【悟りとは何か part2】at PSY
【悟りとは何か part2】 - 暇つぶし2ch150:神も仏も名無しさん
09/05/06 23:38:46 p70CBfVp
常楽我浄

151:神も仏も名無しさん
09/05/06 23:39:48 +zjNrY2Z
三法印・四法印は釈迦の悟りの内容であるとされているが、
釈迦が「諸行無常」を感じて出家したという記述が、
初期の『阿含経』に多く残されている。

152:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/06 23:40:05 sR78g6CI BE:3462580499-PLT(13230)
>>148
そうだったのかお^^
ほほう^^

153:神も仏も名無しさん
09/05/06 23:44:58 +zjNrY2Z
常楽我浄 - Wikipedia
URLリンク(ja.wikipedia.org)

常楽我浄とは、仏教とりわけ大乗仏教で、仏及び涅槃の境涯を表した語である。
一般的に涅槃の四徳、または四波羅密といわれる。
主に『大般涅槃経』に説かれるが、『勝鬘経』など多くの大乗経典にも登場する語である。

釈迦が出家した時、衆生の多くは人間世界のこの世が、
無常であるのに常と見て、
苦に満ちているのに楽と考え、
人間本位の自我は無我であるのに我があると考え、
不浄なものを浄らかだ
と見なしていた。これを四顛倒(してんどう、さかさまな見方)という。
釈迦は成道した直後にまずこの四顛倒をただし、この世は無常・苦・無我・不浄であると説いた。
これが諸行無常・一切皆苦・諸法無我などという仏教用語の基となっている。

154:神も仏も名無しさん
09/05/06 23:47:35 +zjNrY2Z
しかし『涅槃経』に至って、如来は入滅してもこの世に常住し、涅槃こそ真の楽であり、
人間我を超えた所に如来我(仏性)があり、浄らかであると説いた、とされている。

常 - 仏や涅槃の境涯は、常住で永遠に不滅不変である
楽 - 仏や涅槃の境涯は、人間の苦を離れたところに真の安楽がある
我 - 仏や涅槃の境涯は、人間本位の自我を離れ、如来我(仏性)がある
浄 - 仏や涅槃の境涯は、煩悩を離れ浄化された清浄な世界である
これが常楽我浄である。

155:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/06 23:49:24 sR78g6CI BE:3462580499-PLT(13230)
釈迦が前世における雪山童子であった時・・・
知らなかったお^^

涅槃経第十三
雪山童子
URLリンク(www.takemoto-shozo.com)

156:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/06 23:58:24 sR78g6CI BE:598471627-PLT(13230)
お釈迦さまはカピラ城での世俗の快楽の生活を離れ、そして6年あるいは7年の苦
行の生活をも捨てて、この二つの極端を離れた中正の道、すなわち「中道ちゅう
どう」のあり方を見出して、「(真理に)目覚める」「(真理を)知る」ことを得ら
れたのでした。
 さとり(bodhi)を開いた人のことを、ブッダ(buddha、仏陀ぶつだ、仏、ほと
け)といいますが、この言葉はbodhiと同じ動詞語根(budh,目覚める)から派生
した過去分詞であり、文字どおりには「目覚めた、目覚めた人」を意味します
。つまり、お釈迦さまことガウタマ・シッダールタはさとりを開いて初めてブ
ッダとなられたのです。35才、あるいは36才のときのことです。
 お釈迦さまがこのとき何をさとったのか、ということに関しては、さまざま
な伝承がありますが、最も一般的には、「縁起えんぎ」の理法を観じてさとり
を開かれたと考えられています。
URLリンク(mujintou.lib.net)

157:神も仏も名無しさん
09/05/07 00:45:00 BUPw5Nc+
マイケル・釈尊ですね!

158:神も仏も名無しさん
09/05/07 01:12:07 oW1APoIC
釈由美子 - Wikipedia
URLリンク(ja.wikipedia.org)

釈 由美子(しゃく ゆみこ、1978年6月12日 - )は、日本の女優、タレントで元グラビアアイドル。
所属事務所はトミーズアーティストカンパニー。
本名同じ。愛称は「釈ちゃん」。

159:神も仏も名無しさん
09/05/07 01:20:51 oW1APoIC
本田美奈子. - Wikipedia
URLリンク(ja.wikipedia.org)

白血病による逝去
2004年末頃から風邪に似た症状がなかなか治まらないため、
2005年(平成17年)1月に病院の検査を受けたところ、急性骨髄性白血病と診断され緊急入院。
3回の化学療法による治療の後、5月に臍帯血移植を受け、7月末には一時退院できるまでに回復した。
しかしわずか1ヵ月後の8月31日に染色体異常が見つかり9月7日に再入院した。
10月には再び一時退院したものの、同月21日に染色体異常が発見され三度目の入院となった。
そして11月3日に肺に合併症を発し容態が急変。
11月6日午前4時38分、家族らの見守る中、息を引き取った。38年と3ヶ月の生涯だった。

法名は「釋 優聲(しゃく ゆうしょう)」。


160:神も仏も名無しさん
09/05/07 01:29:36 BUPw5Nc+
マイケル・釈尊は?

161:神も仏も名無しさん
09/05/07 01:41:17 oW1APoIC
釈迦 - Wikipedia
URLリンク(ja.wikipedia.org)

「釈迦」は釈迦牟尼(しゃかむに、シャーキャ・ムニ शाक्यमुनि [zaakya-muni])の略である。
釈迦は彼の部族名もしくは国名で、牟尼は聖者・修行者の意味。つまり釈迦牟尼は、「釈迦族の聖者」という意味の尊称である。
なお、釈迦族とは、様々な民族に経典を翻訳して伝える際に、注釈を加えてわかり易く説法する世襲制の祭司族または書記族の意味。

称号を加え、釈迦牟尼世尊、釈迦牟尼仏陀、釈迦牟尼仏、釈迦牟尼如来ともいう。ただし、これらはあくまで仏教の視点からの呼称である。
僧侶などが釈迦を指す時は、略して釈尊(しゃくそん)または釈迦尊、釈迦仏、釈迦如来と呼ぶことが多い。

称号だけを残し、世尊、仏陀、ブッダ、如来とも略す。ただし、大乗仏教以後の仏教では仏陀・世尊・如来は釈迦牟尼だけではない。
特に浄土真宗では単に如来というと阿弥陀如来を指すことも少なくない。

日本では、一般にお釈迦様、仏様(ほとけさま)と呼ばれることが多い。ただし、仏様は死者の意味に使われることも多い。

仏典ではこの他にも多くの異名を持つ。うち代表的な10個(どの10個かは一定しない)を総称して仏「十号」と呼ぶ。

162:神も仏も名無しさん
09/05/07 01:48:09 oW1APoIC
釈迦出家の動機は、釈迦族が農耕民族であったため、幼少の頃に田畑の虫をついばむ鳥を見たことなどにより日常的にこの世の無常を感じていたが、
決定的となったのは四門出遊の故事とされる。ある時、釈迦がカピラヴァスツ城の東門から出る時老人に会い、南門より出る時病人に会い、
西門を出る時死者に会い、生ある故に老も病も死もある(生老病死:四苦)と無常を感じた。
北門から出た時に一人の出家沙門に出会い、世俗の苦や汚れを離れた沙門の清らかな姿を見て、出家の意志を持つようになった。
私生活において一子ラーフラをもうけたことで、かねてよりの念願の出家の志を29歳、
12月8日夜半、王宮を抜け出て果たした。
中略
そして、ついに12月8日の未明に大悟する。これを「成道」といい、古来この日に「成道会(じょうどうえ)」を勤修した。
ガヤー村は、仏陀の悟った場所という意味の、ブッダガヤと呼ばれるようになった。

163:神も仏も名無しさん
09/05/07 01:55:36 oW1APoIC
仏教は仏滅後100年、上座部と大衆部に分かれる。これを根本分裂という。
その後西暦100年頃には20部前後の部派仏教が成立した。これを枝末分裂という
(ただし大衆部が大乗仏教の元となったかどうかはさだかではなく、上座部の影響も指摘されている)。
そして、部派仏教と大乗仏教とでは、釈迦に対する評価自体も変わっていった。
部派仏教では、釈迦は現世における唯一の仏とみなされている。
最高の悟りを得た仏弟子は阿羅漢(アラカン 如来十号の一)と呼ばれ、仏である釈迦の教法によって解脱した聖者と位置づけられた。
一方、大乗仏教では、釈迦は十方(東南西北とその中間である四隅の八方と上下)三世(過去、未来、現在)の無量の諸仏の一仏で、
現在の娑婆(サハー、堪忍世界)の仏である、等と拡張解釈された。
また、後の三身説では応身として、仏が現世の人々の前に現れた姿であるとされている。
とくに大乗で強調される仏性の思想は、上座部仏教には無かったことが知られている。

164:神も仏も名無しさん
09/05/07 02:26:13 BUPw5Nc+
マイケル・釈尊とネバーランド

熱狂するファンの群

憧れる少年達との親密な関係に似ている気がする

165:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/07 02:50:51 ro2aqg+h BE:1538924966-PLT(13230)
前世療法のCD

果たして、これで前世が分かるのか。
知りたくてたまらないが、8分ぐらいで寝てしまう。もし分かった人がいたら、
教えてください。

URLリンク(www.nicovideo.jp)

おいらねちゃうお^^


166:神も仏も名無しさん
09/05/07 03:00:34 Oga46OP0
おやすみ^^

167:神も仏も名無しさん
09/05/07 06:59:42 RmvRUppm
おはよう。

168:神も仏も名無しさん
09/05/07 07:00:22 Yeuag/lN
>>78
>実とはなんだろう…
仏教なら蓮の実だろうね。
蓮の花にたとえられる正法が仏法だから。
さっだるまぷんだりーかすーとら

169:神も仏も名無しさん
09/05/07 07:06:41 Yeuag/lN
>>145
ゴータマ・ブッダは悟った後も遊び続けただろ。遊行してたから。

170:神も仏も名無しさん
09/05/07 07:10:20 Yeuag/lN
>>155
>雪山童子
なつかしいな。俺は雪山童子から仏教を教わった。今どうしてるかな?

171:華厳命
09/05/07 07:56:41 AGFZ3s7L
うちの娘は運動神経にぶいくせに、雪山童子のごとく木登りにチャレンジ。「おーい、無理すんな」で、案の定転落…ケガはなく、以外とケロッとしてたな「童子」とは永遠の若者のこと

172:華厳命
09/05/07 08:02:18 AGFZ3s7L
マイケル・釈尊ねぇ…スリラーみたいにゾンビが襲ってきたら逃げる。妻が子供がゾンビ化したら、容赦なく射殺する。とにかく世界の果てまで逃げる。逃げ切る。ヨットで無人島へ行って…魚釣りして食う。「ドーン・オブ・ザ・デッド」はマジでヤバい

173:華厳命
09/05/07 08:16:59 AGFZ3s7L
そうだな…大正時代から昭和初期のエログロ・ナンセンスやな。あの頃の雰囲気はいいねぇ…乱歩みたいな変態がうじゃうじゃ…「孤島の鬼」「魔術師」「白髪鬼」こいつが懐かしいな。少年探偵シリーズなんざクソ

174:華厳命(善財童子求道の旅)
09/05/07 09:11:26 AGFZ3s7L
さて、インドで普賢菩薩から菩薩の世界をかいま観た善財(スダナ)はさらに旅を続けました。白髪の老人に出会いました。「こりゃ!善財!なぜアッラーに礼拝せぬか?」善財「わたしな無上の菩薩道を求めておりますが、まだそれがわかりません。どうかお説きください

175:華厳命(善財童子求道の旅)
09/05/07 09:17:41 AGFZ3s7L
老人はムハンマドであった。善財はとても謙虚に教えを耳傾けた。「礼拝5回、貧民に食わせ、怒らず、アッラーとその使徒を謗ってはならぬ!」善財はこの時、亜羅美耶絶対遍定三昧に没入した。

176:華厳命(善財童子求道の旅完結編)
09/05/07 09:50:05 AGFZ3s7L
善財はさらに旅を続け、ニューヨークにたどり着きました。マイルスデイビスに会いました。「マザー・ファッカー!おい、ガキ!俺のは聴いたか?」マイルス「シィート!ウィントンマルサリスはクソだ」善財は「カメレオン無節操妙音法三昧」に没入しました

177:神も仏も名無しさん
09/05/07 17:28:28 Oga46OP0
人間関係めんどくさい…
悟れば解決されるのだろうか?

178:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/07 18:45:03 ro2aqg+h BE:2393883078-PLT(13230)
人間関係めんどくさい…
悟れば解決されるのだろうか?

