大坂の陣への軍事考察 その2at ARMY
大坂の陣への軍事考察 その2 - 暇つぶし2ch150:名無し三等兵
09/09/30 20:33:43
>>148 栄養が足りている支配層はむしろ今より老けるのは遅いぞ。

151:名無し三等兵
09/09/30 20:35:09
>>147
憎っくき家康の孫娘である千姫を全員で輪姦すればおk。

152:名無し三等兵
09/09/30 22:55:18
深キョンはいい感じにヒスババァという淀殿のイメージを壊してくれたのでおk

153:名無し三等兵
09/10/01 02:01:35
深キョンは是非次々期大河お江では宇喜多秀家の母をして欲しい。
お家存続と息子の立身出世の為に秀吉の愛人になる母の姿が合いそう。

154:名無し三等兵
09/10/02 12:06:40
>>148
1969年生まれなら-355歳では

155:名無し三等兵
09/10/02 13:06:48
淀殿って俺と350歳くらいしか違わないのか・・・

156:名無し三等兵
09/10/03 22:07:08
>>142
いや強いよw


157:名無し三等兵
09/10/04 08:13:47
>>155 ウルトラマンみたいな寿命か!

158:名無し三等兵
09/10/04 18:57:59
しかしまぁ、夏の陣で家康を蹴散らして秀忠の本陣近くまでよく攻め寄せたな…
布陣図を見ると信じられないぜ

159:名無し三等兵
09/10/05 03:14:12
>>158 大坂方の決死の突撃に恩賞も見込めない戦いではだれも積極的に戦いたくはないだろ。

160:名無し三等兵
09/10/05 10:34:51
積極的に戦わざるを得ないように追い込まれた奴らもいたな。
一人は本多忠朝(本多忠勝の息子)、一人は松平忠直(結城秀康の息子,家康の孫)。
どちらも決戦前日の不完全燃焼な戦いぶりに大して,軍議において、家康自ら面罵に近い叱責を食らっていた。

忠朝の方は,先鋒軍の指揮を任されて勇戦。
あほあほみたいに強烈な毛利勝永の一撃をまともに受け止めながら戦い続け,
徳川恩顧大名で唯一、討ち死に。

忠直の方は,忠朝のグループを抜け駆けして,真田勢と正面衝突。
浅野幸長裏切りの誤報に,陣をすり抜けられ,真田勢の家康本陣直撃を許すハメになったが,
「命知らずの褄黒の旗」と歌に詠まれるほどの力戦奮闘ぶり。
真田信繁(幸村)の首級をあげたのも、忠直の配下の者だった。
結局,恩賞は茶器のみで、それを砕いて家臣に分配したと言われている。

『真田太平記』では、家康が,功抜群の重臣の息子と悍馬のような孫の尻を叩いておけば,この方面は大丈夫という計算の元での叱責と描いているが……
戦況の推移を見る限りでは,今一歩、本気出させるための工夫が足りなかったんではないかなと。

161:名無し三等兵
09/10/05 12:21:09
大坂方がもう少し組織的に戦えれば徳川方を敗走させれたと思う。
後藤又兵衛や明石全澄などを見殺しにしていてこの戦果だし。

162:名無し三等兵
09/10/05 23:06:58
それをいうと、冬の陣の時点で地方勢力の連合軍だった東軍を一本化された大阪方は撃破できてしまうからなぁ

大阪方の組織化一本化がが逆転の鍵であると同時に、出来てたらこうはなっていないというループに入ってしまう

163:名無し三等兵
09/10/05 23:09:14
盛ちゃん…。

164:名無し三等兵
09/10/06 00:49:34
>>160
>結局,恩賞は茶器のみで、それを砕いて家臣に分配したと言われている。
その手の茶器って然るべきところで売れば結構な金に換えられたと思うんだけどな
家康もそれは織り込み済みだろうし、信長からの伝統だから砕いたりしなくてもいいのにね


165:名無し三等兵
09/10/06 04:33:33
>>162 冬の陣は豊臣側の戦力半数が城外で遊撃活動すれば勝てた戦だからね。

166:名無し三等兵
09/10/06 05:32:57
>>164
茶入れの「初花肩付」だっけな。
確か「へうげもの」によると、3大肩付きのひとつで,
国一個と引き換えにできるくらいの名器だったかと。

167:名無し三等兵
09/10/06 06:07:47
>>166
あの漫画だと、徳川家中全体が、侘び数寄を一切解さない朴念仁集団なんだよなw
まあ,話半分に見ないといけないけど…。
松平忠直はその朴念仁集団の伝統(?)をそっくり引き継いだ正統派なんだろうよww

168:名無し三等兵
09/10/06 07:57:23
>>162
>>165

結局は宇治川防衛策が妥当だったわけだよ。
これは宇治川で完全に敵を食い止めるのを前提にしているのではなく、
縦深防御に徹して、遅滞戦闘を行って徳川方に出血を強いる策。
遅滞戦闘に陥ると遠征している徳川方には不利になる。
(遠征している戦線の維持コストなど)

169:名無し三等兵
09/10/06 08:36:16
まあ、そうやって東面からの侵攻を防ぎながら、西国大名の中立化…あわよくば幕府からの離反が出るのを期待するのかね。
つか、そうなるべく、外交も展開しなきゃか…それができる人が思いつかないけど。
真田昌幸や加藤清正が存命ならねえ。
昌幸に前線の指揮を委任し、清正の決起を待つみたいな絵が描けて面白いんだが。

170:名無し三等兵
09/10/06 10:16:47 drIeKR6P
そんな外交手段出来るような頭持ってたら、あんな鐘造ったりしないし戦になることもなかった

171:名無し三等兵
09/10/06 10:54:30
>>164
初花を砕いたってのは作り話で、実物が現存してますよ。
実際問題として、恩賞として与えられたものを換金したり砕いたりできるんでしょうか?
あの時期にそんなことしたら、言いがかりつけられて改易や減封されそうな…

172:名無し三等兵
09/10/06 11:18:55
>>171
松平忠直は、夏の陣の決戦前夜の「昼寝でもしていたのか」という家康の叱責以降、
言いがかり付けまくられな男だから無問題。

173:名無し三等兵
09/10/06 14:25:11
>>169 清正が存命なら家康は仕掛けないだろう。
清正が決起するなら大坂から西は全て豊家のお味方になりかねない。

174:名無し三等兵
09/10/06 14:48:47
黒田島津池田細川は加藤の味方しそうにないでござる
毛利も今更博打打つかどうか

175:名無し三等兵
09/10/06 17:49:08
>>174
遅参や隠密裏に武将を派遣といったくらいはするだろ。
むしろ、東軍で積極的に功を上げることはしないだろ。
得をしないしな。適当なこ理をつけて遅参くらいはした方が合理的だろ。
コストが一番少なくて済む。

176:名無し三等兵
09/10/06 18:17:50
いや豊臣に協力する、もしくは徳川に協力しない方が明らかにメリットないし
特に黒田長政、細川忠興あたりは天下に野心もないしな、奥州仕置きの二の舞は避けたかろう

177:名無し三等兵
09/10/06 19:37:47
>>176
だから>>175なんだろう。

178:名無し三等兵
09/10/06 20:37:22
>>175
>>177
それが一番妥当な考察だろうね。
福島のように兵糧物資の豊臣方による接収を黙認している場合もあるから、
その辺をうまく交渉していればいいかも。
諸大名が公然と大坂城に入城して参戦することは、
事実上無理だろうから。

179:名無し三等兵
09/10/06 21:18:59
天下分け目の決戦に際しての日より見がお取り潰しに繋がる可能性を目の当たりにしてる諸大名が、
安易に日より見を選ぶかなぁ

西国大名が動かなくても大阪方に分がないのに

180:名無し三等兵
09/10/06 21:52:18
徳川恩顧の大名が勝手に衰弱してくれる方が、
西国大名にとっては好都合。
そもそも、豊臣を滅ぼして且つ毛利や島津と戦って滅ぼせるほどの
体力が徳川恩顧の大名に存在するかな?w

181:名無し三等兵
09/10/06 23:37:22
>>175
実際に毛利は隠居宗瑞の一存で家臣派遣してるけどな。

182:名無し三等兵
09/10/07 02:46:02
タダの寺ですら全盛期の織田軍団の猛攻に耐えた立地に天下無双の名城がある。
大坂冬の陣では徳川方には万に一つも勝ちは無いだろう。

183:名無し三等兵
09/10/07 07:53:51
>>182
そのためには、城から打って出て、
支城的に陣地構築して縦深防御に徹しないと。

184:名無し三等兵
09/10/08 06:22:27
>>183
西国口は尼崎⇔池田で防衛ラインを築き、京都口は高槻⇔四条畷で防衛ラインを敷き、
大和口は信貴山⇔二上山で防衛ラインを死守し、熊野口は佐野⇔岸和田で防衛戦を展開する。

185:名無し三等兵
09/10/08 06:39:45
>>181
みんな判ってたって話が…

つか内藤カワイソス

186:名無し三等兵
09/10/11 17:35:43 V7Q0LyAy
>>184
黒田如水あたりが軍師だったらできただろうでしょうがねー。

187:名無し三等兵
09/10/11 20:54:47
>>182
全盛期の織田軍には攻城用の大筒が無いんで寺だろうが小屋だろうが、土塀に鉄砲があれば防衛できたんだよ
冬の陣の時代の火力なら、本丸を焼却してトーチカ作れってな話になってしまう。淀殿初めとして上層部にその胆力は無いだろうが

188:名無し三等兵
09/10/12 03:00:43
京橋口から都島一帯を城郭内に取り込めば大筒の本丸攻撃を防げる。

189:名無し三等兵
09/10/12 04:41:50
当時は既に仕寄せ(攻城用野戦築城)の概念が出来てたし、縦深を広げてもその先端から逐次に攻略するだけだろ。
もちろん敵に「きつく」する効果はあるが、それは味方にそうするだけの数と時間、技術や資金があればの話だ。
敵味方が知略を尽くした結果が、現在の「大坂の陣」で、無理に戦線を広げれば、別の場所にしわ寄せが出るだけだろ。
総体としての意識統一や、政治と戦闘行為全般に渡る意志伝達の不備、それが後藤又兵衛なり赤石全登の敗因となった。
有名な真田丸の防衛戦だって、真田幸村の独断と孤軍奮闘によるもので、これとて一歩間違えれば危険な局面を迎えている。

大坂方に本当に必要だったのは、当事者意識であり危機意識であり、その結果としての体制の構築だったはず。
大野治房による、西軍総大将だった兄、治長の暗殺未遂などは、正にこれを象徴する出来事だっただろう。

190:名無し三等兵
09/10/12 08:57:11
URLリンク(www.buffaloes.co.jp)

大阪を本拠地とするぷろ野球のオリックスバファローズが
「大坂夏の陣」というイベントをを企画したのは何か間違ってると思うw

191:名無し三等兵
09/10/12 09:10:07
>>189
縦深防御という戦略・戦術思想は、
現代戦でも有効で重要な概念だぞ。
後藤又兵衛なり赤石全登の敗因と言っても、
郡山城を攻める時点で、
後続部隊を派遣していれば、充分だったわけだ。
つまり、当初の不手際だろう。
縦深防御の考えが間違ってたわけではない。

192:名無し三等兵
09/10/12 11:29:22 a2EOSPqJ
>>191
ハンニバル級の名将が大阪城にいて、指揮権握ってれば、どういった戦法
採っただろうか。

193:名無し三等兵
09/10/12 12:30:31
当時は近代のように組織化が徹底されておらず、
多部隊間の連携も難しいので縦深防御という考えはかなり危険。

完全に意思統一が出来ていて、とんでもない名将が揃っている軍なら出来るかもしれないが、
基本的に縦深を確保しても後続との連携がとれず小部隊を各個撃破されていくだけだったり、
次の陣地に撤退するときに隊列が崩壊してアボーンする確率が高い。


194:名無し三等兵
09/10/12 13:35:07
ハンニバル辺りだったら、
孤軍ではだめ、大坂方は強いと言うのを実力を持って知らしめるべき!と言って
藤堂か池田を攻略しようとするかのぅ
んで、慌ててやって来た救援軍を野戦で粉砕して周辺諸国の動揺をもくろむ
               ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
                    ↑
                実際の主目的
 
まぁ浪人衆の案とあまり変わらんけども
人類史上トップテン級の将ならより高い位置から見れるだろうからいけるんじゃないかと

195:名無し三等兵
09/10/12 13:39:25
>>191
構想の是非では無く実現性の問題だろ?
正にその不手際が続出したのが西軍だったのだし……
最初から自軍を分割してたらもっと悲惨なことになる
それにかなりの遊兵も出るだろうね

196:名無し三等兵
09/10/12 15:28:08
>191
フクロにしてるみたいで悪いけど、その郡山城にせよその他にせよ、大坂方は後詰めや合流の失敗が多すぎやしないか?
防衛戦だって、薄田兼相や大野治胤のように、知勇は持っていてもそれを生かせぬ武将のせいで、つまらない失敗が多い。

大坂方は全体として達成力が低いから、広く分散させると、各個撃破される機会を増やすだけではないかと……

197:名無し三等兵
09/10/12 18:31:06 a2EOSPqJ
ハンニバルだったら徳川方と険悪な関係になる前に、精鋭な機動部隊を編成し、
いざ開戦になれば、この部隊で徳川方の部隊を各個撃破、
主導権握った上で、主力軍引っ張り出して、自軍に有利な戦場
で決戦と思いますが。

198:名無し三等兵
09/10/12 19:08:14
ハンニバルだったら
↑の人が言ってる事をやりながら徳川方に造反工作を仕掛ける。

199:名無し三等兵
09/10/12 19:34:30 a2EOSPqJ
>>198
ハンニバルは謀反工作失敗したんです。成功していたら、フェニキア語が
国際語になっていたらしいですよ。

200:名無し三等兵
09/10/12 20:12:43
大坂本営が頼れないのも、カルタゴ本国が頼れないのも一緒。
各個の戦闘では活躍しても、最終的な勝利は得られないんじゃないか?

