01:42:34 TnYfbFUI
>>263
> >>262
> おや名無しさん、スカートの陰からコソコソご苦労さん

 ̄|_|○ ドテッ

265:神も仏も名無しさん
10/11/18 19:18:52 o+ap81Hm
>>208
そんな状態は気にしないでほったらかしにしてください。

>>213
仕事中でも修行中です。意識せずに修行できるようになればよいのです。

>>239
統一する必要ありません。初めから一つです。

>>255
「本来の 面目坊の 立ち姿 一目見しより 恋となりぬる」です。



266:神も仏も名無しさん
10/11/18 19:23:19 o+ap81Hm
>>261
悟った人は役に立ちません。あなたが悟るのです。

>>262
騒動衆です。仲間集めてサトリ教団みたいなものです。悟り主義者集団はテロ集団化するかもです。



267:神も仏も名無しさん
10/11/19 16:31:58 8pYh6EA0
抽象的な言葉遊びで話すくせは、人が離れるよ

268:神も仏も名無しさん
10/11/19 20:58:11 hOMLHq48
>>266

> >>262
> 騒動衆です。仲間集めてサトリ教団みたいなものです。悟り主義者集団はテロ集団化するかもです。

騒動衆は、現在では、道元から遠い存在になりました。

さとりとは無縁のお行儀の良い人たちです。

269:神も仏も名無しさん
10/11/19 21:32:06 /BS031Oe
完全なド素人ながら、参禅会に通ったり、色々本を読んだりしたが、
結局、どうも坐禅の仕方がよく分からない。

最近思ったのは、とどのつまり坐禅は教える事も、伝える事もできないんじゃないか、という事。
道場もただ坐る場を提供してるだけで、指導の場ではないんじゃないだろうか。

結局、毎日一定時間、とにかく強制的に坐り続けて
少しづつ自分なりに理解していくしかないんじゃないか
と思ってきたんだが、いかがでしょう・・・

270:神も仏も名無しさん
10/11/19 21:38:26 /BS031Oe
40分というのは素人には長いんだが、
やはりこの長さにも意味はあるのかもしれない。

どうせ素人は坐禅なんかできないんだから量でカバーし、
40分坐って5分でも坐禅ができればラッキー!
という割と投げやりだが合理的な発想に
基づいてるんじゃないか、という気がしてきた。

だとしたら、自分は素人だから20分、10分で十分だろう、
という今までとってきたやり方は、本末転倒だったのかもしれない・・・

271:神も仏も名無しさん
10/11/20 08:49:29 Eu5ZMGey
>>269
>最近思ったのは、とどのつまり坐禅は教える事も、伝える事もできないんじゃないか、という事。

まぁ、そのとおりだね。
クロールとか背泳ぎの本百冊読んだって、実際におよがにゃなんにもわからん
やっててこりゃすごいと思えるまでには、早い人で半年、遅い人なら三年以上かかる。
会社の仕事でも全体がみえてきて面白くなるまでにはそれくらいかかるわな。
そこまでやる気がないなら、なんの意味がないから、やめることをすすめる。


272:神も仏も名無しさん
10/11/20 10:53:42 aUucuKn2
>>271
結構根気が要るね。普通の素人だと
ついサボったりして中々続かないんだよね。
まあ、そこをコツコツ続けられるかが
成功する人と失敗する人の分かれ目なんだろうけど。

273:神も仏も名無しさん
10/11/21 07:47:09 DdeVzxmZ
>結局、毎日一定時間、とにかく強制的に坐り続けて
>少しづつ自分なりに理解していくしかないんじゃないか
>と思ってきたんだが、いかがでしょう・・・

坐禅のマスターにはコツがあると思う。
自分も長い間、気功とか太極拳だとかの教室にいったりしていたが、座れなかった。
ところが7日間の接心を一回受けたら、坐禅がわかった。
初心者はまず最初に集中的に1週間やった方がいいと思う。
 難易度としてはちょうど自転車に乗る程度ではあるまいか?集中的にやれば
簡単に理解できる。
 毎日自転車にまたがっては、降りるを10年やってもやっぱり乗れないと思う。
自分の場合はそんな感じだった。


274:本当にあった怖い名無し
10/11/21 09:32:08 60r46y6/
>ところが7日間の接心を一回受けたら、坐禅がわかった。
>毎日自転車にまたがっては、降りるを10年やってもやっぱり乗れないと思う。

すごい何かしっくり来たわ、ありがとう。

7日間の接心って考えるだけでも恐ろしいけどw
逆にそういう発想はあんまなかったわ。

275:神も仏も名無しさん
10/11/21 12:50:36 LYnGDont
>>273
あなたは>>151の人だと思うけど、ご自分でも言われているとおり、
太極拳や気功の素養があったからいきなりの七日間接心ができ、
また開眼したという点もわすれてはいけないと思う。
はやくして理解できるような人は、前にも似たようなことを書いたが、
たいていなんかしらの素養を積んでいるケースが多いと思う。

276:■サ■ー■ベ■ル■で■額■と■膣■を■割■ら■れ■た■モ■コ■
10/11/21 19:22:32 U9z5yP/Z
性犯罪被害者には ゼッタイ、妥協しないし、したくない!*
性犯罪被害者には ゼッタイ、妥協しないし、したくない!*
性犯罪被害者のアンチモコ派には 負けたくないし、負けてない!!☆
アンチモコ派には ゼッタイ、死んでも 負けませんよ!*
モコ派を支持してくださる皆様!
いつも ほんとうに いつも ありがとうございます!☆
モコは 心のそこから感謝します*
イケメンチンポは 飢えた女どもの共有財産!*
バリケード封鎖して イケメンチンポを守れ!☆
モコは ケツの穴にアナルビーズを入れ始めた *  *
どんなに たくさんのアナルビーズを入れても モコは耐えた   *
これには アンチモコ派も 驚いた  *   *    *
これからも モコとともに 夢を見ながら 汗かき べそかき くそ出し 歩こうよ☆
モコがウンコをつけた あとにゃ きれいな花が咲くでしょう*
しあわせの扉は モコの肛門のように せまいんだヨ☆
だから しゃがんで クソ出しながら 通るのね*
モコはイケメンチンポをにぎってる!*
モコが死んで 喜ぶヤツらに モコのイケメンチンポを手渡すな!☆
イケメンチンポを手放すな!* いっちゃってイイですかぁ~!? ☆
イッちゃうぞ、このヤロウ~!*
いない いない バァ~!* いない いない バァ~ちゃん!*
いらない いらない モコ!* いて欲しい いて欲しい~ モコ!☆
モコがウンコブーブーをパンクさせたという話も 当然、真っ赤な大ウソだ*
鋭く追及されると、アンチモコ派は「完全な誤り」と認めた。
「訂正とお詫び」を掲載して「勉強になりました」とハッキリと非を認めたんだ☆
だいたい、ちょっとでも自分の眼で確かめたら、
すぐに「作り話」だと分かるはずだ*
アンチモコ派の作り話で具体的な事実が出てきたためしなんか、
ただの一度もないじゃないか(大笑い)☆

277:275
10/11/23 10:43:52 wulSHjqE
初心者が接心するという話に水をさすようなことを言ったようで気になりましたが、
反対するのではまったくなく、接心とはかなり大変なことなので、指導者と相談のうえで
慎重にやってほしいという意味で書きました。
食事制限、睡眠制限はもちろん、それ以外の時間の大半を座禅という毎日を
七日間つづけるわけですから、
それなりの覚悟がなければならないことはいうまでもありません。

