【悟りとは何か part2】at PSY
【悟りとは何か part2】 - 暇つぶし2ch2:神も仏も名無しさん
09/05/05 13:12:05 5vLcvMSl
×悟り
○焦り

3:神も仏も名無しさん
09/05/05 13:53:06 XLQB6j4q
宗教と信仰の違いについて
URLリンク(www.din.or.jp)

私は「信仰」という言葉と「宗教」という言葉を区別して使っています。
 信仰は神や仏など人間を越える存在を信じ、敬い恐れる心。その前で他の人とともに幸せでありたいと願う心だと考えます。
 宗教はそれらの考え方を持った人の集まり、組織だと考えます。
ところが、宗教活動は時として本来の信仰する心とは矛盾する行動を取ってしまいます。
指導者の考えや言葉を神や仏のものとして扱い、多くの場合排他的になります。
「人々を救済するためにはこの宗教を広めることこそが唯一の方法である」として。
 人間の幸せの為に始められた当初の目的が、その団体の勢力拡大が第一の目的になってしまいます。
 宗教活動に熱中する人の中には、その団体内での地位や名誉を得ることに快感を覚える人が存在します。
この人達は他の団体との争いに情熱を燃やし、その過程において、人を陥れたり、憎んだり、殺したりすることすらあります。
他の人を不幸にする行動を取ります。
 これは信仰する心とは相反するものです。
  信仰が深いことと、宗教活動に熱中することは必ずしも同じではないのです。
 宗教のこのような面の存在を多くの人が認識する事によって、宗教がこのような方向に進むことを防いでいく事が必要だと思います。
 そして、これと同じ事が政治団体や市民団体などの組織にも言えます。
 団体を結成した当初は社会を良くするという崇高な理想を掲げているのに、いつかその団体を存続させることが目的になってしまい、当初の目的とは相反する行動を取ってしまうのです。
 人間は団体を作ることで個人では出来ない大きな力を発揮しますが、大きな過ちをも犯します。
 団体が間違った方向に進まないためには、その中で一人一人が自分の考えをしっかり持つ必要があります。
人間の持つ素朴な価値観を保ち、おかしいと思うことを上のものや周りの人がしようとしたとき、それをおかしいと指摘する勇気が必要です。
 そのためには長いものに巻かれない、強いもののいいなりにならない個人の強さが大切だと思います。

4:神も仏も名無しさん
09/05/05 14:36:43 pTKoNUfn
悟り= 迷信 自惚れ 勘違い 精神病

5:神も仏も名無しさん
09/05/05 14:39:02 cpnoF2jr
久々に見たけど、まだpart2なのか。
もっと進んでいるかと思った。

6:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/05 17:48:09 QV0QrjQF BE:2735866188-PLT(13230)
仮想現実が見えてきた・・・^^

7:無私読後(無師独悟) ◆l3gPeppers
09/05/05 19:28:59 c7S1ra8c
>>6

1000取り! おめでとう!(*´∀`)o∠☆゚+。*゚PAN!!★゚+。*゚!

8:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/05 19:31:13 QV0QrjQF BE:2693118097-PLT(13230)
 ___
/ || ̄ ̄|| ∧_∧
|.....||__|| (     )  1000取り! おめでとう!
| ̄ ̄\三⊂/ ̄ ̄ ̄/
|    | ( ./     /
 ___
/ || ̄ ̄|| ∧_∧
|.....||__|| ( ^ω^ )  おいら1000とったおぉ~^^!
| ̄ ̄\三⊂/ ̄ ̄ ̄/
|    | ( ./     /

9:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/05 19:37:04 QV0QrjQF BE:1196942047-PLT(13230)
おいら・・・?
自我・・・
まだ悟ってなかったお^^

10:無私読後(無師独悟) ◆l3gPeppers
09/05/05 20:45:13 c7S1ra8c
>>9

妙に素直になれないのが、我

11:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/05 20:54:55 QV0QrjQF BE:1709916858-PLT(13230)
「(自分自身は)常に変化している、だから変化しない本質などはない」
「すべての存在が無我である」

よって・・・
対象への執着心がうすれて、苦からのがれることができる・・・

勉強しなおしたお^^

12:無私読後(無師独悟) ◆l3gPeppers
09/05/05 21:06:15 c7S1ra8c
>>11
> 「(自分自身は)常に変化している、だから変化しない本質などはない」 「すべての存在が無我である」 よって・・・ 対象への執着心がうすれて、苦からのがれることができる・・・ 勉強しなおしたお^^


少欲知足(しょうよくちそく)と、仏教は、言うよ。

ほんのちょっぴりの欲は、生きてるのだから、有るよ、でも、これで良いと足りると言うことを知っていること、と言う。

カチンコチンの原則主義や、禁欲主義と、仏教は、無縁だね。

13:無私読後(無師独悟) ◆l3gPeppers
09/05/05 21:09:50 c7S1ra8c
>>11
レレレのレー

おでかけですかぁ~

14:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/05 21:30:41 QV0QrjQF BE:2735866188-PLT(13230)
ほかのスレで遊んでたお^^
マトリックス見てるけど・・・
仏教の世界だおお^^

15:神も仏も名無しさん
09/05/05 21:41:01 pTKoNUfn
マトリックスをシリーズ全部観れば、仏教とは全然関係無いと思うんだけど…

16:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/05 21:41:33 QV0QrjQF BE:2094647677-PLT(13230)
「少」欲知足とは、仏教の祖であられる釈尊が最後に説かれた遺教経の根幹であ
る「八大人覚」に説かれている御文です。
最高最大の幸福であり涅槃に入る為の八つの仏則のことです。八つの仏則とは、
少欲、知足、寂静を楽しむ。勤めて精進する。
不妄念、禅定を修す、智慧を修む、不戯論のことです。

はじめて知ったお^^
勉強になったお^^


17:神も仏も名無しさん
09/05/05 21:42:56 1mF2teOg
マトリックスはウィリアム・ギブスンから日本のアニメまで様々なものに影響を受けた上で、特にジャン・ボードリヤールの哲学を基調としたとウォシャウスキー兄弟は語っている。
実際、後述するMATRIXという語自体が、ボードリヤールの著書『シミュラークルとシミュレーション』の中に掲げられており、これが出所となったという見方もある。
映画ではハードカバーのボードリヤールの本が映るシーンも見られる。2作目からボードリヤール本人をアドバイザーに迎える計画があったが、断られたという。

ウォシャウスキー兄弟曰く脚本の大部分はレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンの「Wake Up」を聴きながら書き上げた。
映画でもエンディング・テーマであり、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンというバンド名やその活動自体がまさにマトリックスの世界そのものとされている。

18:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/05 21:44:30 QV0QrjQF BE:641218853-PLT(13230)
>>15
今全巻みてるお^^
関係ないといえば関係ないお^^
作家がね・・・
仏教の本読んでるとおもうだけだお^^

19:神も仏も名無しさん
09/05/05 21:50:17 1mF2teOg
本作が影響を受けた作品

『ニューロマンサー』(1984年出版のウィリアム・ギブスンの小説)
当初、監督のウォシャウスキー兄弟は『ニューロマンサー』の映画化を目指したがスポンサーが付かず、企画が変更された。
共通点は、「マトリックス」というサイバースペース、AI(人工知能)が自我を持つ、聖域の「ザイオン」、
人体にプラグを埋め込んでサイバースペースへ移動などである。
なお、下記の攻殻機動隊も、ニューロマンサーの影響を受けたとされる。

『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』(1995年の劇場用アニメ映画)
『アニマトリックス』の中で、製作のジョエル・シルバー自身が、
「監督のウォシャウスキー兄弟に『攻殻機動隊』を見せて、俳優による実写版で映像化したいと言った」と明言しているように、このアニメ作品からインスパイアされたことは広く知られている。
共通点は、オープニングの黒い画面にグリーンの文字が流れる通称「マトリックスコード」、後頭部にプラグを差す、ビルの屋上に着地した際に地面のコンクリートがめくり上がる、
ロビーでの銃撃戦で柱が粉砕される、市場での銃撃シーンでスイカが被弾して割れる、全裸で水溶液に漬かる人間などである。
この他にも日本のアニメ特有のカット割りなどを多用している。

ジョン・ウー(映画監督)
サングラスと黒いロングコートに二挺拳銃というスタイル。スローモーションを多用した銃撃戦。銃を複数用意し、弾が切れた銃は再装填せずに捨てて次の銃を取り出す、
銃撃でコンクリートの壁が崩れる等の描写は、ウー監督が得意とするガンアクションの演出と酷似している。

ブルース・リー(映画俳優)
カンフーアクションの際の手足の動きや顔の表情などにリーの影響がある。
「考えるな。感じるんだ」というセリフに至っては、リーの代表作『燃えよドラゴン』から丸ごと引用されている。

20:神も仏も名無しさん
09/05/05 22:01:41 1mF2teOg
仏教がモチーフの作品といえば
手塚治虫の「火の鳥 鳳凰編」と「ブッタ」がガチ。
荻野真の「孔雀王」も悪くないが、マンガの神さま手塚にはちょっと敵わない。

21:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/05 22:02:28 QV0QrjQF BE:512975243-PLT(13230)
チャットで行われたウォシャウスキー兄弟へのインタビューの中で、あるファン
が訊ねている。「あなた達の映 画には、様々な神話や哲学への結びつきがある
。私が気付いただけでも、ユダヤ教やキリスト教、エジプト神 話、アーサー王伝
説、プラトン哲学などです。そのどこまでが意図的なものだったのですか?」そ
れに対する 彼らの答えは「その全て」ということだった。他のインタビューで
は仏教、数学、量子物理学についても触れて いる。また彼らは、様々な名前
や数字、それらがどれも注意深く選ばれたものであり、どれも複数の意味を持
っていることを述べている )。そして『マトリックス』を論じた文化批評
家のジジェクは、この作品が哲学者・思 想家のロールシャッハテストのような
ものではないかと語る。それはつまり皆が皆それぞれに自分好みの 考え
方、聞く用意のある言葉だけを物語の中から拾い出すということである。当然
のごとく見ようとしない事柄 は見えてこない。

仏教、数学、量子物理学についても触れて いる・・・
仏教入ってるお^^

22:神も仏も名無しさん
09/05/05 22:11:04 1mF2teOg
火の鳥 鳳凰編 - エンディングテーマ - 渡辺典子
URLリンク(www.youtube.com)

 You Carry Us On Your Silver Wings To The Far Reaches Of The Universe

 愛したら火の鳥 時を越えてめぐり逢う

 そうよ 愛は永遠よ 生きて 死んでよみがえる 仮の姿は たとえ滅んでも
 もう 泣かないわ いえ 笑えるわ  また 逢えるから あぁ あなたと

 You Carry Us On Your Silver Wings To The Far Reaches Of The Universe

 いろづいた素肌に 赤く揺れる火が見える

 ずっと 過去に愛された そして はるか未来でも  そんな 2人と信じ合えたなら さあ 抱きしめて
 また 光らせて この たましいを あぁ 彼方へ

 You Carry Us On Your Silver Wings To The Far Reaches Of The Universe

 キラキラと煌く あれは何の影かしら

 You Carry Us On Your Silver Wings To The Far Reaches Of The Universe

 愛したら火の鳥 時を越えてめぐり逢う

23:無私読後(無師独悟) ◆l3gPeppers
09/05/05 22:32:08 c7S1ra8c
>>20
「ブッダ」と言う漫画、
手塚治虫も
物書きだから、
自画像を描く、
画家と同じようにね、たとえば風景画、
風景画も、自画像なんだよ。

24:神も仏も名無しさん
09/05/05 22:34:36 oY6affW6
何になってもいいんだよ。
まず自分の殻から出ましょうね。

25:神も仏も名無しさん
09/05/05 22:39:31 oY6affW6
私の目を使ってくれてもいいですよ。
総理大臣のにする?
猫の目がいい?

26:神も仏も名無しさん
09/05/05 22:43:05 pTKoNUfn
ま、でもマトリックスが好きというのは感性が悪くはないと思うけどね

27:神も仏も名無しさん
09/05/05 22:44:40 1mF2teOg
>>23
マンガ=自画像、ということは鉄腕アトムもリボンの騎士も手塚の自画像?
あんまり似てないね。

>>24
そもそも自分の殻なんてものは初めからないとしたらどうだろう?

28:無私読後(無師独悟) ◆l3gPeppers
09/05/05 22:45:29 c7S1ra8c
>>26
> というのは感性

どういうもの、なの?

感性は、変化しないの?

29:神も仏も名無しさん
09/05/05 22:45:50 oY6affW6
ふふふ。
遊びは真面目にやらなくちゃ。
しらけちゃうよ。

30:無私読後(無師独悟) ◆l3gPeppers
09/05/05 22:46:53 c7S1ra8c
>>27
自画像は、心象風景だよ・・・・・・・・( ̄。 ̄ )ボソ...

31:神も仏も名無しさん
09/05/05 22:47:24 oY6affW6
名作の映画を前にして、これはフィクションだからつまらないなんて野暮だよ。

32:神も仏も名無しさん
09/05/05 22:48:32 1mF2teOg
不思議の国のアリスの中で禅問答みたいなやり取りが結構あるが、
作者は仏教の知識があったのだろうか?

33:神も仏も名無しさん
09/05/05 22:55:34 pTKoNUfn
なんでエージェントスミス一人だけがイヤホンを外したり、仮想世界の匂いやその他に嫌悪感を示したんだろう?