201:名無し三等兵
09/10/12 20:32:32
カルタゴ本国と違いヤル気だけは満点だぜ!

202:名無し三等兵
09/10/12 20:57:57
スペイン上陸さえ許されず(当然アルプス越えとか無し)、ローマ軍が渡海してくるまで
待ってから迎撃するハンニバル みたいな

203:名無し三等兵
09/10/12 21:00:13
>>193
そもそも日本は南北朝期より、城塞も縦深防御設計なんだが。
それに戦国期には支城という存在がデフォ的に存在しているわけだから、
それは縦深防御自体が当時の戦争では前提事項にはなっている。

204:名無し三等兵
09/10/12 21:13:48
>>195-196
>正にその不手際が続出したのが西軍だったのだし……
最初から自軍を分割してたらもっと悲惨なことになる
それにかなりの遊兵も出るだろうね
>大坂方は全体として達成力が低いから、広く分散させると、各個撃破される機会を増やすだけではないかと……

それは有り得ないだろ。史実から考えて。
東軍側も抜け駆けなど不手際が多いし、
夏の陣での西軍の撤退戦を見ると、
むしろ西軍側の方が首尾手際よく達成して、
洗練されているくらいだが。
夏の陣でも西軍は各個撃破されているとは言い難い。

205:名無し三等兵
09/10/12 21:17:56
冬の陣で、まともに行軍も出来ないと、後藤又兵衛が嘆くような大坂方に期待できるか?

206:名無し三等兵
09/10/12 21:21:55
家康が征夷大将軍じゃなければ、外様大名が出陣するいわれは無くなって
徳川方の兵力は半減するので勝てた。

207:名無し三等兵
09/10/12 21:29:58
>>195-196は前スレッドを含めて
議論した流れを全く把握していないのが問題だな。

208:名無し三等兵
09/10/13 00:46:44
把握してると、西軍は無駄なくシステマチックな用兵で、縦横無尽に戦力を動かし、効率よく戦闘出来たことになるのか!
東西どちらにも失敗や不手際、間違いはあったにせよ、東軍には相対的に少なく、かつそれを吸収できる体制が整ってただけ訳だろ。
どんなに優れた政治・戦略・戦術・戦法があろうと、それを実行出来なきゃ意味は無いわな……
それとも過去の議論は、取り敢えずそれは無視して、全て都合良く実行出来るって、暗黙の了解のすり合わせか?

209:名無し三等兵
09/10/13 02:19:14
大坂城という防御は安心できる策源地があるのだから、
主力部隊は外征に出して長駆彦根あたりまで進出すべきだ。

210:名無し三等兵
09/10/13 04:21:58
どうせ防戦派と主戦派が噛み合わないなら、大胆な策としてそれもありかもな・・・

211:名無し三等兵
09/10/13 04:24:18
>>202
ハンニバルはハミルカル・バルカスの息子としてヒスパニアで産まれたはずだが。

状況的にはワーテルローのナポレオンみたいなもんじゃね?

212:名無し三等兵
09/10/13 07:33:04
1945年 日本夏の陣で日本人が滅びていたら、日本はネオコリアの時代だったのね。

213:名無し三等兵
09/10/13 07:58:57
>東軍には相対的に少なく、かつそれを吸収できる体制が整ってただけ訳だろ。

これ自体が否定されているわけなんだがな。
まあ、過去ログ読まずに半年ROMもせずに書き込む馬鹿は、
これだから始末に悪い。

214:名無し三等兵
09/10/13 11:02:26
ハイハイ縦深防御

215:名無し三等兵
09/10/13 18:23:53
ハイハイ篭城防御

216:名無し三等兵
09/10/13 22:43:47
>>203
確かに永久要塞つうか城の構造自体は多重化されていて縦深防御になってるね。
でも大阪の陣では大阪城に引きこもる事は出来ないから、
野戦か応急の野戦築城で縦深防御を行わなきゃいけない。だから難しいって言ってるの。
あとこの時代の支城は火器の射程が短い事もあって相互支援が難しいから縦深防御とはいえないんじゃない?


217:名無し三等兵
09/10/13 22:49:14
>>216
当時の縦深防御と現代の縦深防御をダイレクトに比較するのは無理があるんじゃね?

218:名無し三等兵
09/10/14 01:44:35
意見するとまたムキになるから止めとけ

219:俺モナァ~
09/10/14 02:27:22
>>1-219
お前ら全員判ってない
半年ROMってろ

220:名無し三等兵
09/10/14 08:05:10
>>216
当時の野戦築城は天然の地形を利用して行う。
掻揚げ式の土塁程度なら、1日でも可能。

また、大阪は天然の地形によって、良好な要害がある。
宇治川(瀬田川)、湊川、亀の瀬など。

221:名無し三等兵
09/10/14 09:12:07
大阪冬の陣の講和条件の「浪人の追放」とか「外堀の埋め立て」とかしたら
内堀あっても大阪方の抵抗なんて無理になるよね。大阪城が難攻不落なのは町全体を城にしてる総構えだからだし、
内堀だけ残ってても仕方ないじゃん。
何でそんな降伏みたいな条件受けちゃったの、その時点で夏の陣は必敗じゃん。

222:名無し三等兵
09/10/14 13:39:03
講和で掘を埋めるのとか石垣崩すとかってやつは、、
ちょこっとだけ埋めるとか儀礼的な物だったから、と前に書かれていたかな。

ところが徳川は人員を動員してマジで埋めてしまった。

223:名無し三等兵
09/10/14 14:33:00 U2y1G1kT
>>222
狸親父のペテンにひっかっかったってことですか。

224:名無し三等兵
09/10/14 18:08:27
>>221
「家康が死ぬのを待ちましょう」と大野が進言したようだ。
「それでは勝旦の言ったこととおなじではないか!」と秀頼は怒ったがw

225:名無し三等兵
09/10/14 18:27:11
大前提として、武家は既に徳川家を中心に固まっており、豊臣家は名目上の主家に過ぎなかった。
家康は秀頼に上洛を求め実現させており、これはちょうど秀吉が伊達正宗に対してしたことに似ている。
豊臣家はこれが判らなかった、判っていたとしても、立身出世を求める家臣たちは、それを受け入れる訳にはいかなかった。
主家を立てるのが家臣の勤めであり、それが自分の栄達にもつながるのに、格上とはいえ同僚の徳川の風下に立たねばならない……
これは受け入れられないだろう? 何も淀君とその周辺だけが、反対してた訳では無いんだな。
まして豊臣家、と言うより秀吉は、下克上と成り上がりの象徴だったし、家臣も浪人もそんなのが集まる。

時代の趨勢を読んでへりくだり、あくまで有力大名として家臣の座に甘んじるなら、族滅の危機はさけられただろう。
それが嫌なら、それこそ秀吉が存命の内に、家康がやったように手段を選ばず、徳川家を叩き潰しておくべきであった。
方広寺鐘銘事件の露骨悪辣さで、朝鮮征伐規模の軍を動かせば可能だったし、規模だけなら北条氏に対して行っている。

政治的には既に失敗していた訳だが、続く大坂の陣においても、豊臣方は政治見通しの甘さが見られる。
つまるところ、本来が下克上で成り立っていた豊臣家が、それを忘れて、名家意識に溺れていたのが最大の敗因。
織田家という反面教師が、身近に居たというのに……って淀君に至っては当事者だ!

226:名無し三等兵
09/10/14 20:53:07
小牧・長久手戦役の時に、
講和条件として家康の石高くらいは減俸させておくべきだった。
戦略レベルでは小牧・長久手戦役では秀吉側が優勢な戦況だった。
(長久手での敗北は、戦役の一局面でしかない)

227:名無し三等兵
09/10/14 22:59:38
敵対行為に対して減俸せずに、度量の大きいのを見せて
「敵ながらさすがは秀吉!そこにシビれる!あこがれるゥ!」となって
自ら頭を下げにくると思った、に三千石

228:名無し三等兵
09/10/15 00:16:52
人たらしの秀吉ならある程度の効果があったろうが、それは中世から近世に入りつつあった安土桃山では時代遅れの発想だ。

戦争も同様。
たまに抜け駆けや逸脱はあっても、総体としてはシステムの一部として機能し、与えられた任務を粛々とこなして戦略目標を達成したのが東軍。
個々が集まって、それぞれががむしゃらに武勇を振るい、結果として何らかの成果が上がる西軍では、全体としての達成力が見劣りする。

東軍なら縦深防御を遂行できるだろうが、西軍では困難以前に、そのような策に一本化することはできなかっただろう。
無事防衛に成功しても武功を上げ難く、また功績を上げても、領地を手にして大名になれる訳では無いからだ。
「淡々と守り抜くのが最大の功績」とは受け入れまいし、またそれでは敵武将の攻略につながらない。

西軍における主戦派と籠城派の意見の相違は、そうした立場や思惑の違いもあった訳だ。

つまるところ、武装が同程度でも中世軍は近世軍に勝てない、それを証明したのが関ヶ原であり大坂の陣だった。

229:名無し三等兵
09/10/15 05:41:37
>>226
北条攻めのあと関東へ国替えせず、朝鮮出兵の先鋒を命じるのが一番簡単。
尾張、伊勢に前田を国替えし徳川を牽制すればいい。
首尾よく朝鮮を平定すれば徳川を朝鮮管領に任じて朝鮮に国替えさせる。

230:名無し三等兵
09/10/15 05:46:49
秀吉が死ぬ前の家康を危険視する必要がどこにあるのか?

231:名無し三等兵
09/10/15 07:58:53
>体としてはシステムの一部として機能し、与えられた任務を粛々とこなして戦略目標を達成したのが東軍


全く過去ログを読んでいない。厨房の論説だwwwwwwwwwwww

232:名無し三等兵
09/10/15 10:40:54
半年ロムれってんだろ? それはもう良いよ。

233:名無し三等兵
09/10/15 13:02:26
詭弁の特徴のガイドライン

URLリンク(www.google.co.jp)

234:名無し三等兵
09/10/15 18:04:50
政略的に見れば京都と朝廷を勢力下に置くというのは源平以来の定石ともいえる。
徳川追討の宣旨が出ればさすがに東軍諸大名も動揺し、徳川方への参陣を拒む者
も出る。なにしろ朝敵になるのは戦国大名といえどもこの国では最悪である。

235:名無し三等兵
09/10/15 20:25:45
豊臣の浪人軍の方が、
近代軍化しているからなあ。
志願兵だし。

236:名無し三等兵
09/10/15 20:44:06
餌がマズ過ぎないか?

237:名無し三等兵
09/10/15 21:09:42
>>228のような腐敗した粗悪な餌よりは良質だ。

238:名無し三等兵
09/10/15 21:32:14
レス、サンキュー
君が縦深防御?

239:名無し三等兵
09/10/15 21:33:54
レス、サンキュー
君が篭城防御?

240:名無し三等兵
09/10/15 21:57:55
常駐してんのか?
少し落ち着けよ

城でも要塞でも
普通は地積と縦深を考えて作るし
その意味じゃ実際に縦深防御は実行してんだろ?
規模の問題で不満らしいが・・・

241:名無し三等兵
09/10/16 05:23:02
真田のくのいち部隊を駆使して福島正則を江戸から脱出させ
広島から3万人くらい連れて来させれば西国大名大動揺して勝てた。

242:名無し三等兵
09/10/16 18:57:04
>規模の問題で不満らしいが・・・

厨房、マジで半年ロムれ!