278:神も仏も名無しさん
10/11/23 22:53:25 9UVog72q
接心って本職の禅僧でも結構きついんじゃないの?
15分座るのがやっとな俺としては気の遠くなる話だな。

279:神も仏も名無しさん
10/11/23 23:19:22 2cz5IZXr
接心て大変なことなのか? そんな感覚はなかった。
確かに修行だから旅行に行く気分ではいけないかもしれないが、実際には
旅行よりははるかにリフレッシュできる。
ただ永平寺とかだとかなり厳しいのかもしれないな。といっても重労働を
するわけじゃないし、座るだけだからそんなにたいしたことはないとおもう。


280:神も仏も名無しさん
10/11/23 23:30:23 9UVog72q
普通に大変でしょう。つうか俺の場合
まず結跏趺坐できるようになるのが先だな。
でもやり遂げたら何かが変われそうな気はする。

281:神も仏も名無しさん
10/11/24 05:13:29 o0os0F62
「ボケ、カスアホ」と言われ理不尽な要求の納期に追われて、大手の下請けなんて
そういうものだから、現実の仕事の方がはるかに苛酷で、接心は正直休養だよ。
 自分の職業はエンジニア兼太鼓持ちだったが、最近は太鼓持ちの方が洗練されてきて
太鼓持ち兼エンジニアだよ。そんなベテランの太鼓持ちでも昨日は卑劣な担当を
コンクリートにくくりつけて沈めてやりたい気持ちになった。
 戦争がはじまったらドサクサにまぎれてあのビルにロケット弾でもぶち込んでやりたい。
とまだまだ修行がたりない。W
 坐禅を初めて精神的にかなり成長したと思うのだが、それに付け込むように現実は
ますます苛酷になっていく。試練が与えられているのだと思うようにしている。


282:神も仏も名無しさん
10/11/24 08:29:48 3w3lzrJa
>>279
参考までに、どんなスケジュールで行われたのか詳細をかいてもらえると、
よく知らない人にとっても身近なものになるのではないでしょうか。
接心というと、しり込みしてしまう人も多いでしょうから

283:神も仏も名無しさん
10/11/25 22:53:52 K8ENvqsZ
曹洞宗の接心だったら大体どこも同じですよ。
AM4:00-PM10:00 でその間40分の坐禅を10回程度します。
食事は朝はお粥1ぱい+たくあん2切れ。昼はご飯一杯+おかず2つ3つ。
夜はまたお粥+おかず1品?。
接心の期間は一切喋ってはいけない。寝言もいびきも禁止。
 そんな感じです。

284:神も仏も名無しさん
10/11/25 22:57:06 Sk190O+d
寝言やイビキをやると、警策(きょうさく)でたたかれます

285:神も仏も名無しさん
10/11/25 23:45:01 K8ENvqsZ
冗談に反応すんなよ。W
小食と、喋らないというのは非常にいいよ。坐禅もいいけど、坐禅だけじゃなくて
食事の作法なんかもそうだけど、接心が醸し出す雰囲気というのが非常にいい。

286:神も仏も名無しさん
10/11/26 08:32:49 D/1+I9dl
当然携帯とか本とかの私物や外出などの自由行動も制約されるのだろうね。
大変だとは思うけど、たしかに完走したら、それなりの収穫がないわけはないね

287:神も仏も名無しさん
10/11/29 18:05:43 J+TQw0Du
>>246
>>247
>>281
同一人物かな。ストレスで感情が激化してるようです。
坐禅の仕方に問題あるかもしれません。



何やら坐禅を妄想や感情や浮かんだ念を無理矢理に意志で叩き斬ろうとする
向きがありますが、それはよくありません。単なる抑圧になって後で暴発かもです。
雑念や感情を抑えつけるように坐るのは間違いです。

もちろん座中に念が起こりますが、
問題としては、自己は自己なのに、
念が起こっている自己とそれを観察している自己の二つになっていることです。
誰でも座ればいろいろなことが起きるのでそれを見ることができます。
それで坐禅の効果がまったく現れない場合というのは、
見ている方が、念が生じている方を意志的に支配しようとする坐禅です。
そうではなく、見ている方(観察している方)が自我でありボスですので、
念・感情が生じている方は放置するのです。

座中に、この自己の、雑念やら感情を何とかしようとするのではなく、
何とかしようとしている自己(自我)を餓死させることが坐禅であります。

そう言うと、御者がいない馬車が暴走すると危惧するかもしれませんが、
自己内部の葛藤やら矛盾というのは、ほぼこの自己の内部対立で起こることです。
むしろその対立が沸点を超えてハチャメチャになってしまうことの方が問題なのです。

288:神も仏も名無しさん
10/11/29 18:31:22 J+TQw0Du

つまり喜怒哀楽の例で言えばですがね、
「喜びが喜びであるとき、喜びはありません。」
「怒りが怒りであるとき、怒りはありません。」
「悲しみが悲しみであるとき、悲しみはありません。」
「喜びが喜びであるとき、喜びはありません。」

ある特定の感情が強く発生する場合、
その反対の感情が同時に相対的に生じているということです。
障害があった方が恋は燃える、とかと同じかもしれん。
で、反対の感情を生じさせて困らせているのが、自我という偉そうな審議委員長なのです。
「それってどうなの?」といつも反対の感情やら見解を提示して意義を唱えてきます。

自分の大好きな趣味に熱中していると、自我は登場しません。
反対しようにも100%没入してますから手が出せません。
そういうときは記憶に残らないほど熱中しており、子供であるほどその度合いは強いです。
大人になって分別がついてくると厄介なことになり、自我が大威張りで娑婆が刑務所状態です。

自我が強い人というのは、自分の自己認識とは関係なく、
いい人だろうが嫌な奴だろうが、善人だろうが悪人だろうが、
他人にイヤな「感じ」をもたらすものです。

どうか「ボケ、カスアホ」と言われても、英語を全く知らない人が
「Fuck you ! Ass hole! shit!」と言われてトンチンカンなくらい観念を落としてください。


289:神も仏も名無しさん
10/11/29 21:17:26 L8E63qca
>>287,>>288
ありがとうございます。
自我の餓死ですか。
非常に分りやすかったです。


290:神も仏も名無しさん
10/11/30 08:44:33 w8poLZfL
 ジルボルトテイラーの奇跡の脳なんかを読むと、ニルバーナというのは
右脳の特殊な発達だろうと思うが、これとバランスするように自我の発達
も必要なのではあるまいか? 餓死はまずいように思う。


291:神も仏も名無しさん
10/11/30 10:19:54 xmv4unpe
餓死ってのは文字通り消えて消滅だから。それはいいすぎなのかな。
放置、無視、解放、というほうが287さんの真意にも近いのではないかと勝手に推測します。
空海のように生き仏にでもなるつもりならともかく、人間は社会的動物である以上
ニルバーナにひたっているだけでいるわけにもいかない。
そこがむずかしいところでもありますね。
道元のような人ですら最晩年に北条氏による鎌倉幕府とのことで心労を重ねた。
290さんのバランスという言葉は大事なことだと感じます。

292:神も仏も名無しさん
10/12/01 11:13:55 c4KKex5L
「もし永田鉄山ありせば太平洋戦争は起きなかった」、「永田が生きていれば東條が出てくることもなかっただろう」

相沢三郎は剣道四段で、少尉時代には仙台の輪王寺に下宿して、無外禅師の教えを受け、三年間禅生活を送った。
質素にして、常に綿服をまとい、一見古武士の風格があり、上官には恭敬をもって仕え、部下には
慈愛をもって臨み、至誠至忠、その言行は模範的であった。
他人に対しては丁重、慇懃であり、皇室や国歌に関すること以外は、人と論争したことがなかった。
然諾を重んじ、偽りをいったり駆け引きをしたりはしなかった。