あの場面はとても不思議な感じがした

34:神も仏も名無しさん
09/05/05 22:56:06 SYmni/gF
あ、パート2だ…

35:神も仏も名無しさん
09/05/05 22:58:11 oY6affW6
一番ドキドキするのはやっぱり役を与えられてるときかなあ。
自分が出演していないと興を削がれるね。

36:神も仏も名無しさん
09/05/05 23:02:02 SYmni/gF
リアルで何かの役になるのは危険だ…
いつの間にか入れ替わる…

37:神も仏も名無しさん
09/05/05 23:04:00 oY6affW6
台本は無いから平気だよ。
アドリブだから。

38:神も仏も名無しさん
09/05/05 23:04:26 SYmni/gF
俺の場所なんてどこにもないんだよわかってらあ!

39:神も仏も名無しさん
09/05/05 23:05:12 oY6affW6
>>38
その一瞬、あんたが主人公。

40:神も仏も名無しさん
09/05/05 23:05:38 SYmni/gF
アブリルラディーン

41:神も仏も名無しさん
09/05/05 23:07:40 oY6affW6
>>40
イイネ。黒髪の子もアヴリルなんだぜ。
URLリンク(www.youtube.com)

42:神も仏も名無しさん
09/05/05 23:12:43 SYmni/gF
あ、ありがとう…
でも繋がらなくて見れないや…
また感想書くね

43:神も仏も名無しさん
09/05/05 23:21:26 1mF2teOg
幻魔大戦 ハルマゲドン接近
URLリンク(www.youtube.com)

仏教の要素はあまりないが超能力対戦型アニメの元祖。
今見ると逆に新鮮でカッコイイ。

44:神も仏も名無しさん
09/05/05 23:53:21 1mF2teOg
バクティ・ヨーガ (Bhakti yoga)

神への純粋な信愛を培い、(グルがいる場合)グルを神の化身とみなし、全てを神の愛と見て生きるヨーガ。
古代に実在し、その後神として崇められたクリシュナが開祖。
バガヴァッド・ギーターは、バクティ・ヨーガやカルマ・ヨーガの本質を謳っている。

また、近代の大覚者ラーマクリシュナ・パラマハンサは、現代においてはこのバクティ・ヨーガこそ最も必要であると説いた。

このヨーガを主軸に据えるグルの団体において、弟子・信者はグルの命令通りに動き絶対帰依することになるが、
今なお存命中の大覚者であるサティヤ・サイ・ババやシュリ・チンモイは、弟子の病気などのカルマを引き受けることも行っているという。
新興宗教の中でも程度の違いこそあれこのヨーガを取り入れている団体は多いが、
間違ったグルを師と仰ぐと一生を棒に振ることにもなりかねないため、事前に十分調査をすることが重要とされる。
このヨーガの行者をバクタ (bhakta) という。

45:神も仏も名無しさん
09/05/05 23:57:07 1mF2teOg
ギャーナ・ヨーガ (Jnana yoga)
高度な論理的熟考分析により、真我を悟るヨーガ。クリシュナムルティが有名。
20世紀を代表する聖者の一人であるシュリ・ラマナ・マハリシは、このヨーガで大悟したとされているが、一般的に難易度の高いヨーガと云わざるを得ない。
だが、巧く実践可能であるならば最も高度なヨーガとなりうるとの意見もある。このヨーガの行者はギャーニ(ジュニャーニ、jnani) 。

マントラ・ヨーガ (Mantra yoga)
マントラ(密教でいう真言)を使うヨーガ。ガヤトリー・マントラ、ハレークリシュナ・マントラ、インヴォケーション・マントラなどが用いられている。

ジャパ・ヨーガ (Japa yoga)
マントラ(特に、神の名)を繰り返し唱えるヨーガ。

46:神も仏も名無しさん
09/05/06 00:04:28 yKNTyAvA
クンダリニー・ヨーガ (Kundalini yoga)

ムーラーダーラに眠るというクンダリニーを覚醒させ、身体中の気道やチャクラを活性化させ、悟りを目指すヨーガ。
密教の軍荼利明王は、そのクンダリニーを象徴化したものである。別名ラヤ・ヨーガ。
クンダリニーの上昇を感じたからヨーガが成就したというのは早計で、その時点ではまだ初期の段階に過ぎない。
格闘家に愛好者が多い「火の呼吸」はクンダリニー・ヨーガの側面もあるがイコールではない。
チベット仏教のトゥモ・ヨーガ、完成のヨーガや、中国の内丹術などとも内容的に非常に近い。
このヨーガを実践するにあたっては重大な注意点がある。
クンダリニーが一旦上昇を始めると、本人の力だけではそれをコントロールできなくなることがある。
具体的には、クンダリニーが上昇して頭部に留まってしまい、それを再び下腹部に下げることも、
頭部から抜けさせることもできなくなり、発熱や頭痛、またそれが長期に渡ると、脊髄を痛めたり、最悪の場合精神に異常を来すことさえある。

従ってこのヨーガは、自己流又は単独実践は避け、然るべき師に就いて実践すべきとされている。
「然るべき師」とは、単に知識豊富で多少の呼吸法ができる師のことではなく、自身がクンダリニーの上昇経験を持ち、且つそれを制御できる師のことである。
そうでなければ上昇を始めた他人(弟子)のクンダリニーの制御は不可能に近い。
更に師に就く場合、その師がどの師からの指導を受け、またその先先代の師はどの師なのか、少なくとも2、3代先の師まで辿れる師に就くことが望ましい。
しかしながらそうした人物に出会うのは難しい。
また、自らクンダリニーを制御できることを標榜する人物は、その時点で、クンダリニーに対する執着を棄てきれず、
神に対して敬虔なヨーガの精神に反する生き方をしていると世間にアピールするようなものであり、そうした人物を師と仰ぐのは危険とする意見がある。
しかしながら、クンダリニー云々を標榜できる人物でなければ制御は難しいとする意見もある。

47:神も仏も名無しさん
09/05/06 00:05:45 yKNTyAvA
このヨーガは段階が進むほど師を必要とするという意見があり、特にクンダリニーの体内自覚を感じてから先は、必ず師の指導の元にヨーガを実践すべきとされる。
一方で、ある程度の段階に達すると師をそれほど必要としなくなるという意見もある。

このヨーガの効果は、ハタ・ヨーガの効果のように身体が柔らかくなったり、以前に比べて健康になったという、割合穏やかな効果に比べ、
クンダリニーの上昇に伴うチャクラの開眼という劇的なものがあり、自分が超能力者や超人になったかのような錯覚を覚えてしまうことが往々にしてある。
その故に、一度効果(クンダリニーの体内自覚)が出始めると、他のヨーガに比べて非常にのめり込みやすいという特徴がある。

クンダリニーの自覚が修行の完成と錯覚するのは危険である。クンダリニーの自覚と修行者の人格的向上とは無縁といえる。
クンダリニーの自覚に修行の目的が置かれてしまっては主客逆転、本末転倒である。
手段が目的にならぬよう修行者は努めねばならず、本来の修行の目的を達するならば、
そうしたクンダリニーを始めチャクラなど肉体次元、生気次元へのこだわりを無くす事に努めることが先決とされる。

48:神も仏も名無しさん
09/05/06 00:17:30 yKNTyAvA
ラージャ・ヨーガ (Raja yoga)
「ラージャ」は「王の」という意味であり、神を悟るための本格的なヨーガといえる。
「マハー(偉大な)・ヨーガ」とも呼ばれる。根本教典はパタンジャリの『ヨーガ・スートラ』(紀元後2-4世紀)。
第2章にはラージャ・ヨーガの段階について記述されており
{1.ヤマ(禁戒)2.ニヤマ(勧戒)3.アーサナ(座法)4.プラーナーヤーマ(調気)5.プラティヤーハーラ(制感)
6.ダーラナー(凝念)7.ディヤーナ(静慮)8.サマーディ(三昧)}
これら8つの段階からなることから、ラージャ・ヨーガをアシュタンガ(アシュ:8つ アンガ:枝、部門)・ヨーガとも言う。
今日アシュタンガ・ヨーガ=アーサナと受け取られているが、誤りである。

49:神も仏も名無しさん
09/05/06 00:21:35 yKNTyAvA
最初に瑜伽として日本にヨーガが伝わったのは、大同元年(806年)、唐より帰国した空海にまでさかのぼる。
その後、真言宗や天台宗の「護摩」、「阿字観」等の密教行法として、現在に伝わっている。
禅宗の座禅も、ヨーガ・スートラ第2章に記述されるディヤーナの音写である。

現在巷で流行している健康法としてのヨーガは昭和時代に伝播したが、
伝統的ヨーガを導入した新興宗教団体オウム真理教による一連の事件の影響で、一時下火になった。

だが2004年頃から健康ヨーガは再びブームとなり、ダイエット方法の1つとしてテレビで紹介されたり、CMで使用されることが増えた。
フィットネスクラブなどでは、エアロビクスと同じようなスタジオプログラムの1つとして行なわれている。
この流行はインドから直接流入したものではなく、アメリカ、特にニューヨークやハリウッドでの流行が影響したものと考えられ、近年では同流行がインドへ逆輸入されている。

なお、伝統的ヨーガ系のグループには現在でも、イニシエーションを行なうなど宗教団体的側面を持つものもある。

50:神も仏も名無しさん
09/05/06 00:25:24 yKNTyAvA
主とする座法はパドマ・アーサナ(蓮華座)という結跏趺坐である。
人体内に大きな6または7つのチャクラ(Chakra、輪、車輪)と小さなチャクラがありそれを目覚めさせれば、
またはクンダリニーを体内の脊椎にそって上昇させると悟りがひらけると一部の人たちは言うが、全くそういうことはない。
実際は、タイティリーヤ・ウパニシャッドで説明される、生気レベル(プラーナーマヤ・コーシャ)の覚醒にすぎず、修行の入り口に立ったにすぎない。
また、生気レベルの覚醒それ自体は霊格の向上をもたらさず、あくまでもカルマ・ヨーガの実践や世俗との係わりの中での人格の向上や、
その他のヨーガを総合的に実践することにより、霊格は向上していくものと心得るべきである。

例外として、幾世にも渡り順調に霊性修行を続け霊格を向上させた成熟した特別な魂のみ、
今世で厳しい修行を行うことにより猛烈なクンダリニーエネルギーを急上昇させることができ、
そのときにのみサハスラーラを完全開化させ、解脱することが可能となる。

51:神も仏も名無しさん
09/05/06 01:44:31 p70CBfVp
黒Avril可愛かったです…

52:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/06 02:37:31 sR78g6CI BE:1196941474-PLT(13230)
エマニュエル・スウェデンボルグ
URLリンク(www.h2.dion.ne.jp)

URLリンク(ja.wikipedia.org)

53:神も仏も名無しさん
09/05/06 08:49:58 v/VOuVY9
>>12
>少欲知足(しょうよくちそく)と、仏教は、言うよ。
ゴータマ・ブッダは悟りを開いたとき「不死を得た」「我は全知である」
といったとか?

54:華厳命
09/05/06 09:15:44 BViJHVGi
なにも原理主義的に釈迦に媚びを売る必要性は感じないねぇ…しかし圧倒的大多数の日本人にとって「お釈迦さま」程、永遠性、普遍性を感じさせるものは、今のところ見当たらぬ以上、それぐらいは尊重すべきだ。やはり日本国では大乗菩薩路線で良いだろう。

55:華厳命
09/05/06 09:21:57 BViJHVGi
シャカ族のガキが悟ったとどうして証明できるか?その反対もしかり。彼のいわゆる「悟り」が彼の心理学的脳内妄想でないとする確たる証拠はない。上座的文脈から言えば「インド人もびっくり」なほど、教義が稚拙、かつ芸術性に乏しく、アディムクティが低い

56:神も仏も名無しさん
09/05/06 09:24:17 v/VOuVY9
原理主義は仏教にもっとも似合わない。
自由と法由が仏教の立場だろ。
自然法爾でもいいだろ。
諸法無我では原理主義は成り立たない。

57:華厳命
09/05/06 09:25:49 BViJHVGi
誰かが悟ったところで「たかが知れてる」それが人類を救えるか?この生きたままの死から日本人を救いだせるか?具体的な方法を見出したか?論理的必然か?すべてにおいて完全かつ秘密なく「パワー」を与える仏教なら、はじめて真理と認める

58:神も仏も名無しさん
09/05/06 09:34:26 v/VOuVY9
仏法も死んだ。いまは滅法の世の中だ。
メクラ滅法で政治してるだけだね。

59:神も仏も名無しさん
09/05/06 09:34:51 zVyok7rg
>>56
お釈迦さま本人はともかく、弟子(自称)はみんな原理主義だよ。
座禅だけが悟りの唯一の手段と言う道元は座禅原理主義=禅宗。
唱題(南無妙法蓮華経)だけが悟りの唯一の手段という日蓮は法華経原理主義=日蓮宗および日蓮正宗。
念仏(南無阿弥陀仏)だけが悟りの唯一の手段という法然・親鸞は念仏原理主義=浄土教。
密教だけが悟りの唯一の手段と言う空海は・・・以下略。

60:神も仏も名無しさん
09/05/06 09:41:15 v/VOuVY9
>>59
そうだね。それらは広い意味での部派仏教だね。
「法」の解釈の違いでどんどん分かれていくだけ。
まさに仏教加上説のとおりだ。
他の宗教でも変わらない。人の数だけ「宗教」はある。
自己の依ってたつ教え、宗とする教え、が宗教だから。
無宗教もまた宗教の一派だね。

61:華厳命
09/05/06 09:52:01 BViJHVGi
俺は別に骨董商ではないが、仏像に手を合わせることに全然抵抗感を感じないがね(笑)確かに「南無観世音菩薩」と言う言語エネルギーや、仏像から放たれるオーラは感じる。それが俺個性の「妄想」だとしてもだ。大切なのは「感性」であり、「感応能力」だと思う。