243:名無し三等兵
09/10/16 21:58:34
変なのが暴れてるなぁ

244:名無し三等兵
09/10/16 22:00:17
篭城防御厨がねw

245:名無し三等兵
09/10/17 02:38:15
まぁ史実の最初から篭城するよ作戦は、ちょっと消極的過ぎるよなぁ。

246:名無し三等兵
09/10/17 05:23:53
スレッドの主を気取ってるようだが
自分がみっともない振る舞いしてると
早く気付けよ

247:名無し三等兵
09/10/17 08:13:47
>>245
浪人衆からは出撃策が意見具申されたが、大坂の連中が
不安だから嫌、だもんねw

248:名無し三等兵
09/10/17 08:27:56
冬の陣で出撃した軍勢の経過を見ると、無理もないように思える。

249:名無し三等兵
09/10/17 11:36:08
関が原で一発勝負の会戦に懲りてたのもあるだろう

250:名無し三等兵
09/10/17 15:19:08
関ヶ原と違って総大将が居ないしね

251:名無し三等兵
09/10/17 15:22:29
関が原の時も総大将の毛利輝元は大阪城でのんびりしてたよ。

252:名無し三等兵
09/10/17 16:29:36
結局のところ、
宇治川防衛案が最善って結論になるね。

253:名無し三等兵
09/10/17 21:05:16
取り敢えずまた貼っておく。
別に宇治川防衛に反対な訳じゃ無い。
最善かどうかはともかく、有力な案だとは俺も思うよ。


詭弁の特徴のガイドライン
 URLリンク(www.google.co.jp)

254:名無し三等兵
09/10/17 21:32:29
宇治川防衛が最善なことには、
変わりが無い。

255:名無し三等兵
09/10/17 22:14:52
縦深君の次は詭弁君か

256:名無し三等兵
09/10/17 22:26:21
籠城君の次は詭弁君か

257:名無し三等兵
09/10/17 23:56:53
何この流れ

258:名無し三等兵
09/10/18 01:10:43
縦深君→宇治川君

259:名無し三等兵
09/10/18 02:34:43
瀬田で防衛戦をやってるときに加太超えで笠置から伏見へ侵攻されたら瀬田の部隊は挟み撃ちに遭う

260:名無し三等兵
09/10/18 02:43:04
加藤と福島と浅野が5万くらいつれて来いよ

261:名無し三等兵
09/10/18 08:51:49
篭城君→DQN君

262:名無し三等兵
09/10/18 14:48:29
それ以前に例え豊臣勢が勝利していたとしても、国内はまとまったんだろうか?
もし豊臣勝利したりしたら淀殿の権勢は間違いなく強まっただろうし
淀殿の顔をうかがいながら国内がまとまるはずがないように感じる
今度は文治派(実質三成派)と武断派とでさらに戦国時代が続いてそうな気がするんだが

263:名無し三等兵
09/10/18 15:45:16
江戸まで逝って征夷大将軍家を完全につぶさない限り国内を纏めるなんて無理だよ。
この時点じゃ、もう豊臣は貯金と城が立派なだけの60万石ちょっとしかない一大名だし。
よくて一部の豊臣恩顧大名が協力的な行動を取ってくれるぐらいじゃね。


264:名無し三等兵
09/10/18 16:00:02
徳川軍を撃退して京都を押さえて関白になれば一大名から天下人にランクアップだよ!

265:名無し三等兵
09/10/18 22:27:33
徳川方にも文治派と武断派の対立はあったが、豊臣方と違ってこちらは大過なく乗り越えてる。
諸大名を閣僚に据えざるを得なかった豊臣秀吉と、譜代の家臣が多かった徳川家康との違いだろ。
豊臣方と言うか秀吉の誤算は、己の築いた体制が、自らの死後も成立すると考えていた点にある。
或いは信じてはいなかったのかも知れないが、それならそれで生前に将来出るだろう釘を討つべきだった。

266:名無し三等兵
09/10/19 01:18:44
石田も小西も既に死んでるだろ

267:名無し三等兵
09/10/19 09:43:05
淡路島を占領し亡命豊臣政権をつくる。その後各地でゲリラ戦を展開。日本のアイルランドとなる。


268:名無し三等兵
09/10/19 11:23:23
信長の野望の十河家より絶望的w

269:名無し三等兵
09/10/19 14:40:56
>>263
200万石あった秀吉領がどうして減ったの?
でもよく考えたら徳川250万石って秀吉より多いんだ。

270:名無し三等兵
09/10/19 14:55:10
家康は家臣込みの石高に対して
秀吉は側近連中に独立した領土を与えているから

つうか飛び地の蔵入地は秀頼の時でも結構残っている

271:名無し三等兵
09/10/19 16:10:23
近畿の200万石と関東の250万石じゃ、近畿の200万石の方がずっと価値あるよ。
米の収穫高以外のスペックが違いすぎる。

272:名無し三等兵
09/10/19 16:22:59
近畿のコメのほうがおいしいとか?

273:名無し三等兵
09/10/19 17:46:59 vWnvulkn
>>272
米以外の収入が結構あったんじゃないの。なんせ商業地だし。
関が原以後も、豊臣家は一定の諸国への支配権もってたようだよ。
大和の寺社の揉め事の裁定やってたようだし。蔵入り地からの収入もあったようだし。
潰さないと幕府の支配権やばかったようよ。

274:名無し三等兵
09/10/19 18:53:44
>>269
秀吉は直轄領から家臣に蔵入地として
貸し与えていた。
本来それは秀吉直轄領(豊臣家所領)なのだが、
関が原の論功行賞で家康が勝手にそれを
その当該家臣の所領として計上して削って、
東軍の大名達に与えたため。

275:名無し三等兵
09/10/19 19:42:34 +OoIoT98
徳川領255万石
豊臣領222万石

と、表面的には徳川のほうが多い。
ただし豊臣の場合、天下すべてが自分の領地と言ってもよく、
加藤清正、福島正則ら直参の家来は、大名にして領地を分け与えていた。
だから、豊臣222万石は純粋に豊臣の取り分になる。

それに対して徳川は、本多正純、井伊直政らの家来の分を、255万石の
中から分けていたので、徳川家の直接の取り分は百万石程度だったらしい。

276:名無し三等兵
09/10/19 19:48:05 +OoIoT98
>>269
そりゃ関ヶ原で負けたからな。

関ヶ原で負けても豊臣家はまだ潰れていなかった。
それで、徐々に勢力を削って、最後には豊臣家を潰すつもりで
徳川家康は豊臣の石高を一気に222万石→65万石にした。

277:名無し三等兵
09/10/19 21:03:38
東海の旧徳川領150万石くらいは全部豊臣恩顧大名、あと北九州とかも。
岡山57万石や会津92万石は豊臣一門扱いの蒲生さんや宇喜多さんの領土。
圧倒的じゃ無いか、豊臣家は!

278:名無し三等兵
09/10/19 21:16:58
ありがとう、勉強になりました。

279:名無し三等兵
09/10/19 22:34:55
>>277
しかし大阪の陣では恩顧大名ですら助けに来ないという罠
つうか宇喜多って関ヶ原で取りつぶされてるだろ。

280:名無し三等兵
09/10/19 23:01:59
慶長14年、関ヶ原の勝者家康は天下統一の仕上げとして豊臣に戦を仕掛ける
太閤秀吉がその力を全て込めた居城大坂城
そこにはかっての栄光を取り戻すため、豊臣のため多くの浪人、武将が集まっていた
かっては土佐22万石の主 長曾我部盛親
秀忠3万を足止めした昌幸の子 真田信繁
宇喜多家57万石の筆頭家老であった 明石全登
黒田家では1万6千石を拝領した男 後藤基次
豊臣へ為、1千石をなげうち馳せんじた 毛利勝永
豊臣家臣筆頭大野治長の弟 大野治房
秀頼の乳兄弟、弱冠22の美男子 木村重成
かれら七将の他、薄田兼相、塙直之等の歴戦の強者達
しかし、大坂城の最高権力者は秀頼の母淀とその取り巻き達であり、七将らの発言力は弱かった
又、この七将達も思惑はそれぞれ。真に豊臣の為に戦うは毛利、木村、大野くらいか…
その時、浪人で溢れかえる大坂城の人だかりを掻き分けて本丸に向かう男が一人
全身に水を滴らせ、息も絶え絶えだが、眼光鋭く人々は気押され、彼のために自然と道が出来ていた
しかし、一介の城兵を城内に入れるわけにはいかぬと彼を遮る門番。しかし、そのずぶ濡れの男は一喝した
その頃、殿中では真田、後藤らの野戦出兵策は退けられ、籠城と戦いの方針は決まっていた
「真田殿、後藤殿の策を取れば勝てようものを……」
歴戦の武将達はこの大坂城の首脳陣を嘆くと共に、彼等を押さえ、七将すら束ねる強い指導力と実績を持つ男が居れば…と思わずにはいられない
初めはそれを、秀吉の遺児、秀頼に期待したものだが、もはや望むべくもない…そんな時だった
―バタン!!
ふすまを開き、ずんずんと上座に進む男。それはさっき、大坂城に現れたずぶ濡れの男だった
「何者ぞ!!」
叫んだのは若き秀頼の忠臣、木村重成
しかし、彼の後ろの淀殿や治長、いや、彼らだけでなく後藤や真田ですらその顔に驚きを浮かべ、ただ呆然とその闖入者の顔を見ていた
「殿……」
明石全登がようやくといった感じで放った言葉に、重成を初め、その場に居た武将達は皆、驚きの声をあげた
「宇喜多備前中納言八郎秀家、豊臣家の御危機を聞き、八丈島より  泳  い  で  参  っ  た  !!!」
秀吉に実の子、いやそれ以上の愛情を受け育ち、豊臣政権の五大老であった男が再び豊臣の為に戦うため帰った来た…

281:名無し三等兵
09/10/20 01:43:31
ちょwwwwおまwwww泳いでwwwww無理ぽwwwww

282:名無し三等兵
09/10/20 03:58:36
本拠地、大阪城で迎えた夏の陣
先鋒木村が討ち死に、後詰も勢いを見せず旗色は明らかに敗勢だった
大阪城天守閣に響く淀殿のため息、どこからか聞こえる「最早、腹を切るしかない!」の声
無言で陣地に押し戻される足軽達の中、真田信繁は独り本陣で泣いていた
信濃の国で手にした栄冠、喜び、感動、そして何より信頼できるあの・・・
それを今の大阪城で得ることは殆ど不可能と言ってよかった
「この情勢如何する・・・」信繁は悔し涙を流し続けた
どれくらい経ったろうか、信繁ははっと目覚めた
どうやら泣き疲れて眠ってしまったようだ、冷たい床机の感覚が現実に引き戻した
「おお、戦さ場に戻らねば」信繁は苦笑しながら呟いた
立ち上がって伸びをした時、信繁はふと気付いた

「む・・・?旗印が・・・?」
本陣から飛び出した幸村が目にしたのは、埋め尽くさんばかりの兵士が掲げる六文銭とそれに混じった武田菱だった
千切れそうなほどに槍が突き上げられ、地鳴りのようにときの声が響いていた
どういうことか分からずに呆然とする信繁の背中に、聞き覚えのある声が聞こえてきた
「源次郎、何をしておる、早く行くぞ」声の方に振り返った信繁は目を疑った
「お・・・親父殿?」  「なんだ源次郎、まだ日は高いぞ?」
「さ・・・左衛門尉殿?設楽が原で討ち死にされたはず…」  「如何した源次郎、いつ兄上が討ち死にしたと?」
「兵部丞殿・・・」  信繁は半分パニックになりながら陣地を見下ろした
右翼に陣取る真田信綱 左翼には真田昌輝、後詰に控えるのは馬場信春に内藤昌豊、本陣に控えるのは父、真田昌幸と武田信玄!
暫時、唖然としていた信繁だったが、全てを理解した時、もはや彼の心には雲ひとつ無かった
「勝てる・・・勝てるのだ…徳川めが目に物見せてくれる!」
高坂弾正から兜を受け取り、山県昌景と競うように先駆けに走る信繁、その目に光る涙は悔しさとは無縁のものだった・・・

翌日、本陣で冷たくなっている信繁が発見され、秀頼は静かに自刃した。

283:名無し三等兵
09/10/20 10:47:02
>>280
豊臣始まったなwwww

284:名無し三等兵
09/10/20 12:12:05
バテレンの魔術で秀吉を生き返らせるが‥すでに耄碌しちゃったあとの秀吉で
どーなるんだかと諸将が頭を抱える

285:名無し三等兵
09/10/20 19:43:32
泳  い  で  参  っ  た  !!!

286:名無し三等兵
09/10/21 02:32:23
秀家の嫁は前田の娘。秀家参戦なら前田も島津も毛利も味方に付くぞ!

287:名無し三等兵
09/10/21 04:22:08
豊 臣 始 ま っ た な

288:名無し三等兵
09/10/26 11:31:03
毛利勝永さんが3万くらい指揮してたら徳川本隊が壊滅して勝てた。

289:名無し三等兵
09/10/26 12:52:47 Y7TZci1g
>>288
負けてモトモトなんだから、思い切った博打打ったら勝機あったかもしれませんね。
なんせ東軍は、骨折り損のくたびれもうけ、だからやる気なかったでしょうし。

290:名無し三等兵
09/10/26 13:47:10
まあ、だから家康も「孫」と「忠勝の息子」くらいには、ケツに鞭入れておいたんだろうけどね。
ああ、あと一人、やる気満々の東軍武将があと一人いるぢゃないか。
関ヶ原の戦いで大遅刻をやらかした、現役征夷大将軍が。
大阪への行軍途中、自分の到着まで先端を開かないように、書状で何度も要請した挙げ句、
行軍序列を乱すなと嗜められるほどの強行軍、
しかも、自分の本陣に大野治房以下が突入してきたときは、
我を忘れて自ら槍を手に突入しようとしたほど。
やる気度では、西軍武将たちよりも高かったんでねえの。

291:名無し三等兵
09/10/26 19:05:21 Y7TZci1g
>>290
現役征夷大将軍様はやる気マンマンでも配下は怪我しないように必死だった、
と思いますが。

292:名無し三等兵
09/10/26 19:35:44
URLリンク(ja.wikipedia.org)

293:名無し三等兵
09/10/26 21:59:03
>>290
徳川軍主力は、万一西軍に敗れたときの隠し兵力だったのです。
決して秀忠が無能であったのではありません。

294:名無し三等兵
09/10/27 10:52:21 z+jClRsj
>>293
関が原で東軍敗れていたら、徳川軍主力は江戸に撤退し、西軍主力と上杉軍
に挟撃され、壊滅でしょう。戦場に遅参は取り返しの出来ない結果もたらした
可能性あったと思います。

295:名無し三等兵
09/10/27 11:31:47
別に江戸まで撤退する必要なくね?