>>135 が実践できればね・・・

俗世間で悟るのは難しいと思うが・・・
修行僧の苦行にくらべれば・・・
何もしていないに等しいと思われる・・・お^^


179:神も仏も名無しさん
09/05/07 20:07:59 Oga46OP0
人間関係の苦行を知らないんだよ君は…

180:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/07 20:11:29 ro2aqg+h BE:641218853-PLT(13230)
人間関係の苦行

一言で言えば「自分に甘えてる」だけのことだね・・・^^

181:神も仏も名無しさん
09/05/07 20:13:41 Oga46OP0
お前に言われたくないわ。

182:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/07 20:23:16 ro2aqg+h BE:769462463-PLT(13230)
( ^ω^)カリカリすんなお^^

183:神も仏も名無しさん
09/05/07 20:25:23 CRzwVGNw
>>182
やめろ、それ以上煽るな。荒れる。
ID:Oga46OP0は別に説教されたくて来てるわけじゃない。
そういうときは、まず「大変だったでしょう。わかります。」とか
同意してあげないといけないんだ。
カウンセリングの基本だよ。

184:神も仏も名無しさん
09/05/07 20:36:32 Oga46OP0
お前に同意されたくないわ。

185:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/07 20:42:57 ro2aqg+h BE:2693118479-PLT(13230)
人間関係めんどくさい…

実感したお^^

186:神も仏も名無しさん
09/05/07 20:43:47 Oga46OP0
この程度で^^

187:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/07 20:43:55 ro2aqg+h BE:170992122-PLT(13230)
これは・・・
自我の執着がひど過ぎる・・・
無我になることをお勧めする^^

188:神も仏も名無しさん
09/05/07 20:44:29 CRzwVGNw
『平常心是道』
URLリンク(www.mhl.janis.or.jp)

 昔、中国に馬祖道一(ばそどういつ)という禅僧がいまして、次のようなことを言いました。
 「もし、道というものをずばり言うとするならば、日常の心が即ち道である。そして何が日常の心で
 あるかというと、それは肯定(よい)でもなく、否定(わるい)でもなく、取るとか捨てるというものでもなく
 又、あたりまえでもなく、すぐれたものでもない」と言われました。
 その馬祖のお弟子に南泉という人がいました。この南泉が弟子の趙州と次のような問答を
 しました。
   趙州 「道とはどのようなものですか」
   南泉 「日常の心が道である」
   趙州 「その日常の心をつかむことを目標にすればよいのですか」
   南泉 「何か特別にそのようなものがあると思って探し求めたならば、益々道がわからなくなるぞ」
   趙州 「それを目標としなければ、どうしてそれが道であることがわかりましょうか」
   南泉 「道は知るとか知らぬとかいう知識には関係がない。もし本当に疑いのない世界に行くことが
   できれば、自分の心もすっきりとして晴れわたる。ああのこうのと言う必要はない」と答えました。
 趙州も本当にわかったという故事があります。
 つまり、どんな場合でも心をこめて自分を失わないことです。
 私どもの本山総持寺をお開き下さった瑩山禅師は、この言葉を

      『飯に逢うたら飯を喫し、茶に逢うたら茶を喫す』

 つまり、ご飯の時、お茶の時、という日常の生活、一つ一つに心をこめて大切にしなさい。それがみ仏の
 道であり、み仏に導かれる私たちの真の姿であり、人生道ですよ、と教えています。
 ご飯の時、「いただきます」と心から言える人は、きっとお米の尊さが解っている人であり、立派な人生を
 歩んでいる人でしょう。
 平常、「いただきます」というたわいない行いも「いただきます是道」であることを忘れないで下さい。

189:神も仏も名無しさん
09/05/07 20:44:58 Oga46OP0
自分に甘えてるだけだお^^

190:神も仏も名無しさん
09/05/07 20:46:31 Oga46OP0
>>187
君にもお勧めするお^^

191:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/07 20:47:19 ro2aqg+h BE:641219235-PLT(13230)
( ^ω^)平常心是道だお^^


192:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/07 20:50:34 ro2aqg+h BE:2094647677-PLT(13230)
結局「迷わない」ということだお^^
「Yes]「No]をはっきり示す
これが難しいんだお^^
自分に厳しくないとできないお^^

193:無私読後(無師独悟) ◆l3gPeppers
09/05/07 20:51:31 Br1xVUqg
>>188
つまり、つまり

お困りですねー

浣腸しましょ!

浣腸だぜっ!! (メ▼▼)ノ0=|⊃―; ☆ ブスッ!! ( ̄血 ̄;) ウッ!!

194:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/07 20:55:22 ro2aqg+h BE:1282437656-PLT(13230)
( ^ω^)

195:神も仏も名無しさん
09/05/07 20:56:11 Oga46OP0
自分に甘い人に言われても説得力ないお^^

196:神も仏も名無しさん
09/05/07 21:02:16 CRzwVGNw
>>193
古人曰く
「狂人の真似とて大路を走らば、即ち狂人なり。悪人の真似とて人を殺さば悪人なり、
 偽りて賢を学ばんは賢というべし」。

露命というように人生は露の如く儚いもの。
いつまでも無駄レスして遊んでいる時間はないことを早く貴殿も悟るべきだろう。

197:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/07 21:03:43 ro2aqg+h BE:683967528-PLT(13230)
おいら自分に甘いこと気がついたお^^
それはね~
「甘えの構造」の本読んだときからだお^^


198:無私読後(無師独悟) ◆l3gPeppers
09/05/07 21:06:41 Br1xVUqg
>>196
それはあなたと何の関係も無い、古人があなたに言ったのでしょう?

あなたの考えは、無いの?

199:神も仏も名無しさん
09/05/07 21:08:00 Oga46OP0
違う意味で甘いことにも気づいた方がいいお^^

200:神も仏も名無しさん
09/05/07 21:14:39 CRzwVGNw
>>198
多くの古人や祖先がいるから現在の我々がいるのだが?
古人と一切関係のない人が一人でも我々の中にいるかね?
貴殿が古人の生み出した多くの有用な言葉や発明を一切使わないというのなら、
カキコは出来ないだろう。そのままネットもやめて新聞もラジオもやめて
山にでも一人で引き篭もって悟りを開く修行に取り掛かればよろしいだろう。

201:神も仏も名無しさん
09/05/07 21:16:35 Oga46OP0
>>200
君は全部それだお^^

202:無私読後(無師独悟) ◆l3gPeppers
09/05/07 21:28:17 Br1xVUqg
>>200
こじんは、もういないから、どうでもいいよ。

かんじんなのは、今、いきているあなたの生と、やがて来るあなたの死。

それをあなたのことばでしゃべろうよ。

203:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/07 21:28:21 ro2aqg+h BE:1367932984-PLT(13230)
( ^ω^)おいいらは甘いのかお?


204:神も仏も名無しさん
09/05/07 21:31:44 Oga46OP0
甘いお^^

205:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/07 21:45:18 ro2aqg+h BE:1709916285-PLT(13230)
言わなければならないときは( ^ω^)キッパリ
言うけどな・・・
うぅううううううううううん~

206:神も仏も名無しさん
09/05/07 22:02:22 BUPw5Nc+
>>205 人にどうこう言う以前の問題

あなたは自分自身に甘過ぎるんですよ^^

207:神も仏も名無しさん
09/05/08 02:33:18 jJ2K3pdl
誰もが自分に甘い事を忘れちゃって良いのかねぇ~??

エコが取りざたされる現代の社会で、自分に厳しいなら、
一切のCo2の排出に気を使わないと、甘い部類になる筈だ。
当然、車、電車、ガス、電気、使う場合、甘いって言える訳だし、

こんな掲示板で他人に言及してしまうエゴを、
「お前は甘い!」なんてことで言及してしまう事こそが、甘さの象徴では無いのだろうか?


坂井マキだかが、暴露本で、石田一成が、フェラチオさせた時のセリフを思い出した。

「俺、コーヒーばかり飲んでるから、俺のは甘いだろ?」
その根拠が正しいなら、俺のもきっと甘いんだろうよww

208:神も仏も名無しさん
09/05/08 04:08:58 YFiuclLU
>>207
陳腐

209:神も仏も名無しさん
09/05/08 05:28:58 jbpDOF8v
>>207 御自覚の通りだwwwwww

210:神も仏も名無しさん
09/05/08 07:32:20 bnrU4bu8
エゴがある間は自分で自分のことなど解るはずもない。
だから他人の批判が必要なんだと思うよ。
岡目八目というからね。己の自我を通してないぶん、他人の方が正確だ。

211:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/08 09:32:30 bnIdZlQT BE:2393882887-PLT(13230)
そこで彼は止むなく自己を一時滅却してでも集団に所属する方を選びとろうとす
る。これは実は前に説明した義理人情の葛藤と本質的に変りはない。義理人情の
葛藤が結局は甘えに根ざしているように、この個人対集団の葛藤もその本質は個
人の甘えに発していると考えられるのである。従来日本では心情よりも義理、個
人よりも集団が重んじられてきたが、以上の考察が示すごとく、これは一見極め
て利にかなったということができる。大体人はその本性からして集団を求め
、集団なくしては生存することができない。したがって小我を捨てて大我を取
ることが美徳として賞揚されるならば、一層集団と行を共にすることがやりや
すくなる。かくして集団内部の人間関係の摩擦は最小限に抑えられ、集団活動
の効率は一段と高くなるのである。
URLリンク(www.fsinet.or.jp)

小我を捨てて大我を取る・・・^^

212:亭白
09/05/08 10:45:05 0cPEDa+z
>>211 :Φιλοσοφさん
「小我を捨てて大我を取る」私の好きな一転悟のような響きを感じます。
 
 この世的わずらわしさに囚われる我執なる小我を捨て、心の平静なる明鏡止水の心境を

 楽しみ般若の湖の底に観える真実な智慧を得て、降魔成道を通して大いなる悟りを開き

 大我の心境を得て楽しむことであります。

213:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/08 12:06:13 bnIdZlQT BE:2051899586-PLT(13230)
( ^ω^)おっおっ

214:神も仏も名無しさん
09/05/08 12:09:07 YSrChn5A
他者の心の中は永遠にわからないものです。
それを知り、他者性に依存する行為から脱皮し
自ら他者に対して何ができうるのか、いやそれ以前に
この自明な存在性と、絶対的な意識である自己を探求すること。
これ以外に、何か真実と言える事があるでしょうか。

掲示板で他者と議論するも、現実社会で他者と議論をするも、同じ事です。
それを自己探求の糧にするか、否か。

もし前者なら、あなたは人と争う事をしないでしょう。
なぜならば、人と争う事は前者にとってまったく無価値な出来事だからです。

もし後者ならば、あなたは好んで他者と争うでしょう。
しかしそれは自己探求の死、つまり上記した、唯一の真実からの逃避です。

他者と争うのは、自己探求への怠慢であると同時に
悲劇です。
そして自己探求に関して、時間的な無駄を意味するのです。

人生の終わりが来るまでに、それに気付く事ができればいいですね。

215:神も仏も名無しさん
09/05/08 12:13:02 bnrU4bu8
>>214
零点だ。なにもわかってないな。
とくにこれがダメだ。
>この自明な存在性と、絶対的な意識である自己を探求すること。

216:神も仏も名無しさん
09/05/08 12:14:17 bnrU4bu8
ひきこもりを正当化しても何も救われんぞ?


217:神も仏も名無しさん
09/05/08 12:16:02 bnrU4bu8
だいたい存在に意味を付けて、僕ちゃん何もしないけどえらいんでチューってか。
アホか。

218:神も仏も名無しさん
09/05/08 12:19:11 YSrChn5A
コギトですよ。
あなたは争うことが好きな人のようですね。

219:神も仏も名無しさん
09/05/08 12:24:04 bnrU4bu8
争いと感じるのも、あんたの分別心だろ?
俺はこれで普通だ。

コギトか。そういう論法なら
我を思わないときは我なしだな。



220:神も仏も名無しさん
09/05/08 12:31:17 bnrU4bu8
不思議なんだが、存在を確立したところで役には立つかい?
四六時中、俺はこういうやつだ、と固定して考えてるわけ?
自分が神だとか。
だとしたら虚しくなるだけだ。
思考と現実の分離に気がつかない。
そのためのひきこもりか?
だとしたら、傷つかなくて済むな。
なんか容易すぎないか?

221:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/08 12:37:00 bnIdZlQT BE:1496176875-PLT(13230)
なんぞこれ^^

222:神も仏も名無しさん
09/05/08 12:37:38 YSrChn5A
わたしはヒキコモリではないですよ。
あなたがそう妄想しているにすぎません。

わたしが上述した通り、他者の心は永遠にわかりません。
それは自らの独自性により明白です。
そしてあなたのこともわたしはわかりません。

人は自分を通して、世界を見ます。
それが真実なのですよ。
自分を通してしか世界を認識する事はでき得ない。

他人は自分の鏡、と賢人は言いました。そしてそれは真実でしょう。

あなたの攻撃性と、あなたの他者認識は、あなた自身なのです。

あなたが争いを好む人ならば、わたしがこれからあなたにレスする事も無いでしょう。

223:神も仏も名無しさん
09/05/08 12:38:18 bnrU4bu8
なんだろうな。
まあ、自分で考えてみなよ。
思考は所詮道具にすぎないから。
目的化すれば、永遠に自分の尻尾を追いかける犬になるだけだ。

224:神も仏も名無しさん
09/05/08 12:40:48 bnrU4bu8
真実とか、言葉に酔ってるな。
時には外をみてみろよ。
外の世界は脳内世界なんかと比べ物にならないから。

225:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/08 12:43:01 bnIdZlQT BE:512975434-PLT(13230)
わろた^^

226:神も仏も名無しさん
09/05/08 12:43:26 bnrU4bu8
>他人は自分の鏡

その鏡という概念、破壊することをお勧めする。
何も写すことなどできていないから。
自分を見るときも同じ。
過去の自分を見てるだけ。

227:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/08 12:44:54 bnIdZlQT BE:2693118097-PLT(13230)
こんなんばっかかよ~^^

228:神も仏も名無しさん
09/05/08 12:48:34 YSrChn5A
それがあなたの真実なんでしょうね。
けれど、「思考は所詮道具」
この認識さえも、突き詰めれば明確な事実とは言えないのでね。
人は探求の姿勢を無くした時に、限界を自ら内に据える事になる。

自分の信じてるものを現時点で絶対的だと妄信するのであれば
またそれも真実からの逃避です。

思想や思考の結果は実際には無意味でしょう。
けれど、人はそこに価値を与える事ができるのですよ。

そしてそこに普遍的要素は存在できえません。
なぜならば人、一人一人が独自性をもった絶対的意識に依存する存在なのですから。
普遍的な価値をそこに見いだそうとするならば、争いは必然としてそこに起こります。
独自性と言う真実を無視した結果、そうなります。
代表例は、宗教でしょう。

この虚無な世界を、虚無として結論づけ、歩みを止めるのか
それとも虚無を受け入れ、この世界を変え、より良く生きようと試みるか
それだけです。

あなたの世界は、あなただけが変える事ができる。
他者の世界は、他者自身だけが変える事ができる。

それは独自性から自明です。真実はそこだけにしかないでしょう。

229:華厳命
09/05/08 13:01:57 Za6BXLKM
またまた~そんなカッコいい事言っちゃって(笑)それじゃあ教育は一切不要ですね?他者との共感や感動は一切不要ですね。なんと冷えきった世界観だろ…エゴイズムの権化なり。芸術はなぜ人に影響を及ぼさないか?思想・哲学は歴史的にみて人々を動かないか?

230:神も仏も名無しさん
09/05/08 13:04:38 +LsVH71y
>一人一人が独自性をもった絶対的意識
これの意味はどういうこと?
論理的には絶対という言葉は非常に使いにくい言葉なんだが。

231:神も仏も名無しさん
09/05/08 13:05:42 YSrChn5A
>>226
その言葉の真意は
他者認識は自己の投影、だということです。
あなたはあなたを通して他者を見ているのです。
他者がどう考えてるのか想像するのも
あなたの中の材料でしか想像できません。

つきつければ、他者の中に自己を発見できるでしょう。
しかし他者に攻撃性を向ける限り、あなたはそれに気付く事はありません。
つまりそれは自己に対し、抗っているからに他なりません。

自分を冷静に見つめ、批判できるものはそう多くありません。
人は自己批判が苦手な動物ですからね。存在性の否定につながるような行動は
生命体として無意識にそうせざるをえないものですから。

ちなみにわたしは今日休みで、ふらっと議論できるスレを回ってるだけです。
信じるか信じないかはあなたの心が決めるでしょう。
そしてそこにあなたの思考の限界が現れます。真実はそこに在りますよ。
偏見や先入観や、自己防衛意識から脱すれば、気付く事ができます。

鼻で笑って切り捨てる事は、思考をしなくてよいから楽ですが。
有益ではありませんよ。小学生でも同じ事してます。

232:華厳命
09/05/08 13:06:42 Za6BXLKM
人は一人では生きられないよ…その種のニヒリズムは青年期の理由なき反抗にも似て陳腐極まりない愚論だ。誰も愛さないつもりか?尊敬してる人物はいないのか?釈迦だって他人の施しがなきゃ、薄汚い浮浪者として終ったろうよ。生きた屍拾う者なし

233:神も仏も名無しさん
09/05/08 13:09:45 YSrChn5A
>>229
排他的なことを言ってるわけではありません。
誤読です。しかしそれもしょうがないことでしょう。
教育は必要です。他者との交わりも必要です。
哲学は視野を拡げる為に役立ちます。
それだけです。

>>230
あなたの存在性の他に、この世界にあなたは存在しますか?

自明の理です。あなたはこの世界で絶対的な独自な存在です。

ウィトゲンシュタインの論を読めば、厳密には理解できるとは言えない
ということが理解でき、なおかつ独自性も認識できるかもしれません。

234:神も仏も名無しさん
09/05/08 13:11:54 +LsVH71y
>>233
具体的に君は何ができるのかね。

235:華厳命
09/05/08 13:13:07 Za6BXLKM
絶対的意識なんてセリフは悟ってから言えよ。よくもまあ、いけシャーシャーと(笑)あんたにゃ百万年早いよ。平社員のカスが専務取締役に昇進するような大言荘語だ…島耕作か?おまいは…

236:神も仏も名無しさん
09/05/08 13:14:11 YSrChn5A
>>232
だから、だれも他者を受け入れるな、などと言ってないです。

独自性が理解できれば、他者もそうであると想像できる。
つまり、もともと異なる存在性、異なる真実を内にそれぞれが内包している
この違いさえわかれば、他者に対して過度に要求する事は無くなるのです。
なぜならば、それをまったく無駄な徒労に終わる事ですからね。
それよりも、違いを認識して、互いの妥協点を探る事ができます。

他者に求めすぎるから争うのですよ。
虚無性を受け入れ、自分が他者に対して何ができるのか、そこから全てが始まります。

ハッキリ言うと、他者にストレスを感じる必要は全くないのです。

237:神も仏も名無しさん
09/05/08 13:16:44 YSrChn5A
>>234
他者を自らを通して理解しようとすること。
自分の善悪を妄信しない事。
それだけで充分です。
伝わらないとは思いますが。

>>235
無駄な攻撃性は、あなたの限界を物語ります。
自らの言葉がなぜ発せられたのか、よく考えてみると
自分が見えてきますよ。

238:華厳命
09/05/08 13:23:55 Za6BXLKM
いやあ、攻撃はむしろ人類の発展に必然だし、それぐらいあんたも理解してるだろ?「お利口さん」よ?主張する事態「攻撃性」の発露だぜ?

239:華厳命
09/05/08 13:24:38 Za6BXLKM
訂正→主張する自体

240:神も仏も名無しさん
09/05/08 13:26:11 +LsVH71y
それが君の限界なんだね。
虚無にひきこもることが。
まあ、自分の存在なんか気になるから、他人の存在に臆病になるのだね。
考えすぎると人間関係疑心暗鬼おかしくなるよ。

241:華厳命
09/05/08 13:28:57 Za6BXLKM
戦争の無い世界は逆説的に言えば「死の世界」だ。愛も夢も、戦いから生まれる。俺は別に「帝国主義者」ではないがね。論理が突出し過ぎて「人間の生活」つまり地に足がついとらんよ…観念過剰だよ…気持ちはわからんでもないが…

242:神も仏も名無しさん
09/05/08 13:30:18 +LsVH71y
スポーツはやったことあるかい?
人間は瞬時にそんなにたくさん考えることはできないのだよ。
つまり、多すぎる思考は行動に支障をきたす。わかってる?

243:神も仏も名無しさん
09/05/08 13:32:49 YSrChn5A
>>240
>まあ、自分の存在なんか気になるから、他人の存在に臆病になるのだね。

これが自分を通した他者の世界
つまり自己認識ですよ。
あなたは他者を恐れています。わたしの認識とは違う独自性がここに語られています。
人は恐れると攻撃的になります。
あなたの攻撃性の根本がそこにあります。

あなたの想像の中ではわたしは他者恐怖のヒキコモリとなってるようですが
わたしは普通の社会人で、普通に仕事をして、友人も沢山います。
幸福ですよ。
ここで議論することは自己探求の手助けになるのでやってるだけです。

妄想を根拠にすることは、自己の内面の吐露に等しい。

もっと広い世界があなたの世界の中にもあるはずです。
考える事をやめないようにしたほうがいいです。

断定的なことを語る事は、思考の死を意味します。
つまり世界の広がりがそこでとまるわけです。

ちなみにわたしはあなたを否定してるわけではありませんので
あなたがわたしの人格にアンチな態度になる必要は全くありません。
論理的な反論なら有意義ですけれどね。

244:神も仏も名無しさん
09/05/08 13:35:20 YSrChn5A
>>242
根本的な世界観が広がれば、些細な行動も変わってきます。
それは無意識化でも同じです。
人間の思考は、そのひとの限界性の中で起こるものですからね。
根本が変わればすべて変わる。

つまり、世界が変わるのです。どう変えるかは自分次第です。

245:神も仏も名無しさん
09/05/08 13:36:19 YSrChn5A
ちなみにスポーツは得意ですけど。
器械体操、野球、柔道、バスケ、サッカー、サーフィン
色々やってきましたけどね。余談ですが。

246:神も仏も名無しさん
09/05/08 13:37:21 +LsVH71y
わかってないな~。
攻撃を受けて何がわるいのかっていってるの。
君が攻撃をおそれてるんだろ?
争いといっても色々あるんだし、争ったから人を殺すまで行くのは相当なあくにんだけ。

247:神も仏も名無しさん
09/05/08 13:42:08 +LsVH71y
>>245
誰もそんなこときいてないよ。
じゃあ俺も。
サッカー暦は6年、テニス暦は11年くらいだな。
今はジムで2時間汗かくくらいだけど。

248:神も仏も名無しさん
09/05/08 13:54:43 4myvEagT
自分の心が弱ってるとき、他人の心の痛みを知ることができた。
優しさとは弱さ?
強さとは鈍感さ?
強い人の優しさって、本当の優しさなの?
浮浪者のおじさんが、別の浮浪者のおじさんに自分の食事を分け与えてる。
自分の食い扶持を削って、会ったばかりの赤の他人へ分け与えている。
弱い人が弱い人を助ける。
強い人に、弱い人の心が本当にわかる?

249:華厳命
09/05/08 13:59:03 Za6BXLKM
↑一週間ぐらい山籠もりでもいかが?

250:神も仏も名無しさん
09/05/08 13:59:57 +LsVH71y
>>248
強い人ってどういう意味なんだろうね?
その浮浪者のおじさんは強い人だとおもうね。
まあ心なんて弱いもんだよ。
自分を守らないのが最強じゃねえの?

251:華厳命
09/05/08 14:02:44 Za6BXLKM
三級波高魚化龍(さんきゅうなみたこうして「う」りゅうとかす… 痴人猶悔夜塘水(ちじんなおくやむやとうのみず)

252:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/08 14:07:04 bnIdZlQT BE:854958454-PLT(13230)
ほほう^^
強い人・・・
自我がなければ強いも弱いもないお^^



253:華厳命
09/05/08 14:08:31 Za6BXLKM
至上最強の武道家が、こんな言葉を残している。「最強の拳法は自分を殺そうと襲いかかる者と仲良く友人となる事である」

254:神も仏も名無しさん
09/05/08 19:33:33 YFiuclLU
お前らの醜さは我そのものだ!

255:神も仏も名無しさん
09/05/08 20:24:36 fAUEREQ2
>>253
塩田剛三のことだね。

ちなみに塩田剛三の師匠の植芝盛平は悟りを開いてるね。

256:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/08 20:32:40 bnIdZlQT
ロバート・ケネディ夫妻の前での演武では、塩田の強さを疑ったケネディの申し
出によって同行していたボディーガードと手合せを行い、これを圧倒している

URLリンク(www.youtube.com)

ほほう^^

257:神も仏も名無しさん
09/05/08 20:48:30 +NvHTDsY
>>253
>自分を殺そうと襲いかかる者と仲良く友人となる事

自分を暗殺しようとしたマフィアを許したヨハネ・パウロ2世みたいだな。

1981年5月13日、ヨハネ・パウロ2世はサンピエトロ広場にて、トルコ人マフィアのメフメト・アリ・アジャに銃撃された。
アジャは逮捕され終身刑が宣告された(その後恩赦。現在は他の刑で服役中)。
事件当日はファティマの聖母マリア出現の記念日であったため、ヨハネ・パウロ2世は「聖母が弾をそらして下さった」と語っていたという。
1983年のクリスマスの2日後、教皇は狙撃犯人のアジャが収監されている刑務所を訪れた。二人は面会し、短時間の会話を行った。
ヨハネ・パウロ2世は「私たちが話したものは、彼と私の間の秘密のままでなければならないでしょう。
私は彼を許し、完全に信頼できる兄弟として話しました」と語った。
2005年4月に教皇の訃報を聞いたアジャは深い悲しみを覚え、喪に服したことが家族により伝えられている。

258:神も仏も名無しさん
09/05/08 20:56:08 d0aRZBfa
まな板の鯉が最強だな。
捨身になれた者にかなう相手はあるまいて。

259:神も仏も名無しさん
09/05/08 20:57:15 +NvHTDsY
嵐山光三郎著「徒然草の知恵」ダイヤモンド社より(27)

乗馬、木登りに続いて、双六の名人の話もある。

勝たんと打つべからず。負けじと打つべきなり
勝とうと思って打ってはいけない。負けまいと思って打つべきだ 〈一一〇段〉
双六の名人が言うには、どの手が早く負けてしまうか考えて、その手を使わずに、
たとえ一目でも、遅く負けるだろうと思われる手にしたがうのが良いということだ。

歌謡曲の「勝つと思うな、思えば負けよ」の原典はこの兼好の段から発しているものであり、
何事も勝とうと思えば気負ってしまう、気負うから負けるという勝負の機微をついたものである。
兼好は、この双六名人の話を、「身を修め、国を保たむ道もまたしかなり」とまで、
ほめているのだが、それからが兼好らしいところで、
続く一一一段では、一転して、
(碁や双六を好んで、夜を明かし日をくらす人は、
四重罪を犯し、五逆罪を犯すよりもまさる悪事をしていると思う)
そう言った聖人の言葉を、すばらしいことだとほめているのだ。
これは、双六のような勝負事にふけること自体が愚かなことだという、
兼好本来の基本的立場とすれば当然のことなのだが、
双六の名人をあれほどほめても、
その舌の乾かないうちに双六を大悪と言い切る。
勝負のコツはコツとしてとりあげるが、双六自身は否定されるべき存在なのだ。

兼好が、建前として勝負事を嫌いつつも、じつは好きだったことをうかがわせる一説である。

260:俺和尚
09/05/08 22:09:37 os6opRQu
自分を殺そうとする者と仲良くなるのは悟りとは一切無縁じゃ。
悟りをひらけてないということじゃ。

261:神も仏も名無しさん
09/05/08 22:14:13 +NvHTDsY
なるほど。して、その根拠はいかに。
正当な仏典より該当部分を引用されたし。

262:俺和尚
09/05/08 22:22:18 os6opRQu
悟りに根拠があるならば迷う者はおらんのじゃ。

263:神も仏も名無しさん
09/05/08 23:00:04 +NvHTDsY
悟りを開いたら迷わなくなるらしいが。
それはつまり悟りが迷いを消す根拠になるということだろう。

264:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/08 23:40:54 bnIdZlQT
ほほう^^

265:神も仏も名無しさん
09/05/08 23:45:03 OxzfA9Me
悟ると、おちんちんが自然と大きくなる。

266:神も仏も名無しさん
09/05/08 23:55:56 jbpDOF8v
>>265 なかなかデカそうだな!