62:華厳命
09/05/06 09:55:40 BViJHVGi
俺は仏教に限らずいやしくも「宗教」なるものは、「芸術的」である必要性を感じる。俺はバクティ、「素朴な信仰」でいいよ…ラーマクリシュナもそれがこの時代向き、即効解毒薬と言ってるしな。

63:神も仏も名無しさん
09/05/06 10:07:10 sR78g6CI BE:2735866188-PLT(13230)
 禅の悟りとは(驚くべき悟りの真実)
URLリンク(www.eonet.ne.jp)

我々は花を見て、きれいと思うが、きれいと思う心は、花を見る直前まではまる
っきりなかったのであり、いってみれば、不意に現われた実体のないかげろうの
ようなものであり、そのかげろうによって我々の人生は一喜一憂しているとい
っても過言ではない。
 仕事がつらいと思うとき、つらいという心は、どこからともなく沸き起こっ
てきた実体のない想念であり、同じ仕事でも人によってはそれほど苦痛でもな
く、反対にその仕事を楽しんでいる人もいるかも知れない。あるいは、つらい
と思った人も、日によっては楽しいと感じるときがあるかも知れない。このよ
うに心とは得手勝手なもので、心を統御することが、幸せな人生につながると
、「法句経」も説いている。 
 我々はいま生きているが、生きていると判断しているのは心であり、心とは
無相、無住で実体のないものであり、実体のない心が判断したことは、裏返し
て考えれば、生きていないということでもあり、生きていなければ死ぬことも
ないのである。般若心経の不生不滅とはこういうことを言っているのである。
 維摩経でもこう言う。一切法とは幻のごときものにすぎない。一切のものが
没する、滅する、なくなるというのは幻のような虚妄の存在が否定された状態
であり、真実の存在は、生ずることも没することもない不生不滅が真の相(す
がた)なのである。

ふむふむ^^

64:華厳命
09/05/06 10:36:50 BViJHVGi
まあ、「声聞の持戒は、菩薩にとっての破戒である」わけで、ものは考えようだな…今日ほど菩薩の姿をした、声聞、縁覚の多い時代はまれである

65:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/06 12:08:26 sR78g6CI BE:1154193293-PLT(13230)
ヒトーで深く長く呼(は)く。ツーで自然に吸う。フターで呼き、ツーで吸う。
ミーで呼き、ツーで吸う。これを一から十までやる。終わるとまた一から十まで
くりかえす。

ほほぅ^^

66:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/06 12:11:45 sR78g6CI BE:1068698055-PLT(13230)
すべての執着心を心から解き放ち・・・・と^^

67:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/06 12:14:02 sR78g6CI BE:1025949683-PLT(13230)
非我であるとともに空を知り・・・と^^

68:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/06 12:15:13 sR78g6CI BE:1367933748-PLT(13230)
宇宙の意識へと導かれ・・・と^^

69:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/06 12:17:10 rioIxW67
輪廻の世界を断ち切る・・・^^

70:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/06 12:19:53 rioIxW67
このくらいでいいですか?












71:華厳命
09/05/06 13:15:29 BViJHVGi
だめだ…(笑)

72:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/06 14:53:42 sR78g6CI
臨死体験の段階
1. 死の宣告が聞こえる
心臓の停止を医師が宣告したことが聞こえる
2. 心の安らぎと静けさ
言いようのない心の安堵感がする
3. 耳障りな音
ブーンというような音がする
4. 暗いトンネル
トンネルのような筒状の中を通る
  5. 物理的肉体を離れる
体外離脱をする
6. 他者との出会い
死んだ親族やその他の人物に出会う
7. 光の生命
光を伴った神のような存在に出会う
8. 省察
自分の過去の人生が走馬灯のように見える
9. 境界あるいは限界
川のような死後の世界との境目を見る
10. 蘇生
生き返る

73:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/06 15:01:36 sR78g6CI
レイモンド・ムーディ博士
【死者に会う方法】

「鏡視」

おっおっ^^

74:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/06 15:08:30 sR78g6CI
彼はまた、臨死体験のような超常現象を経験した人に見られる、「前より優しく
なり、死に対する恐れが減って、人生が変わってしまう」といった変化が、この
実験の結果として起きていることを指摘しています。

ん?慈悲のこころ・・・

75:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/06 15:19:33 sR78g6CI
* かろうじて読み書きが可能だったセント・ルイス出身の霊媒パール・カ
ージェンは、あるとき驚くほど正確な中世英語を書き始めました。霊的存在の
指導の下で、彼女は60冊の小説、戯曲と詩(60,000語の叙事詩を含む)を作り
出しました。
 いったいこの世の誰の頭の中に、中世英語を用いてこれだけの文学作品を生
み出す内容が詰まっているというのですか。仮に、そのような人が存在したと
しても、なぜその人は自分でその内容を発表しないのでしょう。なぜ中世英語
なのでしょう。現代英語で書いた方がよほどたくさんの読者を獲得できると思
いませんか。
O:もしくは、遺伝子の記憶とも考えられる。遺伝的な性格・病気と同様に、
ある種の記憶が遺伝子を通じて伝えられるんじゃないの。
ヴィ:その主張をまじめに受けとめることは難しいですね。古代の中国語が、
11歳の白色人種であるアメリカ人の遺伝子にどうにかして埋め込まれ、彼に言
語を話させたという主張は、はっきり言ってばからしいです。
O:君の、死後の世界が存在するという主張も、はっきり言ってばからしいな
。いや、はっきり言わなくてもばからしい。
ヴィ:それなら、今まであげてきた事柄がなぜ起きるのかを説明してください
。異言だけで考えても、事例は何千とあり、そのうちの何百かは正式に文書化
されています。イアン・スティーブンソン博士は異言を科学的に検証し、この
現象を説明できる説は次の二つのどちらかであると結論しています。
1. 霊との交信
2. 過去生というものが存在し、それを思い出した
 このどちらが正しいとしても、死後の世界を考えずに異言の現象を説明する
ことはできません。
O:どこかに、すべての記憶の貯蔵庫みたいなものがあって、そこにアクセス
してしまったんじゃないか。
ヴィ:教授、すばらしい! そのアイデアはまともな反論に属すると思います
URLリンク(www.asahi-net.or.jp)

ほほぅ^^

76:神も仏も名無しさん
09/05/06 15:34:46 7zGT5xcv
今日は雨。
雨安居でもいいのだが、フィットネスで修行だ。
まず自転車こぎ30分で汗ポタポタ脱落、
でも心身脱落にはほど遠い。
それから水中遊行・・・30分。
ブツブツいいながら歩き回るだけ。
つぎは遊泳30分。これは無念無想。
古希の手習いにはきつい。
でもさっぱりしたから後は温泉でのんびり体あっためて帰る。

77:神も仏も名無しさん
09/05/06 16:25:33 5twQqzKS
>>76 実があるな~

>>75 本ばかり読んで引きこもってないで見習えよ

78:神も仏も名無しさん
09/05/06 16:55:36 p70CBfVp
実とはなんだろう…


79:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/06 18:30:45 sR78g6CI
いずれ解るときがくる・・^^

80:神も仏も名無しさん
09/05/06 18:38:32 p70CBfVp
きっと来る~

81:華厳命
09/05/06 18:47:32 BViJHVGi
なんか山谷ブルースみたいだな…「きぃっと~きっと来るさそのうちに~その日にゃ泣こうぜ、嬉し泣き…」

82:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/06 19:31:32 sR78g6CI
最澄の興した天台宗、空海の真言宗、法然の説く浄土宗、親鸞の説く浄土真宗、
日蓮の説いた日蓮宗

最澄宗、空海宗、法然宗、親鸞宗である・・・

ほほう^^



83:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/06 19:32:45 sR78g6CI
仏教は読んで字の如くブッダの教えです。釈迦以外にはだれも説けない教えなの
です。

ほほう^^

84:無私読後(無師独悟) ◆l3gPeppers
09/05/06 19:41:13 CFRf1YdK
>>83
そんなうそに、ふくろうのほほうって、なに?

85:華厳命
09/05/06 19:46:19 BViJHVGi
まあ、春だからな…

86:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/06 19:59:24 sR78g6CI
           ,.,.,.,.,.,.,.,.,__
           i::::::::/'" ̄ ̄ヾi
           |:::::::| ,,,,,_  ,,,,,,| 
           |r-==( 。);( 。)   
           ( ヽ  :::__)..:: }
        ,____/ヽ  ー== ; ほほう それでそれで?
     r'"ヽ   t、   \___ !
    / 、、i    ヽ__,,/
    / ヽノ  j ,   j |ヽ 
    |⌒`'、__ / /   /r  |
    {     ̄''ー-、,,_,ヘ^ |
    ゝ-,,,_____)--、j
    /  \__       /
    |      "'ー‐‐---''

            

     ,''"""""'''''';;::、
    iッ' ̄ ̄`゛〈:::::::i
    |⌒  ⌒  |:::::::|           ほほう それでそれで?
    ( .);( . )==-ァ|_t -‐'´, '゛`ヽ、
    { ::..(__:::   ,′) ,r'     i , ,  |
     ; ==‐'  ソニ_/、    !    |
     ! ___/^─'´ \゛、__〉' ⌒|
         |  ヽ、_, -ー" ̄    }
         !, -‐(_____,,,-く
         i       _../   i
         `ー--‐ "´        |


87:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/06 20:03:37 sR78g6CI
       ,.,.,.,.,.,.,.,.,__
     ,,;f::::::::::::::::::::::ヽ
     i::::::::/'" ̄ ̄ヾi
     |:::::::| ,,,,,,  ,,,,,,|
     |r-==( 。);( 。) +   ほほう それでそれで?
     ( ヽ  ::..__)  }    +
      ヽ..  ー== ; +      
     /ヽ..\___ !| \─/
    / > ヽ▼●▼<\  ||ー、
   / ヽ、 \ i |。| |/  ヽ(ニ、`ヽ
  .l   ヽ   l |。| | r-、y`ニ  ノ




88:神も仏も名無しさん
09/05/06 20:06:14 v/VOuVY9
>>83
>仏教は読んで字の如くブッダの教えです。釈迦以外にはだれも説けない教えなの
>です。
どこから引用した?
まったくのデタラメでしょ。
仏教はブッダの教えはまぁいいでしょ。
でも仏教はブッダになる、すなわち成仏する教えでもある。
釈迦以外には・・・は全然だめだ。
釈迦もブッダの一人に過ぎない。誰でもブッダになれる可能性はある。


89:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/06 20:12:02 sR78g6CI
* 多くの仏教の宗派では、「ブッダ(仏陀)」は釈迦だけを指す場合が多
く、悟りを得た人物を意味する場合は阿羅漢など別の呼び名が使われる。

* 悟り(光明)を得た人物を「ブッダ」と呼ぶ場合があるが、これは仏教
、ことに密教に由来するもので、ヴェーダの宗教の伝統としてあるわけではな
いと思われる。

* 一般には、釈迦と同じ意識のレベルに達した者や存在を「ブッダ」と呼
ぶようになったり、ヴェーダの宗教のアートマンのように、どんな存在にも内
在する真我を「ブッダ」と呼んだり、「仏性」とよんだりする。場合によれば
宇宙の根本原理であるブラフマンもブッダの概念に含まれることもある。

* 近年になって仏教が欧米に広く受け入れられるようになって、禅やマニ
教の影響を受けて「ニューエイジ」と呼ばれる宗教的哲学的な運動が広まり、
光明を得た存在を「ブッダ」と呼ぶ伝統が一部に広まった。

ほほう なるほど・・・


90:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/06 20:16:33 sR78g6CI
「釈迦」「ブッダ」と呼ばれる仏教の開祖。本名は「ゴータマ・シッダッタ」。

王子として生まれ裕福な生活を営むも、29歳で出家し、35歳で悟りを開いた人物。

ちなみに、釈迦が生きた時代が現在でも特定できないのは、

インドの文献のほとんどに年代が記されていないことが原因です。

これは、インドでは「輪廻転生」の考えが根付いていたため、

時間というものにそれほど価値が置かれていなかったと推測することが出来ます。

91:華厳命
09/05/06 20:16:41 BViJHVGi
既成概念に捕われとったらあかんよ。すべての宗教を肯定しつつも、それらすべてを蹴飛ばすこと…これを学ぶ必要があるな…犬からは犬の言葉を、猫の動きからネコの俊敏さと集中力を、鳥からは音楽を…これからは…そういう時代だ…

92:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/06 20:20:45 sR78g6CI
ブッダは、南伝説によれば古代中国春秋時代末期の孔子(前552-477年)と、
北伝説よればギリシアのソクラテス(前469?-399年)とほぼ同時代の人である。

ほほう^^

93:華厳命
09/05/06 20:21:03 BViJHVGi
経済もダメ、文化は不毛…精神は混乱、モラル破綻…政治家も学校の先生もどうして良いかわからんのじゃねぇの…「あっしにゃ、関わりねえこってゴザンす」

94:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/06 20:51:21 sR78g6CI
梵我一如
梵我一如(ぼんがいちにょ)とは、梵(ブラフマン:宇宙を支配する原理)と
我(アートマン:個人を支配する原理)が同一であること、または、これらが同
一であることを知ることにより、永遠の至福に到達しようとする思想。古代イン
ドにおけるヴェーダの究極の悟りとされる。不二一元論ともいう

95:華厳命
09/05/06 20:56:17 BViJHVGi
はぁ~…

96:無私読後(無師独悟) ◆l3gPeppers
09/05/06 20:59:54 CFRf1YdK
ググレかすの人だよ・・・・・・(○`。 ´○)ボソッ

97:華厳命
09/05/06 21:00:29 BViJHVGi
一民族の宗教は政治同様、その国民の民度の強弱によって決定されちゃうんだよな…「抜け忍カムイ」みたいに個人的跳躍を得ても、時代の制約、環境の制限からは抜け出せない…