296:名無し三等兵
09/10/27 11:49:38
まぁもう一勝負できたかな

297:名無し三等兵
09/10/27 12:53:23
そこに無傷の輝元軍が!

298:名無し三等兵
09/10/27 13:26:17
輝元さんはやる気ないからなぁ

299:名無し三等兵
09/10/27 18:53:50 1AEngbjf
ま、家康は秀忠待とうと思えば待てたわけで
いざって時には秀忠軍は最後の切り札になるな、くらいには思ったろうな

300:名無し三等兵
09/10/27 18:57:08
宇喜多中納言の略歴

1572年 岡山で誕生
1573年 近所の小川で泳いでいるところを家臣に目撃される。
1576年 旭川を泳いで渡る
1577年 大雨で水嵩の増した吉井川を渡っているところを領民に目撃される
1579年 児島湾横断に挑戦し成功する
1580年 岡山の燈籠崎から櫃石島、岩黒島、与島を経て宇多津へ遠泳するところを村上水軍に目撃される
1582年 瀬戸内海を泳いで東上し、本能寺の変を見物。即日泳いで帰郷する
1586年 前田家の姫君と結婚する。前田利家に挨拶するため、敦賀から金沢まで泳いでいるところを漁民に目撃される
1590年 小田原の役で伊勢から泳いで参戦
1592年 名護屋から釜山の近郊東莱まで泳いでいるところを小西行長に目撃される
1597年 再度朝鮮へ泳いで渡る
1598年 朝鮮から泳いで帰国するところを島津義弘に目撃される
1600年 関が原で敗北、大坂から泳いで薩摩に逃亡
1603年 島津忠恒によって徳川家康に引き渡される。大阪まで瀬戸内海を泳いで渡るところを淀君に目撃される
1606年 八丈島へ流罪が決まり、逃亡を恐れた幕府により、船で八丈島まで送られる
1614年 島流しになっていた八丈島から大阪城に出陣。徳川勢に苦汁をなめさせる
1615年 またも島流しになっていた八丈島から大阪城に出陣。敗北し泳いで八丈島へ逃亡

八丈島にいたらしいが、大坂や岡山での目撃証言や、江戸城の御堀で泳いでいたのを目撃したという証言もある

1655年 八丈島で逝去。享年83

301:名無し三等兵
09/10/27 19:06:32
なにしてんだ秀家w

302:名無し三等兵
09/10/27 19:13:09
本多忠勝がロボになる時代だ
宇喜多秀家が河童になった所で何の不思議もない

303:名無し三等兵
09/10/27 19:14:29
戦国の貴公子
  宇喜多秀家☆フェス
 
~ 宇喜☆宇喜フェスティバル ~

   戦国時代、備前を統一した宇喜多直家。26歳で豊臣政権の五大老に任じられた
 貴公子の秀家。
  岡山市の発展の礎を築いた宇喜多父子について学ぶとともに、戦国武将について、
 おもしろく学び、楽しく語り、そしてわいわい交流する集いを開催します。
      戦国武将が好きな皆さん、「いざ、出陣~!!」

 ○と き  平成21年11月21日(土) 午後1時から午後4時

 ○ところ  岡山城天守閣前広場(雨の場合は、不明門)
       (岡山市北区丸の内2-3-1)
URLリンク(www.okayama-cci.or.jp)

304:名無し三等兵
09/10/27 20:47:45
>>299
西軍にも、遊軍化した大津と田辺の攻城軍がいたからなあ
本戦であそこまで酷い負け方しなけりゃ、お互いあと一戦、山崎や将軍山あたりであったかも知れない

305:名無し三等兵
09/11/02 11:36:18 LT0pl75w
NHK大河ドラマ「天地人」。いよいよクライマックス、大阪の陣です!

306:名無し三等兵
09/11/03 15:55:44
あっぱれ戦国自衛隊in大阪の陣

307:名無し三等兵
09/11/04 19:26:03
シンケンジャーが家康を成敗

308:名無し三等兵
09/11/05 22:46:08
大阪の陣2 ~暗黒太閤秀吉復活編~

309:名無し三等兵
09/11/06 16:07:10
味方を容赦なく射殺するMASAMUNE
太平洋を泳いできたHIDEIE
敵に兵糧米を送ったMASANORI

310:名無し三等兵
09/11/06 20:37:28
大阪の陣3 ~第六天魔王信長再臨編~

311:名無し三等兵
09/11/09 21:29:53 mUPr9yEK
大坂の陣で、徳川軍が使用した国産大砲の構造や性能は、
どんなものだったのでしょうか?

312:名無し三等兵
09/11/10 03:17:37
>>311靖国参拝しろ


313:名無し三等兵
09/11/10 06:04:13 Ea0NxFu9
宇喜多直家の八丈島での生活ってのはどうだったんだろう。

元大名中納言ってことで、家屋敷を与えられてそれなりの生活を
営んでいたんだろうか。
前に読んだ文章では、八丈島周辺の離れ小島に一族郎党ともども
家もなく放り出され、もはや主君も家来もなく全員野生化して、みんなで
側室とズバズバやりまくってた、てのもあったんだが。

314:名無し三等兵
09/11/10 21:27:34
このスレ面白すぎw


315:名無し三等兵
09/11/12 21:13:15
妻の実家の前田家から米や味噌を送ってもらって
ようやく生活できたらしい

八丈島一の名士だったのは間違いなく
明治維新後に我こそ宇喜多直家が子孫と名乗る人がいっぱいいたとか

316:名無し三等兵
09/11/13 23:13:14 jPACNH7b
かなり以前の新聞で、関ヶ原の合戦に参加した大名家の子孫が集合したと言う記事があった。
その中で宇喜多秀家の子孫は姓を浮田に改姓していたと書いてあった。

317:名無し三等兵
09/11/15 22:48:32
今日の大河ドラマの大阪の陣はCGもあってよかったけど
尺の関係か冬夏あっけなかったぞい
真田出丸のCGがなかった

318:名無し三等兵
09/11/15 23:05:55 9yktUE4K
>>316
小早川さんが可哀想です(´・ω・`)

319:名無し三等兵
09/11/16 03:19:26
今年の大河はそういうものだと諦めてたので平気だったぜ。

320:名無し三等兵
09/11/16 10:56:10 hTQyi62K
大河ドラマ、1回こっきりでえらいあっさりした大阪の陣だな。

不満でつ。

321:名無し三等兵
09/11/16 16:07:27 wy+yvnMT
<鳥取市の大手企業リコーマイクロエレクトロニクスは馬鹿だ>

-----「休みが多い!」という週刊誌報道が関係があるのか?------

鳥取市のリコーマイクロエレクトロニクスは「週休4日制」つまり「休みが多い!」
ことで週刊誌で騒がれた会社だ。

僕はリコーマイクロエレクトロニクスにアルバイトに行っていた。
サボっていたら「休みが多い!」と激怒されリコーのアルバイトをクビ同然で辞めた。

週刊誌が「休みが多い!」と話題にした会社から「休みが多い!」と激怒されたのである。

その後、鳥取三洋の構内にあるテスコという工場に勤め一年半休まずに働いていた。

「休まずに働いているのはリコーに対する報復」という噂でテスコをクビになった。

世の中には馬鹿馬鹿しい噂を流し、信じる人もいるものだ。
 
リコーマイクロエレクトロニクスはこの馬鹿馬鹿しい人権侵害に弁護士までつけて揉み消し。

現時点で「リコーマイクロエレクトロニクス」検索結果に告発サイトが
上位表示されているのに、今のところリコーは何も言ってこない。

322:名無し三等兵
09/11/16 20:49:54
>>321
しっしっしっ

統失ちゃんはあっちにお行き

323:名無し三等兵
09/11/18 15:57:16 PbOnWqsh
>>313
江戸時代、八丈島の女性は美人が多くて島流しの罪人は八丈島の女性と結婚して島流しが解かれてからも島に残った人が多かったらしいね。
宇喜多家の側室たちの血が残ったのかな?

324:名無し三等兵
09/11/21 12:15:40
天王寺・岡山の戦いでの豊臣軍5万の内戦死者1万5千って戦国時代の他の戦いに比べて多すぎないか?
なんでこんなに死んだの?

325:名無し三等兵
09/11/21 17:30:43
戦国最大の大決戦ですから。

326:名無し三等兵
09/11/21 18:59:17
生き残っても凄惨な落人狩りが待ってる
それも全国規模で逃げるところも無い
となれば、こここそが死に場所だと思い踏みとどまったんじゃないかな?

327:名無し三等兵
09/11/22 00:09:27
真田幸村「華々しく戦死しに来ますた!」
豊臣恩顧武将「来ますた!!」

328:名無し三等兵
09/11/23 22:34:39
他の合戦と違って簡単に投降、寝返りが出来なかった

329:名無し三等兵
09/11/23 22:54:51
盛ちゃんはそれでも再起を賭けて脱出したな。

330:名無し三等兵
09/11/24 21:13:28
まあ千人単位を指揮した将領クラスでも、
落城直後さえ切り抜けたら後で赦されてどこぞに仕官してる武将も意外に多いしな

でも盛親クラスになると流石に時効で赦免はないかなぁ

331:名無し三等兵
09/11/25 13:40:57 6Ls/fXCL
秀頼、家康の二条城での会見の日の夜間に、秀頼が精鋭2万を率い、大和より
京に攻め込み、二条城に夜襲を掛ければ結果はどうなったろうか。この時点なら
清正、正則、幸長の手勢が利用可能、正則は一万の兵を率いていたようだが。

332:名無し三等兵
09/11/25 14:27:38 3SYXyHaw
その場で家康を切り捨てて大阪まで戻る方が可能性ありそうだな

333:名無し三等兵
09/11/25 14:56:28
堺の鉄砲鍛冶が機関銃の開発に成功してたら勝てた

334:名無し三等兵
09/11/25 17:28:54
万単位の兵動かした時点で夜襲は無理。
万が一運よく事前に察知されずに出撃準備を完了できても、
夜間行軍にゃ兵力規模大きすぎて大混乱になるぞ。

ましてや大坂から伏見は遠すぎる……。

335:名無し三等兵
09/11/25 18:12:48 6Ls/fXCL
会見当日、福島正則は一万の兵を率いて街道の警備に当たっていた、大阪城
の部隊も出撃準備していても怪しまれないと思う。そのままこっそりと片桐且元
の領地大和竜田に集結し、馬匹を揃えて機動力つけ、一気に京に攻め入る。
事前に豊臣領内で夜間行動の訓練をしておく。この手は使えないだろうか。

336:名無し三等兵
09/11/25 19:17:05
片桐に諮る=徳川にバレる

337:名無し三等兵
09/11/25 20:08:57
やっぱ徳川に叛意ありで切り捨てが一番安全な気がするなぁ・・・
家康死んだら徳川家にそれほど力ないし(国土は広いけど諸将への影響力がない)

338:名無し三等兵
09/11/25 21:48:52
開戦直前の時点でスパイが大量に入り込んでるし、
情報戦で最初から負けてるからな

開戦したら大坂方の総大将になると見られてた織田信包とか、
冬の陣直前に不審死してて弟の織田有楽斎か片桐による暗殺じゃないかとか言われてたし

339:名無し三等兵
09/11/26 03:28:08
イメージ的には織田有楽斎の犯行だよなw
あくまで後世のイメージだが消極的な松永久秀という感じがww

340:名無し三等兵
09/11/26 10:12:17 VVQUwJ9W
>>336 >>338
片桐且元も七本槍衆、徳川に通報すれば、武家社会では生きていけない。
スパイは城内を含めて多量に入り込んでいるだろうが、秀頼が攝津に入り次第
兵を龍田に集結、国境を封鎖、夜七時頃に先ず千名の軽騎兵を先発、京へのルート
を確保、ついで全員乗馬の4000の軍団が二組京にはせ向かう。
残りの兵は装備を馬に積み、軽装で京に向かう。先発の部隊9000は二条城に
乱入。摂津より福島隊、加藤隊、池田隊、大阪城本隊合わせて二万四千京に攻め上がり
徳川本隊殲滅。どうだろう。

341:名無し三等兵
09/11/27 13:20:39
騎兵多すぎワロタ

342:名無し三等兵
09/11/27 18:15:27 231iElgu
>>341
戦国時代の編成(備)は将校35名、兵141名、非戦闘員178名
乗馬32頭、駄馬22頭です。駄馬を120頭補充すれば、戦闘員全員
乗馬可能です。こうすれば、行軍速度は時速10キロ程度は可能と思います。
大和より京まで約50キロ、五時間で到達可能でしょう。夜間七時頃に
出撃すれば夜半には京です。熟眠中の部隊では充分な戦闘不能と思います。

343:名無し三等兵
09/11/27 22:50:04
なにそれこわい

本気で言ってるのか、ネタなのか・・・

344:名無し三等兵
09/11/28 09:41:23 VgxyPDoJ
>>343
駄馬なら農家などに多数存在し、安価に入手可能です。これを使って
戦国機動部隊編成し、敵の予期せぬ場所に、予期せぬ時刻に武装部隊
送り込めば勝利は容易ではないでしょうか。