267:神も仏も名無しさん
09/05/08 23:59:52 OxzfA9Me
悟ると、迷いなどなくなる。

それまで、抑えつけるように働いてたものもなくなり、

おちんちんが解放され、大きくなっていく。

悟れば、女性を見ただけでエッチなことを想像しなくても、おちんちんは大きくなっていく。

268:神も仏も名無しさん
09/05/09 00:05:40 K4f5B/H6
悟れば、ここに書かれているものが全て無意味だということに気づく。
おちんちんは小さくなっていく。

269:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/09 00:08:09 yE4T95Bi
やっと悟りというものが解ってきたみたいだな・・・^^

270:神も仏も名無しさん
09/05/09 00:08:37 OxzfA9Me
それは、無意味だということに気づき、
その気づきの心がおちんちんを抑えつけてしまうのだ。
無意味だと気付く、もはや悟りではない。

271:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/09 00:10:11 yE4T95Bi
無の境地におちんちんなど存在しなぁあああああああああああああああい^^

272:神も仏も名無しさん
09/05/09 00:13:26 Viwnejl8
おちんちんは存在する。
存在するのに存在しないと思っているだけのことである。

273:神も仏も名無しさん
09/05/09 00:27:49 Viwnejl8
無の境地とは、おちんちんという言葉が存在しないだけのことである。

無の境地であっても、太くて固いそして、先端がぷっくりふくれた血管の浮き出たものは
存在している。

274:神も仏も名無しさん
09/05/09 01:02:07 Viwnejl8
さぁ、悟りたいんだろ

悟りたいなら、
自分のおちんちんをありのまま描いてごらん
無の境地なんだろ、
○や△をさらさら描くように、おちんちんをありのまま描いてごらんよ

275:神も仏も名無しさん
09/05/09 01:17:42 K4f5B/H6
きもい

276:神も仏も名無しさん
09/05/09 01:31:44 Viwnejl8
どれそれ、君がどれだけ悟りに近づけてるか、見ていこうかなぁ

>>11

苦からのがれる…


悟るとどうなるかというと、めんこって知ってる?昭和の子供の遊び道具

めんこがひっくりかえるようなもの。

それを悟ってない人は、苦から逃れるって言うんだな。

知らないから。

それから、無常は悟っている人も悟ってない人もだれでも体験していること、

よーく、よーーーく考えるんだな。

それから常に変化する無常と苦から逃れるとは関係ないんだよ

無常をしったところで苦からは逃れられないし、そもそも逃れるってのも悟ったものからすると変な表現だんだよ。

277:神も仏も名無しさん
09/05/09 01:39:26 Viwnejl8
>>14
マトリックス、
この映画と悟りとを結びつける人いるんだけど。

抜けてるんだなぁ。肉体の方からアクセルするのが

所詮、マトリックスはそのレベル。

278:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/09 01:41:42 yE4T95Bi
会話の内容が仏教から引用してる^^マトリックス

279:神も仏も名無しさん
09/05/09 01:42:40 Viwnejl8
>>26
でました。マトリックスw

280:神も仏も名無しさん
09/05/09 01:50:16 Viwnejl8
>>57
悟ったところで他人は救えんのよ。
で、結びつくのが、悟りと愛や慈悲との議論、
俺だったら、
サトラーからすると、悟りと愛は無関係。
だからこそ、愛なんだなぁ。
うふふっ。わかんねぇだろうなぁ

281:神も仏も名無しさん
09/05/09 01:53:36 Viwnejl8
>>65
呼吸法だな。

幼稚園のころ、自分であみだした。

俺、横隔膜はったつして、逝き吸うとお腹すっごく膨らむんだ。

282:神も仏も名無しさん
09/05/09 01:55:48 Viwnejl8
>>68
大げさな。


>>69
しらん。

283:神も仏も名無しさん
09/05/09 02:00:39 Viwnejl8
規制かかりかけた。

このへんで

284:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/09 13:33:21 yE4T95Bi
連休もあと1日・・・
久々に外へ出た・・・
日差しがまぶしい・・・
休日まえとは違う・・・
我が表に出ない・・・
一切皆空・・・
すべてのものには実体がないと悟ったとき・・・
自我が消えてしまった・・・
無我の境地・・・
心地よい


285:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/09 13:44:59 yE4T95Bi
有為法だけでなく、無為法を含めてすべての存在には、主体とも呼べる我(が)がないことをいう。
諸行無常といわれるように、一切のものは時々刻々変化している。ところが我
々は、変化を繰り返し続ける中に、変化しない何者かをとらえようとしたり、
何者かが変化してゆくのだと考えようとする。
その変化の主体を想定してそれを我(が)という。
我とは「常一主宰」のものと言われる。
常とは常住、一とは単独、主宰とは支配することである。ゆえに、この「我」
は常住である単独者として何かを支配するものをいう。


286:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/09 13:46:19 yE4T95Bi
そのような妄想された「我」に執着する執着を破るために諸法無我が説かれた
。一般に有我論が説かれている最中、釈迦だけが主張した、仏教の特色である。
これは、インド在来の実体的な「我」の存在の否定であると同時に、あらゆる
存在に常住不変の実体のありえないことを主張する。
われわれは、しらずしらずの間に私自身の現存在を通じて、そこに幼い時から
成長して現在にいたるまで肉体や精神の成長変化を認めながら、そこに私と呼
ぶ実体的「我」を想定し、成長変化してきた私そのものをつかまえて、私は私
であると考える。
しかし、それこそ我執なのである。
諸法無我は、このあやまった考え方をしりぞけて、変化をその変化のままに、
変化するものこそ私なのだと説くのである。
URLリンク(www.kotobako.net)


287:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/09 13:47:46 yE4T95Bi
この意味で、諸法無我は、自己としてそこにあるのではなく、つねに一切の力の
中に関係的存在として生かされてあるという、縁起の事実を生きぬくことを教え
るものである。
一切のものには我としてとらえられるものはない。これを徹底して自己について
深め、目に見えるもの見えないものを含めて一切の縁起によって生かされてあ
る現実を生きることを教えている。
このような共々に生かされて生きているという自覚の中にこそ、他者に対する
慈悲の働きがありうるのである。
URLリンク(www.kotobako.net)

288:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/09 13:50:26 v4tWdUx1
諸行無常 是生滅法 生滅滅已 寂滅爲樂

生滅の法は苦であるとされているが、生滅するから苦なのではない。生滅する存
在であるにもかかわらず、それを常住なものであると観るから苦が生じるのであ
る。
URLリンク(ja.wikipedia.org)

289:神も仏も名無しさん
09/05/09 20:11:20 geNzgkI1
邪宗門〈上〉 (朝日文芸文庫): 高橋 和巳
URLリンク(www.amazon.co.jp)

一時には全国で百万の信徒を抱えた新興宗教団体「ひのもと救霊会」が、
戦前戦後を通じて邪宗門(邪教)扱いされ壊滅するまでを描いた壮大なスケールの叙事詩。

 本小説が、戦前政府より苛烈な弾圧を受けた、大本教を題材としていることはよく知られている。
 「インテリゲンチャの苦渋」をその生涯のテーマとし、観念と人間の関わりについて問い続けた高橋和巳にとっては、宗教とは何か、というテーマは避けて通れない問題であった。
 本来生き延びてはいけない生を生き延びてしまった主人公のビルドゥングス・ロマンが上巻の内容である。ここで、座禅を通じて主人公が得る悟りの内容はすさまじいものがある。
 そして、下巻では、本来宗教人として最もふさわしくない主人公が教主として権力を手にする場面が描かれる。
 神通力を持たない、いや持ってはならない主人公の手に触れて信者の病いが忽ち癒えるのはなぜか? この場面で筆者は宗教の本質の一面を鋭く抉り出している。
 しかし、魅力的な場面、作者の鋭い問題提起が現れている部分は随所にあれど、小説として成り立っているかどうかはまた別の問題である。
 残念ながら、教団が自己崩壊に向かう設定はいくら何でも無理がある。オウム真理教ではないのだから・・・。
 ただ、本小説の与える感動は、そういった小説としての完成度とはまた別の問題であることもきちんと指摘しておきたい。
 一読に値する名作であることはもちろんである。

290:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/09 20:37:29 yE4T95Bi
【我が心は】高橋和巳【石にあらず】
スレリンク(book板)

291:神も仏も名無しさん
09/05/09 20:37:42 lbDqV5to
>>288 パンツくらいは履いておけよ

292:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/09 21:03:19 yE4T95Bi
2 :神も仏も名無しさん:2009/05/09(土) 16:59:21 ID:lbDqV5to
宗教=迷信

もはや宗教は世界にとって害悪でしかない(958)

3 :神も仏も名無しさん:2009/05/09(土) 18:58:54 ID:lbDqV5to
宗教は遊びみたいなもの

勘違いして本気になると馬鹿になります

宗教を捨てよう(449)

ほほう^^


293:神も仏も名無しさん
09/05/09 21:17:18 geNzgkI1
今日は5月9日。つまり、悟空の日。

 孫 悟空(そん ごくう、Sūn Wùkōng)は、道教の神。小説西遊記の主要登場キャラクターとして有名。
 香港をはじめ、台湾や東南アジアでは一般に齊天大聖(せいてんたいせい)と呼ばれ、信仰されている。別名は孫行者。

 元代の西遊記(最古とされる)のあらすじを収録した朝鮮の書『朴通事諺解』(1677年)には孫吾空として登場する。
 また、齊天大聖の登場する主な雑劇(説話)は以下のとおり。
 これら先行する各種作品をうけて明代に100回本としてまとめられ集大成したもの[1]が分量が多すぎたため、
 清代には整理簡略された簡本のうち康熙33年(1694年)刊行の『西遊真詮』が比較的よくみられる西遊記である。
 名の「悟空」については、唐代に実在し、インドまで赴いた僧侶・悟空(731年 - ?)の名をとったものではないかとする説がある。

294:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/09 21:29:51 yE4T95Bi
玄奘三蔵

唯識の『瑜伽師地論』等の仏典の研究には原典による他ないとし、また、同時に
仏跡の巡礼を志し、貞観3年(629年)に国禁を犯して出国した。
URLリンク(ja.wikipedia.org)

仏典の研究には原典による他ない・・・

おっおっ^^


295:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/09 21:46:49 yE4T95Bi
慈恩寺・・・玄奘塔
URLリンク(ja.wikipedia.org)(%E3%81%95%E3%81%84%E3%81%9F%E3%81%BE%E5%B8%82)

296:神も仏も名無しさん
09/05/09 21:50:52 geNzgkI1
>>294
仏典の原典・・・。
そういえば、お釈迦さまは自分では生涯に一冊の本どころか
一片のメモすら書いていないね。

297:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/09 21:52:42 yE4T95Bi
玄奘三蔵法師
URLリンク(www.jionji.com)

ここにおられるとは・・・

298:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/09 21:56:46 yE4T95Bi
そういえば・・
プラトン・・キリスト・・・お釈迦さま