98:華厳命
09/05/06 21:03:45 BViJHVGi
つまんねえもんな…この時代は…何を見ても、何を聞いても感動できるものがない…ニューウェイブ・フィール・イット・オンなもんがなにも無い…

99:華厳命
09/05/06 21:07:54 BViJHVGi
古代人はどうやら俺の想像を遥かに絶する、インスピレーションと哲学を聴いて、観ていたらしい…決してイリュージョンや感傷的たわごとたぁ違う…釈迦が悟っただ?夢にも想像できんね

100:華厳命
09/05/06 21:12:46 BViJHVGi
成熟した自由主義社会では、自由を謳歌すればする程、逆に人々に社会的縛りがキツくなり、互いが互いを監視し合うようになり、自由な発想や言論は規制される。作用反作用のスパイラルが起こり個人に負荷がかかる…

101:華厳命
09/05/06 21:15:12 BViJHVGi
まあ、教科書的宗教は50年もたず滅びるだろうな…釈迦がどうの、キリストさんが、なんて言ってるようじゃ、終ってんよ…

102:華厳命
09/05/06 21:15:54 BViJHVGi
荘厳

103:神も仏も名無しさん
09/05/06 21:20:26 +zjNrY2Z
三蔵法師 - Wikipedia
URLリンク(ja.wikipedia.org)

三蔵法師(さんぞうほうし、旧字:三藏法師)とは、仏教の経蔵・律蔵・論蔵の三蔵に精通した僧侶(法師)のこと。
また転じて訳経僧を指していうようになった。単に“三蔵”と呼ぶこともある。
特に、インドや西域から教典をもたらし、漢訳した人々を尊称して“訳経三蔵”や“聖教三蔵”、あるいは“三蔵法師”と呼ぶことが多い。

四大訳経家に数えられる鳩摩羅什や、真諦、不空金剛なども多くの経典の漢訳を手がけており、“三蔵法師”と呼ばれるが、
なかでも最も有名な三蔵法師は唐代の僧・玄奘三蔵である。

玄奘は仏教の経文原典を求めてインドを周遊し『般若心経』(ただし異説もある)を中国にもたらした。
更にその業績は『大唐西域記』や『大慈恩寺三蔵法師伝』として纏められ、
後に『大唐三蔵取経詩話』でフィクションを含有するようになり、最終的には『西遊記』に結実して世界中に知られるようになった。
このため日本では“三蔵法師”と言えば、玄奘を指すことが多い。

104:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/06 21:22:19 sR78g6CI
ロバート・モンロー
URLリンク(ja.wikipedia.org)

例えば右耳から100ヘルツ、左の耳から104ヘルツの周波数の音をヘッドフ
ォンで聴くとします。ここには4ヘルツの周波数の差が生じますね。この4ヘル
ツは脳波の幅でいうとシータ波に相当します。シータ波は人が深いリラックス
の状態、深い瞑想状態、さまざまな眠りの状態の時の脳波です。モンローは研
究の結果から、この4ヘルツの脳波の幅が、非常にパワフルな「意識の窓」で
あることを発見しました。

なるへそ^^

105:神も仏も名無しさん
09/05/06 21:25:16 +zjNrY2Z
歴史上、日本人僧の中で唯一“三蔵”の称号を与えられたのが、近江出身の興福寺僧・霊仙である。
霊仙は804年、最澄や空海と同じ遣唐使の一行として唐に渡った。長安で仏典の訳経に従事し、その功績を認められ憲宗皇帝より“三蔵”の称号を賜っている。
霊仙が関わった『大乗本生心地観経』は石山寺に現存。

なお、仏教が中国に伝来した当初のいわゆる「古訳」に属する訳経の場合は、サンスクリット等の言語で記された梵経を漢語に翻訳(漢訳)した実態に関して記録が残っておらず、その詳細が明らかでない。
しかし、玄奘以後の、「新訳」と称せられる時代の訳経の場合、漢訳された経典の巻首に、経典の題目に続けて、いわゆる「訳場列位」を記す慣習が定着していた。
霊仙三蔵の場合も、『大乗本生心地観経』の「訳経列位」に記された記名によって、「筆受」「訳語」の役割を務めていたことが明らかとなっている。
この場合も、訳経の中心である「訳主」となったのは、般若三蔵であり、本経は般若訳として経録には記録されている。
しかし、実態は、まず、般若が梵文で記された原典を梵語で音読し、それを「筆受」者が書き取り、更にそれを漢字に置き換えるのが「訳語」である。
その後、「証義」や「潤文」「参役」などの各種の役割を持った人たちが漢訳経典として適切な経文に校訂し、初めて訳経が完成する。

つまり、新訳時代の訳経事業とは、漢訳組織が確立された分担作業によって成り立っている。
その結果、「訳主」として全体をプロデュースする立場にあった人が、訳経者として名を残しはするが、
「訳主」は全体の組織の中では、原典を音読するだけであり、現代的な感覚でいう「翻訳」作業に従事するのは、「訳語」者である。
それ故に、霊仙三蔵の果たした役割が評価され、三蔵の称号を受けている訳である。
また一方では、完成した訳経に対する訓詁的な見地からの疑義を、ひとり「訳主」である三蔵法師に帰する問題として取り上げる見方もあるが、
それは、実際の訳経事業の漢訳組織に関する見識を欠いた一方的な解釈であり、注意を要する。

106:神も仏も名無しさん
09/05/06 21:28:12 +zjNrY2Z
八大聖地 - Wikipedia
URLリンク(ja.wikipedia.org)

仏教の八大聖地(はちだいせいち)は、仏教における重要な8つの聖地の総称。
その全てがゴータマ・ブッダの人生に関わる遺跡である。

ルンビニー - 生誕の地。
ボードガヤー - 成道(悟り)の地。
サールナート - 初転法輪(初めての説教)の地。
ラージギール - 布教の地。
サヘート・マヘート - 教団本部の地。
サンカーシャ - 昇天の地。
ヴァイシャリ - 最後の旅の地。
クシーナガラ - 涅槃(死)の地。

107:神も仏も名無しさん
09/05/06 21:31:04 +zjNrY2Z
一切皆苦 - Wikipedia
URLリンク(ja.wikipedia.org)

一切皆苦(いっさいかいく)とは、仏教における四法印の一つである。

初期の経典に「色は苦なり」「受想行識も苦なり」としばしば説かれている。これを「一切皆苦」と言う。

「苦」の原語は、パーリ語のドゥッカ(dukkha)で、これは単に、日本語の「苦しい」という意味だけではなく、「空しい、不満、不安定」といった幅広い語義を持つ。
それゆえ、「一切皆苦」は「すべての存在は不完全であり、不満足なものである」と言いかえることもできる。
不完全であるがゆえに、常に変化して止まることがない。永遠に存在するものはなく、ただ変化のみが続くので「空しい」というふうに、「苦」という一語で様々な現象が語られる。

108:神も仏も名無しさん
09/05/06 21:33:29 +zjNrY2Z
阿毘達磨(アビダルマ)文献によれば、苦は「逼悩」の義と定義される。
「圧迫して(○○○○○に)悩まされる」という意である。
この苦には二つの用法がある。一つは楽や不苦不楽に対する苦であり、他は「一切皆苦」といわれるときの苦である。
前者は日常的感覚における苦受であり、肉体的な身苦(苦)と精神的な心苦(憂)に分けられることもある。
しかしながら、精神的苦痛が苦であることはいうまでもないが、楽もその壊れるときには苦となり、
不苦不楽もすべては無常であって生滅変化を免れえないからこそ苦であるとされ、これを苦苦・壊苦・行苦の三苦という。
すなわち、どちらの立場にしても、苦ではないものはないわけで、一切皆苦というのは実にこの意である。

109:華厳命
09/05/06 21:39:45 BViJHVGi
西遊記か…ブタとカッパとサルがありがたいお経をもらいに旅する坊主の話やね。

110:華厳命
09/05/06 21:43:25 BViJHVGi
釈迦如来は三蔵法師になにも文字が書いてない経典を渡した…ちょっとしたいたずらだ。で、三蔵はもう一度、天竺大雷音寺へ戻り、文字で書かれた経典をもらった…

111:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/06 21:44:52 sR78g6CI
非我であれば苦もない・・・
苦を感じる私がいない・・・
しかしながら・・・
体をもつ私は・・
苦を感じてしまう・・・

112:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/06 21:46:02 sR78g6CI
BrainSync - Theta Wave w/ Fractals
URLリンク(www.youtube.com)

113:華厳命
09/05/06 21:47:01 BViJHVGi
やつの翻訳はSanskritから余りにも直訳し過ぎたため、霊性がガタ落ちした感がある。「観世音」を「観自在」と「正してくれた」しかし、意味がまったく変わってしまい、味わいがなくなった…

114:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/06 21:47:36 sR78g6CI
BrainSyncについて
URLリンク(www.youtube.com)

115:華厳命
09/05/06 21:50:31 BViJHVGi
俺は子供の頃、空飛ぶ竜を見た…あるいは夢を見ていただけかも知れん…「マンガ日本昔ばなし」の影響も多大だろうな…

116:華厳命
09/05/06 21:56:37 BViJHVGi
まあ、経典はオリジナルフォーマットじゃなきゃダメ!ってヤツともう少し芸術的にというヤツがいるだけで、そりゃ好みの問題にすぎんがな…

117:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/06 22:00:18 sR78g6CI
心経-英語版・絶好調な音楽だ!!
URLリンク(www.youtube.com)

118:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/06 22:02:30 sR78g6CI
心経-日本語版・絶好調な音楽だ!!
URLリンク(www.youtube.com)

119:華厳命
09/05/06 22:03:22 BViJHVGi
荘厳、荘厳、荘厳…

120:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/06 22:07:40 sR78g6CI
ゴスペル風「般若心経」つのだ☆ひろ(コメ付)
URLリンク(www.youtube.com)

コメ付なのでわかりやすいお^^



121:神も仏も名無しさん
09/05/06 22:14:35 p70CBfVp
退屈でいいから、めんどくさくない方が俺はいいかもしれない…

どっちの料理ショー

122:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/06 22:15:14 sR78g6CI
「般若心経」とは悟りへの道である・・・

生まれて初めて内容知った・・・お^^
なんだお^^唯識かお^^
けどブッダ直接の経でゃないな・・・^^

123:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/06 22:16:49 sR78g6CI
【悟りとは何か part1】も般若心経に近かったお^^

124:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/06 22:18:05 sR78g6CI
般若心経 (Han-nya singyou)
URLリンク(www.youtube.com)

なんぞこれ・・・

125:神も仏も名無しさん
09/05/06 22:21:08 p70CBfVp
悟ろうとするのは苦労が多く、何かを犠牲にしてる気がするのですが、
結局悟れなかった場合、悟ろうとしなかった人の方が余程悟っていると思うのです…

126:華厳命
09/05/06 22:24:59 BViJHVGi
ふむ。つまらん…

127:神も仏も名無しさん
09/05/06 22:27:31 +zjNrY2Z
法句経 - Wikipedia
URLリンク(ja.wikipedia.org)

『法句経』(ほっくきょう)、または『ダンマパダ』は、原始仏典の一つで、釈迦の語録の形式を取った仏典である。
語義は「真理の言葉」といった意味であり、原始仏典の中では最もポピュラーな経典の一つである。
『スッタニパータ』と共に原始仏典の、最古層の部類とされる。

パーリ語の日本語訳として、中村元著『ブッダの真理のことば・感興のことば』、友松円諦訳『法句経』が有名である。

パーリ語だけでなく、サンスクリット語でも同様の経典が『ウダーナヴァルガ(Udânavarga)』として存在する。
説一切有部によって編纂されたとされ、詩句が大幅に増広されており、思想的に見てもパーリ・ダンマパダよりは後に成立したとされている。
これの漢訳としては、『法句経(ダンマパダではない)』『出曜経』(竺仏念訳)等がある。
(上記の『ブッダの真理のことば・感興のことば』には、パーリ語版、サンスクリット語版の両方が訳出されている。)

128:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/06 22:30:23 sR78g6CI
>>125
仏教の理論おもしろくてねれないお^^

129:神も仏も名無しさん
09/05/06 22:33:32 p70CBfVp
ちゃんと寝ましょう^^

130:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/06 22:35:49 sR78g6CI
業感縁起 [編集]

説一切有部は人間の苦の直接の原因を、誤った行為(業)とみ、その究極の原因
を煩悩(惑)と考えた。すなわち人間の存在を惑→業→苦の連鎖とみ、これを「
業感縁起」という。それゆえ人間が苦からのがれ涅槃の境地を得る(さとり)た
めには、煩悩を断ずればよいことになる。このようにして説一切有部は108の煩
悩を考え、この断除のしかたを考察した。すなわち四諦の理をくりかえし研究
考察することによって智慧が生じ、この智慧によって煩悩を断ずるのである。
すべての煩悩を断じた修行者は、聖人となり、阿羅漢(arhat)と呼ばれる。
(これが涅槃の境地である。)


131:神も仏も名無しさん
09/05/06 22:36:26 +zjNrY2Z
**法句経**   【ダンマパダ】真理のことば
URLリンク(seijyaku.fc2web.com)

第十四章 ブッダ

179 、 ブッダの勝利は敗れることがない。この世においては何人も、かれの勝利には達しえない。ブッダの境地はひろくて涯しがない。足跡をもたないかれを、いかなる道によって誘い得るであろうか?

180、 誘なうために網のようにからみつき執著をなす妄執は、かれにはどこにも存在しない。ブッダの境地は、ひろくて涯しがない。足跡をもたないかれを、いかなる道によって誘い得るであろうか?