345:名無し三等兵
09/11/28 10:55:14
馬かき集める時点で企図を疑われてアウトだし、
幾ら農耕用の駄馬がいるつっても和泉河内の内で万余の数を集められるかつったらノーだし、
豊家領内以外から集めるならさらに時間掛かるわ、確実に阻止されるわでもうね……

つか馬に乗りなれてない徒士分の連中を、人を乗せなれてない駄馬に載せて、
数十キロ行軍させるとか戦場につく前に人馬一体で潰れるわ。

346:名無し三等兵
09/11/28 13:37:58 VgxyPDoJ
>>345
二条城会見当時の大阪城の兵力は3万です、対する徳川方は5万です。
>>344の通り戦闘員数はその半数です。そして大阪城の所有する乗馬は3000頭
騎兵ですね。駄馬は2000頭。機動部隊の編成は戦闘員数、各2000の
2隊、必要な駄馬は3400、1500頭程度の駄馬購入ですみます。
この程度だと誰も怪しまないと思います。駄馬は120キロ程度の重量の荷物
運搬が普通だったようです。一番重量のあると推定できる鉄砲足軽で武装兵員約70キロ
鉄砲8キロ、荷物15キロとして93キロ、充分運搬可能でしょう、仮に重量オーバー
なら武装(鎧等)や荷物を軽減すれば対応可能でしょう。兵(足軽)は職業軍人ですから
あらかじめ訓練可能です、単に移動手段としての乗馬ですから、高度の技術は
不要であり、6ケ月程度の訓練で充分と思います。

347:名無し三等兵
09/11/28 20:12:46
馬に与える飼い葉の量や質を知って書いてるのか? 酒粕を加えたりして足軽より贅沢なんだぞ。
そもそも当時の農民が、駄馬とはいえ潤沢に保有してる筈が無いし、あっても集まる訳ないじゃん。
武将や兵員にせよ、鉄砲・大砲や軍船にせよ、史実より持ってたらそりゃ有利なのは当たり前。
問題はそれが可能かどうかと、可能ならなぜ大坂方はそうしなかったかの考察をしなきゃ。

348:名無し三等兵
09/11/28 21:06:08
>>346
> あらかじめ訓練可能です、単に移動手段としての乗馬ですから、高度の技術は
> 不要であり、6ケ月程度の訓練で充分と思います。

そうゆーことするとバレバレになるんだけどw
万単位の人間に特別なことして秘密にしておけるとおもってんだね。

349:名無し三等兵
09/11/28 23:49:09
もっと前から高名な浪人をスカウトして、
気位だけ高い譜代衆を普段から鍛えてもらってたらよかったのに。
上手くいったらマウリッツの仕官学校のように後世に名が残ったかも。

350:名無し三等兵
09/11/29 10:44:13 0c1XLagR
秀頼が切腹したあと徳川を呪い殺せばいい

351:名無し三等兵
09/11/29 12:22:41
金正日でさえ呪い殺されて無いのに・・・・

352:名無し三等兵
09/11/29 14:21:54
結局、関ヶ原、ひいては小牧長久手からの文脈があるからな。
三河以来の家臣団が完成されてる徳川に、三百万石の突出ぶりが不味すぎた。

揺さぶり掛けて突っつく隙もありゃしない。

353:名無し三等兵
09/11/29 19:55:04
>>349
その譜代衆は、余所者にデカい面させたくない、風下に立ちたく無いと考えてるだろうな。
一方で豊臣家の陪臣風情が、合議の上とはいえ大名クラスに命令したって、思い通り動く訳ない。
つまる所、関ヶ原いらい延々と続いてる問題が、大坂方には常に付きまとってる訳だ。

354:名無し三等兵
09/11/30 01:08:52
秀頼様がリーダーシップを取れば解決する程度の問題だよね!ね!

355:名無し三等兵
09/11/30 03:23:30
秀吉死亡直後から取れればな?
結局秀次殺しが痛すぎる

徳川の陰謀じゃないかと思うくらい

356:名無し三等兵
09/11/30 03:55:41
>>354-355
実は全くもってその通りなんだ……

357:名無し三等兵
09/11/30 08:18:10
二条城会見前後に家康が急死してたら何とかなったのかな?

358:名無し三等兵
09/11/30 10:49:56 +ga3YjhQ
>>347
URLリンク(www6.ocn.ne.jp)
URLリンク(homepage3.nifty.com)
明治初期(明治13年)の統計によれば馬150万頭、内農耕馬120万頭
とあります。ここから推計するに1600年頃の農耕馬数100万頭くらいですかね。
一方太閤検地(1582年)によれば、全国の石高1840万石、摂津35万石
河内24万石、和泉14万石、計73万石。全国の4%に当たります、石高と農耕馬数
が比例するとすれば、大阪城の勢力圏の駄馬4万頭です。
飼葉に金かけるのは乗馬用の馬でしょう。駄馬の飼料に金かければ、農家や
運送業者は赤字になっちゃいますよ。
>>348
武士は出世すると徒歩身分から乗馬身分になります。徒歩身分の兵士が乗馬訓練
行っても特に奇異に思われないと思います。

359:名無し三等兵
09/11/30 18:16:36
まだ言ってるのかよw

360:名無し三等兵
09/11/30 18:45:40
秀頼様が
「二条城まで来いとか臣下の癖にふざけんな。徳川のやろうぶっ潰す、浅野、加藤、福島、お前ら俺について来い」
って言って大阪から押し出せば良いよ。300年早く鳥羽伏見の戦いだよ!

361:名無し三等兵
09/11/30 18:58:46
秀次が生きてて豊臣政権の権力継承に穴が開いてなければ徳川は豊臣一門にでもなってただろう。
まあ、秀頼の代になった時点で>>360→関白が前線に出てきません><→敗北になるかも試練がw

362:名無し三等兵
09/11/30 19:00:53
長々と準備期間掛けて何で企図を察知されずに済むと思ってんのかね、馬の人は。
彼のいうところの『奇襲』案は、
徳川方がプロレスラーみたいに敢えて技を受けてくれると言う前提がなきゃ成立しないわ。

363:名無し三等兵
09/11/30 19:17:19 +ga3YjhQ
>>362
斬新な戦術は、あらかじめ察知できない、ドイツ軍のブリーフクリーク、
日本海軍の航空機による戦闘艦攻撃。フランスもイギリスもアメリカも
戦闘終了後にこういった戦闘方法の優秀さに気付いた。この場合徳川方
は妙なことをしていると思っても、奇襲戦法の準備とは思わない。

364:名無し三等兵
09/11/30 19:21:43
>>360
見える、見えるぞ!
秀頼がフリードリヒ大王のように四方の敵相手に
七手組みや味方する大名を手足のように自在に采配し撃破するのが!

365:名無し三等兵
09/11/30 19:33:33
>>363
兵力集積の時点で武力衝突の意図は鮮明だろ……
しかも家康が伏見にいる時期狙うなら尚更だわ。

つか先手打ちたいならスパイ網なんとかしろよと。

片桐、有楽、伊東長次、政権中枢から軍首脳までグレー通り越して真っ黒なのが山ほどいるだろw

366:名無し三等兵
09/12/01 18:17:45 p6dloB1O
>>365

URLリンク(www5e.biglobe.ne.jp)
URLリンク(www006.upp.so-net.ne.jp)
兵力集積もなにも、家康は五万の兵を率いて上洛、秀忠も上洛してたらしいから
2万くらいは率いてたろう。一方豊臣方も福島正則は一万の兵を率いて
待機しており、清正、幸長もいくばくかの手勢を率いていたものと推測できる。
双方臨戦態勢。武力衝突の可能性は大阪の町人も察知していたらしい。
城内外のスパイはどうしょうもない、対策は明智光秀にならい、
腹心の部下にさえ決行直前まで計画を秘すしかない。

367:名無し三等兵
09/12/01 20:29:39
飼い葉には大量の穀物も必要で、草や藁ばかりだと消化不良を起こし易い。
旧日本軍の場合、馬の食事に立ち会い、水を飲む量を常に管理し、足りなければホースのような器具で飲ませた。
大量の馬には大量の飼い葉を必要とし、更に馬を管理する馬匹も必要とする。
フン族やモンゴルなど、馬の扱いに慣れた民族からなる軍隊でなければ、難しい条件だ。

368:名無し三等兵
09/12/01 20:36:34
戦略的機動なら豊臣家の十八番じゃ無いか。
馬なんかに乗らずとも、鎧脱いで走らせればいいのです。

369:名無し三等兵
09/12/01 21:31:08
秀頼公による軍事改革により
火力重視型斜行陣で徳川相手に連戦連勝ですね

370:名無し三等兵
09/12/02 11:53:40
鬼武蔵が長久手無双してれば大坂方は勝てた。

371:名無し三等兵
09/12/02 15:26:54
武蔵なんて石ころでいちころ

372:名無し三等兵
09/12/02 15:32:45
大阪方は兵力はあっても、
徳川方の昼夜を問わずの大砲打ち込みで
命中はしなくても音と恐怖感で眠れず
疲労が激しかったと聞いた。
大阪方は大砲もってなかったのだろうか。

373:名無し三等兵
09/12/03 15:04:53
大阪方も大鉄砲は持ってたし、当時の大筒の砲声がそんなに大きかったかも疑わしい
つか、敵味方が鉄砲つるべ撃ちにする方がよっぽど煩いと思う

374:名無し三等兵
09/12/04 19:54:43
配下の武将をもう少し固めとくだけでも大分違ったと思うんだよな権力移譲の空白
徳川が幾ら強大つっても、毛利(ガタガタだが)・上杉と近畿周辺の豊臣だけで十分押さえ込める
少なくとも片っ端から豊臣恩顧の武将が東軍に行っちゃったなんてアホなことにしなければ関が原自体起きないかも知れん。

まぁ総大将がバカボンで、実質的総大将が空気←読めない時点で無理かも試練が

375:名無し三等兵
09/12/04 21:57:41
そもそも徳川抑えの切り札である福島正則が東軍ですから

376:名無し三等兵
09/12/05 02:38:12
いっそ豊臣方の総大将を古田重然にでも投げるか
それなら細川忠興も離反しないだろう

つか離反者どころか茶で徳川を切り崩してきそうだが

377:名無し三等兵
09/12/05 03:58:12
多分だれを総大将にしても、その総大将が第二の家康になる危険があるよ。
豊臣上層部もそれを恐れて、裁量権を制限してたんだし。

378:名無し三等兵
09/12/05 09:24:10 Uxaz2ud9
>>377
秀長が健在で1610年まで生存していれば、豊家御安泰だったんでしょうがね。

379:名無し三等兵
09/12/05 10:05:28
秀吉・秀長兄弟がタネ無しインポ野郎だった時点で詰んでた

380:名無し三等兵
09/12/05 12:32:39
秀吉は長浜時代に子供作ったりしてるのでタネはあるよ。

381:名無し三等兵
09/12/06 15:27:28
>>380
貧乏だから堕ろして、後年悔やんだんだっけ?

382:名無し三等兵
09/12/07 07:48:11
>>381
6歳で死亡。不在説もあるけどな。

383:名無し三等兵
09/12/15 12:03:24
関ヶ原でもう西軍が粘るか東軍の関ヶ原への行軍がもたついて長期戦化してるうちに
黒田如水が西国制覇、西軍の残党と合流して徳川と決戦ってIFが一番面白そう

384:名無し三等兵
09/12/28 17:38:35
決戦って言うゲームにそんなシナリオあったなぁ、黒田が西軍大将になるの

385:名無し三等兵
09/12/29 17:34:46 DGbOxd09
>>383
徳川が東国を支配。黒田が西国を支配、豊臣が近畿地方を支配。三国志ですね。
家康が曹操、如水が孫権、秀頼が劉備、幸村が孔明でしょうか。

386:名無し三等兵
09/12/30 23:30:49
二正面作戦を強いられる近畿不利と見るが、
琉球だとど真ん中の中山が勝ってるんだよなぁ

387:名無し三等兵
10/01/20 23:55:35
結局、宇治川での防衛策が最善という結果となる。

388:名無し三等兵
10/01/21 10:11:27
逢坂関

389:名無し三等兵
10/01/21 10:14:55
>>385
もしそうなった場合、孔明は昌幸でしょ

それに黒田は西国の支配者として自立するのは不可能なので、
秀頼を傀儡にして西を支配することになる
三国じゃなくて二国になる



390:名無し三等兵
10/01/23 15:04:43 gr9BuH2Y
>>389
関が原の時点だと、毛利、上杉は120万石の大領地を抱えたまま無傷だから、
あっさり徳川や黒田の言いなりにはならんだろう。事態は複雑になりそう。

391:名無し三等兵
10/01/23 15:52:46
元々、上杉が関ヶ原の原因を作っとるわけだしな。
家康苦戦の図を作るとすれば、既に上杉との会敵状態で、三成挙兵の報が届くってIFになるのかね。
増田長盛の内通で、7月19日に家康は三成らの謀議を知り、それでも21日に小山へと進発。
24日に鳥居元忠からの使者で伏見城攻撃を知り、25日にいわゆる小山評定。
実際、三成が伏見城攻撃に着手したのは、7月19日。
伏見城陥落が8月1日で、後々の禍根となる田辺城制圧などのために諸方へ戦力分散が始まる…。