 しかし時代を読む目がなく、永田鉄山を暗殺するに至った。


293:神も仏も名無しさん
10/12/04 11:38:54 FGzBJJMD
 ある特殊な集団に関ることで、異常心理(彼らからすると我々の世界が異常なのだが)
の現象をたくさん見てきた。覚醒すると目が綺麗になり本当に生き生きとする。しかし
現実認識にはそれなりの教養が必要だ。同じ覚醒をしても、あまり教養のない人と
バランスよく教養を身に着けた人とでは安定感が違う。あまり教養のない人の覚醒は
ただ単に子供返りしたような印象を受ける。
 

294:神も仏も名無しさん
10/12/04 21:26:52 mu39El4H
覚醒とひとくちにいってもいろいろレベルがあると思う。
以前にもどこかで書いた気がするので重複したら申し訳ないが、
ある高く信頼できる禅僧の方が著作のなかでこんなことを書いていた。
「身心脱落ということを私がいったら、ある先輩がそれはいいすぎではないか、と」
つまり、このお二人は両者とも自分が覚醒というか、悟りというか、見性というか、
言い方はともかくとして、達すべきところへ達したと感じている。ところが、一方は
身心脱落という言葉が適切と感じ、また一方はそれは言いすぎだとかんじている。
内面のことだからそれがおなじものなのか誰にもわからない。
こういう例をみると、その人の素質や素養や情熱、積んできた努力、によって、覚醒なるものの内容は
おのずとかわってこざるをえないのではなかろうか。



295:神も仏も名無しさん
10/12/05 21:33:08 7ubTB56Z
 見性も、天地が引っくり返るような内面的大変革として起こる場合もあれば、ゆっくりと
進行し高いレベルに達する人もいる。禅僧には劇症的見性主義を否定する人もいる。
 「覚醒」は人によっても、修行の方法によっても異なると思う。とくに劇症型の覚醒
は体質もあると思うが、臨在系のように公案で徹底的に追い詰めて無理やり覚醒させた
ような場合に起こりやすいのではないだろうか?
 特殊なセミナーなどでは、何人もの人が一人の覚醒のパワーに釣られてドンドン覚醒
していく。しかしこういう覚醒は小悟であり冷めやすい。一週間もするともとに戻る。
坐禅によっておこる覚醒は本来静かに進行していくものだと思う。自分の場合も覚醒は
静かに進行している。ある本には7つの段階を経て涅槃に至ると書いてあったが、その
段階通りではない。数段飛ばして先の現象が現れてみたりまた元に戻ってみたりする。
ゆきつ戻りつ進歩していくようだ。


296:神も仏も名無しさん
10/12/07 01:05:02 M9DAQ2tG
 「ゴエンカ氏のヴィパッサナー瞑想入門」はいい本だね。この本の教えなら
段階的に凡人でも解脱できそうな気がする。坐禅を半年ほどやってきて実感
としてもよくわかる。
 いままでImThatとかを読むのが好きで、素晴らしいとは思うのだが、修行
の具体性に関しては殆どわからなかった。


297:神も仏も名無しさん
10/12/07 22:52:54 AJLPqfdJ
セミナーのようなものに参加したことがないのでよく知らないけど、
卒業式で誰かが泣くと連鎖反応的に他の人ももらい泣きするような現象なのかな
座禅というのは心理的な変化とはちがって、もっと生態的な神経や皮質などの発達
のようなものだから、芸事の進化と同じように、ゆるやかな進化が自然なのでしょうね

298:神も仏も名無しさん
10/12/09 13:09:37 Ly/EP0KD
>セミナーのようなものに参加したことがないのでよく知らないけど、
>卒業式で誰かが泣くと連鎖反応的に他の人ももらい泣きするような現象なのかな

 心理学的な手法を使った洗脳プログラムのようなものがあります。
かなり強力で一週間程度外部との接触を遮断して教育すれば、だれでも完全に洗脳されます。
共産圏では応用されて、捕虜になった兵隊が洗脳、赤化されて共産主義者になると
いうのは有名です。
 作文を書かせるだけのような非常に単純なものでも、強力に洗脳することができます。
特に優秀な人ほど洗脳に嵌りやすい。みるみる人格が変わって聖人のようになります。
 一週間程度の洗脳であれば娑婆にでて、汚れた世界を一週間も経験すればまた元に
もどります。ただ宗教などで応用されると定期的にリフレッシュしますので、洗脳から
は抜けることはできません。
 自分も洗脳の経験があり、危険なカルトというほどの団体ではなかったですが、数年
関わっただけですが、団体をやめてからも、影響を抜けるのにかなり時間(数年)が
かかりました。ただこの経験は当時も今も非常によかったと思っています。


299:神も仏も名無しさん
10/12/11 22:59:36 /ylfwE9Y
洗脳というのは、ひらたくいうと、「他者によって自我を支配される」ということになるのかな。
催眠術とか、宗教等の洗脳とかも、そういうふうに言えるのだとすると、
禅というものは、「自分自身によって自我を支配する」というふうにもいえるかもしれない。
そうなると、自我を支配する「自分自身」とは何だろうか。

300:神も仏も名無しさん
10/12/11 23:39:48 //+RrWyL
丹田呼吸って集中力が続かないんだけど
禅僧は本当にあれを40分も続けているのですか?
呼吸法やってても途中で胡散霧散してしまう。

301:神も仏も名無しさん
10/12/12 02:09:49 GAADFG9X
ただ単に慣れじゃないの?
じぶんは意識の集中力は切れてても呼吸は別に変わらず続けられるよ。
あと腹筋や吐く力が足りないとか。
日常で吐き切る深呼吸を取り入れてみれば。

302:神も仏も名無しさん
10/12/12 10:14:11 qPgn9SSi
前にも言ってた人がいるけど、禅と丹田呼吸を同一視しないほうがいいと思うよ
丹田呼吸は、頭にのぼった気を下半身へおろし、イライラや神経過敏をやわらげ、
酸素を多くとりいれることによる身体機能の浄化、というものかな。
自分は寝られない夜にこれやるといつのまにか眠ってしまうw
そして座禅は、従来つかっていた意識というか脳の部分を停止させて、
いままで使わずに死んでいた別の脳の部分をたちあげる行為。
まったく別物といっていいと思う。

303:神も仏も名無しさん
10/12/12 11:02:53 1MctLE9S
>禅というものは、「自分自身によって自我を支配する」というふうにもいえるかもしれない。
>そうなると、自我を支配する「自分自身」とは何だろうか。

 それが解るには逆説的になりますが、自分自身を他者に支配させてみることです。
アニミズムの手法では憑き物に取りつかれることで、自分の源泉に触れます。
禅は実は本質的には他力なのです。


304:神も仏も名無しさん
10/12/12 12:13:50 HcuIFZ54
寝たいときに寝て、歩きたいときに歩いて、腹減ったときにめしを食うのが禅じゃないの?