180 、 正しいさとりを開き、念いに耽り、瞑想に専中している心ある人々は世間から離れた静けさを楽しむ。神々でさえもかれを羨む。

181 、人間の身を受けることは難しい。死すべき人々に寿命があるのも難しい。正しい教えを聞くのも難しい。もろもろのみ仏の出現したもうことも難しい。

182 、 すべて悪しきことをなさず、善いことを行ない、自己の心を浄めること、___これが諸の仏の教えである。

183 、忍耐・堪忍は最上の苦行である。ニルヴァーナは最高のものであると、もろもろブッダは説きたまう。他人を害する人は出家者ではない。他人を悩ます人は<道の人>ではない。

184 、 罵らず、害わず、戒律に関しておのれを守り、食事に関して(適当な)量を知り、淋しいところにひとり臥し、坐し、心に関することにつとめはげむ。___これがもろもろのブッダの教えである。

185 、たとえ貨幣の雨を降らすとも、欲望の満足されることはない。「快楽の味は短くて苦痛である」としるのが賢者である。

186 、 天上の快楽にさえもこころ楽しまない。正しく覚った人(仏)の弟子は妄執の消滅を楽しむ。

132:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/06 22:37:09 sR78g6CI
業感縁起 [編集]

説一切有部は人間の苦の直接の原因を、誤った行為(業)とみ、その究極の原因
を煩悩(惑)と考えた。すなわち人間の存在を惑→業→苦の連鎖とみ、これを「
業感縁起」という。それゆえ人間が苦からのがれ涅槃の境地を得る(さとり)た
めには、煩悩を断ずればよいことになる。このようにして説一切有部は108の煩
悩を考え、この断除のしかたを考察した。すなわち四諦の理をくりかえし研究
考察することによって智慧が生じ、この智慧によって煩悩を断ずるのである。
すべての煩悩を断じた修行者は、聖人となり、阿羅漢(arhat)と呼ばれる。
(これが涅槃の境地である。)


133:神も仏も名無しさん
09/05/06 22:39:02 +zjNrY2Z
187 、 人々は恐怖にかられて、山々、林、園、樹木、霊樹など多くのものにたよろうとする。

178 、 しかしこれは安らかなよりどころではない。これは最上のよりどころではない。それらのよりどころによってはあらゆる苦悩から免れることはできない。

190 、191 さとれる者(仏)と真理のことわり(法)と聖者の集い(僧)とに帰依する人は、正しい知慧をもって、四つの尊い真理を見る。
___すなわち(1)苦しみと、(2)苦しみの成り立ちと、(3)苦しみの超克と、(4)苦しみの終減におもむく八つの尊い道(八聖道)とを(見る)。

192 、 これは安らかなよりどころである。これは最上のよりどころである。このよりどころにたよってあらゆる苦悩から免れる。

193 、 尊い人(ブッダ)は得がたい。かれはどこにでも生れるのではない。思慮深い人(ブッダ)の生れる家は、幸福に栄える。

194 、 もろもろの仏の現われたまうのは楽しい。正しい教えを説くのは楽しい。つどいが和合しているのは楽しい。和合している人々がいそしむのは楽しい。

195 、196、 すでに虚妄な論議をのりこえ、憂いと苦しみをわたり、何ものをも恐れず、安らぎに帰した、拝むにふさわしいそのような人々、
もろもろのブッダまたその弟子たちを供養するならば、この功徳はいかなる人でもそれを計ることができない。

134:神も仏も名無しさん
09/05/06 22:43:21 +zjNrY2Z
涅槃寂静 - Wikipedia
URLリンク(ja.wikipedia.org)

涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)は、仏教用語で、煩悩の炎の吹き消された悟りの世界(涅槃)は、静やかな安らぎの境地(寂静)であるということを指す。
涅槃寂静は三法印・四法印の一つとして、仏教が他の教えと根本的に違うことを示す。

この言葉は、『雑阿含経』などには、涅槃寂滅(パーリ語:nibbaana-vuupasanna、निब्बान वूपसन्न)、『大智度論』には涅槃実法印などと出てくる。
「涅槃寂静」と言う用語が登場するのは、『瑜伽師地論』である。

なお、漢字文化圏では10-24を示す数の単位としても用いられる(#単位としての涅槃寂静を参照)。

135:神も仏も名無しさん
09/05/06 22:47:03 +zjNrY2Z
諸行無常・諸法無我の事実を自覚することが、この涅槃寂静のすがたである。

無常と無我とを自覚してそれによる生活を行うことこそ、煩悩をまったく寂滅することのできた安住の境地であるとする。
『大般涅槃経』においては、この娑婆世界の無常・無我を離れたところに、真の「常楽我浄」があるとする。

無常の真実に目覚めないもの、無我の事実をしらないで自己をつかまえているものの刹那を追い求めている生活も、
無常や無我を身にしみて知りながら、それを知ることによってかえってよりどころを失って、よりどころとしての常住や自我を追い求めて苦悩している生活も、いずれも煩悩による苦の生活である。
それを克服して、いっさいの差別(しゃべつ)と対立の底に、いっさいが本来平等である事実を自覚することのできる境地、それこそ悟りであるというのが、涅槃寂静印の示すものである。

仏教本来の意味からすると、涅槃とはいっさいのとらわれ、しかも、いわれなきとらわれ(辺見)から解放された絶対自由の境地である。
これは、縁起の法に生かされて生きている私たちが、互いに相依相関の関係にあることの自覚であり、積極的な利他活動として転回されなくてはならない。
この意味で、この涅槃寂静は仏教が他の教えと異なるものとして法印といわれるのである。

136:神も仏も名無しさん
09/05/06 22:47:39 p70CBfVp
涅槃寂静

137:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/06 22:54:54 sR78g6CI BE:1154193293-PLT(13230)
有余涅槃・無余涅槃
涅槃を説一切有部は二つに区別した。

1. まだ肉体が存する阿羅漢の境地は肉体的苦があるので不完全とみなし「
有余依涅槃」と称した。
2. 阿羅漢の死後を完全な涅槃とみて「無余依涅槃」と称した。

また、釈迦(仏陀)は格段に優れた人格者とみなし、一般修行者は決して仏陀
の境地には達せず、阿羅漢までしかなれないと考えていた。これによって大乗
仏教が起こった可能性が高く、仏を目指さないからとして部派仏教を「小乗仏
教」と大乗側が誹謗した原因となった。

138:華厳命
09/05/06 23:05:55 BViJHVGi
迷いだの悟りだの、やれ涅槃だの…ほんまみっともないたらありゃしねえ…まれで仏教徒みたいだ…

139:神も仏も名無しさん
09/05/06 23:08:02 p70CBfVp
仏教徒^^

140:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/06 23:08:08 sR78g6CI BE:3077849298-PLT(13230)
六波羅蜜

六波羅蜜(ろく・はらみつ、ろっ・ぱらみつ)とは、大乗仏教以前からある、
菩薩が修めなくてはならない、布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧の6つの実践
徳目のこと。「六度(ろくど)」とも呼ばれる。菩薩は、この六徳目を得て自
利利他の大行を究竟し、涅槃の彼岸に到る。

ほほう^^

141:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/06 23:11:06 sR78g6CI BE:256487832-PLT(13230)
なお、大乗仏教においては、その代表的な論書である『大智度論』に、般若波羅
蜜のみに摩訶(mahā マハー)をつけて「摩訶般若波羅蜜」と称すと説かれている
。また、この言葉を表題にする『摩訶般若波羅蜜経』大明品第三十二には「深般
若波羅蜜」という語が頻出するが、大乗のいわゆる小乗における般若波羅蜜の浅
行を批判する表現といわれている。この深般若波羅蜜は、そのまま『般若心経』
の初句に表れるのは知られるところである。

またまたほほう^^

142:神も仏も名無しさん
09/05/06 23:14:24 p70CBfVp
制約と拘束がいっぱいです^^

それが人間じゃないか^^

そして思うようにならない^^

だそうです^^ほほう^^

143:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/06 23:14:28 sR78g6CI BE:641218853-PLT(13230)
みんな摩訶が付いてるお^^

お^^?

144:神も仏も名無しさん
09/05/06 23:14:40 +zjNrY2Z
八正道 - Wikipedia
URLリンク(ja.wikipedia.org)

八正道(はっしょうどう、aaryaaSTaaGgo-maargo、आर्याष्टाङ्गो मार्गो)は、
釈迦が最初の説法において説いたとされる、涅槃に至る修行の基本となる、
正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念および正定の、8種の徳。
「八聖道」とも「八支正道」とも言うが、倶舎論では「八聖道支」としている。
この 「道」が偏蛇を離れているので正道といい、
聖者の「道」であるから聖道(aaryaamaarga)と言う。

145:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/06 23:18:58 sR78g6CI BE:1154193293-PLT(13230)
ブッダも遊ぶだけ遊んで・・
何かに気づいて・・
悟りの道に入ったんだから・・・
その何かに気づくまでは・・
遊んでいてもいいのでは・・・


146:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/06 23:21:42 sR78g6CI BE:683966382-PLT(13230)
その気づきはいわゆる「空」かな・・・

147:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/06 23:28:31 sR78g6CI BE:1923655695-PLT(13230)
仏教内部においては、パーリ語経典を釈尊の直説と信じる上座部仏教徒が、大乗
経典は後世の捏造であるとして批判した。
仏教の経典に対する文献学的研究では、大乗仏教の経典は釈尊の般涅槃から数百
年後に編纂され、釈尊に仮託された思想文学であるという結論が支持されてい
る。
しかし、かつてはパーリ語経典や漢訳阿含経典を釈尊の直説とする立場から、
もっぱら大乗経典の「非仏説」が強調されたが、現代では、パーリ語経典でも
最古といわれるダンマパダやスッパニパタもさかのぼれるのは仏滅後百年であ
り、さらにこれらの最古の仏典には「如是我聞」の記述そのものが無いため、
これらの仏典が釈迦の説法を伝承する目的で編纂されたのかもはっきりしない
とされており、漢訳阿含経典をもふくむ仏教の経典全体が、仏滅後に数百年の
時間をかけて世相に対応する形で段階的に成立したという学説がコンセンサス
を得ている。


148:神も仏も名無しさん
09/05/06 23:32:39 +zjNrY2Z
>>145
>ブッダも遊ぶだけ遊んで・・
>何かに気づいて・・

人生の一切が苦であることに気づいたそうだお。

149:神も仏も名無しさん
09/05/06 23:37:45 +zjNrY2Z
諸行無常 - Wikipedia
URLリンク(ja.wikipedia.org)

諸行無常(しょぎょうむじょう、sabbe-saMkhaaraa-aniccaa, सब्बे संखारा अफिच्चा)とは、仏教用語で、
この世の現実存在はすべて、すがたも本質も常に流動変化するものであり、一瞬といえども存在は同一性を保持することができないことをいう。
この場合、諸行とは一切のつくられたもの、有為法をいう。三法印、四法印のひとつ。

涅槃経に「諸行無常 是生滅法 生滅滅已 寂滅爲樂」とあり、これを諸行無常偈と呼ぶ。
釈迦が前世における雪山童子であった時、この中の後半偈を聞く為に身を羅刹に捨てしなり。これより雪山偈とも言われる。

「諸行は無常であってこれは生滅の法であり、生滅の法は苦である。」この半偈は流転門。

「この生と滅とを滅しおわって、生なく滅なきを寂滅とす。寂滅は即ち涅槃、是れ楽なり。」
「為楽」というのは、涅槃楽を受けるというのではない。有為の苦に対して寂滅を楽といっているだけである。後半偈は還滅門。

生滅の法は苦であるとされているが、生滅するから苦なのではない。生滅する存在であるにもかかわらず、それを常住なものであると観るから苦が生じるのである。
この点を忘れてはならないとするのが仏教の基本的立場である。
なお涅槃経では、この諸行無常の理念をベースとしつつ、この世にあって、仏こそが常住不変であり、涅槃の世界こそ「常楽我浄」であると説いている。

150:神も仏も名無しさん
09/05/06 23:38:46 p70CBfVp
常楽我浄

151:神も仏も名無しさん
09/05/06 23:39:48 +zjNrY2Z
三法印・四法印は釈迦の悟りの内容であるとされているが、
釈迦が「諸行無常」を感じて出家したという記述が、
初期の『阿含経』に多く残されている。

152:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/06 23:40:05 sR78g6CI BE:3462580499-PLT(13230)
>>148
そうだったのかお^^
ほほう^^

153:神も仏も名無しさん
09/05/06 23:44:58 +zjNrY2Z
常楽我浄 - Wikipedia
URLリンク(ja.wikipedia.org)

常楽我浄とは、仏教とりわけ大乗仏教で、仏及び涅槃の境涯を表した語である。
一般的に涅槃の四徳、または四波羅密といわれる。
主に『大般涅槃経』に説かれるが、『勝鬘経』など多くの大乗経典にも登場する語である。

釈迦が出家した時、衆生の多くは人間世界のこの世が、
無常であるのに常と見て、
苦に満ちているのに楽と考え、
人間本位の自我は無我であるのに我があると考え、
不浄なものを浄らかだ
と見なしていた。これを四顛倒(してんどう、さかさまな見方)という。
釈迦は成道した直後にまずこの四顛倒をただし、この世は無常・苦・無我・不浄であると説いた。
これが諸行無常・一切皆苦・諸法無我などという仏教用語の基となっている。

154:神も仏も名無しさん
09/05/06 23:47:35 +zjNrY2Z
しかし『涅槃経』に至って、如来は入滅してもこの世に常住し、涅槃こそ真の楽であり、
人間我を超えた所に如来我(仏性)があり、浄らかであると説いた、とされている。

常 - 仏や涅槃の境涯は、常住で永遠に不滅不変である
楽 - 仏や涅槃の境涯は、人間の苦を離れたところに真の安楽がある
我 - 仏や涅槃の境涯は、人間本位の自我を離れ、如来我(仏性)がある
浄 - 仏や涅槃の境涯は、煩悩を離れ浄化された清浄な世界である
これが常楽我浄である。

155:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/06 23:49:24 sR78g6CI BE:3462580499-PLT(13230)
釈迦が前世における雪山童子であった時・・・
知らなかったお^^

涅槃経第十三
雪山童子
URLリンク(www.takemoto-shozo.com)

156:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/06 23:58:24 sR78g6CI BE:598471627-PLT(13230)
お釈迦さまはカピラ城での世俗の快楽の生活を離れ、そして6年あるいは7年の苦
行の生活をも捨てて、この二つの極端を離れた中正の道、すなわち「中道ちゅう
どう」のあり方を見出して、「(真理に)目覚める」「(真理を)知る」ことを得ら
れたのでした。
 さとり(bodhi)を開いた人のことを、ブッダ(buddha、仏陀ぶつだ、仏、ほと
け)といいますが、この言葉はbodhiと同じ動詞語根(budh,目覚める)から派生
した過去分詞であり、文字どおりには「目覚めた、目覚めた人」を意味します
。つまり、お釈迦さまことガウタマ・シッダールタはさとりを開いて初めてブ
ッダとなられたのです。35才、あるいは36才のときのことです。
 お釈迦さまがこのとき何をさとったのか、ということに関しては、さまざま
な伝承がありますが、最も一般的には、「縁起えんぎ」の理法を観じてさとり
を開かれたと考えられています。
URLリンク(mujintou.lib.net)

157:神も仏も名無しさん
09/05/07 00:45:00 BUPw5Nc+
マイケル・釈尊ですね!

