06/06/12 11:58:39 nDdX45rA
義務教育の公立学校は無くてよい。
一般競争社会の経験豊富な人材が教師になるべきと考える。
教える技術はあっても三流商社の海外担当より英語のできない英語教師などいらぬ。
おちこぼれを作らない教育ではなく、落ちこぼれたらそれなりの生き方を教える教育
が必要。いじめ問題もしかり。落ちこぼれもいじめも人間である限り無くならない。
安定した職業ということで教師を選んだ者はすくにでもやめてもらいたい。
今まで競争に勝ち抜いてきたかも知れないがそれを止めたとたん「そういう顔」に
なっているし、生徒や親は見抜いている。
親も内申が心配なので面と向かって「あんたの教え方あかんでー」とは言えない。
結果、そうとうひどい教師だけが問題になって紙面をにぎわせている。
大阪市の厚遇問題でも公金横領の金を自ら申告して返さなかった教師も情けない。
ニュースを見ながら親は子供に向かってぼろくそに言っているのが目に浮かぶ。
そんな先生に子供はついてこない。
よって公立不要