305:神も仏も名無しさん
10/12/12 13:33:37 7IqEDFAl
>>301-302
ありがとう。やはり慣れも大きそうだね。
あと呼吸にそこまで拘り過ぎなくてもよいと言うことかな。
良い意味で地道に適当に訓練を続けてみます。

306:神も仏も名無しさん
10/12/13 09:01:00 W0hJtcSq
>>303
面白いお話ありがとう。
自力と他力というふうに考えると二元論な話になるけれど、
「他力」というのは、言い方をかえると「自他の境なし」の方向というか
「一元論」の方向というのは言いすぎでしょうか

307:神も仏も名無しさん
10/12/13 16:54:44 OetiWG9U

 個人なら別々ですが、人類の次元なら一体ですから、源泉に深く頭を突っ込めば
当然、自他一体ですね。坐禅が関与するあたりがどのあたりなのかですね。
 宗教的原理として、完全受動状態(神に委ねる)になれば、なにか恐ろしく
強力な力が発動するというのはよく知られていますね。坐禅もそのあたりを
覗こうとすると必然的に自分を捨てる必要が出てきます。
 能力開発というレベルではそこまでは必要はないでしょう。
私が思うのは、非常に深いところまで行こうとするのなら、純粋に坐禅で覗くこと
ができるのか、それとも宗教的手法に依るのがいいのかです。悟りを誘発している
老師の場合は、概ね最終的なところは宗教がかっていますね。そこの部分は非常に
難解に見えます。 小乗系では技術だけで乗り切ろうとするのでわかりやすい。


308:神も仏も名無しさん
10/12/13 17:14:50 OetiWG9U
 飯田トウインやギエン、原田雪渓などは同一の法系で多くの見性者を出していますが、悟り
の最後の詰めのところが「坐禅が坐禅する」というような、不可解な表現になっています。
ここばかりを先走って強調するのは個人的にはあまり気に入らないのですが、たぶん最後は
そこがカギになっているのでしょう。志の高い修行者の場合そこに行くのは容易で、そこを
ぶち抜くことだけが問題で、そのためその部分だけが強調される。

 我々の場合はそれ以前の到達もままならないので、こんな不可解なものに振り回されない方が
よいと思います。その直前までは、小乗系の技術による坐禅を淡々と実践するのが近道だと
思います。 


309:神も仏も名無しさん
10/12/16 14:42:48 +mo8roD2
>>307
>それとも宗教的手法に依るのがいいのかです

宗教的手法というのは、形而上的な、一種の客観性のない信仰みたいなものかな

310:神も仏も名無しさん
10/12/19 10:21:55 inBMYrIh
みんなは『なぜ』悟りを得たいの?

311:神も仏も名無しさん
10/12/19 10:24:47 inBMYrIh
誤爆

312:神も仏も名無しさん
10/12/20 00:20:59 +hi4lxU1
今の自分がいやだから

313:神も仏も名無しさん
10/12/21 11:23:07 E+L89hTX
他力って言葉個人的に好きではない。
しょせん他力に依存して自己願望をかなえようって発想でしょ
そこには、どうしてもエゴイズムというか、楽して得るというニュアンスがぬぐえない。
まぁ、なにやってもうまくいかない、努力しても苦労しても報われない、
そういう人にとっては救われる思想かもしれないが、それの目的が自己願望達成である
範囲にすぎないなら、あんまりほめられたものではない。
むしろ「おのれを捨てる」というのが「他力」の真のありようだというほうが理解しやすい

314:神も仏も名無しさん
10/12/22 00:50:37 ragrROAd
百姓は自然の力がなければ作物を作れんぞ。

315:神も仏も名無しさん
10/12/22 21:46:28 WJWiPdVF
人は自分の力だけでは生きられず、いろいろな人や環境の支えがあってこそ
生きられるんだ、ってことを言いたいのかな?
そりゃ電気や水や道路にしても、公共というものがなければまともに生きては
いけないのが人間だが、そんな小学生でも知ってるようなことをいまさら言ってところで
何になるのだろう。
たとえば、そのことが「生老病死」という苦に対して、どんな解決になるというのだろうか。

316:神も仏も名無しさん
10/12/22 23:15:38 Cf/TsxCo
解決?そんなものはどこにも無いだろう

317:神も仏も名無しさん
10/12/22 23:24:32 ragrROAd
生老病死の解決になどならんよ。
そもそも、なぜいきなりそこへ話が飛躍するのかが不思議だ。
生老病死という苦の解決?何を言ってるのか分からんな。
苦を理解し、苦と共に生きることが人間本来の在りようだろう。
それとも悟りでも開いて高次のステージとやらにでも到達する気か?

318:神も仏も名無しさん
10/12/23 00:05:25 37uCFrd6
生老病死の自己内の「当たり前化」だろ

319:神も仏も名無しさん
10/12/23 08:04:50 RMMI2qcn
自分は、生老病死の解決とか救いといったものは、あると考える。
それは「自我の解放」「おのれを捨てる」ことではなかろうか。
自分なんてものにこだわりがなければ、貧しかろうが年とろうが病気しようが
死のうが、なんのことはない。勝手にしろだ。
だから、他力の話をするときに、まず自力ありきでそのうえで他力にゆだねる
という二元論的発想では、しょせん自我の苦しいしがらみからは逃れることはできない。
そんな他力など、屁のつっぱりにもならない。

320:神も仏も名無しさん
10/12/23 08:21:29 RMMI2qcn
>>317
>苦を理解し、苦と共に生きることが人間本来の在りようだろう。

そういう話をしたいならメンヘラ板かPKO活動でもするほうがいいよ
禅とはなんの関係もない

321:神も仏も名無しさん
10/12/23 08:38:56 9a0M/ZFi
禅って定印みたいな印を組むよな。
今まで何のためにやるのか疑問だったんだが、実は結構
重要なんじゃないかと思えてきた。印を結び続けると、
僅かではあるが一定の意識的緊張を強いられるわけで、
それをすることで注意力や脳のリソースを一点に集中させ、
意識が散逸して雑念が起こるのを防止する機能を
果たしているのではないだろうか。

それを考えると、印も意外に侮れない。
今まで手は適当にしてることもしばしばあったが
やはり法界定印はきちんと結ぼうと思う。

322:神も仏も名無しさん
10/12/23 09:30:26 I4xBDfsc
テレビで座禅は「集中」と力説していたがみんな実際みんなこんな感じでやってるの?
俺の場合は呼吸にだけ気をつけて意識はただボケーっとしてる
そのほうがリラックスできるし、座禅が集中だったら疲れるだけだろうなと思うんだが

323:神も仏も名無しさん
10/12/23 12:13:34 U/onXDQf
歳をとると絶対他力の奥深さに気がつく
と五木寛之がいってたが
俺の身にも沁みます

324:神も仏も名無しさん
10/12/23 13:42:27 aXKmUMr0
 >テレビで座禅は「集中」と力説していたがみんな実際みんなこんな感じでやってるの?
>俺の場合は呼吸にだけ気をつけて意識はただボケーっとしてる

 日常会話でつかう集中とは違うとおもう。集中は「静まること」と同じ。
だから気持ちを一点に集中するんじゃない。
でもボケーッとというのは語感が違うな。体が無くなって空気のように軽くなる。
そしてどもまでも静かになっていく。でも音が聞こえてくる。その音が震えるところが
体なのだが、もはや体は無いから、音だけがある。そのことで、自分がそこにいるのが解る。


325:神も仏も名無しさん
10/12/23 14:01:00 aXKmUMr0
>苦を理解し、苦と共に生きることが人間本来の在りようだろう。

最近クリスチャンの本を読んでいて、「苦を神に贈り物としてささげる」と
いうような発想に出会った。
 これはいいなーと思ったよ。こういう発想をすると、苦がある種の喜びに変わる。
子供のころ、ナスのからし漬けとか苦手だったじゃない。でも大人になると、そういう
ものがおいしくなる。
 苦渋というのは複雑な味だが、それも美味しいものだと思う。


