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日本の「世界を知る窓」は今、日本を苦しめる病弊の窓となっている。
60歳の池口ひろしさんは苦笑しながら、彼の住んでいる区域では自分が最年少者の1人だと言う。
彼は生まれてこの方、三菱重工造船所のすぐ北に位置する入船町で暮らしてきた。
しかし今、高齢化する隣人たちと同様に、長崎市郊外のこの町は崩壊しつつある。
十数軒の家が、家主の死後、朽ち果てるままに放置されている。
剥き出しの柱の山と化した家もあれば、桂の木が屋根を突き破ってしまった家もある。
ある家の玄関先には、正月飾りの果物が置かれている。そこにかつて住まい、
死後1週間発見されなかった「親切なおばあさん」の死を今も嘆く近所の人が供えたものだ。
ドアの郵便受けを開けて家の中を覗いてみると、暗がりの中に、壁に貼られたカレンダーが見える。
日付は1988年9月のままだ。
池口さんがまだ若く、長崎が1945年の原爆による荒廃から復興途上にあった頃、
家の近くの道路は毎朝、三菱重工の造船所に向かう造船工の足音が鳴り響いていた。
そんな長崎の経済が、今ではすっかり静まり返ってしまった。
この港町の運命は、日本の活力を奪う3つの要因(過疎化、過度な中央集権化、
そして外国との競争)がどれほど、地方の田舎町に限らず、
日本の端に位置するかつて盛況を博した都市にまで打撃を与えているかを示している。
こうした現状は広くは知られていない。湾の対岸にある高級マンションの住民は、
入船地区のお粗末な外観に不満を漏らしている。「実際に入船がどれほど悲惨な状況にあるか、
彼らが知っていればね・・・」と池口さんはつぶやく。
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