この流れを留めようとするならば、増田長盛の内通がないという条件を置いた上で、
三成の挙兵がむしろ1週間から数週間遅れた方が好都合ってことになるよな。
例えば、長盛の内通が露見して、すったもんだの混乱が起きて、毛利の担ぎだしに遅れるとか…。

小山に集結した諸将から、さっさと出陣しろという圧力が強まり、三成謀議の報を待たないまま、
家康が江戸から小山へ移動を開始した当たりに、挙兵が起きるのが好都合となる。
元忠からの報がX+6日で伝わるのが変わらないとすれば、8月1日にあたりに三成の挙兵が起きた方が、
家康の進退が窮まる可能性が高くなるのかな。
上杉と密約を結んでいた佐竹が、本気になって江戸と会津征討軍の連絡を断てばなお好都合。
態勢の立て直しのために江戸へ引き退く時間はさらに浪費され、
征討軍参加の諸将にも動揺が走り、離脱者が生じることも考えられるのかな。

392:名無し三等兵
10/02/13 20:31:30
宇治川防衛策

393:名無し三等兵
10/03/08 21:53:10
こいつらによる江戸・駿府急襲があれば、、何してたんだろう。
URLリンク(tenrin.hiciao.com)

394:名無し三等兵
10/03/22 22:20:35
>>373
もちろんいた。桑山某とか難波某とかが指揮していたらしい。
あと大砲ではないと思うが、三輪頼母という石火矢の名手もいた。

395:名無し三等兵
10/03/22 22:50:45 IVdGiyZx
>>1
戦国板でやれやカス

396:名無し三等兵
10/03/22 23:19:20
>>395
石器時代から近未来
子供の喧嘩から対エイリアン戦争
それがこの板の範疇だボケ

397:名無し三等兵
10/03/22 23:25:05
>>373
当時の京の公家の日記に砲声が鳴り響き続けたと記録にある
関ヶ原の時も伏見の銃声が京まで鳴り響いたとある

398:名無し三等兵
10/03/23 12:19:34 Cwu0OPp/
>>1
戦国板でやれやボケ

399:名無し三等兵
10/03/23 12:48:20
ナポレオン戦争とか銃声や砲声が聞こえて
付近の味方が強行軍で駆けつけたりしてるよな

400:名無し三等兵
10/03/23 14:55:35
>>395
アニメオタから政治オタまで来るものは拒ばないのが、軍板のイタイところですよ。


401:名無し三等兵
10/03/24 01:30:58 uJjVVTpD
>>1
戦国板でやれやクズ

402:名無し三等兵
10/03/24 22:30:42
>>380
あれだけ沢山の女を相手して生まれたのは数人
どう考えても全部女側の謀りで、秀吉自身は種無しかと

403:名無し三等兵
10/03/25 17:50:05 ka6tGEVs
>>400
専用板があるのにこういうのをのさばらすと
やれ川中島だ関が原だって収拾つかなくなるぞ

>>1
戦国板でやれやダニ

404:名無し三等兵
10/03/27 19:48:50
ちなみに秀長には娘があった。毛利秀元室となった人である。

405:名無し三等兵
10/03/28 02:49:49
>>403
どうみても荒らしだ馬鹿者
戦国時代の軍事と言い訳できる分>>1のがマシじゃねーか

406:名無し三等兵
10/03/28 05:38:14
>>403
>>405
よく解らんのだが、いったいなぜお前らにこの板でどの時代の軍事までがOKなのかを決める権利があるんだ?
ローカルルールにはそんな事は何一つ書かれてないんだが。

407:名無し三等兵
10/04/11 19:26:04
瀬田川防衛策

408:名無し三等兵
10/04/14 01:13:06 YbWrQoR6
質問させてください。

なぜ、夏の陣で幸村は家康の陣を崩すことができたのでしょうか。
家康の陣構えの不備や兵力が少なかったとはおもえないのですが、
完全に陣が崩れ家康も自刀を覚悟したとか。

では、なぜ関が原の3万の家康軍を無敵の様に表現されているのでしょうか。
私は、関が原の家康軍はどこかの軍に突かれればすぐ崩れたのではないかと
思っております。
小牧長久手では、秀吉に一歩も引かなかったといわれていますが、あれは
奇襲の成功でしかありません。秀吉がなぜ家康を恐れたかも分かりませんが…
どうしても徳川隊が最強だと思えないのです。
ご指導の程お願いいたします。

もう一点は、1万の兵を容易に動かすのは無理との意見がありました。
確かに私もそう思いますが、光秀は1万以上を動かし、しかも狭い京都
に展開しました。

上記2点について、熱い討論とご指導お願いいたします。



409:名無し三等兵
10/04/15 19:32:27
最初の方だけ。
東軍の兵隊にとっちゃ、大阪の陣は、
大勢はすでに決しているし、兵力も大きく上回ってるし、適当にやってりゃいいんだろの戦い。
逆に西軍の方は窮鼠の戦い。特に、夏の陣の最終局面は、やけくその状態。
戦国時代も終わりかかり、東軍の方の大名召し抱えの連中は、
代がわりで戦場経験の浅い連中も東軍は多かったに違いない。
一方で西軍は、それよりは戦場経験のありそうな牢人衆を多数抱え込んでいた。
家康だけでなく、秀忠の陣も、大野治長などのさして有能とも思えない大将に切り崩されかかっている。
これが真田、毛利あたりの有能レベルの将なるともはやチート状態の連戦連勝モード。
というわけで、最後の最後の局面で、兵隊の士気や戦場経験の差がもろに出たんじゃないかね。

410:名無し三等兵
10/04/15 20:27:31
>>408
後者はこの時に光秀は軍勢を分散し、辻ごとに分けて本能寺に合流させました
相手にまともな戦力が無い事を知っているからこそできる行動です

411:名無し三等兵
10/04/16 00:20:03
> 小牧長久手では、秀吉に一歩も引かなかったといわれていますが、あれは

大坂の陣の何年前かよーく考えましょう。

1584年 小牧・長久手の戦い
1615年 大阪夏の陣

30年前だよぉ・・・兵士レベルは誰もいないだろ。


412:名無し三等兵
10/04/21 21:08:14
小牧長久手は、長久手の局地戦(と言っても大部隊が惨敗したわけだが)、
終始秀吉側が優位に立っていたし、
事実家康側(厳密に言うと信勝側)が折れる形で、
戦役が終結している。
とスレ違いだが述べてみる。

で、スレのテーマとの関連で言えば、
小牧長久手の戦後処理として、
家康の領地の減封(せめて120万石くらい)に処置しておけば、
家康の脅威はかなり減らせたとは思うのだが。

413:名無し三等兵
10/04/21 21:57:20
そして、関東に史実の石高で引越しさせるのか?

414:名無し三等兵
10/04/21 22:00:22
>>412
秀吉に家康を軍事的に屈服されられる自信がなかったということ

415:名無し三等兵
10/04/21 22:26:01
>>414
>秀吉に家康を軍事的に屈服されられる自信がなかったということ

実際に小牧・長久手で家康は秀吉に軍事的に屈服されられているのですがw

416:名無し三等兵
10/04/21 22:55:12
>>415
家康に対する具体的な勝利はなし
例え一戦でも勝利すれば話は別だったろうが

417:名無し三等兵
10/04/21 22:56:13
>>416は戦争と言うものを理解していないw

418:名無し三等兵
10/04/21 23:01:24
>>417
あなたに人の心は理解できない

419:名無し三等兵
10/04/22 00:30:11
秀吉は家康を軍事的に屈服させるよりは政治的に屈服させるほうが得だと思ったんだろ。
また家康もそれだけの軍事力があったということだろ。

420:名無し三等兵
10/04/22 01:04:17
戦争に勝利したのに、領土安堵の上
母親と妹を人質にだした秀吉は無能と言いたいんだよ
きっと

421:名無し三等兵
10/04/22 07:58:00
>>420
それが問題だな。
せっかく、小牧長久手で軍事的にも政治的にも
徳川方を圧倒したのに、その戦後処理がまずかったな。
やはり石高を減少くらいはさせないと。

422:名無し三等兵
10/04/22 08:31:46
>石高を減少くらいはさせないと。

後に関東の荒地に移封したろw

423:名無し三等兵
10/04/22 09:01:35
>>421
決戦でカタをつける自信がなかったということ

424:名無し三等兵
10/04/22 10:26:11
九州でイケイケだった島津の相手をせにゃならんかったからなぁ

425:名無し三等兵
10/04/22 19:01:15
>>422
分かっておらんようだな。
移封じゃなく減封をすべきだったと言われているんだろ。

426:名無し三等兵
10/04/22 19:17:44
>>425
荒地に移封されたら減封同様だろ。

427:名無し三等兵
10/04/22 23:28:36
秀吉は、後々のことを考えられない馬鹿だから
仕方ない

428:名無し三等兵
10/04/23 00:00:57
>>425
減封ってどのタイミング?

北条討伐の後?、小牧長久手の?
どっちとも無理無理。

その後10年ぐらい掛けてネチネチ嫌がらせすれば滅ぼすことも
出来たかもしれんけど・・・秀吉は海外に目が行っちゃったからね。

429:名無し三等兵
10/04/23 00:06:49
家康抑えを福島ではなく加藤に任せておけば・・・

430:名無し三等兵
10/04/23 00:10:53
九州の押さえを福島にさせるの?

431:名無し三等兵
10/04/23 06:22:52
豊臣政権は東海に家康の大領を抱えていた方が危険だろがよ?

432:名無し三等兵
10/04/23 08:55:40
小牧長久手の戦後処理には、
家康の減封すべきだったな。
荒地とはいえ事実上石高は高いままだし。
荒地でも収入規模は侮れない。

433:名無し三等兵
10/04/23 09:09:17
>>432
無理、結局秀吉は家康の領地に指一本、手を出せずに終わっている

434:名無し三等兵
10/04/23 10:08:39
>>433
だから批判されているんだろう。
スレの流れを読め。

435:名無し三等兵
10/04/23 10:27:43
>>434
軍事的にその領地を奪えなかったという意味だよ

436:名無し三等兵
10/04/23 10:43:28
>>435
だったら尚更スレの流れを、
お前さんは飲み込めていない。

437:名無し三等兵
10/04/23 10:53:24
家康の領地を制圧できない、つまり家康に対して軍事的に一方的な優位に立てず
そのままの関係で臣従がなされたということは秀吉は家康に対して、そういった
負い目を負い続けることになった

その様な関係で家康に減封を求めるとか、勢力を減退されるとかを秀吉の方から
仕掛けるなんざ、家康の方から失態でもしない限り不可能

438:名無し三等兵
10/04/23 12:23:05
小牧・長久手の後、四国の長宗我部、越中の佐々に紀州征伐と
敵対勢力をスチームローラーのように潰していったから
また仕掛けりゃ良かったのに

439:名無し三等兵
10/04/23 12:23:37
小牧長久手の時点では、
秀吉でも家康の減封は充分可能。

440:名無し三等兵
10/04/23 12:48:42
>>438
>>439
それで戦闘に至った場合、勝てる自信が秀吉にはなかった

441:名無し三等兵
10/04/23 12:49:24
豊臣秀吉の諸大名に対する扱いを見てみると、
徳川家康よりも九州の諸大名の方を脅威に感じている節があるから、
徳川への処置がツメの甘いものになっているような気もする。

442:名無し三等兵
10/04/23 13:09:43
島津が話し合いで引っ込む連中じゃなかったからな

443:名無し三等兵
10/04/23 13:19:46
小牧長久手では、単に早々に戦役を切り上げるつもりだったんだろう秀吉は。
>>441氏の言っているように、家康にはそんなに注意を払ってなかったので、
信勝とは講和したのでそれで充分と思ったのだろう。
>>440は間違いだ。

444:名無し三等兵
10/04/23 14:58:24
>>443
それは長久手で負けたから
それ以前は何度も書状で直ぐに討ち果たすと書いてある
その後も蟹江を攻めたりしているけど負けている

445:名無し三等兵
10/04/23 19:06:39
長久手は大局的に見れば、局地戦での敗北。
小牧・長久手の戦いを大局的に見れば、
秀吉側の圧勝に終わっている。
>>443が正しい。

446:名無し三等兵
10/04/23 19:35:49
>>445
当の秀吉はそう考えていなかったのでした

447:名無し三等兵
10/04/23 19:38:34
>>446
だから>>443が正しい。

448:名無し三等兵
10/04/24 11:18:31
やはり北条氏と家康が組むのを警戒したんだろうか。

449:名無し三等兵
10/04/24 16:21:53
伊達、徳川、北条が組めば羽柴と互角らしい>ByNHK

450:名無し三等兵
10/04/24 16:54:10
小田原征伐でも言える事だが、
北条方はやはり篭城策じゃなく出来るだけ出撃して、
敵軍に対して徹底とした遅滞戦術をとって出血を強いるべきであった。

451:名無し三等兵
10/04/24 17:36:48
箱根山中城は1日で落ちました。
本拠地小田原がすでに最前線なので縦深はゼロ。
遅滞防御は無理。

452:名無し三等兵
10/04/24 18:44:02
>>451の無知ぶりが笑えるw

453:名無し三等兵
10/05/08 18:55:36
大坂城

454:名無し三等兵
10/05/08 20:00:16 G8EY2Gj/
>>452は無知ってレベルですらないな

455:名無し三等兵
10/05/08 20:44:43
>>451=>>454は無知ってレベルですらないな

456:名無し三等兵
10/05/09 18:53:06
お前らどっちも馬鹿なのは分かった。
下らん煽りあいするなよ…落ち着いて話をしようぜ

457:名無し三等兵
10/05/09 21:35:06
>>451が馬鹿なのは、客観的に考えて分かる。

458:名無し三等兵
10/05/16 16:53:25
光秀が馬鹿なのは確かだ

459:名無し三等兵
10/05/28 14:21:46
その時は上手く行くと思った。細川も筒井も味方してくれないなんて酷い!