326:神も仏も名無しさん
10/12/23 15:09:23 9a0M/ZFi
>>322
集中というか、緊張と弛緩のバランスではないだろうか。
単にリラックスするだけなら寝るかヨガのジャバアーサナみたいな
姿勢をとればいいわけだが、坐禅は一定の心身の緊張状態を要求される。
警策でぶっ叩かれたりするのも、弛緩に傾きすぎているのを
適度にバランスを戻す役割もあるんだろう。
その絶妙な状態の中に禅の目指す境地があるのではないかと思う。

327:神も仏も名無しさん
10/12/23 20:06:05 qw7TNOJ+
>>320
>そういう話をしたいならメンヘラ板かPKO活動でもするほうがいいよ

この辺りに必死さが滲み出てるね。
まあ、自我の開放とかおのれを捨てるに拘って殺人事件とか起こさないようにな。
その前に精神病院に収容されることを願うよw

>>325
あんたがそう思うならそうなんだろうが、
いるんだかいないんだか分からん神に苦を捧げる気はないよ。
生老病死。あたりまえの事。それだけだ。
そこから生じる苦と向き合うには覚悟しかないんじゃないの。
なんだか、ここには苦を解決できるとかいうロマンチックな電波お花畑ちゃんがいるみたいだけどw

328:神も仏も名無しさん
10/12/23 20:12:28 37uCFrd6
まぁ随分と……な…

329:神も仏も名無しさん
10/12/25 07:38:03 6C/l2AUH
坐禅はじめたばっかりなんだけど、呼吸は鼻の音が気になるほど深くしたほうがいいのかな
それとも、眠る時みたいに浅く空気がほとんど揺れない長い呼吸のほうがいいの?

330:神も仏も名無しさん
10/12/25 10:16:59 j+Lq1C4Y
初心者は心を落ち着けるために呼吸に意識をむけたほうがいいとかはあるかもしれないけれど、
本質的に呼吸は、たとえば競泳で言えば準備体操みたいもので、禅の本質とはあまり関係ない。
曹洞宗の公式サイトでも自然にまかせる、とあるように。
URLリンク(www.sotozen-net.or.jp)

331:神も仏も名無しさん
10/12/25 10:43:15 TOSZx1SN
それは道元がそう言ったからだな
長すぎず、短すぎずだそうだ

332:神も仏も名無しさん
10/12/25 13:11:11 mEnoj7Ff
呼吸が重要でないというのは理解できんな。

空手だろうが弓道だろうが、およそ東洋系の技法は
徹底的に丹田呼吸とそのリズムに基づく身体運動を重視する。
それが呼吸法を全く意識しない西洋スポーツとの最大の違いだし、
元々これらの東洋系アートは全て禅で培われた技術を
基本に発展してきたものなので、アーキタイプである禅で
丹田呼吸が重視されないなんてありえないと思う。

第一、釈迦も呼吸法について説いてるし、
呼吸法だけを解説したお経とかもあるじゃん。

333:神も仏も名無しさん
10/12/25 13:28:26 j+Lq1C4Y
>>332
前にもいってた人もいるが、禅定とか瞑想が決まると、わかるひとにはわかるが
ほぼ微呼吸に近い状態になる。呼吸法というのは、そういう状態にいたるまでの
プロセスにすぎないという理解のほうがいいと思う

334:神も仏も名無しさん
10/12/25 16:05:12 +Jb/gg+g
 しかし呼吸なんて全然意識していないが、坐禅をすると呼吸がメロメロ
柔らかくなる。丹田呼吸法なんて教え方が完璧に間違ってるよ。
坐禅をしたらいい。坐禅をしたら、丹田呼吸だろうが頭頂呼吸だろうが
光の呼吸だろうが何でも自在だよ。
 ヨガからストレッチを抜き出した馬鹿と同じだな。わざわざ間違った
ことを教えている。



335:神も仏も名無しさん
10/12/25 17:02:30 zobCz29n
まあきっかけというか入口ってことだな

336:神も仏も名無しさん
10/12/25 18:26:34 +Jb/gg+g
「入口」で思うけど、丁寧に手取り足取り教える人と、金槌なのに大川へどぶんと
投げ込んで「泳いで帰ってこい」みたいな教え方をする人と、2種類ある。
どっちが早いかというと後の方だろうな。
 手取り足取り教えると、本当に重要なことを掴むのが遅れる。本質に気が付きにくい。

 マイケルジャクソンやアステアのダンスが飛びぬけてうまいのは、呼吸のような
身体の一面だけを抜き出したテクニックじゃない。
つまり、要素を集めて構成されたダンステクニックじゃない。
 身体性としての自由なダンスができるし、自在なダンスする身体を持っている。
それが決定的に違う。
 ムーンウオークを練習しても全然質的に違ったものになるし、そういう練習からは
彼らの域には到達できない。

 本質を掴んだ上で、丁寧な師にであうと、バランスよくメキメキ上達する。
自分で必死で掴んだものは深さにおいて全く違う。


337:神も仏も名無しさん
10/12/26 18:07:25 VYsTy72G
まぁ、座禅=丹田呼吸とかかんちがいしている師匠まがいな人もいるからね
いい師匠をえらぶにはどうすればいいのだろう

338:神も仏も名無しさん
10/12/27 17:03:12 O4U+Yd6M
まぁ、キリストを思いながら、瞑想するわけだが…

339:神も仏も名無しさん
10/12/27 20:56:38 ma3+MbHm
ティック・ナット・ハン
URLリンク(www.youtube.com)
URLリンク(www.youtube.com)
リトリート
URLリンク(www.youtube.com)

340:神も仏も名無しさん
10/12/30 20:32:56 g0EFCkPy
 師匠というのを全的に完成された人ととらえると、誤るかもしれない。
David Fontanaの心と体の瞑想術によれば、良い師は
「一つか二つの教義を堅持する人たちよりも、様々な経験を積んで受け入れる人たち
だった。」とある。
 自分も多くの良き師に巡り合えたと思うが、その多くは本を通してであって、直接
教えを受けた人は少ない。TVや写真に写る僅かな瞬間であっても、それは何かを教えて
いると思う。特に立ち居振る舞いは誤魔化しは聞かない。少しでも未熟な部分があれば
どこかに表れる。


341:神も仏も名無しさん
10/12/31 15:53:42 OudmPwr1
まぁ、それだけ本物は少ないということだね

342:神も仏も名無しさん
11/01/03 20:35:42 3D38OCC1
師匠が必要なのはセンスがないからだ
己で悟れ!


343:神も仏も名無しさん
11/01/04 10:31:20 R1qDIk8O
 師匠がなければ悟ることはできない。しかし、最良の師匠は自分自身である。


344:神も仏も名無しさん
11/01/06 14:09:09 4uh25pM1
今を捉えるなら
まず呼吸に目を向ける。
雑念は放っておく。
呼吸を見続けられるようになったら、
呼吸と同時に音を意識する。
二つを同時にできたら、眼に映っている色を意識する、
三つ同時にできたら、坐っているケツや全身の感覚を意識する。
四つできたら、自分の捉えられる限りのすべてを一辺に意識する。

それを四六時中続けていれば、
意識をし続けている自己が消えることが起こる。
そのとき自己はいない。
これで終わりじゃない。終わったと思って禅理論を構築などし始めたら振り出しに戻る。
準備運動が終わっただけである。

345:神も仏も名無しさん
11/01/07 22:22:34 iEQGJjk3
自分だけが大事
自分以外は全員クズだと思うようになった

346:神も仏も名無しさん
11/01/08 00:49:40 j+LGuJnb
>>344 名無し さん

> 今を捉えるなら まず呼吸に目を向ける。 雑念は放っておく。
> 呼吸を見続けられるようになったら、 呼吸と同時に音を意識する。
> 二つを同時にできたら、眼に映っている色を意識する、
> 三つ同時にできたら、坐っているケツや全身の感覚を意識する。
> 四つできたら、自分の捉えられる限りのすべてを一辺に意識する。

> それを四六時中続けていれば、意識をし続けている自己が消えることが起こる。 そのとき自己はいない。
> これで終わりじゃない。終わったと思って禅理論を構築などし始めたら振り出しに戻る。
> 準備運動が終わっただけである。

臨在か?

