14/05/28 00:34:09.07 .net
>>242
>垂仁天皇の皇子本牟智和気(ほむちわけ)は『生まれながらに唖』(←悠仁!!)であったが、
>占いによってそれは出雲の大神の祟りであることが分かり、曙立王と菟上王を連れて
>出雲に遣わして大神を拝ませると、本牟智和気はしゃべれるようになった。(←紀子と父明仁の願望)
>奏上をうけた天皇は大変喜び、菟上王を再び出雲に遣わして、「神宮」を造らせた。(『古事記』)
紀子は心根が腐っているので、願い事は聞き届けられなかった。
皇太子様を追い落とす目的の道具男児の不具が不満というだけでは、
紀子が参拝しても、出雲の神々は救っては下さらなくて当然。