神は紙を必要としない・・・^^

だれが上手いこと言えと・・・^^

299:神も仏も名無しさん
09/05/09 22:12:22 geNzgkI1
『プラトーン』(Platoon)は、1986年公開のアメリカ映画で公開時には初めて本当のベトナム戦争を描いた映画としてプラトーン現象と言われるほど知れ渡った。
製作会社はオライオン・ピクチャーズで、監督・脚本はオリヴァー・ストーン。出演はチャーリー・シーン、トム・ベレンジャー、ウィレム・デフォー。
第59回アカデミー賞 作品賞ならびに第44回ゴールデングローブ賞 ドラマ部門作品賞受賞作品。
タイトルの「プラトーン」は、軍隊の編成単位の一つで30名から60名程度で構成される小隊の意。
映画の舞台はベトナムであったが、撮影はフィリピンのルソン島で行われた。
また、サミュエル・バーバーの『弦楽のためのアダージョ』の日本での認知度を非常に高めた作品でもある。

300:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/09 22:15:31 yE4T95Bi
だれがおもしろい映画を貼れと・・・^^

301:神も仏も名無しさん
09/05/09 22:16:55 K4f5B/H6
見たよそれWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWW

302:神も仏も名無しさん
09/05/09 22:17:53 lbDqV5to
>>292 うむ、君のレスを見てから確信を深めたよ^^

宗教は狂人を育成するとwwwwwwwww

303:神も仏も名無しさん
09/05/09 22:20:36 K4f5B/H6
草が多いなぁ…

304:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/09 22:20:48 yE4T95Bi
プラトン・・キリスト・・・お釈迦さま

プラトンではなくソクラテスの間違え・・・だった^^

ソクラテス(ソークラテース;ギリシャ語:Σωκράτης Sōkratēs;紀元前
469年頃 - 紀元前399年4月27日)は古代ギリシアの哲学者。 彼自身は著作を
おこなわなかったため、その思想は、弟子のプラトンや歴史家のクセノポン
、アリストテレスなどの著作を通じて紹介されている。

305:神も仏も名無しさん
09/05/09 22:24:34 lbDqV5to
>>304 何年くらい引きこもってる? ^^

306:神も仏も名無しさん
09/05/09 22:34:22 geNzgkI1
Φιλοσοφ ◆d........oは当時、ねらーと呼ばれていた人々や通りすがりの若者を次々にたずね、
「悟りとは何か」を知るために対話をおこなった。
しかし、Φιλοσοφ ◆d........oのこの行動は相手の考えを向上させることができる対話であったが、
当時のねらーたちは「常識」に執着したため、結局、「知っているといっていることを、実は知らないのだ」ということを暴くことになった。
ID:lbDqV5toたちは論破され恥をかかされたとしてΦιλοσοφ ◆d........oを憎むようになった。

307:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/09 22:43:46 yE4T95Bi
この我々の住んでいる物質世界(物質宇宙)は、2あか~7あいの**六つの“光
”エネルギーで構成されています。
URLリンク(freett.com)

これ見てたんだけどおもしろいお^^

308:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/09 22:47:44 yE4T95Bi
最後の粒子クォークの中身は“光”です。

これなんか・・・
では人間て光の固まりかよ・・・
なんて思ったりね・・・
仏教的にはどうなのか・・・
とかね・・・^^

309:神も仏も名無しさん
09/05/09 22:49:31 lbDqV5to
>>306 論破以前に自分の言葉を持っていないでしょう?他人の引用だけでwwwwww

憎むなんて絶対に有り得ませんよwwwww

何かを求める気持ちは本物だと思いますので
どうにか、まともになってもらいたいと思いますよ

310:神も仏も名無しさん
09/05/09 22:51:21 geNzgkI1
クスリのいらない仏教健康法 - 関心空間
URLリンク(www.kanshin.com)

 副題「歩・座・音・香・水・食」の極意、スッキリ頭脳、病知らずの体。
 一般的にお坊さんは顔色良くつやよし、みため健康の代名詞的な存在、日常生活に密着した健康法、
声音もしっかり、姿勢もよく、闊達としておられる、そんな方々の日々の修行生活も健康法として紹介解説されている。
精神を落ち着ける座禅もそのひとつ。坊主頭にも意味がある。素足で歩くも大切、足裏のツボとのかかわり、合掌と手のツボも然り。

 生老病死から仏教は始まったともいえるだけに、健康にもかなり配慮した修行が行われてきたようです。
日々生活の中で生活術として実践していくのも、6つの副題を元に紹介してます。
 自分にあったものを見つけ無理せずにも一つの健康法。
仏教とありますが、仏教にこだわってなくて、お坊さんの健康法として認識。

 朝倉一善/著  三笠書房知的生きかた文庫  2001年2月  560円 270P

311:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/09 23:04:40 yE4T95Bi
全てのものが光のエネルギーの現象だとしたら・・
仏教は真理を語っている^^

312:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/09 23:07:10 yE4T95Bi
光(357)と色(246)の**三原色の“光”エネルギーで出来ています。

「空即是色」これなんかそのもの^^

313:神も仏も名無しさん
09/05/09 23:07:11 geNzgkI1
>>309
ああ、ポッたんと同じオリジナル原理主義教・自分の言葉教の方ですね。
僕は中道派なのでオリジナルか引用か自分の言葉かなんて小難しいことにはいちいちこだわらないんです。
面白いかどうか、良いか悪いか、それがすべてで、他にはどうでもいいことです。
人間、誰でも自分のオリジナルの思想や言葉だと思ってることでも
たいていは人類の長い歴史の中で使い古されている陳腐なものです。
最新流行のファッションとかいっても過去の焼き直しやアレンジに過ぎませんし、
たとえば縄文土器や風呂敷の唐草文様を堂々と取り入れながらオリジナル最新デザインでございってな調子の世間です。
そもそも、すべての生き物は親の遺伝子を受け継いだコピーですしね。
引用やコピーや過去のアイディアや発明を否定したら文明世界では生きていけないよ。
そんなにいやなら山にでも引き篭もって暮らしたらいかがですか?

314:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/09 23:07:55 yE4T95Bi
なんぞここ^^

315:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/09 23:11:44 yE4T95Bi
邪宗門〈上〉 (朝日文芸文庫): 高橋 和巳

読んだことないお^^

316:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/09 23:20:02 yE4T95Bi
宇宙・人間・素粒子をめぐる大きさの旅
URLリンク(www.youtube.com)

おもしろいの貼っておこ^^


317:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/09 23:30:37 yE4T95Bi
POWERS OF TEN - 10 の冪乗 (日本語字幕つき)
URLリンク(www.youtube.com)

こんなのできてた^^

318:神も仏も名無しさん
09/05/09 23:57:45 K4f5B/H6
>>313
うんこ野郎!!

319:神も仏も名無しさん
09/05/09 23:59:10 Kb+UQMsO
>>318
クサレマ○コは糞して寝てろ。

320:神も仏も名無しさん
09/05/10 00:00:11 K4f5B/H6
>>319
うんこ野郎!!

321:神も仏も名無しさん
09/05/10 00:03:46 Kb+UQMsO
>>320
精神薄弱者様いらっしゃあい。

うんこ野郎?
耳の穴と鼻の穴開通さしてのぞみ号走らせたろか、
このチンカス。

322:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/10 00:15:38 sK2iF2It
2 :らせつ:2009/05/09(土) 19:30:21 ID:Kb+UQMsO
念を継がないだけで十分だ。
テンション上げるより仕事に集中した方が良いと思われ。

【仏教】悟りを開いた人のスレ54【天空寺】(527)

3 :神も仏も名無しさん:2009/05/09(土) 17:34:59 ID:Kb+UQMsO
金の為に音楽をやるなよ。
音楽の為に音楽をやれよ。
お釈迦様ならそういうぜ。
じゃあな。

仏教は邪教!!2(80)

4 :神も仏も名無しさん:2009/05/09(土) 19:36:46 ID:Kb+UQMsO
なんかうらやましいぞ。
もう、戻ってくんなよ。
URLリンク(www.youtube.com)

仏教は邪教!!2(85)

らせつさん~なにやってんるんだお^^

323:神も仏も名無しさん
09/05/10 00:16:49 ybnOk4A4
病人治療。

324:神も仏も名無しさん
09/05/10 00:22:15 ybnOk4A4
仏教は邪教
スレリンク(psy板)
だそうだぜ?
末永くケンカしていこうなWWW

325:神も仏も名無しさん
09/05/10 00:40:10 gKbk1SQp
らせつ…恥ずかしい奴だ…

326:神も仏も名無しさん
09/05/10 11:09:37 IAHCqriv
常に引用している立派な言葉とは裏腹に
他スレを頻繁にチェックして、ストーカーまがいのコピペをした腹黒い性格の人^^>>292参照
↓↓↓↓↓↓↓↓↓
292:Φιλοσοφ◆d........o 05/09(土) 21:03 yE4T95Bi
2 :神も仏も名無しさん:2009/05/09(土) 16:59:21 ID:lbDqV5to
宗教=迷信

もはや宗教は世界にとって害悪でしかない(958)

3 :神も仏も名無しさん:2009/05/09(土) 18:58:54 ID:lbDqV5to
宗教は遊びみたいなもの

勘違いして本気になると馬鹿になります

宗教を捨てよう(449)

ほほう^^

327:神も仏も名無しさん
09/05/10 17:49:19 m4MaLtwS
>>306
へー、おもしろそう。

俺悟ってるから、論破してくださーい。

328:神も仏も名無しさん
09/05/10 17:52:27 IAHCqriv
よし!上げだ!

329:神も仏も名無しさん
09/05/10 17:54:39 m4MaLtwS
まぁ、なんかネタ、考えといて

晩御飯買ってくるから…

330:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/10 19:04:09 sK2iF2It BE:2693118479-PLT(13230)
|^ω^)

331:神も仏も名無しさん
09/05/10 19:15:01 IAHCqriv
>>329 なに食べた?

332:神も仏も名無しさん
09/05/10 19:16:23 IAHCqriv
>>330 違う!これだ
     ∧ ∧
    ( *‘ω‘*)
     (⊃\)____

333:神も仏も名無しさん
09/05/10 19:33:59 m4MaLtwS
>>331
からし明太子
とたこ焼き

334:神も仏も名無しさん
09/05/10 20:38:10 gKbk1SQp
stupid

335:神も仏も名無しさん
09/05/10 20:53:33 q48yQOta
2008年9月21日  礼拝説教「トマスと私たち」 - みたまキリスト教会の礼拝メッセージ - Yahoo!ブログ
URLリンク(blogs.yahoo.co.jp)

またある伝説によれば、トマスはその後、一時、中国に伝道に行きました。
今の北京あたりまで行き、信者を作って教会を建てました。その後再びインドに戻って伝道したと言われています。
西暦七二年に、トマスがインドのミラポールで殉教した、と伝えられています。
殉教したその地は『トマスの丘』と呼ばれています。遺体はミラポールに葬られました。
このトマスはインドでは「トマ」と呼ばれ(ヘブル名も「トマ」)、中国語では「達磨(ダモ、あるいはダマ)」と呼ばれ、
それが日本では同じ漢字で『ダルマ』と呼ばれたようです。

つまり禅宗を興した人として知られている人物はどうも聖書の「トマス」だったのでは、という考え方が成り立つわけです。

ダルマは一般に南インドの人と言われますが、「開元目録」(八世紀)には、「西域の沙門菩提達磨という者がいた。彼はペルシャ人だった」と記されています。
達磨の忌日は10月5日ですが、仏教では死んだ日の前日に仏事を行なう習慣がありますから、本当の彼の命日は10月6日でしょう。
これはギリシャ教会がトマスの召天日として祭日にしている10月6日と一致します。(「聖書に隠された日本・ユダヤ・封印の古代史2」(久保有政、ケン・ジョセフ共著、徳間書店刊)
千利休が心惹かれた禅宗の大徳寺では、このトマスが示した聖書の教えが土台となっていたと言えると思われます。

336:神も仏も名無しさん
09/05/10 21:18:02 m4MaLtwS
>>334
Thank you so much!!

337:らせつ THE FOOL
09/05/10 23:07:07 ybnOk4A4
お前も馬鹿なら俺も馬鹿。
馬鹿が馬鹿に馬鹿と言ってどこが馬鹿なんだ?
いつか死ぬけど病気になったら医者へ行く。
必ずお腹が空くけど飯を食べる。
いつか別れる事は解っているけど人を好きになる。
終わらない限り終わらさねえ。
涅槃なんて糞くらえwww

338:神も仏も名無しさん
09/05/10 23:45:00 q48yQOta
まぁ、自分のことをバカだと思ってる奴は実際は本当のバカではないな。
ホンモノのバカってのは自分のことを賢いと思っているし、
自分以外はみんなバカだと思っているのさ。

339:神も仏も名無しさん
09/05/10 23:52:50 q48yQOta
無知の知
 ソクラテスはアポロンの託宣を通じてもっとも知恵のある者とされた。
 ソクラテスはこれを、自分だけが「自分は何も知らない」ということを自覚しており、
 その自覚のために他の無自覚な人々に比べて優れているのだと考えたとされる。
 また一般に、ソクラテスは対話を通じて相手の持つ考え方に疑問を投げかける問答法により哲学を展開する。
 その方法は自分ではなく相手が知識を作り出すことを助けるということで「産婆術」と呼ばれている。
 ソクラテスのもちいた問答法は、相手の矛盾や行き詰まりを自覚させて、相手自身で真理を発見させた。
 こうして知者と自認する者の無知を晒させたことから、エイロネイアともいう。→イロニーの語源

340:神も仏も名無しさん
09/05/11 00:40:32 jedQONYr
>>337 分かってる

君は ホモだ

341:神も仏も名無しさん
09/05/11 00:48:25 EAHr2FPR
ホモ同士は独特の嗅覚でお互いをそれとなく直感的に悟るというが・・・。

342:神も仏も名無しさん
09/05/11 01:42:04 oIX5o+DS
>>338
馬鹿な奴だな

343:らせつ
09/05/11 03:51:34 jwo92nIC
規制がきやがった。
>>340 二週間前に九歳年下の人と婚約しました。
ブランドの指輪ってマジ給料三ヶ月分するのな。


344:神も仏も名無しさん
09/05/11 11:40:29 VgsfpTyo
>>343
おめでとう!