>自分の捉えられる限りのすべてを一辺に意識する。

これ、受け取った、ありがとう。

347:神も仏も名無しさん
11/01/08 00:52:44 mFPc8sYV
>二つを同時にできたら、眼に映っている色を意識する、

 これどういう意味? 「目に映るもの」じゃなくて「目に映る色」なの?



348:神も仏も名無しさん
11/01/08 02:02:11 5dgIWrfu
集中しよう、しよう、と思うのは、禅じゃないよ。

349:神も仏も名無しさん
11/01/09 07:57:21 Jd+qv4ma
白隠禅師の内観法で「両下肢を強く伸ばして踏み揃える」
とあるのですが、寝た状態で足を踏みそろえるというのが理解出来ません。
踏むとは地面を踏むという意味では無いのでしょうか?

350:神も仏も名無しさん
11/01/12 03:02:38 Ywnd4j0E
 その言葉のままできそうな気がするが、

351:神も仏も名無しさん
11/01/12 08:01:21 De8MJWY9
寝た状態でどうやって地面を踏むのですか?

352:神も仏も名無しさん
11/01/12 08:03:02 De8MJWY9
膝を立てるなんて事も無いようですし

353:神も仏も名無しさん
11/01/12 21:16:52 Gx/ZeaJ4
両足フレックスで揃える
じゃない?

354:神も仏も名無しさん
11/01/13 19:16:35 DM3/OYpo
慄然とする
ナンチャッテ

355:神も仏も名無しさん
11/01/13 20:29:49 lsOv31Ms
立禅とかけてたのか

356:神も仏も名無しさん
11/01/14 09:10:04 VzaAR7Be
結局誰も分らないの?

357:神も仏も名無しさん
11/01/14 21:07:23 LH86UBJA
 誰もわからんようなことは、どうでもいいことだよ。W

358:神も仏も名無しさん
11/01/15 16:10:03 5TkZUgUs
わからないんじゃあなくて
読めなかったんだろ
イイヨイイヨ無理しなくて

359:神も仏も名無しさん
11/01/15 23:51:40 MCXifPhz

白隠が仙人に伝授された「内観の法」
 仰臥して、丹田から両足にかけての範囲に意識を置くための4つの公案を静かに唱える

放下着(リラックス)のうえ、丹田呼吸を行っていると、身体の充実感が感じられ、
気分が落ち着き、安らかとなり、軽い催眠状態となる。

そこで次のような内観の言葉とともに観想〔心で見、深く思う〕を行う。
(1)自分の臍のまわりから、下半身はそのまま自分の心であり、
それは浄土(禅では心そのものをさしている)である。それはどんなに荘厳であろうか。

 (2) 自分の臍のまわりから、下半身は自分の身体の中にある阿弥陀仏である。
この阿弥陀仏はどのような法を説くのであろうか。

上記効果
 次第に身体全体の気が下腹部、腰、下肢、足の裏(「下半身」と呼称する)まで満ち渡り、
手足から身体全体へと温かくなってくる。
そして何ともいえぬいい気持になり、そのまま熟睡に入れる。


360:神も仏も名無しさん
11/01/16 09:01:22 cybjU/6k
意図的に「両下肢を強く伸ばして踏み揃える」
を省くのは何故?

361:神も仏も名無しさん
11/01/16 12:01:57 8II66MI2
 この「強く踏み揃へ」は、比喩だよ。 たとえば、寝た状態で土を踏むようなつもりで、つまり
力をいれるが力まない。リラックスするが、フニャフニャではない。そういうしっかりと意識を
おいた感じを表している。気功では「充実させる」という。
 でも現代人では武術などをやっていなと、この感覚は分からないかもしれない。簡単に理解しようと
すれば、いまなら水を被ったらいい。
 川に入ってみるか、冷たい水道水をザブッと被ってみる。5分ほど川に浸かって上がれば、気が充実
して体はポカポカになる。
 毎日水を被って、一ヶ月もやれば、臍下丹田に気を充実させるなんてのは簡単にできるようになる。
今はそういうトレーニングをする最高の時期だね。
 
 昔の人は生きるためには修羅場を何回もくぐりぬけているから、腹をくくるとか腹に力をいれるとか
そういう身体感覚はだれもが持っていた。現代でそれをやろうとすると、意図的に危険な状況に
踏み込むか、せめて水を被る程度のことはしないとだめだろうな。

 滝行をやるとすぐにお経を覚える。藁にもすがりたくなるというが、お経でも唱えないことには
寒すぎて、とても水に入れない。死なないとは分かっていても限界を超えて真剣になる。解るというのは
いろいろなわかり方があるもので、「ふんふん、わかった」とただ意味を理解したところで、あまり
意味がない。逆に意味の理解は間違っていてもいい。体験でとらえることができる。
と偉そうに言ってみたが、自分も初心者だ。坐禅も少し慣れてきて、ただ気持ちいいだけになっている。
これはいかんとおもって、滝業を始めた。


362:神も仏も名無しさん
11/01/16 12:26:31 cybjU/6k
>>361
まあこれでも読みなさいよ

URLリンク(www.asahi-net.or.jp)

363:神も仏も名無しさん
11/01/16 13:38:30 8II66MI2
おお、このおやじは誰だか知らない口の悪いおやじだが、水垢離の本質をとらえているな。
 しかし初心者の自分も、直感的にこれは理解していたなー。真言などしらんので
うろ覚えの般若心経を「ガーテーがーてー、ツメテー」と唱えていたが、
やっぱり体験というのはすごい。誰に教わることもなく自然に解る。
 しかしこうやって体系的に教えてもらうといっそうなるほどとよくわかる。

 思うに白隠さんもいいが、あれから何百年もたって、いろいろの情報も体験も蓄積され
かみ合わさって、進歩しているんだから、この口の悪いおやじがどれほどのおやじかは知
らんが直感的に正しいと思ったらこういうおやじから学んだ方が、絶対に合理的だと思う。
 もちろんすべてを鵜呑みにしてはダメだし、態度や口の悪いところや女癖のよくなさそう
なところは学ばない方がいい。


364:神も仏も名無しさん
11/01/16 13:42:24 cybjU/6k
そんなの個人の自由だろ
なんでそう上から目線なんだよ

365:神も仏も名無しさん
11/01/16 13:45:29 nzUzRaKJ
○○セミナーとかいくと
よくこの手の上から目線発言オヤジがいる

366:神も仏も名無しさん
11/01/16 21:05:08 2w+bLqZt
>>347
>>二つを同時にできたら、眼に映っている色を意識する、

>これどういう意味? 「目に映るもの」じゃなくて「目に映る色」なの?