158:神も仏も名無しさん
09/05/07 01:12:07 oW1APoIC
釈由美子 - Wikipedia
URLリンク(ja.wikipedia.org)

釈 由美子(しゃく ゆみこ、1978年6月12日 - )は、日本の女優、タレントで元グラビアアイドル。
所属事務所はトミーズアーティストカンパニー。
本名同じ。愛称は「釈ちゃん」。

159:神も仏も名無しさん
09/05/07 01:20:51 oW1APoIC
本田美奈子. - Wikipedia
URLリンク(ja.wikipedia.org)

白血病による逝去
2004年末頃から風邪に似た症状がなかなか治まらないため、
2005年(平成17年)1月に病院の検査を受けたところ、急性骨髄性白血病と診断され緊急入院。
3回の化学療法による治療の後、5月に臍帯血移植を受け、7月末には一時退院できるまでに回復した。
しかしわずか1ヵ月後の8月31日に染色体異常が見つかり9月7日に再入院した。
10月には再び一時退院したものの、同月21日に染色体異常が発見され三度目の入院となった。
そして11月3日に肺に合併症を発し容態が急変。
11月6日午前4時38分、家族らの見守る中、息を引き取った。38年と3ヶ月の生涯だった。

法名は「釋 優聲(しゃく ゆうしょう)」。


160:神も仏も名無しさん
09/05/07 01:29:36 BUPw5Nc+
マイケル・釈尊は?

161:神も仏も名無しさん
09/05/07 01:41:17 oW1APoIC
釈迦 - Wikipedia
URLリンク(ja.wikipedia.org)

「釈迦」は釈迦牟尼(しゃかむに、シャーキャ・ムニ शाक्यमुनि [zaakya-muni])の略である。
釈迦は彼の部族名もしくは国名で、牟尼は聖者・修行者の意味。つまり釈迦牟尼は、「釈迦族の聖者」という意味の尊称である。
なお、釈迦族とは、様々な民族に経典を翻訳して伝える際に、注釈を加えてわかり易く説法する世襲制の祭司族または書記族の意味。

称号を加え、釈迦牟尼世尊、釈迦牟尼仏陀、釈迦牟尼仏、釈迦牟尼如来ともいう。ただし、これらはあくまで仏教の視点からの呼称である。
僧侶などが釈迦を指す時は、略して釈尊(しゃくそん)または釈迦尊、釈迦仏、釈迦如来と呼ぶことが多い。

称号だけを残し、世尊、仏陀、ブッダ、如来とも略す。ただし、大乗仏教以後の仏教では仏陀・世尊・如来は釈迦牟尼だけではない。
特に浄土真宗では単に如来というと阿弥陀如来を指すことも少なくない。

日本では、一般にお釈迦様、仏様(ほとけさま)と呼ばれることが多い。ただし、仏様は死者の意味に使われることも多い。

仏典ではこの他にも多くの異名を持つ。うち代表的な10個(どの10個かは一定しない)を総称して仏「十号」と呼ぶ。

162:神も仏も名無しさん
09/05/07 01:48:09 oW1APoIC
釈迦出家の動機は、釈迦族が農耕民族であったため、幼少の頃に田畑の虫をついばむ鳥を見たことなどにより日常的にこの世の無常を感じていたが、
決定的となったのは四門出遊の故事とされる。ある時、釈迦がカピラヴァスツ城の東門から出る時老人に会い、南門より出る時病人に会い、
西門を出る時死者に会い、生ある故に老も病も死もある(生老病死:四苦)と無常を感じた。
北門から出た時に一人の出家沙門に出会い、世俗の苦や汚れを離れた沙門の清らかな姿を見て、出家の意志を持つようになった。
私生活において一子ラーフラをもうけたことで、かねてよりの念願の出家の志を29歳、
12月8日夜半、王宮を抜け出て果たした。
中略
そして、ついに12月8日の未明に大悟する。これを「成道」といい、古来この日に「成道会(じょうどうえ)」を勤修した。
ガヤー村は、仏陀の悟った場所という意味の、ブッダガヤと呼ばれるようになった。

163:神も仏も名無しさん
09/05/07 01:55:36 oW1APoIC
仏教は仏滅後100年、上座部と大衆部に分かれる。これを根本分裂という。
その後西暦100年頃には20部前後の部派仏教が成立した。これを枝末分裂という
(ただし大衆部が大乗仏教の元となったかどうかはさだかではなく、上座部の影響も指摘されている)。
そして、部派仏教と大乗仏教とでは、釈迦に対する評価自体も変わっていった。
部派仏教では、釈迦は現世における唯一の仏とみなされている。
最高の悟りを得た仏弟子は阿羅漢(アラカン 如来十号の一)と呼ばれ、仏である釈迦の教法によって解脱した聖者と位置づけられた。
一方、大乗仏教では、釈迦は十方(東南西北とその中間である四隅の八方と上下)三世(過去、未来、現在)の無量の諸仏の一仏で、
現在の娑婆(サハー、堪忍世界)の仏である、等と拡張解釈された。
また、後の三身説では応身として、仏が現世の人々の前に現れた姿であるとされている。
とくに大乗で強調される仏性の思想は、上座部仏教には無かったことが知られている。

164:神も仏も名無しさん
09/05/07 02:26:13 BUPw5Nc+
マイケル・釈尊とネバーランド

熱狂するファンの群

憧れる少年達との親密な関係に似ている気がする

165:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/07 02:50:51 ro2aqg+h BE:1538924966-PLT(13230)
前世療法のCD

果たして、これで前世が分かるのか。
知りたくてたまらないが、8分ぐらいで寝てしまう。もし分かった人がいたら、
教えてください。

URLリンク(www.nicovideo.jp)

おいらねちゃうお^^


166:神も仏も名無しさん
09/05/07 03:00:34 Oga46OP0
おやすみ^^

167:神も仏も名無しさん
09/05/07 06:59:42 RmvRUppm
おはよう。

168:神も仏も名無しさん
09/05/07 07:00:22 Yeuag/lN
>>78
>実とはなんだろう…
仏教なら蓮の実だろうね。
蓮の花にたとえられる正法が仏法だから。
さっだるまぷんだりーかすーとら

169:神も仏も名無しさん
09/05/07 07:06:41 Yeuag/lN
>>145
ゴータマ・ブッダは悟った後も遊び続けただろ。遊行してたから。

170:神も仏も名無しさん
09/05/07 07:10:20 Yeuag/lN
>>155
>雪山童子
なつかしいな。俺は雪山童子から仏教を教わった。今どうしてるかな?

171:華厳命
09/05/07 07:56:41 AGFZ3s7L
うちの娘は運動神経にぶいくせに、雪山童子のごとく木登りにチャレンジ。「おーい、無理すんな」で、案の定転落…ケガはなく、以外とケロッとしてたな「童子」とは永遠の若者のこと

172:華厳命
09/05/07 08:02:18 AGFZ3s7L
マイケル・釈尊ねぇ…スリラーみたいにゾンビが襲ってきたら逃げる。妻が子供がゾンビ化したら、容赦なく射殺する。とにかく世界の果てまで逃げる。逃げ切る。ヨットで無人島へ行って…魚釣りして食う。「ドーン・オブ・ザ・デッド」はマジでヤバい

173:華厳命
09/05/07 08:16:59 AGFZ3s7L
そうだな…大正時代から昭和初期のエログロ・ナンセンスやな。あの頃の雰囲気はいいねぇ…乱歩みたいな変態がうじゃうじゃ…「孤島の鬼」「魔術師」「白髪鬼」こいつが懐かしいな。少年探偵シリーズなんざクソ

174:華厳命(善財童子求道の旅)
09/05/07 09:11:26 AGFZ3s7L
さて、インドで普賢菩薩から菩薩の世界をかいま観た善財(スダナ)はさらに旅を続けました。白髪の老人に出会いました。「こりゃ!善財!なぜアッラーに礼拝せぬか?」善財「わたしな無上の菩薩道を求めておりますが、まだそれがわかりません。どうかお説きください

175:華厳命(善財童子求道の旅)
09/05/07 09:17:41 AGFZ3s7L
老人はムハンマドであった。善財はとても謙虚に教えを耳傾けた。「礼拝5回、貧民に食わせ、怒らず、アッラーとその使徒を謗ってはならぬ!」善財はこの時、亜羅美耶絶対遍定三昧に没入した。

176:華厳命(善財童子求道の旅完結編)
09/05/07 09:50:05 AGFZ3s7L
善財はさらに旅を続け、ニューヨークにたどり着きました。マイルスデイビスに会いました。「マザー・ファッカー!おい、ガキ!俺のは聴いたか?」マイルス「シィート!ウィントンマルサリスはクソだ」善財は「カメレオン無節操妙音法三昧」に没入しました

177:神も仏も名無しさん
09/05/07 17:28:28 Oga46OP0
人間関係めんどくさい…
悟れば解決されるのだろうか?

178:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/07 18:45:03 ro2aqg+h BE:2393883078-PLT(13230)
人間関係めんどくさい…
悟れば解決されるのだろうか?

>>135 が実践できればね・・・

俗世間で悟るのは難しいと思うが・・・
修行僧の苦行にくらべれば・・・
何もしていないに等しいと思われる・・・お^^


179:神も仏も名無しさん
09/05/07 20:07:59 Oga46OP0
人間関係の苦行を知らないんだよ君は…

180:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/07 20:11:29 ro2aqg+h BE:641218853-PLT(13230)
人間関係の苦行

一言で言えば「自分に甘えてる」だけのことだね・・・^^

181:神も仏も名無しさん
09/05/07 20:13:41 Oga46OP0
お前に言われたくないわ。

182:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/07 20:23:16 ro2aqg+h BE:769462463-PLT(13230)
( ^ω^)カリカリすんなお^^

183:神も仏も名無しさん
09/05/07 20:25:23 CRzwVGNw
>>182
やめろ、それ以上煽るな。荒れる。
ID:Oga46OP0は別に説教されたくて来てるわけじゃない。
そういうときは、まず「大変だったでしょう。わかります。」とか
同意してあげないといけないんだ。
カウンセリングの基本だよ。

184:神も仏も名無しさん
09/05/07 20:36:32 Oga46OP0
お前に同意されたくないわ。

185:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/07 20:42:57 ro2aqg+h BE:2693118479-PLT(13230)
人間関係めんどくさい…

実感したお^^

186:神も仏も名無しさん
09/05/07 20:43:47 Oga46OP0
この程度で^^

187:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/07 20:43:55 ro2aqg+h BE:170992122-PLT(13230)
これは・・・
自我の執着がひど過ぎる・・・
無我になることをお勧めする^^

188:神も仏も名無しさん
09/05/07 20:44:29 CRzwVGNw
『平常心是道』
URLリンク(www.mhl.janis.or.jp)

 昔、中国に馬祖道一(ばそどういつ)という禅僧がいまして、次のようなことを言いました。
 「もし、道というものをずばり言うとするならば、日常の心が即ち道である。そして何が日常の心で
 あるかというと、それは肯定(よい)でもなく、否定(わるい)でもなく、取るとか捨てるというものでもなく
 又、あたりまえでもなく、すぐれたものでもない」と言われました。
 その馬祖のお弟子に南泉という人がいました。この南泉が弟子の趙州と次のような問答を
 しました。
   趙州 「道とはどのようなものですか」
   南泉 「日常の心が道である」
   趙州 「その日常の心をつかむことを目標にすればよいのですか」
   南泉 「何か特別にそのようなものがあると思って探し求めたならば、益々道がわからなくなるぞ」
   趙州 「それを目標としなければ、どうしてそれが道であることがわかりましょうか」
   南泉 「道は知るとか知らぬとかいう知識には関係がない。もし本当に疑いのない世界に行くことが
   できれば、自分の心もすっきりとして晴れわたる。ああのこうのと言う必要はない」と答えました。
 趙州も本当にわかったという故事があります。
 つまり、どんな場合でも心をこめて自分を失わないことです。
 私どもの本山総持寺をお開き下さった瑩山禅師は、この言葉を

      『飯に逢うたら飯を喫し、茶に逢うたら茶を喫す』

 つまり、ご飯の時、お茶の時、という日常の生活、一つ一つに心をこめて大切にしなさい。それがみ仏の
 道であり、み仏に導かれる私たちの真の姿であり、人生道ですよ、と教えています。
 ご飯の時、「いただきます」と心から言える人は、きっとお米の尊さが解っている人であり、立派な人生を
 歩んでいる人でしょう。
 平常、「いただきます」というたわいない行いも「いただきます是道」であることを忘れないで下さい。

189:神も仏も名無しさん
09/05/07 20:44:58 Oga46OP0
自分に甘えてるだけだお^^

190:神も仏も名無しさん
09/05/07 20:46:31 Oga46OP0
>>187
君にもお勧めするお^^

191:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/07 20:47:19 ro2aqg+h BE:641219235-PLT(13230)
( ^ω^)平常心是道だお^^


192:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/07 20:50:34 ro2aqg+h BE:2094647677-PLT(13230)
結局「迷わない」ということだお^^
「Yes]「No]をはっきり示す
これが難しいんだお^^
自分に厳しくないとできないお^^

193:無私読後(無師独悟) ◆l3gPeppers
09/05/07 20:51:31 Br1xVUqg
>>188
つまり、つまり

お困りですねー

浣腸しましょ!