345:神も仏も名無しさん
09/05/11 13:07:52 jedQONYr
>>343 そんなにするかな?
ダイヤモンドはダブついてて値下がりしてるし、プラチナも下落してるから月収2カ月分でイケるよ

だいたいペアでも50万円くらいじゃない?

346:神も仏も名無しさん
09/05/11 18:46:23 jwo92nIC
>>344有り難う
>>345 まだ買ってないよ。サイズが解らないから。
明後日一緒に買いにいきます。
ティファニーのダイヤにしようとおもう。

347:神も仏も名無しさん
09/05/11 18:47:11 oIX5o+DS
指輪より投げ輪が欲しい

348:神も仏も名無しさん
09/05/11 20:13:20 5aokyI2K
>>342
>馬鹿な奴だな。

馬鹿な奴ほど人を馬鹿にしたがるの典型=>>342

ということはわかった。

349:神も仏も名無しさん
09/05/11 20:43:54 oIX5o+DS
>>348
お前のことだな

350:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/12 21:09:11 AJ2EWCQ5
     ∧ ∧
    ( *‘ω‘*)
     (⊃\)_________
    ̄ ̄ v v.\           .|
          |            |
   .~ ~~ ~|~~~~~~~~~~~~~~~
         悟り

351:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/12 21:10:52 AJ2EWCQ5
一からやり直しだ・・・

352:幸福の科学広報局 ◆Qwpuh33RxU
09/05/13 21:31:17 AjTwsXsA
「悟り」は今や、幸福の科学における専売特許となっております。

353:亭白
09/05/13 22:56:23 fAM1pdG4
>>352 :幸福の科学広報局 御中

☆そのとおりですね。



354:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/13 23:22:53 YIeae2Dz
連休前の悟りの考察から・・・
自我を認識しなくなってきた・・・
自我を認識しなくなるとどうなるか・・・
と言うと・・
一言で言えば「苦しみがなくなる」という事である・・
周りを見回せば・・・自我の塊みたいな人が沢山存在している・・
その人たちは自我を出すことによりそれに比例して苦しむことを
理解していない・・・
自我を出さないではなく自我が出ない状態に持っていけたらと思う



355:神も仏も名無しさん
09/05/14 01:43:17 tkNsgkIe
苦しみというのは本来空なんだよね。
その空である苦しみを一生懸命消そうとする、そこに本当の苦しみが生まれる。
苦が空ならば消す必要がないでしょ。
そのまま苦しめばいい。
それがありのままというやつでしょ。

ありのままとは空相と一致するということ。
空相と一致すれば、それはそのまま空ということ。
空になれば自我はない。

たとえば自分の周りを車が走っている。
車を消そうとしても車はなかなか消えない。
車に乗り込んだ時に初めて消える。

356:神も仏も名無しさん
09/05/14 01:49:39 47v4Uzxa
とりあえず、仏教の悟りは苦の滅だから。
苦を受け入れるとかは悟りに執着しないという別の境地だから。
色々悟りを拡大解釈するのやめにしませんか?

357:神も仏も名無しさん
09/05/14 08:25:45 XVkus5yK
ありのままなのに空に変換したらありのままじゃねえべ?

358:神も仏も名無しさん
09/05/14 08:33:04 jY2+8Yex
悟りとはありもしないものを妄想してニヤニヤすることです

359:亭白
09/05/14 08:59:01 GpYwtv0d
>>358 :神も仏も名無しさん
ありもしないものを妄想してニヤニヤすることです
☆煩悩ではないですか?

360:亭白
09/05/14 09:27:11 GpYwtv0d
>>354 :Φιλοσοφさん
☆多くの苦しみは彼我の比較からくる苦しみであり、自分が思っているほど評価されていないことに
絶えなれないで苦しみであります。仏法真理の価値観の物差しが最上の価値でありその価値観を学び
仏神への信仰心と仏法真理の認識力が基底にあります。「自我を認識しなくなってきた」のは彼我の
比較がなくなり、人が自分を評価されなくても、心に引っかかりがなくなった状態ですね。
この心境が平静心ともいい平常心ともいいます。平静心の心境を維持すると明鏡止水の心境となり、
明鏡止水の心境を継続できれば阿羅漢の心境になります。
阿羅漢の心境までには誰でもなれます。

361:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/14 20:18:30 8RmH+GNP
多くの苦しみは彼我の比較からくる苦しみ

まったくそのとおりですね・・・^^
連休明けから自我を観察してるんですが・・
どうゆう状況に置かれると自我が出てくるのか・・
まぁ出てきたときには反省してるんですけどね・・^^


362:神も仏も名無しさん
09/05/14 20:19:56 KOBUQlAu
【金】やはり人生はお金だろうか?PART5【愛】
スレリンク(jinsei板)l50

1 :マジレスさん:2009/05/09(土) 03:20:48 ID:b19o4ohZ
何だかんだと、綺麗事を並べても、やはり人生はお金だろうか?
金 金 金!  いや!愛だ 家族だ 仕事だ
それぞれを語ってみましょう

やはり人生はお金だろうか?PART2
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やはり人生はお金だろうか?PART3
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やはり人生はお金だろうか?PART4
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363:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/16 09:13:08 dFk8biax
Taylor

URLリンク(www.youtube.com)
URLリンク(www.youtube.com)


URLリンク(wiredvision.jp)

364:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/16 09:23:38 dFk8biax
自分が大きく広がって、周りにあるすべてのエネルギーとつながっているような感覚で、穏やかな気持ちになった。

365:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/16 09:25:12 dFk8biax
>>364
このことを前から想像してた・・・・悟り・・・

366:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/16 09:26:32 dFk8biax
周りにあるすべてのエネルギー

宇宙意識と思っていたんだが・・・

367:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/16 09:29:36 bjAjeuSD
全体のエネルギーから自我がなぜ孤立してしまったのか・・・

368:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/16 09:30:53 bjAjeuSD
孤立するから苦しむ・・・
全体に帰化すれば苦しまなくてすむ・・・

369:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/16 09:33:21 bjAjeuSD
すべては光エネルギーの世界・・・
全体から個へと分離がなぜ行われるのか・・・

370:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/16 09:46:23 bjAjeuSD
物質とはエネルギーが固体化されたものと考えれば・・・
欲望はエネルギーの不完全燃焼からの状態であり・・
決して満たされることは無い・・
一時的に燃焼されたとしても・・・
また不完全燃焼状態に陥る・・・
完全燃焼するには・・・
エネルギーの固体化から形相を変える・・・死か
あるいは・・・・





371:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/16 09:47:44 bjAjeuSD
燃焼ってなんか表現が違うな・・・

372:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/16 10:23:13 bjAjeuSD
エネルギーが固体化されると意識を持つようになるのかな・・・

373:神も仏も名無しさん
09/05/16 12:11:04 9SADbRvg
個の集合が全体だから、全体が個に分離するわけではない。
離合集散は世の常のことだから。

374:神も仏も名無しさん
09/05/16 12:18:28 Sdx5i+oD
世界の全ての方程式を解こうが救いは無い。
それに気付こうね。
例えば太陽系外に出る宇宙船を作る知識があるとして、
君はそれを作れるかい?


375:神も仏も名無しさん
09/05/16 17:11:17 n0Dk7wcn
夢の中で見る世界は何から作られているのだろうか?

376:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/17 07:07:13 8ziKuSQJ BE:769462463-PLT(13230)
「悟る」とは自然法則を理解することである

377:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/17 07:09:25 8ziKuSQJ BE:598471627-PLT(13230)
自然法則を理解すれば宗教など不必要である

378:神も仏も名無しさん
09/05/17 07:23:22 KuvWXngK
悟ると世界観が変わるんだろうな。
今までのどんより曇った世界が、明るい世界に変わるのかな。
ぬるま湯の中で溜息ばかりついている無気力なこの生活を変えてみたい。

379:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/17 07:46:32 8ziKuSQJ BE:1496177257-PLT(13230)
この世を動かしている自然法則を知るには、天地の性(さが)が、積極の反対、柔軟な消極性に包まれている真実を認めること
が肝要だ。
さすれば循環をもたらすエネルギーは、均衡を図る自然の働き 均衡化作用 が
作りあげている事が判る。

380:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/17 07:50:56 8ziKuSQJ BE:2051899586-PLT(13230)
霊があるとすればエネルギーだな・・・

381:神も仏も名無しさん
09/05/17 08:04:18 c6aPhoiZ
悟るとはあるがままに自然を観ることだ。
世界を空と観じるともいう。
己のはからいをすてて自然と観る。

382:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/17 11:39:02 8ziKuSQJ
右脳は現在をつかさどっているという。右脳は感覚器官から送られてくる情報を
処理し、何が見えるか、聞こえるか、どんなにおいがするか、どんな手触りかと
いった、その瞬間の状況を教えてくれる

右の脳が現在を認識している・・・

383:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/17 11:43:15 8ziKuSQJ
左脳は「現在のコラージュ」を作り、詳細を拾い出して分類する。そして、自分
が過去に学んできたあらゆるものと結び付け、その結果を未来に投影して可能性
を判断する。Taylor氏によると、頭の中で喋り、「私は私だ」と主張する声は左
脳に存在するという。自分と周りにある景色とが別物であることを教えてくれる
のも左脳

左脳は自我および過去の記憶から未来を予測する・・・
自分と周りにある景色とが別物であることを教えてくれるのも左脳

384:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/17 11:48:54 8ziKuSQJ
ここまで考えると・・・
よくこんなものが創られたと思うよ・・ほんとに^^

385:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/17 11:51:04 8ziKuSQJ
この創られた目的というか・・
因はいったいなんだろう・・・

386:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/17 11:55:29 8ziKuSQJ
それはさておき・・・
話を続けよう・・・^^

387:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/17 12:00:51 8ziKuSQJ
同氏は左脳の機能を一時的に失ったことにより、自分の体を自分のものと認識できなかった。
「自分の意識が、自分を自分の人格だと認識するのをやめ、謎の人物がこの体験
をしているという意識へと変わってしまったかのようだった」

非自我の究極的な状態であるが・・・
ある程度の自我は必要であるとの仏教の教えにあったようだ・・・

388:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/17 12:08:59 8ziKuSQJ
自分の体がどこで終わり、どこから周りにあるものが始まっているか、境界まで
がわからなくなった。自分の腕の分子が壁の分子と混ざっている。自分が大きく
広がって、周りにあるすべてのエネルギーとつながっているような感覚で、穏や
かな気持ちになった。

いわゆる涅槃の状態かな・・・
「すべてのエネルギーとつながっているような感覚」
エネルギーで表現しているところが的確で興味深い・・・
精神が肉体から開放された状態・・・
「即身成仏」に近いのか・・・

389:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/17 12:15:41 8ziKuSQJ
「37年分の心の重荷が消えたらどう感じるか、想像してほしい」

記憶はなくてはならないものでもあり苦痛をも伴うわけか・・・

390:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/17 12:21:29 8ziKuSQJ
体内のエネルギーが自分から離れていき、精神が白旗を揚げるのを感じた。
「あの瞬間、もう私は自分の人生の振付師ではないと悟った」

体内のエネルギーが自分から離れていき・・・
死ぬ状態とはこのようなものであろう・・

391:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/17 12:23:53 8ziKuSQJ
「生きる」とはエネルギーの絶え間ざる活動なのだろう・・


392:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/17 12:26:53 8ziKuSQJ
そこで問題になるのは・・・
エネルギーの活動に価値とか意味があるのか?・・・だが
うぅうううううううううううううん・・・・・ないな^^



393:神も仏も名無しさん
09/05/17 12:28:22 Lzzmp337
価値は後から付与されるものだ。わかってないね。

394:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/17 12:37:05 8ziKuSQJ
「人は生きる価値がない」と断言しているのだが・・・
なにか問題でも^^

395:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/17 12:42:24 8ziKuSQJ
まあ価値なんて言ってるけど・・・
価値なんてそもそもないからね^^

396:神も仏も名無しさん
09/05/17 13:42:55 n7JG2iYZ
価値は悟性から生ずるものだ
お前の悟性で価値が無いと判断したからと言ってなんだというんだ。
自分一人で勝手にそう思っとけばいい。

397:神も仏も名無しさん
09/05/17 14:28:42 KOaTKSRu
君が代に縄文人の心を憶う

398:神も仏も名無しさん
09/05/17 14:37:35 8ziKuSQJ
価値を欲求の対象とする自然主義と並んで、価値とは、事実とは区別される人間
の感情や行為の機能である

価値なんてどこみてもないね^^

399:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/17 14:40:48 8ziKuSQJ
価値とは、事実とは区別される人間の感情や行為の機能である

価値は自己の欲求の対象に付けるものであり・・・
非自我であろうとする心には存在しない^^


400:神も仏も名無しさん
09/05/17 16:15:03 nTGTF2mC
非自我であろうとするなら、自らが置いている価値に正直になって、それを見つめ手放していかなければならない。

401:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/17 16:33:57 8ziKuSQJ BE:683967528-PLT(13230)
自らが置いている価値

すでに心には価値という概念はない・・・

402:神も仏も名無しさん
09/05/17 16:50:58 nTGTF2mC
何かの折に心が乱れるなら、そこに価値を置いているということだけど。
もうそういうこともなくなったの?