眼に映るもの=色です。
仏教の六根と外境との対応は以下のようになっておりますので。

眼耳鼻舌身意
||||||
色声香味触法

眼で色を見、耳で音を聴き、鼻で香りを嗅ぎ、舌で味を感じたり声を出し
体で痛痒冷温等感じ、意で諸法である思考や思い、感情、気分を捉えます。
人間がしているのはこれだけです。

禅宗では六根(眼耳鼻舌身意)で捉えられない法(ダルマ)に
気づくことを見性と言っております。
見性は、自己は無自性なり、です。
自己は無自性なり、は見性ではない、です。
よって、表現不可能です。
外傷によらない後天的な精神の病と称されるもの、苦・無明・迷いは失せ、全快します。
禅の方法論も全て役に立たないと失望して、自分の部屋で一人で坐ってればいいだけです。

367:神も仏も名無しさん
11/01/17 10:37:34 kMQYKbCb
 普通に同時に全部できると思うが、訓練するほどのことなのかな?


368:神も仏も名無しさん
11/01/25 12:59:50 MGvR+Uu3
完全な絶望状態こそが禅である。
これこそ真の希望である。
一切の相対判断を超えた無量光なり。
一切処にあって普賢である。
万法帰一である。

369:神も仏も名無しさん
11/01/26 15:19:52 Vgv9X+ok
ケンちゃんの37年①/5
URLリンク(www.youtube.com)

ケンちゃんの37年②/5
URLリンク(www.youtube.com)

ケンちゃんの37年③/5
URLリンク(www.youtube.com)

ケンちゃんの37年 ④/5
URLリンク(www.youtube.com)

ケンちゃんの37年⑤/5
URLリンク(www.youtube.com)

370:神も仏も名無しさん
11/01/31 10:36:41 NeX1AQOH
















371:神も仏も名無しさん
11/02/04 09:04:51 18zejUOp
>>368
絶望って言葉のなかには、「希望が挫折」っていう感じで、
希望のカスが残っているイメージ。
何かを欲する主体である自己の作用が弱まることが大事というなら、
絶望よりも無望という言葉のほうがしっくりくる

372:神も仏も名無しさん
11/02/04 09:47:22 1Hd3EOnV
それも望み有りきだろw

373:神も仏も名無しさん
11/02/04 09:52:36 18zejUOp
無望という状態ってのはあるよ
たとえば寝ているときは、自己があいまいになるから、
自分のほっするところもあいまいになる。
自分が何をほっするかがあいまいになれば、絶望感や挫折感もあいまいにならざるをえない。
問題は希望をもつかどうかというよりは、自己をもつかどうかだ

374:神も仏も名無しさん
11/02/04 10:43:25 1Hd3EOnV
望みという漢字を使う以上、望み有りきと言ってるんだよw

375:神も仏も名無しさん
11/02/04 10:44:39 Zlviz036
なるようになるよ

376:神も仏も名無しさん
11/02/04 10:56:02 18zejUOp
>>374
あなたは理屈で考えすぎ
人は訓練によって心をそういう状態へもっていくことができるって話だよ
フィジカル的な話
けど、こればかりはわかる人はわかるが、わからない人はわからない
373に付け加えるなら、眠りのなかが比較的平安なのは自己が薄れて欲望が薄れるからだ。
そういう状態を意図的につくりだすのが座禅であり、それはたしかに可能だが、修行はいる。


377:神も仏も名無しさん
11/02/04 11:11:05 1Hd3EOnV
言葉に拘ってるのはどっちだよw
俺は絶望でも無望でもどうでも良いと言いたいだけw

378:神も仏も名無しさん
11/02/04 17:08:58 GDF4wv0W
何という地獄絵図

379:神も仏も名無しさん
11/02/05 08:25:37 oWdeizYE
議論はいいことだよ。それなくして良い考えもでてこない。
なんでもお手手つないで仲良くすればいいというものではない。

380:神も仏も名無しさん
11/02/05 13:36:14 sCzTvF6x
>>379
うむ、確かに独参なんかはガチンコ対決だしな。

最近の私の境涯は、自己の体の中が空洞で、体の外側に自己が充満してる感じだ。
誰かわかる人つっこんでください。

381:神も仏も名無しさん
11/02/05 13:37:27 W9C9wT3g
体の真ん中は実際に空洞だしね

382:神も仏も名無しさん
11/02/08 14:56:14 4qc9uEhw
希望をもたないっていうとなんか無味乾燥な禁欲的な暗い印象うけるけど、
酒や麻薬が気持ちいいっていうのも、睡眠時の平和のように、自己が薄れることによって欲望が薄れるからではないかな。
とするなら、希望をもたないというのは、とても気持ちのいいことなのではなかろうか

383:神も仏も名無しさん
11/02/08 15:11:04 nCGoRnc5
酒飲んだら我が膨れあがって欲望だらけに成る奴のが多いけどな
大体酒飲んで失敗する奴はそんなのばっかだろう

384:神も仏も名無しさん
11/02/08 15:22:12 4qc9uEhw
すると、酒というのは、自己はそのままで、自己抑制が崩壊して、
自己の中身が一挙に流れ出すという感じなのかな。
まぁ、酒でもワインと日本酒では酔い方がちがってたりするし、
麻薬の効果もそれぞれちがうから、ひとくくりには言えないね

385:神も仏も名無しさん
11/02/08 20:18:14 +Fu9FBhR
>>380
般若即非だね。
380という存在を構成しているものは380の外側の世界である。だから380が存在している。こんな感じ?

食べたり飲んだりで外側の物質を取り込み自分として、やがてはウンコしっこで自分以外になる。
思考もそんな感じで、「私の心」と思っているものも実は、過去の体験に因る情報のインプットと、それらの内的なエコーに過ぎない。
今こうした考えを書き込んでいることも、自分の意志であることは確かなんだけど、それらを成立せしめてるのは、
このスレや、過去にネットで得た知識の受け売りというか、因果関係の行為というか。。
─漏れはこんなことを考えてみた


386:神も仏も名無しさん
11/02/08 20:48:00 RCjld7Je
>>380
トンネルでしょ、それ。
トンネルって山とかの土のないところ。

387:神も仏も名無しさん
11/02/08 20:49:20 RCjld7Je
>>385
あ、いっしょだった。

388:神も仏も名無しさん
11/02/09 01:54:11 HoBYZiDQ
>380
それって体感だろ。おれも、最初の接心がおわった時、体が空洞になった。
からだの外側に自己が充満ってのは分からん。

>385
 それは言葉のウンコだろ。そういうものを含めて全部スッカラカンに
なったら空洞になるんじゃなかろうか?