浣腸だぜっ!! (メ▼▼)ノ0=|⊃―; ☆ ブスッ!! ( ̄血 ̄;) ウッ!!

194:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/07 20:55:22 ro2aqg+h BE:1282437656-PLT(13230)
( ^ω^)

195:神も仏も名無しさん
09/05/07 20:56:11 Oga46OP0
自分に甘い人に言われても説得力ないお^^

196:神も仏も名無しさん
09/05/07 21:02:16 CRzwVGNw
>>193
古人曰く
「狂人の真似とて大路を走らば、即ち狂人なり。悪人の真似とて人を殺さば悪人なり、
 偽りて賢を学ばんは賢というべし」。

露命というように人生は露の如く儚いもの。
いつまでも無駄レスして遊んでいる時間はないことを早く貴殿も悟るべきだろう。

197:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/07 21:03:43 ro2aqg+h BE:683967528-PLT(13230)
おいら自分に甘いこと気がついたお^^
それはね~
「甘えの構造」の本読んだときからだお^^


198:無私読後(無師独悟) ◆l3gPeppers
09/05/07 21:06:41 Br1xVUqg
>>196
それはあなたと何の関係も無い、古人があなたに言ったのでしょう?

あなたの考えは、無いの?

199:神も仏も名無しさん
09/05/07 21:08:00 Oga46OP0
違う意味で甘いことにも気づいた方がいいお^^

200:神も仏も名無しさん
09/05/07 21:14:39 CRzwVGNw
>>198
多くの古人や祖先がいるから現在の我々がいるのだが?
古人と一切関係のない人が一人でも我々の中にいるかね?
貴殿が古人の生み出した多くの有用な言葉や発明を一切使わないというのなら、
カキコは出来ないだろう。そのままネットもやめて新聞もラジオもやめて
山にでも一人で引き篭もって悟りを開く修行に取り掛かればよろしいだろう。

201:神も仏も名無しさん
09/05/07 21:16:35 Oga46OP0
>>200
君は全部それだお^^

202:無私読後(無師独悟) ◆l3gPeppers
09/05/07 21:28:17 Br1xVUqg
>>200
こじんは、もういないから、どうでもいいよ。

かんじんなのは、今、いきているあなたの生と、やがて来るあなたの死。

それをあなたのことばでしゃべろうよ。

203:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/07 21:28:21 ro2aqg+h BE:1367932984-PLT(13230)
( ^ω^)おいいらは甘いのかお?


204:神も仏も名無しさん
09/05/07 21:31:44 Oga46OP0
甘いお^^

205:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/07 21:45:18 ro2aqg+h BE:1709916285-PLT(13230)
言わなければならないときは( ^ω^)キッパリ
言うけどな・・・
うぅううううううううううん~

206:神も仏も名無しさん
09/05/07 22:02:22 BUPw5Nc+
>>205 人にどうこう言う以前の問題

あなたは自分自身に甘過ぎるんですよ^^

207:神も仏も名無しさん
09/05/08 02:33:18 jJ2K3pdl
誰もが自分に甘い事を忘れちゃって良いのかねぇ~??

エコが取りざたされる現代の社会で、自分に厳しいなら、
一切のCo2の排出に気を使わないと、甘い部類になる筈だ。
当然、車、電車、ガス、電気、使う場合、甘いって言える訳だし、

こんな掲示板で他人に言及してしまうエゴを、
「お前は甘い!」なんてことで言及してしまう事こそが、甘さの象徴では無いのだろうか?


坂井マキだかが、暴露本で、石田一成が、フェラチオさせた時のセリフを思い出した。

「俺、コーヒーばかり飲んでるから、俺のは甘いだろ?」
その根拠が正しいなら、俺のもきっと甘いんだろうよww

208:神も仏も名無しさん
09/05/08 04:08:58 YFiuclLU
>>207
陳腐

209:神も仏も名無しさん
09/05/08 05:28:58 jbpDOF8v
>>207 御自覚の通りだwwwwww

210:神も仏も名無しさん
09/05/08 07:32:20 bnrU4bu8
エゴがある間は自分で自分のことなど解るはずもない。
だから他人の批判が必要なんだと思うよ。
岡目八目というからね。己の自我を通してないぶん、他人の方が正確だ。

211:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/08 09:32:30 bnIdZlQT BE:2393882887-PLT(13230)
そこで彼は止むなく自己を一時滅却してでも集団に所属する方を選びとろうとす
る。これは実は前に説明した義理人情の葛藤と本質的に変りはない。義理人情の
葛藤が結局は甘えに根ざしているように、この個人対集団の葛藤もその本質は個
人の甘えに発していると考えられるのである。従来日本では心情よりも義理、個
人よりも集団が重んじられてきたが、以上の考察が示すごとく、これは一見極め
て利にかなったということができる。大体人はその本性からして集団を求め
、集団なくしては生存することができない。したがって小我を捨てて大我を取
ることが美徳として賞揚されるならば、一層集団と行を共にすることがやりや
すくなる。かくして集団内部の人間関係の摩擦は最小限に抑えられ、集団活動
の効率は一段と高くなるのである。
URLリンク(www.fsinet.or.jp)

小我を捨てて大我を取る・・・^^

212:亭白
09/05/08 10:45:05 0cPEDa+z
>>211 :Φιλοσοφさん
「小我を捨てて大我を取る」私の好きな一転悟のような響きを感じます。
 
 この世的わずらわしさに囚われる我執なる小我を捨て、心の平静なる明鏡止水の心境を

 楽しみ般若の湖の底に観える真実な智慧を得て、降魔成道を通して大いなる悟りを開き

 大我の心境を得て楽しむことであります。

213:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/08 12:06:13 bnIdZlQT BE:2051899586-PLT(13230)
( ^ω^)おっおっ

214:神も仏も名無しさん
09/05/08 12:09:07 YSrChn5A
他者の心の中は永遠にわからないものです。
それを知り、他者性に依存する行為から脱皮し
自ら他者に対して何ができうるのか、いやそれ以前に
この自明な存在性と、絶対的な意識である自己を探求すること。
これ以外に、何か真実と言える事があるでしょうか。

掲示板で他者と議論するも、現実社会で他者と議論をするも、同じ事です。
それを自己探求の糧にするか、否か。

もし前者なら、あなたは人と争う事をしないでしょう。
なぜならば、人と争う事は前者にとってまったく無価値な出来事だからです。

もし後者ならば、あなたは好んで他者と争うでしょう。
しかしそれは自己探求の死、つまり上記した、唯一の真実からの逃避です。

他者と争うのは、自己探求への怠慢であると同時に
悲劇です。
そして自己探求に関して、時間的な無駄を意味するのです。

人生の終わりが来るまでに、それに気付く事ができればいいですね。

215:神も仏も名無しさん
09/05/08 12:13:02 bnrU4bu8
>>214
零点だ。なにもわかってないな。
とくにこれがダメだ。
>この自明な存在性と、絶対的な意識である自己を探求すること。

216:神も仏も名無しさん
09/05/08 12:14:17 bnrU4bu8
ひきこもりを正当化しても何も救われんぞ?


217:神も仏も名無しさん
09/05/08 12:16:02 bnrU4bu8
だいたい存在に意味を付けて、僕ちゃん何もしないけどえらいんでチューってか。
アホか。

218:神も仏も名無しさん
09/05/08 12:19:11 YSrChn5A
コギトですよ。
あなたは争うことが好きな人のようですね。

219:神も仏も名無しさん
09/05/08 12:24:04 bnrU4bu8
争いと感じるのも、あんたの分別心だろ?
俺はこれで普通だ。

コギトか。そういう論法なら
我を思わないときは我なしだな。



220:神も仏も名無しさん
09/05/08 12:31:17 bnrU4bu8
不思議なんだが、存在を確立したところで役には立つかい?
四六時中、俺はこういうやつだ、と固定して考えてるわけ?
自分が神だとか。
だとしたら虚しくなるだけだ。
思考と現実の分離に気がつかない。
そのためのひきこもりか?
だとしたら、傷つかなくて済むな。
なんか容易すぎないか?

221:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/08 12:37:00 bnIdZlQT BE:1496176875-PLT(13230)
なんぞこれ^^

222:神も仏も名無しさん
09/05/08 12:37:38 YSrChn5A
わたしはヒキコモリではないですよ。
あなたがそう妄想しているにすぎません。

わたしが上述した通り、他者の心は永遠にわかりません。
それは自らの独自性により明白です。
そしてあなたのこともわたしはわかりません。

人は自分を通して、世界を見ます。
それが真実なのですよ。
自分を通してしか世界を認識する事はでき得ない。

他人は自分の鏡、と賢人は言いました。そしてそれは真実でしょう。

あなたの攻撃性と、あなたの他者認識は、あなた自身なのです。

あなたが争いを好む人ならば、わたしがこれからあなたにレスする事も無いでしょう。

223:神も仏も名無しさん
09/05/08 12:38:18 bnrU4bu8
なんだろうな。
まあ、自分で考えてみなよ。
思考は所詮道具にすぎないから。
目的化すれば、永遠に自分の尻尾を追いかける犬になるだけだ。

224:神も仏も名無しさん
09/05/08 12:40:48 bnrU4bu8
真実とか、言葉に酔ってるな。
時には外をみてみろよ。
外の世界は脳内世界なんかと比べ物にならないから。

225:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/08 12:43:01 bnIdZlQT BE:512975434-PLT(13230)
わろた^^

226:神も仏も名無しさん
09/05/08 12:43:26 bnrU4bu8
>他人は自分の鏡

その鏡という概念、破壊することをお勧めする。
何も写すことなどできていないから。
自分を見るときも同じ。
過去の自分を見てるだけ。

227:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/08 12:44:54 bnIdZlQT BE:2693118097-PLT(13230)
こんなんばっかかよ~^^

228:神も仏も名無しさん
09/05/08 12:48:34 YSrChn5A
それがあなたの真実なんでしょうね。
けれど、「思考は所詮道具」
この認識さえも、突き詰めれば明確な事実とは言えないのでね。
人は探求の姿勢を無くした時に、限界を自ら内に据える事になる。

自分の信じてるものを現時点で絶対的だと妄信するのであれば
またそれも真実からの逃避です。

思想や思考の結果は実際には無意味でしょう。
けれど、人はそこに価値を与える事ができるのですよ。

そしてそこに普遍的要素は存在できえません。
なぜならば人、一人一人が独自性をもった絶対的意識に依存する存在なのですから。
普遍的な価値をそこに見いだそうとするならば、争いは必然としてそこに起こります。
独自性と言う真実を無視した結果、そうなります。
代表例は、宗教でしょう。

この虚無な世界を、虚無として結論づけ、歩みを止めるのか
それとも虚無を受け入れ、この世界を変え、より良く生きようと試みるか
それだけです。

あなたの世界は、あなただけが変える事ができる。
他者の世界は、他者自身だけが変える事ができる。

それは独自性から自明です。真実はそこだけにしかないでしょう。

229:華厳命
09/05/08 13:01:57 Za6BXLKM
またまた~そんなカッコいい事言っちゃって(笑)それじゃあ教育は一切不要ですね?他者との共感や感動は一切不要ですね。なんと冷えきった世界観だろ…エゴイズムの権化なり。芸術はなぜ人に影響を及ぼさないか?思想・哲学は歴史的にみて人々を動かないか?

230:神も仏も名無しさん
09/05/08 13:04:38 +LsVH71y
>一人一人が独自性をもった絶対的意識
これの意味はどういうこと?
論理的には絶対という言葉は非常に使いにくい言葉なんだが。

231:神も仏も名無しさん
09/05/08 13:05:42 YSrChn5A
>>226
その言葉の真意は
他者認識は自己の投影、だということです。
あなたはあなたを通して他者を見ているのです。
他者がどう考えてるのか想像するのも
あなたの中の材料でしか想像できません。

つきつければ、他者の中に自己を発見できるでしょう。
しかし他者に攻撃性を向ける限り、あなたはそれに気付く事はありません。
つまりそれは自己に対し、抗っているからに他なりません。

自分を冷静に見つめ、批判できるものはそう多くありません。
人は自己批判が苦手な動物ですからね。存在性の否定につながるような行動は
生命体として無意識にそうせざるをえないものですから。

ちなみにわたしは今日休みで、ふらっと議論できるスレを回ってるだけです。
信じるか信じないかはあなたの心が決めるでしょう。
そしてそこにあなたの思考の限界が現れます。真実はそこに在りますよ。
偏見や先入観や、自己防衛意識から脱すれば、気付く事ができます。

鼻で笑って切り捨てる事は、思考をしなくてよいから楽ですが。
有益ではありませんよ。小学生でも同じ事してます。

232:華厳命
09/05/08 13:06:42 Za6BXLKM
人は一人では生きられないよ…その種のニヒリズムは青年期の理由なき反抗にも似て陳腐極まりない愚論だ。誰も愛さないつもりか?尊敬してる人物はいないのか?釈迦だって他人の施しがなきゃ、薄汚い浮浪者として終ったろうよ。生きた屍拾う者なし

233:神も仏も名無しさん
09/05/08 13:09:45 YSrChn5A
>>229
排他的なことを言ってるわけではありません。
誤読です。しかしそれもしょうがないことでしょう。
教育は必要です。他者との交わりも必要です。
哲学は視野を拡げる為に役立ちます。
それだけです。

>>230
あなたの存在性の他に、この世界にあなたは存在しますか?