403:亭白
09/05/17 17:21:19 kyfSF/kh
>>394 :Φιλοσοφさん ◆d........o :2009/05/17(日) 12:37:05 ID:8ziKuSQJ
☆人は仏神に生かされて人生の課題に取り組んでいます。人生は一冊の問題集であります。
 今世を通して心の向上をはかることに価値があります。あの世に心を持って還ることに
 なって、今世の人生の課題に何処までできたかが結果としてわかります。
 また人は仏神から分かれた仏の子であり神の子であります。故に人は最初から価値ある
 存在として仏神より許されています。

404:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/17 17:44:37 8ziKuSQJ BE:2308386896-PLT(13230)
価値とは人間が作り出した概念であり妄想でもある・・・

405:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/17 17:46:03 8ziKuSQJ BE:2693118479-PLT(13230)
存在しないものに惑わされてはいけない・・・

406:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/17 17:47:24 8ziKuSQJ BE:512974962-PLT(13230)
例えば・・・
価値のあるものを書いてみてお^^
になってしまう・・・


407:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/17 17:49:52 hAneG+ru
すべてが人間の欲望を満たせるものでしかないのが解る・・

408:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/17 17:53:07 8ziKuSQJ BE:2393883078-PLT(13230)
人は生きる価値はあるのか・・・

ない!!!はっきり^^

409:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/17 17:56:30 8ziKuSQJ BE:1196942047-PLT(13230)
「ない」と言わないと・・・
「即心成仏」を全否定することになる・・^^

410:神も仏も名無しさん
09/05/17 18:50:19 nTGTF2mC
>>406
あなたにとって価値のあるものなんて知らないよ。
だから心の乱れを手がかりにして見つめるべしと言ってる。
妄想を手放すにはまず正面から認識しなくては駄目だと思うよ。
「価値なんてものはない」と唱えて目を逸らしてたらいかんだろ。

411:ペルアノ(ペルー人) ◆iihhSRaZmQ
09/05/17 18:57:11 R+eMTslS
>>408
問いが答えより大切だ・・・・
そして、その問いは間違っている・・・

412:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/17 19:13:28 8ziKuSQJ BE:2735866188-PLT(13230)
>>410
価値なんて概念使わなくなってから何年経つだろ・・・

>>411
その問いは間違っている・・・

それが正解!! 問いが間違ってる^^

413:神も仏も名無しさん
09/05/17 20:13:39 nTGTF2mC
概念を使っていないから自分は何にも価値を置いていないと?無意識は自分ではないという立場なの?
それとも価値という概念はナンセンスだからもう少しマシな言葉を使えということ?

414:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/17 20:23:04 8ziKuSQJ BE:2693118479-PLT(13230)
仏教の経典に「価値」という言葉が存在するのか?
聖書に「価値」という言葉が存在するのか?

それと同じ・・・
価値は欲望の表れと思ってるんだが・・・

415:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/17 20:25:30 8ziKuSQJ BE:1795412467-PLT(13230)
ブッダに聞いてみたいね・・・
「価値とはなにか」・・・

416:神も仏も名無しさん
09/05/18 03:17:29 tFjnLvol
価値とは関わり、繋がりをいうんだろ
金にしても、ある集団で交換ができるからこそ価値がある
物にしても、ある思いがあるなら、それは価値がある
食べ物も、自分の体を維持するために、そこに価値がある

417:神も仏も名無しさん
09/05/18 03:39:22 INift0Fa
他者と比べる事でしょ

418:神も仏も名無しさん
09/05/18 06:54:48 srjufI7Q
全ての価値を放棄して自堕落にいきるとするなら
それは自我のなせる技である。


419:神も仏も名無しさん
09/05/18 06:56:53 srjufI7Q
自我がある故に価値観に苦しむからである。
自我が無ければ価値観に苦しむことはない。
ただ、楽しむことができるだけである。

420:神も仏も名無しさん
09/05/18 07:53:31 +3mjcwHU
>>415
>「価値とはなにか」・・・
価値は差別以外の何者でもない。


421:神も仏も名無しさん
09/05/18 08:18:36 8qEBLHtw
お釈迦さん愚問に答えず無言で屁をこいた。

422:亭白
09/05/18 21:28:47 Fmm22Db5
>>419 :神も仏も名無しさん
☆さすが掴んでおられますね。
 仏神の真実なる真理価値に目覚めた者は、この世的自我我欲の価値から離れる
 ことができますので、安心立命の心境の維持ができるのであります。

423:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/18 22:05:32 mpR93E/B BE:2693118097-PLT(13230)
シュリバガヴァン : 悟りとは何でしょう。
URLリンク(jimaku.in)

424:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/18 22:34:53 mpR93E/B BE:427479252-PLT(13230)
 禅を確立した大鑑慧能(だいかんえのう)はいった。
「長時間座禅をして、心をひとつのことに集中させるというのは、禅病であって本物の禅ではない。ひとつのことに集中しようとすることは執着なのだ。心は動くようにできている。ひとつのことに執着しないからこそ、自由な境地でいられるのだ」
 では、何によって悟りを開くのか?
「座禅ではなく、心によって悟りを開くのである。だから、迷う心に悟りなど開けるはずがない。まして、座禅が禅の目的などではないのだ」
 だが、われわれは、迷うからこそ悟りを開きたいと思う。そのために座禅をする。
 しかし慧能はいう。迷うから悟りが開けないのだと。座禅では、悟りなど開けないのだと。座禅ではなく、(迷わない)心によって悟りを開くのだと。
 だが「迷わない心」とは、すでに悟っているということである。
こうなると、どうどう巡りである。座禅ではなく、迷わない心で悟るというが、迷わない心とは、悟っているということだ。
ならば、いったいどうすればいいのか?


425:神も仏も名無しさん
09/05/18 22:48:06 zto3VuDC
>>423
五感からマインドを切り離すことが至難の業・・。
ヨーガを学ぶしかないね。
サマディに没入するしかこの世の実相は得られないと言われるが・・。

426:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/18 22:58:39 mpR93E/B BE:641218853-PLT(13230)
>>423
↓これと重なる・・・
URLリンク(wiredvision.jp)

427:神も仏も名無しさん
09/05/18 23:46:12 eYNkcS+3
>>424
座禅でも公案でもいいけど、ギリギリのところまで自己を持っていって、その自己自体が
実は存在しなかったと気付くだけだね
悟りは集中でもサマーディでもなく、気付き
気付きによって自己を失った後の集中する対象も自己も無いカラッポの今ここ

428:無私読後(無師独悟) ◆l3gPeppers
09/05/18 23:48:40 xN7kj+1/
>>427 名無し さん

理、だよね。

429:神も仏も名無しさん
09/05/18 23:57:16 eaf9qXLf
自我の滅却 = マインドの介入

430:神も仏も名無しさん
09/05/19 01:07:11 /KdlUsjR
  _  ∩
( ゚∀゚)彡 おっぱい!おっぱい!
 ⊂彡


431:亭白
09/05/19 10:29:31 QPUqfffF
>>424 :Φιλοσοφさん
 禅を確立した大鑑慧能(だいかんえのう)には悟りの果だけの御説法で、修行内容は述べられて
 無いので、悟りを到る道しるべとしては理解しがたいと思います。
 
 「では、何によって悟りを開くのか?」

 ☆肉体即自分から霊体即自分へと認識を切り替えるには仏法真理の知識の学びが必要であります。
  肉体禅をやっても煩悩の迷林に彷徨うだけであります。
  慧能氏は座禅の形態をとらなくても心は常に禅定状態であったと思います。精神禅は心は常に
  禅定状態にあります。悟りの形態の果ですので、最初は、反省を踏まえた精神禅が良いですね。
  イスに座っても良いですが、腹式呼吸で丹田まで降ろすことであります。
  まず腹式呼吸法が身につけば、心の針は360度であり絶えず方位磁石が北を指し示すように
  仏神の方向に受身で思いを持つことであります。禅定は心の集中と心の解放のバランスが大切
  です。身体が勝手に動いたり、ささやきが聴こえたり、妄想がわいたり、寒気など安楽な心境
  で無い場合は禅定を止めて次の機会にしてください。 

432:神も仏も名無しさん
09/05/19 14:14:11 nXUJ44gR
>>431
複式呼吸しようとしてる時点で肉体禅じゃん
身体の状態が禅定を導くんじゃなくて、精神が禅定になったときに身体が落ち着いてるんだよ
精神が先、もしくは精神と身体が同時であり、身体が先にあるもんじゃない
身体をどうしようとか意識する精神があるうちは禅定なんてないよ
集中も解放もなく、ただ一切の精神を捨てるのみ
捨てる捨てないという意識も去ったとき精神と身体の禅定が既にそこにある

433:亭白
09/05/19 18:24:47 9S7kJMUW
>>432 :神も仏も名無しさん
あなたの禅定は禅定の一部です。「無念無想の禅定(瞑想)」で禅定の入門のレベルです。複式呼吸
は禅定に入る前の準備段階を述べています。大悟者であれば腹式呼吸を使わなくても数秒で禅定に楽
に入れますが、多くの方々は腹式呼吸を行なうことで、心が精妙になり仏神の光が射して心が温かく
なり軽やかな心になります。身体も温まってまいります。そこで普通の呼吸に戻してください。
ここまでにならない方は心に曇りをつくっているので、曇りを取る正しい反省がいります。
反省終えてから禅定に入っていくことになります。
ここで肉体禅では肉体のあり様に執着して何時間も肉体禅では悟ることはできません。
禅定していると肉体の感覚は無くなります。精神禅定がここで確認できます。色々禅定の種類はあり
ますが、無念無想の瞑想・せせらぎの瞑想・風と雲の瞑想・守護霊対話瞑想・指導霊の瞑想・満月瞑
想・大仏瞑想などがあります。幸福の科学の導師のもとで瞑想(禅定)するのをお勧めしています。
一番安全なやり方です。

434:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/19 18:45:20 7lHKL1Oh
釈迦は、人間は死すべきものであるという根本的な洞察から出発する。人間は死
すべきであるにもかかわらず、この世に生を受ける。言うなれば人間は死ぬため
に生まれてくる。死すべきものとしてこの世に生まれてくることを、釈迦は人間
の最大の不条理と考えた。十二因縁の最終項に掲げられた〈老死〉(ろうし)は、
このような不条理を端的に表現している。この世に生まれた人間はなぜ老い、病
み、そして死ななければならないのか。およそ老いて死すべき人間が、なぜ生
まれてくるのか。釈迦はその根拠を問う。

435:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/19 18:46:16 7lHKL1Oh
人間の生を根源までさかのぼると、五感や意識の作用の根底に世界に向かう意思
のあることが発見される。だが意思はさらに〈無明〉(むみょう)、すなわち無
知に根ざしている。五感や意識や意思を捨象したとき、自我は〈無明〉の状態に
おいて捉えられる。こうして釈迦は人間をその根本において無明なるもの、す
なわち煩悩に宿命づけられた存在として洞察する。
 輪廻説に立つ限り、苦の現実を前生の因果として受け入れるか、救いを死後
に託す以外に道はない。これに対し、人生における苦を十二因縁で説明しきる
ならば輪廻は無用になる。苦の根本的な超克と、真の救済を目指した釈迦は、
十二因縁によって現世この身一身における救いを体現したのである。


436:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/19 18:48:05 7lHKL1Oh
釈迦の言説は統覚論の枠組ではなく、どこまでも倫理的ダイナミズムにおいて
理解されなければならない。無我とは世界に対する執着の否定である。それは
必然的に自己自身に対する執着、すなわち我執の否定を求める。否定されるべき
は、己の欲望、生に対する執着あるいは所有欲において自覚される強烈な自我意
識である。十二因縁の洞察により、このような自我意識を無明なるものとして葬
ったとき、世界は無常であることを止め、永遠の相に入る。そのような境地を
釈迦は〈涅槃〉(ニルヴァーナ)と呼ぶのである。

437:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/19 18:55:57 7lHKL1Oh
人間の生を根源までさかのぼると、五感や意識の作用の根底に世界に向かう意思
のあることが発見される。だが意思はさらに〈無明〉(むみょう)、すなわち
無知に根ざしている。五感や意識や意思を捨象したとき、自我は〈無明〉の状態
において捉えられる。こうして釈迦は人間をその根本において無明なるもの、す
なわち煩悩に宿命づけられた存在として洞察する。
URLリンク(homepage3.nifty.com)


438:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/19 19:04:15 7lHKL1Oh
実質的な悟りとはアシュヴァッタ樹の下に座してから数日ということになります。これは、やはり誰からの指導も受けずとも
初禅の境地に至ることができたという、瞑想の達人の国インドにおける、その中でもずばぬけた釈尊の瞑想に関する生まれつきの
資質が大きいとおもいますが、それと共に、6年間の苦行における意思集中の修行も多大な貢献をしたのではないかと思いま
す。なにしろ、精神を集中させることにより、息ができない苦しさをすっかり忘却するまでに意思を集中させ、そのために幾度となく
仮死状態になり死の一歩手前まで止息行の実践を六年にも渡り行なったわけですから。

仮死状態になり死の一歩手前まで止息行・・・
これは事実なのかな?
事実としたらほんとに納得するのだが・・・^^



439:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/19 19:31:17 7lHKL1Oh
悟りを得た人(ブッダ)は、「第二の矢を受けない」といわれます。
例えば、美しい花を見て美しいと思う心は、我々のような普通の人間もブッダ(釈尊)も同じです。
しかし普通の人は、つぎの瞬間にその花を欲しい、摘みたいと思うのです。
これが第二の矢を受けるということです。
しかしブッダは、この第二の矢を受けません。
つまり、その物(花)に対して執着しないということです。


440:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/19 19:32:17 7lHKL1Oh
あらゆる物事には固定的な実体がない、しかし誤って固定的な実体があると考えてそれに執着し、
そしてその物事を何とか自分に都合のよいようにしたいと考えて「苦」を味わうのだとおっしゃいます。
(真理に暗く、自分に都合のよいようにしたいという思いが「煩悩」です。)
花にも自己の身体にも固定的な実体がないということを悟れば、それに対して執着する心が湧か
ないのです。
ですから、病気をして痛みを感じるという次元の「苦」とは違うのです。

上記の第二の矢でいいますと、病気になって苦しい、痛いと感じるのは、我々も釈尊も同じです。
そこで我々は、何とかその痛みから逃れたいと考えます。
しかし、ブッダには自己の身体に対して執着心がないわけですから、その痛みから逃れたいと考える
のではなく、その痛みを自己の痛みとして引き受けていくことができるのです。

441:神も仏も名無しさん
09/05/19 20:13:18 IprEzmI5
『平等というものは、どういうことであるか?
それは我も涅槃もともに等しいとみなすことである。
なぜであるかというと、我と涅槃とこの二つはともに空であるからである。』

『この平等を体得すれば、他の病の起こることはない。
ただ空病(すなわち空に対する執着)のみがある。 この空病もまた空である。』

442:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/19 20:34:52 7lHKL1Oh BE:1538924494-PLT(13230)
○○教における「悟り」とは?
でその宗教の本質が見極められると思ったんだが・・・^^

443:神も仏も名無しさん
09/05/19 21:09:24 wbtqnWKY
平等と無分別は違うだろ。
差別があっても平等と見られる。

444:亭白
09/05/19 21:18:46 agKwz1WH
>>438 :Φιλοσοφさん
舌を上あごにぴったりと付ける止息行の苦行では、悟るまえに死んでしまうので
「苦行の中に悟り無し」「苦行の中に真理無し」を知り得て苦行を捨ててしまう
のであります。


445:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/19 21:25:39 7lHKL1Oh BE:256487832-PLT(13230)
>>444
ありがとうです^^
ところでブッダは止息行してたのですか?
ちょっと調べてきます・・・^^

446:ペルアノ(ペルー人) ◆iihhSRaZmQ
09/05/19 21:28:09 WzcpSSLR
意識的な瞑想は少しでも瞑想ではないのです。
意図的な瞑想はビジネスにおけるあらゆる種類の達成のようなものです。
金銭、権力、地位を追い求めている人と、
ニルヴァーナ、天国、静寂の境地に至るために瞑想している人との間に相違があるでしょうか?
少しもないのです。
一方はそれを霊的と呼び、他方はそれをビジネスと呼んでいるだけです。

J.クリシュナムルティ

447:亭白
09/05/19 21:31:48 agKwz1WH
>>440:Φιλοσοφさん
悟りの維持は心の波立ちを抑え明鏡止水の心を持続していくことが何にもま
して大事なことであります。
その意味でショッキングな出来事で、心が波立ち悟りの維持が難しくなりま
す。それが第一矢の意味です。同じショッキングな出来事でも心の波立ちを
押させて平静心を維持することが悟りの持続になります。それが第二矢の意
味であります。

448:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/19 21:34:50 7lHKL1Oh BE:683966944-PLT(13230)
1,開祖はゴータマ・ブッダ(前6~5〔5~4〕世紀)
 現ネパールにあるサキヤ(釈迦)族の国の王子として生まれる。
2,出家、修行
 一子が生まれるや29歳で城を出奔して沙門となる。
 ごく初めの内は、思考停止型の瞑想に邁進する。
   思考が停止すれば欲望は生じない。しかし、瞑想を止めれば元の木阿弥
 苦行の道に専心する。
  食事は乞食(托鉢)で得たもので午前に一回のみ。孤独行、慈悲行、塚間
住行、少欲  知足、断食行、止息行など多岐にわたる苦行徳目。
  欲望を力ずくでねじ伏せようとしたが、モグラ叩きのように、欲望が消え
てなくなる  ことはないことに疑問を抱き、自覚できる欲望のさらに奥に、
ほとんど自覚不能、抑  制不能な根本的な生存欲があることを発見。ほとん
ど自覚不能だから「無明」「癡」  と呼ばれ、ほとんど抑制不能だから「渇
愛」と呼ばれた。
  自覚しなければ抑制も不可能、それゆえ、無明を起点とする輪廻のメカニ
ズムを知り  尽くすこと(智慧)の必要性を発見。
 過酷な断食行や苦しいだけの止息行などの苦行を捨てる。(ただし、心を清
浄にして智 慧の醸成に資する慈悲行などの多くの苦行は捨てなかった。この
点に誤解が多い。)


449:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/19 21:35:47 7lHKL1Oh BE:1025949964-PLT(13230)
3,ゴータマ・ブッダの大発見
 ①根本的生存欲の発見
 ②それを滅ぼすための智慧の必要性を発見。
 ③此縁性と呼ばれる因果関係確定法を発見。
  「これがあればかれが成立し、これが生ずればかれが生じ、これがなけれ
ばかれが成  立せず、これが滅すればかれが滅する」ということ(此縁性)
が確認されれば、「こ  れ」が原因で「かれ」が結果であることが確定され
る。西洋哲学史上最初に因果関係  確定法に気づいたのは18世紀のJ・S
・ミル(一致法・差異法)。
 ④此縁性を武器として、根本的な生存欲から苦である輪廻的な存在に至るす
べての経験  的事実の因果関係(縁起)の鎖を発見。その簡潔体が十二因縁
〔十二支縁起〕。(後  述。)
 ⑤およそ生ずる性質のものは、すべて滅する性質のものであるという真理を
発見。
 ⑥苦楽中道の発見と八聖道の開発。
 ⑦徹底思考型の瞑想を開発。
4,35歳ですべての疑念を払って目覚めた人(ブッダ)となる。成道という
 「なすべきことはなし終えた」(修行完成宣言)
 「私はすべてを知る者である」(一切智者宣言)
 そのさい、十二因縁を順逆に考察(最終確認作業)。
 〔順観〕無明→行→識→名色→六入→触→受→愛→取→有→生→老死
 〔逆観〕無明の滅→行の滅→識の滅→名色の滅→六入の滅→触の滅→受の滅
→愛の滅→     取の滅→有の滅→生の滅→老死の滅
 

450:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/19 21:37:44 7lHKL1Oh BE:2308386896-PLT(13230)
引用・・
URLリンク(homepage1.nifty.com)

止息行などの苦行を捨てる。

やめたのか・・・^^



451:神も仏も名無しさん
09/05/19 21:40:27 IprEzmI5
>>446
その通り。

>>443
441は維摩経からの抜粋。
途中からの抜粋なので、平等という言葉の説明をしているように見えてしまった。

>差別があっても平等と見られる。

これはその通り。

452:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/19 22:07:19 7lHKL1Oh BE:683966382-PLT(13230)
心理的な影響を受けずに、木に視覚的に気づくとき、関係のなかに分離はありま
せん。しかし、木に対して心理的な反応があるとき、この反応は条件づけられた
もの、すなわち過去の記憶や経験からの反応であり、それが関係のなかに分離を
もたらします。この反応によって、関係のなかに、いわゆる〈私〉と〈私でない
もの〉が生まれるのです。これが世界との関係におけるあなたのあり方です。こ
れが個人と社会がつくり出されるしくみです。世界は、記憶である〈私〉との
さまざまな関係において見られ、ありのままに見られることはありません。こ
の分離が生活であり、「心理作用」と呼ばれるものの繁茂であり、ここから矛
盾と分裂のすべてが起こるのです。これがはっきりとわかりますか。木への気
づきにはなんの評価もありません。けれども、その木に対する反応があるとき
、その木が好き嫌いによって判断されるとき、この気づきのなかに〈私〉―
観察の対象とは別の〈私〉―と〈私でないもの〉という分離が起こります。
この〈私〉とは、過去の記憶や経験が、関係のなかで起こす反応なのです。そ
れでは、どのような判断もなく、木に気づき、観察できるでしょうか。また、
どのような判断もなく、反応や反発を観察できるでしょうか。このように、私
たちは木を見、同時に自分自身を見ることによって、分離の原則―〈私〉と
〈私でないもの〉の原則―を根絶するのです。

自己の変容---クリシュナムルティ対話録

URLリンク(www.merkmal.biz)



453:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/19 22:10:54 7lHKL1Oh BE:1538924966-PLT(13230)
Krishnamurti - The Real Revolution - Part 1 of 2
URLリンク(www.youtube.com)

454:神も仏も名無しさん
09/05/20 08:06:09 /qn3UPee
お釈迦さんは縁起は説いたが絶対的な何かは説いていない。
であるからして、肉体より精神云々などのたまわっている輩は外道そのものでありからして気をつけたほうがいい。

詳しくは六師外道をググりなされ。

455:神も仏も名無しさん
09/05/20 08:11:25 7gdbuI6O
その縁起を解説したナーガルジュナの中論では
「いかなる教えも、どこにおいてでも、誰のためにも、
 ブッダは説かなかったのである。」(中論第二十五章24)
といっている。

456:亭白
09/05/20 09:28:50 gLHzZXz4
>>448 :Φιλοσοφさん

 苦行の中には慈悲心に伴う智慧もない。あるのは精神力が強くなることくらいである。
 「人生は苦である」の観点で教訓としての知恵と日常の中の非日常の悟りの発見の積み
 重ねが、悟りに到る智慧を獲得する道であります。

457:神も仏も名無しさん
09/05/20 09:56:03 7gdbuI6O
>>448
>(ただし、心を清浄にして智 慧の醸成に資する慈悲行などの多くの苦行は捨てなかった。この
点に誤解が多い。)
確かにこれらの行を「苦行」だというのは誤解でしょう。
苦を滅しようとする者が「苦行」するのは論理矛盾もはなはだしい。
これらの行は苦行ではなく修行でしょう。
ブッダの遺言は
「もろもろの事象は過ぎ去るものである。怠ることなく修行を完成しなさい。」
だったといわれている。

458:亭白
09/05/20 09:59:26 gLHzZXz4
「悟りたる者は」
人よ
悟りたる者は、いつも静かにあるものだ。
人よ
悟りたる者は、柔和にて歩くのだ。
人よ
悟りたる者は、微笑みて歩くのだ。
人よ
悟りたる者は、驕らない。
悟りたる者は、威張らない。
悟りたる者は、決して自らをよく見せようとはしない。
悟りたる者は、他の人を裁こうとしない。
悟りたる者は、他の人びとを傷つけようとはしない。
悟りたる者は、柔和で、言葉正しく、常に落ち着き、
そして優雅でもある。
貪りの毒がいかに悪いか、
それは柔和な姿というものを害するからだ。
柔和な姿はそれ自体で尊い。
柔和な顔、柔和な言葉、柔和な物腰、
それ自体が尊い。
それ自体が仏の姿そのものである。
            書籍「仏陀再誕」携帯版一部抜粋大川隆法箸より

私も悟りたる者に限りなく近づいてまいりたいものです。

459:神も仏も名無しさん
09/05/20 10:31:17 7gdbuI6O
>私も悟りたる者に限りなく近づいてまいりたいものです。
これは悟りに対する執着に外ならない。執着は捨てたほうがいい。
悟りになんかこだわらないで忘れてもいいじゃないか。



460:亭白
09/05/20 10:52:56 gLHzZXz4
>>454 神も仏も名無しさん
☆お釈迦様の縁起の理法は、この世の世界だけの肉体人間に止まりません。
 因・縁・果・報の因果応報はこの世の世界だけでは完結しません。
 お釈迦様がこの世だけの肉体即我であれば悟りは開きません。
 凡人で終わります。
 お釈迦様の思想を凡人と同じ思考に貶めてはいけません。
 お釈迦様を凡人と同じ考えであったら2500年間も、
 お釈迦様の思想が伝承として伝わることはありません。

詳しくは幸福の科学の書籍などお読みになることを勧めます。


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