05/11/12 22:31:41 2VfZur5t
さて、「三国遺事紀異第一」の高句麗についての記述から、朱蒙の父親に
関する部分を引用しよう。(金思燁の訳を用いる)
高句麗はすなわち卒本扶余である。あるいは今の和州または成州であると
いっているが、みな間違いである。国史の高麗本紀には、始祖の東明聖帝の
姓は高氏、諱は朱蒙であるといっている。
これより先に、北扶余の王、解夫婁が東扶余の地にしりぞいていたが、夫婁が
亡くなると、金蛙が位についた。
このとき(金蛙が)太伯山の南、優渤水で一人の女に出会った。(素性を)聞くと、
「私はもと河伯の娘で、名前は柳花と申しますが、(あるとき)大勢の弟たちと
遊んでいると、一人の男がいて、自分は天帝の子、解慕漱だといいながら、
私を熊津山のふもとにある鴨緑江のほとりの家に誘いこみ、ひそかに通じてから
出て行ったまま再び帰ってきませんでした。[『壇君記』には、壇君が西河の
河伯の娘と親しくなって子を生み、夫婁と名づけた、とあるが、今この記事は、
解慕漱が河伯の娘とひそかに通じてから朱蒙を生んだとなっている。『壇君記』
には、子を生んで夫婁と名づけたとあるから、夫婁と朱蒙は異母兄弟なのである]。
父母は私が仲立ちなしに結婚したことを責めたてて、(ついに)ここへ流されて
来たのであります」と答えた。(引用ここまで、以下略)
以下簡略に述べると、柳花は卵を生んでその卵から朱蒙が生まれるわけである。
さて、三国遺事の著者である一然は、解慕漱の正体が檀君であるとの解釈に
基づいて記述をしているようである。しかし、この解慕漱という男、なんだか
結婚詐欺師あるいはヤリ逃げナンパ男のような気がするのだが、ひょっとして
これが檀君のモデルになった人物なのであろうか。