自明の理です。あなたはこの世界で絶対的な独自な存在です。

ウィトゲンシュタインの論を読めば、厳密には理解できるとは言えない
ということが理解でき、なおかつ独自性も認識できるかもしれません。

234:神も仏も名無しさん
09/05/08 13:11:54 +LsVH71y
>>233
具体的に君は何ができるのかね。

235:華厳命
09/05/08 13:13:07 Za6BXLKM
絶対的意識なんてセリフは悟ってから言えよ。よくもまあ、いけシャーシャーと(笑)あんたにゃ百万年早いよ。平社員のカスが専務取締役に昇進するような大言荘語だ…島耕作か?おまいは…

236:神も仏も名無しさん
09/05/08 13:14:11 YSrChn5A
>>232
だから、だれも他者を受け入れるな、などと言ってないです。

独自性が理解できれば、他者もそうであると想像できる。
つまり、もともと異なる存在性、異なる真実を内にそれぞれが内包している
この違いさえわかれば、他者に対して過度に要求する事は無くなるのです。
なぜならば、それをまったく無駄な徒労に終わる事ですからね。
それよりも、違いを認識して、互いの妥協点を探る事ができます。

他者に求めすぎるから争うのですよ。
虚無性を受け入れ、自分が他者に対して何ができるのか、そこから全てが始まります。

ハッキリ言うと、他者にストレスを感じる必要は全くないのです。

237:神も仏も名無しさん
09/05/08 13:16:44 YSrChn5A
>>234
他者を自らを通して理解しようとすること。
自分の善悪を妄信しない事。
それだけで充分です。
伝わらないとは思いますが。

>>235
無駄な攻撃性は、あなたの限界を物語ります。
自らの言葉がなぜ発せられたのか、よく考えてみると
自分が見えてきますよ。

238:華厳命
09/05/08 13:23:55 Za6BXLKM
いやあ、攻撃はむしろ人類の発展に必然だし、それぐらいあんたも理解してるだろ?「お利口さん」よ?主張する事態「攻撃性」の発露だぜ?

239:華厳命
09/05/08 13:24:38 Za6BXLKM
訂正→主張する自体

240:神も仏も名無しさん
09/05/08 13:26:11 +LsVH71y
それが君の限界なんだね。
虚無にひきこもることが。
まあ、自分の存在なんか気になるから、他人の存在に臆病になるのだね。
考えすぎると人間関係疑心暗鬼おかしくなるよ。

241:華厳命
09/05/08 13:28:57 Za6BXLKM
戦争の無い世界は逆説的に言えば「死の世界」だ。愛も夢も、戦いから生まれる。俺は別に「帝国主義者」ではないがね。論理が突出し過ぎて「人間の生活」つまり地に足がついとらんよ…観念過剰だよ…気持ちはわからんでもないが…

242:神も仏も名無しさん
09/05/08 13:30:18 +LsVH71y
スポーツはやったことあるかい?
人間は瞬時にそんなにたくさん考えることはできないのだよ。
つまり、多すぎる思考は行動に支障をきたす。わかってる?

243:神も仏も名無しさん
09/05/08 13:32:49 YSrChn5A
>>240
>まあ、自分の存在なんか気になるから、他人の存在に臆病になるのだね。

これが自分を通した他者の世界
つまり自己認識ですよ。
あなたは他者を恐れています。わたしの認識とは違う独自性がここに語られています。
人は恐れると攻撃的になります。
あなたの攻撃性の根本がそこにあります。

あなたの想像の中ではわたしは他者恐怖のヒキコモリとなってるようですが
わたしは普通の社会人で、普通に仕事をして、友人も沢山います。
幸福ですよ。
ここで議論することは自己探求の手助けになるのでやってるだけです。

妄想を根拠にすることは、自己の内面の吐露に等しい。

もっと広い世界があなたの世界の中にもあるはずです。
考える事をやめないようにしたほうがいいです。

断定的なことを語る事は、思考の死を意味します。
つまり世界の広がりがそこでとまるわけです。

ちなみにわたしはあなたを否定してるわけではありませんので
あなたがわたしの人格にアンチな態度になる必要は全くありません。
論理的な反論なら有意義ですけれどね。

244:神も仏も名無しさん
09/05/08 13:35:20 YSrChn5A
>>242
根本的な世界観が広がれば、些細な行動も変わってきます。
それは無意識化でも同じです。
人間の思考は、そのひとの限界性の中で起こるものですからね。
根本が変わればすべて変わる。

つまり、世界が変わるのです。どう変えるかは自分次第です。

245:神も仏も名無しさん
09/05/08 13:36:19 YSrChn5A
ちなみにスポーツは得意ですけど。
器械体操、野球、柔道、バスケ、サッカー、サーフィン
色々やってきましたけどね。余談ですが。

246:神も仏も名無しさん
09/05/08 13:37:21 +LsVH71y
わかってないな~。
攻撃を受けて何がわるいのかっていってるの。
君が攻撃をおそれてるんだろ?
争いといっても色々あるんだし、争ったから人を殺すまで行くのは相当なあくにんだけ。

247:神も仏も名無しさん
09/05/08 13:42:08 +LsVH71y
>>245
誰もそんなこときいてないよ。
じゃあ俺も。
サッカー暦は6年、テニス暦は11年くらいだな。
今はジムで2時間汗かくくらいだけど。

248:神も仏も名無しさん
09/05/08 13:54:43 4myvEagT
自分の心が弱ってるとき、他人の心の痛みを知ることができた。
優しさとは弱さ?
強さとは鈍感さ?
強い人の優しさって、本当の優しさなの?
浮浪者のおじさんが、別の浮浪者のおじさんに自分の食事を分け与えてる。
自分の食い扶持を削って、会ったばかりの赤の他人へ分け与えている。
弱い人が弱い人を助ける。
強い人に、弱い人の心が本当にわかる?

249:華厳命
09/05/08 13:59:03 Za6BXLKM
↑一週間ぐらい山籠もりでもいかが?

250:神も仏も名無しさん
09/05/08 13:59:57 +LsVH71y
>>248
強い人ってどういう意味なんだろうね?
その浮浪者のおじさんは強い人だとおもうね。
まあ心なんて弱いもんだよ。
自分を守らないのが最強じゃねえの?

251:華厳命
09/05/08 14:02:44 Za6BXLKM
三級波高魚化龍(さんきゅうなみたこうして「う」りゅうとかす… 痴人猶悔夜塘水(ちじんなおくやむやとうのみず)

252:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/08 14:07:04 bnIdZlQT BE:854958454-PLT(13230)
ほほう^^
強い人・・・
自我がなければ強いも弱いもないお^^



253:華厳命
09/05/08 14:08:31 Za6BXLKM
至上最強の武道家が、こんな言葉を残している。「最強の拳法は自分を殺そうと襲いかかる者と仲良く友人となる事である」

254:神も仏も名無しさん
09/05/08 19:33:33 YFiuclLU
お前らの醜さは我そのものだ!

255:神も仏も名無しさん
09/05/08 20:24:36 fAUEREQ2
>>253
塩田剛三のことだね。

ちなみに塩田剛三の師匠の植芝盛平は悟りを開いてるね。

256:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/08 20:32:40 bnIdZlQT
ロバート・ケネディ夫妻の前での演武では、塩田の強さを疑ったケネディの申し
出によって同行していたボディーガードと手合せを行い、これを圧倒している

URLリンク(www.youtube.com)

ほほう^^

257:神も仏も名無しさん
09/05/08 20:48:30 +NvHTDsY
>>253
>自分を殺そうと襲いかかる者と仲良く友人となる事

自分を暗殺しようとしたマフィアを許したヨハネ・パウロ2世みたいだな。

1981年5月13日、ヨハネ・パウロ2世はサンピエトロ広場にて、トルコ人マフィアのメフメト・アリ・アジャに銃撃された。
アジャは逮捕され終身刑が宣告された(その後恩赦。現在は他の刑で服役中)。
事件当日はファティマの聖母マリア出現の記念日であったため、ヨハネ・パウロ2世は「聖母が弾をそらして下さった」と語っていたという。
1983年のクリスマスの2日後、教皇は狙撃犯人のアジャが収監されている刑務所を訪れた。二人は面会し、短時間の会話を行った。
ヨハネ・パウロ2世は「私たちが話したものは、彼と私の間の秘密のままでなければならないでしょう。
私は彼を許し、完全に信頼できる兄弟として話しました」と語った。
2005年4月に教皇の訃報を聞いたアジャは深い悲しみを覚え、喪に服したことが家族により伝えられている。

258:神も仏も名無しさん
09/05/08 20:56:08 d0aRZBfa
まな板の鯉が最強だな。
捨身になれた者にかなう相手はあるまいて。

259:神も仏も名無しさん
09/05/08 20:57:15 +NvHTDsY
嵐山光三郎著「徒然草の知恵」ダイヤモンド社より(27)

乗馬、木登りに続いて、双六の名人の話もある。

勝たんと打つべからず。負けじと打つべきなり
勝とうと思って打ってはいけない。負けまいと思って打つべきだ 〈一一〇段〉
双六の名人が言うには、どの手が早く負けてしまうか考えて、その手を使わずに、
たとえ一目でも、遅く負けるだろうと思われる手にしたがうのが良いということだ。

歌謡曲の「勝つと思うな、思えば負けよ」の原典はこの兼好の段から発しているものであり、
何事も勝とうと思えば気負ってしまう、気負うから負けるという勝負の機微をついたものである。
兼好は、この双六名人の話を、「身を修め、国を保たむ道もまたしかなり」とまで、
ほめているのだが、それからが兼好らしいところで、
続く一一一段では、一転して、
(碁や双六を好んで、夜を明かし日をくらす人は、
四重罪を犯し、五逆罪を犯すよりもまさる悪事をしていると思う)
そう言った聖人の言葉を、すばらしいことだとほめているのだ。
これは、双六のような勝負事にふけること自体が愚かなことだという、
兼好本来の基本的立場とすれば当然のことなのだが、
双六の名人をあれほどほめても、
その舌の乾かないうちに双六を大悪と言い切る。
勝負のコツはコツとしてとりあげるが、双六自身は否定されるべき存在なのだ。

兼好が、建前として勝負事を嫌いつつも、じつは好きだったことをうかがわせる一説である。

260:俺和尚
09/05/08 22:09:37 os6opRQu
自分を殺そうとする者と仲良くなるのは悟りとは一切無縁じゃ。
悟りをひらけてないということじゃ。

261:神も仏も名無しさん
09/05/08 22:14:13 +NvHTDsY
なるほど。して、その根拠はいかに。
正当な仏典より該当部分を引用されたし。

262:俺和尚
09/05/08 22:22:18 os6opRQu
悟りに根拠があるならば迷う者はおらんのじゃ。

263:神も仏も名無しさん
09/05/08 23:00:04 +NvHTDsY
悟りを開いたら迷わなくなるらしいが。
それはつまり悟りが迷いを消す根拠になるということだろう。

264:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/08 23:40:54 bnIdZlQT
ほほう^^

265:神も仏も名無しさん
09/05/08 23:45:03 OxzfA9Me
悟ると、おちんちんが自然と大きくなる。

266:神も仏も名無しさん
09/05/08 23:55:56 jbpDOF8v
>>265 なかなかデカそうだな!

267:神も仏も名無しさん
09/05/08 23:59:52 OxzfA9Me
悟ると、迷いなどなくなる。

それまで、抑えつけるように働いてたものもなくなり、

おちんちんが解放され、大きくなっていく。

悟れば、女性を見ただけでエッチなことを想像しなくても、おちんちんは大きくなっていく。

268:神も仏も名無しさん
09/05/09 00:05:40 K4f5B/H6
悟れば、ここに書かれているものが全て無意味だということに気づく。
おちんちんは小さくなっていく。

269:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/09 00:08:09 yE4T95Bi
やっと悟りというものが解ってきたみたいだな・・・^^

270:神も仏も名無しさん
09/05/09 00:08:37 OxzfA9Me
それは、無意味だということに気づき、
その気づきの心がおちんちんを抑えつけてしまうのだ。
無意味だと気付く、もはや悟りではない。

271:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/09 00:10:11 yE4T95Bi
無の境地におちんちんなど存在しなぁあああああああああああああああい^^

272:神も仏も名無しさん
09/05/09 00:13:26 Viwnejl8
おちんちんは存在する。
存在するのに存在しないと思っているだけのことである。

273:神も仏も名無しさん
09/05/09 00:27:49 Viwnejl8
無の境地とは、おちんちんという言葉が存在しないだけのことである。

無の境地であっても、太くて固いそして、先端がぷっくりふくれた血管の浮き出たものは
存在している。

274:神も仏も名無しさん
09/05/09 01:02:07 Viwnejl8
さぁ、悟りたいんだろ

悟りたいなら、
自分のおちんちんをありのまま描いてごらん
無の境地なんだろ、
○や△をさらさら描くように、おちんちんをありのまま描いてごらんよ


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