460:名無し三等兵
10/06/01 21:04:48
瀬田川防衛策が最善。

461:名無し三等兵
10/06/01 21:50:47
>>460
伏見城に大番が常時、詰めているので非現実的

462:名無し三等兵
10/06/02 07:48:14
伏見城に大番が常時詰めていても、
結果的には郡山城の末路と同じ。
極めて瀬田川防衛策は現実的。

463:名無し三等兵
10/06/02 08:50:33
>>462
数日持てば、周囲の大名が援軍に来る
第一、浪人衆が集まったばかりの状態でまともな作戦行動が
できるわけがない

464:名無し三等兵
10/06/02 18:32:55
数日持てば、周囲の大名が援軍に来るのは当たり前。
第一、夏の陣で諸大名の軍よりも、
浪人衆の方が集まったばかりの状態でまともな作戦行動している。
瀬田川防衛策は現実的でない筈が無い。

465:名無し三等兵
10/06/02 18:51:00
>>464
霧で後藤隊以外の全軍が遅れたり迷ったのに?

466:名無し三等兵
10/06/02 20:25:59
>>465
単に一部の部隊じゃないかwwwwwwwwwwwwwwwwwww

467:名無し三等兵
10/06/03 04:44:44
>>466
道明寺・誉田や八尾・若江の戦いに参加した豊臣方の部隊で迷わなかったのは
後藤隊だけなのに「一部の部隊」とは是如何

468:名無し三等兵
10/06/03 07:55:33
>>467
にしては、撤退戦等の手際など
豊臣方の全部隊の方が遥かに整然として行動出てきているのですがw

469:名無し三等兵
10/06/03 08:43:44
>>468
八尾・若江の豊臣方は壊乱
道明寺・誉田は相手が8時間以上も戦闘を続け、疲弊したからできた

470:名無し三等兵
10/06/03 18:55:56
八尾・若江の豊臣方は善戦、藤堂隊に甚大な被害が出ている。
道明寺・誉田は後藤隊が出血を強いるように頑強に抵抗し、
その後真田隊が巧みに撤退戦を行い善戦している。

471:名無し三等兵
10/06/03 19:02:12
>>470
井伊に木村が壊滅されられたり、長宗我部が後退中に壊滅したり
薄田らの部隊が壊滅しています

472:名無し三等兵
10/06/03 19:19:06
まぁ現代戦でも退却は難しい戦術の一つだからな。

473:名無し三等兵
10/06/03 20:40:50
>>471
あの兵力差では八尾・若江の豊臣方は充分善戦している。
それに壊滅と言っても、それらの豊臣方の諸部隊はうまく撤退戦をしていますがw

474:名無し三等兵
10/06/03 20:45:44
>>471
井伊勢は多大な出血を強いられて、
翌日の作戦行動に支障が出ているのですが?

475:名無し三等兵
10/06/03 20:52:30
八尾・若江の戦いで言えば、
豊臣軍では木村部隊しか完全に壊滅していないしな。
木村部隊も壊滅に引き換えて井伊勢も壊滅とはいえないまでも、
それに近いくらいの損害を与えているし。
また、長宗我部部隊は盛親が大坂城に帰還している以上、
損害はともかく撤退戦自体は良好だったのだろう。

476:名無し三等兵
10/06/03 20:56:19
>>474
そりゃ相手が優勢で、しかも伏撃の状態だったから
もっとも急襲で相手を圧倒したけど
>>475
長宗我部は翌日の戦いに出れなかったことから、壊滅状態と考えられる

477:名無し三等兵
10/06/03 21:05:03
>>476
それを壊滅状態とは言わない。
城に詰めていただけだろうに。
それに木村勢も後に小笠原勢を攻撃して、
大名の小笠原秀政を討ち取っているくらいだから、
前日は壊滅状態では無かったのだろう。

478:名無し三等兵
10/06/03 21:06:20
大坂の陣の経過を見てみると、
結果論だが>>464氏の主張は客観的に正論だな。

479:名無し三等兵
10/06/03 21:17:26
>>477
長宗我部の損害は確認戦死者が10%に達している
負傷者も含めれば、戦闘不能なレベル
なお、木村の戦死者も5%強

480:名無し三等兵
10/06/03 21:31:51
>>479
それでは壊滅とはならない。
また、木村隊は>>477氏の述べるように奮戦して
作戦行動できるくらいの部隊が残っている。

481:名無し三等兵
10/06/03 21:36:53
長宗我部盛親は、落城時には結果的に戦闘の無いところに配備されたからな。
徳川方がその方面に寄せてこなかったのは、
長宗我部盛親の兵力が侮れないほどの規模だったからだろ。

482:名無し三等兵
10/06/03 21:41:43
>>480
負傷者込みで三倍と計算すると損害三割なんだが
>>481
単に城の北は直接攻めにくいだけ

483:名無し三等兵
10/06/03 21:47:13
>>482
だから壊滅ではないなw

484:名無し三等兵
10/06/03 21:49:18
>>482
>>481が正しい。

485:名無し三等兵
10/06/03 21:52:13
>>484
簡単に迂回できるからね。

486:名無し三等兵
10/06/03 22:40:02
そう思うのならどうぞ

487:名無し三等兵
10/06/04 01:34:00
日本の城は中国のような地勢上の要衝を押さえる要塞ではなく、
単に一定期間城内に篭って敵が退却してくれるのを待つためのもの

だから援軍が望めないor敵軍の自主的撤退が望めない状態では抵抗することができない
そのため莫大な費用を投じて巨城を建設しても悉く無駄に終わっている
何故最後まで、要所を押さえる要塞という発想は生まれなかったのか。

488:名無し三等兵
10/06/04 07:55:55
>>487
戦略的見地からの日本の城の設計思想では、
本城を中心として、支城を周囲に配置して、
巧みにそれらの城網と連携して作戦運用をするというものだ。
そういう見地から見ても、大坂冬の陣では、
篭城策をとるのは明らかに間違っていた。
宇治川や湊川などでの防御策をとりながら、
遅滞戦略をとるべきであった。

489:名無し三等兵
10/06/04 08:54:15
>>487
篠山城とか名古屋城

490:名無し三等兵
10/06/04 11:47:30
>>487
大宰府守る為に作った水城とかは?

491:名無し三等兵
10/06/04 17:52:55
>>490
大宰府を考古学的に見ると、
水城は大宰府の羅城なんだよね。
大野城や小水城などを見ると、
城壁が大宰府を取り囲むように張り巡らされている。

492:名無し三等兵
10/06/05 02:44:21
京都なんて今でも東側から普通に入るには曲がりくねった上に狭いところでは
車1台が通過するのがやっとの山道をえんえん超えていくことになるんだぜ・・
トンネルが山を貫通しているせいでその不便を忘れているだけで。

なのにそういう峠道で防衛する戦略が取られる事が無かったのは何でなんだ

493:名無し三等兵
10/06/05 05:54:24
昔は、その曲がりくねった上に狭いところが街道だったんだよ

494:名無し三等兵
10/06/05 08:41:44
>>492
逆に言うと部隊を展開させる余地もないと言うことになる

495:名無し三等兵
10/06/05 19:00:10
キリシタン狩りをしていなければ今ごろ日本はスペインの植民地だった|朝鮮歴史館
URLリンク(ameblo.jp)
1611(慶長11)年、に来日したスペイン使節が、諸港を測量した。
その目的を家康から訪ねられたアダムスは、
「エスパーニャ(スペイン)は、まずカトリック托鉢修道士たちを派遣し、彼らの後で兵士たちを送り込みます。
このようなやり方で外国を支配下に入れていきます。そのために各港にどの船が入港できるか知るためです」
と述べ、すべてのカトリック宣教師を国外に追放すべきであると進言した。
 
家康が、プロテスタント教徒アダムスを重用しスペイン、ポルトガルとの通商、国交を閉ざす意志を明確にするや、
カトリック側は、ついに、日本全国を、親カトリック陣営と、反カトリック=親プロテスタント陣営と、
真二つに分裂させ、反カトリックの徳川幕府政権を武力で転覆する大作戦構想を立てた。
親プロテスタントの徳川幕府政権はプロテスタント国家オランダ・英国を味方につけた。

カトリック信者に信仰を捨てるよう に命じ、従わない者は死刑にした。
家康が何よりも恐れていたのは、秀吉の遺児秀頼が大のキリシタンびいきで、
大阪城にこもって、スペインの支援を受けて徳川と戦うという事態であった。
当時の大阪城内には、宣教師までいた。

宣教師が本当に参戦?してたのかどうか気になるところ。

496:名無し三等兵
10/06/05 19:11:47
親プロテスタントの徳川幕府政権ってwwwwwwwwwwwwww
単にオランダ・イギリスは布教じゃなく交易重視だったから、
徳川幕府はそれらの国々と親しくしていただけだろwwwww

497:名無し三等兵
10/06/05 19:23:05
>>496
無意味にwwwwwwwwwwwwつけて喜ぶなよ、低脳w
カトリックから見た話で、日本から見た話ではないんだから。

498:名無し三等兵
10/06/06 00:38:44
日本の城はwwwwwwwwwwwwwww敵部隊を遅滞させてwwwwwww援軍到着まで持たせるための城だからなwwwwww
少なくともwwwww城の兵力よりwwwwwwwww兵力を割かないとwwwwwwwwww放置もできないwwwwwwwwwwwwwwww

ただwwwww大阪の陣の場合はwwwww引き伸ばせば引き伸ばすほどwwwww地方大名の叛意が高まると言うwwwww効果があるwwwwwwwww
大兵力を動員しておいてwwwww何時までも落とせないとwwwwwwwwwwwwww徳川の武威がガタオチwwwwwwになるwwwwwwwwww

499:名無し三等兵
10/06/06 08:47:38
まあ、最初から大坂城で篭城策をとるのは愚の骨頂だよな。

500:名無し三等兵
10/06/06 16:50:21
500get!

501:名無し三等兵
10/06/06 17:41:44
てか篭城策が愚策となるような城ばかり作る日本ってどうなのよ?


502:名無し三等兵
10/06/06 17:48:13
そもそも城郭というもの自体、
援軍が来るまで持ち堪えるための防御施設。
だから援軍が来る当てが無いのに、
最初から篭城すること自体が城郭本来の目的からして間違っている。

503:名無し三等兵
10/06/06 17:49:52
>>502
いや同時代でも中国の山海関とか、
単独で圧倒的大軍を撃退できる城もあったじゃん

504:名無し三等兵
10/06/06 17:55:01
>>503
つ 小田原城

日中ではそもそも動員できる労働力も
守らなければならない面積も違うわけで……

505:名無し三等兵
10/06/06 18:49:19
>>503
山海関なども基本的には、
周辺の部隊駐屯地や後方からの増援がくるまで食止めるための砦。
日本の小田原城も、総構になっているが、
単に食止める時間をより長く出来るためにしているだけに過ぎない。

506:名無し三等兵
10/06/06 19:08:12
>>505
山海関の守備軍は単独で清の大軍を阻止しているが・・・
そもそも明は城外では明国全軍で戦っても清には手も足も出なかった訳で。
明らかに城の防御力による撃退だよ

507:名無し三等兵
10/06/06 19:35:47
大坂城は砲撃戦に対応していない、旧時代の城郭ですしね

508:名無し三等兵
10/06/06 21:21:25
>>506
単に明の精鋭が山海関に集中していただけ。

509:名無し三等兵
10/06/06 21:35:02
>>508
そういう誤解は昔良く見られたが、
今では山海関に駐屯している部隊の規模はそう大きくなかったことが分かっている
清代の宣伝と異民族支配への恨みから、李自成を必要以上に悪く評価する事が行われており
その風評の1つとして「主力が山海関で戦っている時にガラ空きの背後を流賊が襲った」というものがあっただけ

510:名無し三等兵
10/06/06 21:40:51
山海関を含めて、万里の長城の構造では、
後方に大規模な兵の駐屯地が付属している。
つまり後方より増援が駆け付けることが前提になった構造になっている。

また、山海関が女真族の軍に陥落した(厳密には守将の呉三桂による投降)のは、
すでに後方(北京)が李自成によって陥落させられておりさらなる大兵力の増援が期待できず、
ドルゴンによる別働隊も迫ってきているため、
完全に包囲されて窮地に陥る危険性が明白であったからだ。

511:名無し三等兵
10/06/06 21:44:02
>>509
それは呉三桂が一時李自成対策のために、
帝都防衛の任に就いていたからだったからだ。
後に満州軍対策のために、
大軍を率いて山海関に戻っている。