389:神も仏も名無しさん
11/02/09 15:31:19 Dp7ZpbOH
iPhoneやandroid携帯のZEN Timerって知ってる?
指定間隔で鈴がチ~~~~ンって鳴るんだ

俺はいつもこれでカップラーメン作ってるよ

390:神も仏も名無しさん
11/02/09 18:03:18 2lfDd2CX
海外の人はスクワットや腕立てでもやる感覚で禅をとらえているのかな
でも意外とそれは正しいかもしれないね
日本人は禅問答みたいな理屈ばっかで、あんま中身がない

391:神も仏も名無しさん
11/02/09 18:22:54 iNea8FKe
>>390
リズム運動は精神安定に効果があるって言うしね

392:神も仏も名無しさん
11/02/09 21:13:38 UJwrOvGs
死神、疫病神、貧乏神のスレにスレタイ変えろwwwwwww

393:神も仏も名無しさん
11/02/10 04:15:17 6ZGVMwn9
坐禅

394:神も仏も名無しさん
11/02/10 07:42:58 2fguKK7W
>392
 すいません。少しレベルが低くなってきましたね。
↓から、もうすこしレベルを上げますから。WWW





395:神も仏も名無しさん
11/02/10 10:15:19 kUj2Dyur
>>389
そのアプリってこれのこと?
そういう使い方もできるのかw
URLリンク(www.youtube.com)

396:神も仏も名無しさん
11/02/10 10:30:37 w9A3k9LZ
40分くらい、なにもアプリでなくても、普通のタイマーでいいじゃん。
姿勢がくずれたら警策してくれるってならいいけど


397:神も仏も名無しさん
11/02/10 13:19:18 hXOp/y5Q
苦しいときは胸のあたりに意識を置いて坐禅すると
ほんわか落ち着く。

398:神も仏も名無しさん
11/02/10 14:17:21 w9A3k9LZ
自律神経はみぞおちあたりと丹田あたりに密集しているらしいから、
脳にたまった気をみぞおちや丹田へ落とすことで精神的に安らぐのは
理にかなっているだろうね

399:神も仏も名無しさん
11/02/10 21:17:58 T8k62vAr
和田あき子[金現子] 和田アキ子、
1949年4月10日、大阪市東成区生まれ。大阪府大阪市生野区鶴橋出身。
本名は金福子、通名は金海かねうみ福子。大阪の在日スラム地区のキムチ商人の娘。
父は金基淑(きんもとよし、金海基淑)、母は金海森子。3人の弟がいる。
父は韓国済州島、母は慶尚南道の出身。
大阪・鶴橋に移住。和田の実家は、大阪環状線に近い長屋の連なる一角。
父は料亭などを経営し、自宅では「金海道場」という柔道場を開いていた。
母は、鶴橋・国際市場で米屋を営んでいた。

芸能界デビュー時に、在日韓国人だとわかる名前をまずいと思った父親が、和田アキ子の叔父(叔父は当時既に帰化して「和田」姓だった)の養子にしてもらい、同時に名前も「現子」と改名して「和田現子」となった
[現在、彼女本人が日本に帰化している。
父は金基淑(きんもとよし、金海基淑)韓国済州島、母は金海森子慶尚南道の出身。3人の弟がいる。
大阪・鶴橋に移住。和田の実家は、大阪環状線に近い長屋の連なる一角。
父は料亭などを経営し、自宅では「金海道場」という柔道場を開いていた。
母は、鶴橋・国際市場で米屋を営んでいた。

【和田アキ子、週刊文春で「私は在日韓国人」とカミングアウト
週刊文春「実録 和田アキ子 『血と骨』のブルース」という和田へのインタビュー記事。
執筆は週刊文春記者の中村竜太郎。
以下、記事より抜粋。カッコ内は和田の発言。

●「私の中では、文春の取材を受けるのは、80パーセントは嬉しくて、あとの20パーセントはまだ不安なんですよ。
活字になったらどうなるんだろう。活字って冷たいじゃないですか」
●「『あれ、文春でも取材しないで書くんだ』と思ったら、冷めちゃった」元々文春の愛読者である和田。
2002年2月21日号の「驕るな和田アキ子! お前は実父も捨てた!」という、和田の叔父・和田忠浩の一方的な発言の記事に、不信感を抱いていた。
●和田が「自分は日本人じゃない」と気付いたのは中学生の頃。
なんでこんなにいじめられるんだろう、と思っていたが、区役所で「あ、違うんだ。みんなと」と驚いた。
しかも父には本妻、二号がいて、母は三号だった。

400:神も仏も名無しさん
11/02/11 08:22:36 dE8LeZBO
昨日フジのアンビリーバボーで、脳死患者が実は意識があったという話を
していたが、もしかしたら首からしたの自律神経や臓器に意識が宿るという
可能性はないのだろうか。禅では意識を下半身へということを言ったりするが、
そこでいう意識と普通の意味の意識はちがうのかな

401:絶対神
11/02/11 08:40:07 mVcdSN2H
>>400

    「アンビリバボーでやっている事は、嘘が多いよ」(心霊特集
なんかはもろに検証して暴露してるサイトもあるね)
調べれば判るけど、常識的に言って、「無い」と思える事は、大抵、
あり得ないから

「禅は、大昔の人が考えたものだから、当然、現代人から見れば、間違えて
 いる部分も多いというだけの事だと思うよ」

     『それと、丹田というのは「架空のもの」だから』


402:絶対神
11/02/11 08:47:23 mVcdSN2H
>>384
    「仏教的な観点から「現実」を捉えない方がいいでしょう」

     「仏教や禅理論は、「所詮、宗教の教義」ですから」

普通に、「酒を飲むと酒癖が悪いのが結構いて大変な事になる場合がある」
で良いのでは?

『煽りではなく、正直、なんでも禅理論でとらえようとする君の姿勢は、滑稽
 としか思われない』

「つまり、なんでもかんでも「宗教」と結びつけない方がいいと思いますが」


403:神も仏も名無しさん
11/02/11 10:42:10 dE8LeZBO
専門家でないからあれだが、理論的には足の裏の皮膚のDNAからもクローンをつくれるんだよね。
とすれば、人間のどの部分にもその人間全体を構成する情報が埋まっているということではないのかな。
脳以外に意識がないと断言してしまうのはなんとなく怖い気がしてしまう。
あなたのいうほど自分はなんでもかんでも宗教に結び付けて考えるわけではないんだが、
われわれにはわからないこともまだ多いという謙虚さも必要だと思う

404:神も仏も名無しさん
11/02/11 16:28:57 MjOAw39I
それはもっともだが内蔵に意識はないだろ常識的に考えて…

405:神も仏も名無しさん
11/02/11 16:34:20 /ozFJEn6
腹脳

406:神も仏も名無しさん
11/02/12 09:58:01 zoJP48Ta
臓器移植された患者が、
いままで見たこともない国の夢をみるようになって
奇妙にかんじていたところ、その臓器の元の持ち主が
その国の人だったとかいう話を聞いたことがある。

407:神も仏も名無しさん
11/02/12 10:26:50 TvQ0J8Hw
ネズミの実験だが、肥満ネズミの腸内物質をそっくりそのまま、痩せネズミに移転したところ、肥満になったらしい。

408:神も仏も名無しさん
11/02/12 10:55:04 zoJP48Ta
ニワトリに別のニワトリの脳を移植した実験もあったな。
したら、体は生きているのに脳を排撃したらしいね。
こまかいとこは忘れたけど、要は免疫系が他者の脳だと判定して、
非自己を排撃したということらしい。つまり、司令塔は脳ではなく、
免疫系のほうが脳よりも上位にあるという、結構驚くべき話だった。

409:神も仏も名無しさん
11/02/12 13:41:27 ht74qUSe
>>397
胸のあたりに意識を置くと落ち着くのは神経層とか集まってるじゃまいか
眉間の中央 胸の中央 臍下の丹田
東洋医学では、これらは有名なツボになっている
だから、落ち着きたいと思ったら、意識を手のひらに集中するとハリ治療と同じ原理で落ち着く
頭に血が上ったなと思ったら、足底の中央の湧泉のツボに意識をおく
すると上せが取れる
これを今やっても,効果ないと思うよ
何故なら、ツボへの集中ができないから いつもやっていれば、できる
禅での集中とかで 意識を集中した場所は血液が集まると共に気(プラナ)が集まる
後は、体の弱い場所に意識を向ければそこに血液が集まり直す
白隠禅師のなんその法と同じ原理な訳だ
つまらんカキコしてごめんよ 興味のない人はスルーしてねw




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