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12月8日付朝日新聞朝刊(東京本社14版)投書欄『声 語り継ぐ戦争』より
開戦を知って 覚悟の身震い
無職 落合 松枝(神奈川県鎌倉市 83歳)
「帝国陸海軍は本8日未明、西太平洋において、アメリカ、イギリス軍と戦闘状態に入れり」。1941(昭和16)年12月8日朝、臨時ニュースをラジオで聞き、身震いをしました。寒さゆえではなく、「とうとう戦争」との覚悟だった、と思います。
小学校を卒業した37年に日中戦争が始まり、女学校のころは慰問袋を作っていました。
43年9月、軍需工場のタイピストとして香港へ渡りました。東洋の真珠と呼ばれる光の島には、コーヒーや砂糖などなんでもあり、「欲しがりません勝つまでは」の内地の人がかわいそうでした。
「敵に新型爆弾がある」と聞いた私が「負けるかも」と言うと、「非国民」と同僚がののしりました。女子の引き揚げが始まり、故郷の横浜に戻ったのは東京大空襲の翌日でした。もんぺ姿で空襲から逃げ回る日々が半年続きました。
日本は戦いを始めた加害者です。敗戦が終戦にすり替わり、原爆を受けたことで、被害者ばかり強調される世は日本人として恥ずかしくなります。