512:名無し三等兵
10/06/07 02:04:25
>>501
攻城戦の場合、当然ながら攻撃側にイニシアチブがある。
城を落とせる自信があるから攻城軍は動く。
後詰が到着して解囲されるとか、情勢がとても攻城戦を続けられない状況になって撤退ということはあるが
単純な攻城戦で撃退する事例は攻撃側が攻略の見通しを誤るか戦場で下手を打たないと発生しない。


513:名無し三等兵
10/06/07 02:43:30
つ 上田城

514:名無し三等兵
10/06/07 09:13:01
>>513
それは上田城云々より真田昌幸の天才的戦術眼によるものだよ。
城自体は大したことないもの。

515:名無し三等兵
10/06/07 22:09:30
大阪城も秀頼がヘタレて堀埋めなきゃ後詰め無しでも年単位で持ったろうさ
長期間の篭城で家康の武威が持たずに地方大名が次々撤退→なし崩しに和睦を狙ったんだろうから
篭城自体は間違いではない。
秀頼が実は鬼島津とか上杉呂布並に強いとか言うなら話は別だが


>>507
あえてマジレスするが
当時の砲撃なんて威嚇レベルだからそもそも対応する必要すらない。
砲撃が要塞にとって驚異になったのは近代に榴弾が開発されてから
それより前はカタパルトのがよっぽど脅威

516:名無し三等兵
10/06/07 23:06:19
>>515
講和前に坑道が総構直下まで掘れていたから、そこに火薬置いて爆破させ、
突入口ができその年の内に、総構は陥落していたでしょうな

中枢部に砲弾が飛んでくる心理的衝撃は計り知れない
ああいうのは戦略爆撃の様なもので、篭城というストレスが溜まる中で、
ああいうことをされると士気に重大な影響を受ける

城郭の中でもっとも弱い箇所は人の心

517:名無し三等兵
10/06/08 00:12:45
>>516
隧道掘っても陥落しなかった城はいくらでもある。
隧道だけで陥落とか言うのはいくらなんでも暴論。

士気が多少下がっても籠城戦じゃあんまり意味ないべ
下手すりゃ壊れる大筒の分赤字。搦手であって主攻ではない。
大阪じゃ首脳陣の士気が下がるというしょうもない状態だったから効果あったが

518:名無し三等兵
10/06/08 01:38:20
つうか城攻めでの坑道作戦は古今まともに成功した試しがない
近代に入ってからでさえ殆ど成功していない

519:名無し三等兵
10/06/08 08:42:29
>>517
曲輪というのは一部が破られれば、全てが突破されるもの

何いってんの?
包囲戦で士気ほど重要なものはない

>>518
具体的な統計を教えてください

520:名無し三等兵
10/06/08 10:29:30
野田城は坑道作戦で水の手を断たれてしまったよね
火薬仕掛けるよりもこっちの方が現実的だね

水が豊富な大坂城には効かないだろうけど(´・ω・`)

521:名無し三等兵
10/06/08 11:54:40
>>518
古代ローマやギリシャでは結構成功しているんじゃないか?

522:名無し三等兵
10/06/08 15:13:36
昔はそういう点で探知技術とか未熟だったんだろうな……。
中世の頃は坑道を掘られても、防衛側も穴を掘って壁に
耳を押し付けたら、攻撃側の坑道掘ってる音が聞こえて
くるから、大体どこらへんから穴を掘ってるのかを判別して
撃退したなんて言うけれど。

最近ではペルーの大使館人質事件で坑道が活躍したけど、
あれももともとの火力は攻撃側が優勢で、ただの奇襲の手段と
して活用しただけだけど。それでも人質にほとんど死者が
出なかったのは犯人が人質に感化されて人質を殺すことを
ためらったからで、ペルーの事件が語源となってリマ症候群とも
言われているね。

523:名無し三等兵
10/06/08 15:35:13
毛利水軍みたいに川をさかのぼって兵糧を運び入れてくれる援軍が居れば大阪城は無敵だった。

524:名無し三等兵
10/06/08 20:50:15
>>519
そもそも坑道堀ったからって突破されるとは限らないわけだが・・・
位置ずれてたり気づかれて水流し込まれたり失敗例は枚挙に暇がない
だから暴論と言ってるわけだ。

>士気低下
おいおい
「長期間の篭城による士気低下」じゃなくて「大砲による士気低下」だろ今の話は。

525:名無し三等兵
10/06/08 20:53:30
>>523
毛利水軍が味方のままな程豊臣の武威が残ってれば
そもそも戦争にならんかったよーなw

526:名無し三等兵
10/06/08 21:38:17
>>524
既に後は火薬を積むだけの状態であったとある

そうだよ、大砲を一方的に中枢部に打ち込まれたら士気が低下するのは当然
人は仮にそこにいなくても、後方に安全な場所があるというだけで落ち着くもの

527:名無し三等兵
10/06/08 23:00:07
>>526
その結果大阪城から10m横が吹き飛んでも不思議はないわけで
もしくは威力不足で何も起きない

今の工作技術なら兎も角戦国時代だぜ
坑道掘っただけで城が落ちるならみんな掘るよ

528:名無し三等兵
10/06/08 23:07:27
>>526
大阪方にも大砲はあるんだが・・・

529:名無し三等兵
10/06/08 23:51:54
>>527
佐渡や甲斐から坑道掘りの専門家を呼び寄せています
>>528
数も性能も比較にならない
何しろ木砲を用いていた位だし

530:名無し三等兵
10/06/09 00:56:08
てかこの時代の坑道は爆破じゃなく石垣を崩すためじゃなかったっけ?

531:名無し三等兵
10/06/09 09:02:02
坑道に設置した火薬で櫓や塀を壊したり、石垣を崩すのが目的とある

532:名無し三等兵
10/06/09 14:56:10
爆破成功した例を聞いたことがないな
あるのか?

533:名無し三等兵
10/06/09 15:37:05
一発で大成功というのは無くても、砦の一部を壊したりとかはあるんじゃないのかな。

534:名無し三等兵
10/06/09 16:44:36
火薬を使わんでも基部を壊して倒壊させるのは可能だろ?


535:名無し三等兵
10/06/09 17:23:42
>>534
日本家屋は礎石の上に立っているだけだから、チト難しい

536:名無し三等兵
10/06/09 17:30:20
>>549
木製の砲だって安くて軽いから馬鹿にしたもんでもない

どうせ命中精度なにそれうまいのな時代だし

537:名無し三等兵
10/06/09 18:35:25
>>536
発射薬を少なめにしないといけないので威力も足りない
家康が大坂方から打ち込まれた砲弾を手に取って見て、この重さで土俵を貫通しなかったなら
これは木砲だと断じたという話がある

538:名無し三等兵
10/06/09 19:48:15
大阪城へ行ってきた。やけにジョギングしてる人が多いなあ。
ボランティアのガイドさんや各階の資料展では、
徳川側は外国から調達した大砲が100門ぐらいあって
炸薬が入ってないので砲の威力としてはあまりなかったけど
24時間うって大阪方を眠らせないという心理作戦だったそうで、
命中率悪すぎだけどたまたま淀君の近くに当たったのが幸いしたと。

疑問なのは大阪方も大砲を買い付け、米も何もかも日本中から根こそぎ買い占めて
徳川方が兵糧や暖房にすら苦労して裏切りがでないか心配するほどだったようだけど、
真田幸村とかの名将は大砲対策しなかったのかって事。
ほかにも大阪方が講話に乗った理由はあったけど、あの一撃が大きかったかなあと。

まあ2次元の戦いが3次元になって、急に対応も難しいとは思うんだけど。

539:名無し三等兵
10/06/09 20:52:12
>>532
そうなんだよな。聞いたことがない。

540:名無し三等兵
10/06/09 22:16:11
>>537
嘘くさい話だなw
というか撃たれることと音が問題だからあんまり威力は関係ない。
そもそも榴弾開発前じゃ実質的な攻撃力は鉄砲以下だしな

541:名無し三等兵
10/06/09 23:36:51
>>540
一級史料『駿府記』の記述です
後、木砲は一・二発撃ったら使い物にならなくなる
移動しなければならない攻撃側なら兎も角、防御側なら砲火力が貧弱な理由
に挙げられる(by宇田川氏)

人員殺傷と構造物破壊を何で同列に考えているの?

542:名無し三等兵
10/06/10 02:09:33
坑道爆破作戦は第二次大戦あたりでドイツが1回だけ食らった以外には
ちょっと成功例が記憶にないなぁ・・
それも通常の攻勢でドイツ軍がほぼ無力化されていたから防げなかっただけであって。

543:名無し三等兵
10/06/10 10:14:40
あと旅順要塞の攻略ぐらいかな。

544:名無し三等兵
10/06/10 19:53:09
>>541
大阪方の場合は木砲は数を用意しやすいと言う利点がある。
まぁ単に足りなくて急増したんじゃないかとおもうが

>人員殺傷
別に同列にしてないし構造物の破壊でも微妙なわけだが…
当たった場所は壊れるけど穴は小さいし、破壊力もない
大手門みたいな特に分厚い箇所じゃ壊れるかすら微妙って程度の存在なわけで

545:名無し三等兵
10/06/11 00:15:18
大阪方が講和に応じたのは兵糧が乏しくなったからじゃね?

546:名無し三等兵
10/06/11 00:25:29
そんな記述あったっけ?
事前に周辺地域の兵糧買い占めてたと思うけど・・・

547:名無し三等兵
10/06/11 00:38:00
>>545
家康が破格の条件で和睦を申し入れたからじゃね?

548:名無し三等兵
10/06/11 01:31:01
>>547
外堀を埋めるなんて条件、後から攻めるために決まっているのに何で受けたんだろうな。
秀吉も信長も律儀に約束を守るほうだったから、勝手に勘違いしていたのか。
天下人が嘘つかないだろうとか。

549:名無し三等兵
10/06/11 07:19:53
>>548
プロファイリング的に言えば、そもそも戦う前から圧倒的な戦力差なのに
それでもやってみなけりゃ分からないとにかく戦争だーとか言って強い方に
挑発的に仕掛ける人間は、戦略的な後先考えない講和に乗ってしまうもの。
牟田口みたいなもんだ。

大体そういう点で分からないという意味では、外堀を埋められた後も豊臣方は
浪人をかき集めたりして徳川側を刺激するようなことばかりやって、結局
大坂夏の陣を招いたりしていること。

550:名無し三等兵
10/06/11 09:02:34
>>548
埋められたら掘り返せばいいじゃないと考えた。
時間を稼げば家康は寿命に達すると考えたw

551:名無し三等兵
10/06/11 18:05:44
講和で堀を埋めるというのも儀式的なもので、
ほんのチョット埋めるのが恒例なのに徳川は人を動員して埋めちゃった

ちゅーか、豊臣がえっ、マジ!?って慌てて抗議して話し合いの間に
内堀の方まで埋めてなかったか?

552:名無し三等兵
10/06/11 18:12:18
>>551
内堀も埋めましたがなにか?w

553:名無し三等兵
10/06/12 00:46:07
そもそも大阪方は淀を人質として出しときゃそれでよかった話な訳で。
家康の寿命はもうあと僅かだったんだし

554:名無し三等兵
10/06/12 02:42:23
だからこそ徳川がそんなもんで手を止めるわけがないだろう

555:名無し三等兵
10/06/12 03:06:31
>>553
片桐且元がそう進言したら謀反の疑いをかけられた。
大野治長がそう進言したら「且元の言ったことと同じではないか!」と怒られたw

556:名無し三等兵
10/06/12 08:48:03
堀を埋められた後で恭順しておけば良かったのに、まだ戦う気満々でいたんだから、
夜郎自大としか言いようはなく。

557:名無し三等兵
10/06/12 16:11:49
恭順しても許す気は無いのが丸わかりだからだろ
徳川時代になってから潰された大名家を考えてみろよ


ただ味方が誰かすら分からないのに戦ったのは夜ry

558:名無し三等兵
10/06/12 18:01:28
穏便に恭順した元主君の家を取りつぶすのは流石にマズイので、
家自体は潰さずに石高削りまくって僻地へ転封と思われ。


559:名無し三等兵
10/06/12 23:23:47
福島家も結局残った激減だけどw

560:名無し三等兵
10/06/13 00:03:57
あの段階で穏便に恭順は無理でないか?w
豊臣家がそれなりの名家でもっと小さければ可能だろうけど…

561:名無し三等兵
10/06/13 18:07:50
大砲の一斉射撃が始まったその日から、正式な講和交渉が始まりました

562:名無し三等兵
10/06/13 19:07:08
>>560
家としての歴史は浅いが、官位は最強クラスだし前の天下人と織田家の血を引いているから相当な家柄じゃん。

まあ夏の陣の後に秀頼が臣下の礼を取って淀君を人質出し、浪人は追放、国替え&減封にも応じる
みたいに全面降伏すれば徳川のメンツも立つし、首洗って潔く従った相手にそれ以上やるのはどうよ?
って感じにもなったろうが、徳川に金玉握られるような選択肢はプライドと恐怖で飲めなかっただろうな。


563:名無し三等兵
10/06/13 19:09:55
すまん、夏じゃなくて冬の陣だった。

564:名無し三等兵
10/06/13 20:53:41
>>562
徳川の執拗さをなめちゃいかんw やりすぎな位だw
豊臣はどこまで行っても成り上がりだろう。当時の官位は金と力さえあればもらえたんでハク付けでしかない。関白じゃなくて将軍になってればまた違ったんだろうけど
仮にも主君だったので徳川も配下にもしにくい。


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