14/05/17 23:30:58.79 /CIEpIbm
【年齢性別】 28才女性
【学歴職歴】 十代は鬱にて引きこもり→二十代フリーター数年→現在は大学生
【家族構成、問題】一人暮らし
【通院歴】 2週間
【処方】 デプロメール25m×1錠
【家族構成、問題】
気分の浮き沈み
【相談の内容】
どんなことだって自分に出来ないことはないぜ!とテンションがあがったかと思えば、一ヶ月も経つと、
何もかも嫌になって地球に隕石でも落ちればいいのに(早く死にたいなー)と思うようになる状態が数年間続いています。
ひゃっはー!な状態の時は自分の中では「調子が良い状態」なので、不満はないし実害もないのですが、
ひゃっはー!状態が解除され鬱状態になると日常生活がままならなくなります。
最近は鬱が特に酷く、再び引きこもりになってしまい、このままではいかんと心療内科の扉を叩いたのが2週間前のことです。
初めての診察では、医師に「調子が良い時は予定通りに事が進められるし、料理も完璧に出来るのに、
調子が悪くなると何も出来なくなって…」というようなことを相談しました。
医師は「完璧、予定通りという言葉を何度か口にしてますね。自分を追い詰めていませんか?」と。
医師の指摘通り、私はそのような言葉を良く口にしますが、完璧主義者ではありません。
確かに最初のうちは完璧に!と意気込みますが、三日も立てば適当です。
三日過ぎてもまだ、自分の思う通りに完璧であったら悦に入ることはありますが、物事を適当に済ますことに罪悪感を覚えることはありません。罪悪感を覚えてまで完璧を求めるなんて馬鹿げた話だ、とさえ思っています。
私はその旨を医師に伝えましたが、医師はやはり、私の問題は「完璧、予定通りに拘るところにある」と判断しています。
同じく初診の時、医師に「卒業後の夢は?」と聞かれ、「年齢を考えると簡単に就職出来ないと思うので、
とりあえず就職出来ればいいと思っています」と答えると「将来の希望への喪失が鬱状態にさせている」といわれました。
が、心情的には納得出来ません。私の夢はどの職種に就くかではなく、就いた仕事の先で成功なり出世なりをすることです。
どこであっても構わないとする考え方が、希望の喪失と断じられたことに違和感を覚えてなりません。つまり、「考え方を変えていこう」という医師の治療法方には全く同意出来ません。