11/03/28 18:47:47.73 Y++ta9WI0
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あの時点で撤退とは無責任極まりない。この政府関係者は、事故の初動から東電の対応に
不信感を抱いていた。
地震発生時の11日、福島第1原子力発電所1~3号機は自動的に止まったものの、津波に
より外部の設備が使えなくなった。予備の電源も失われ原子炉内を冷やすシステムも動か
なくなった。炉内を冷やさなければ、燃料棒が溶け深刻な事態を招く。東電はまず電源を
復旧しようと電源車を送った。しかしそれをつなぐ部分が水没しており結果的に失敗した。
そのうちに1号機では炉内の熱で水蒸気が発生し、圧力が高まっていった。破裂しないうちに
放射性物質を含む水蒸気ごと逃がし、圧力を下げる必要があった。これをベント(排気)という。
「ベントをやらなければならなかったが、本店は非常に消極的」(政府関係者)という状況だった。
福島第1原発の現場責任者は、吉田昌郎・執行役員発電所長である。その陣頭指揮は光っていた
ようだ。「吉田所長は勇敢で現実的だった」と政府関係者は言う。「しかし、本店を経由してしか
現地に連絡できなかった。だから12日朝、菅直人総理がヘリで現地に飛び『ベントしろ』と言った。
吉田所長の背中を押しに行ったんだ」(政府関係者)。