08/02/22 17:21:13 wHeSRyVP
1787年 仏軍艦が鬱陵島を発見。「ダジュレー島」と命名。
1789年 英軍艦が鬱陵島を発見。「アルゴノート島」と命名。
欧州で鬱陵島が「二つの別の島(日本寄りがダジュレー、半島寄りがアルゴノート)」と誤認される。
そして、あのシーボルトが、日本で得た情報から、「松嶋」「竹嶋」の存在を知り、
日本寄りの「ダジュレー島」に「松嶋」、半島寄りの「アルゴノート島」に「竹嶋」という和名を当てはめた。
当然日本では昔から実際に島を訪れ、日本寄りの「(現在の)竹島」=「松嶋」と呼び、
半島寄りの「鬱陵島」=「竹嶋」と呼んでいたのだが、、。
1854年 ロシア軍艦が正確に測量。「ダジュレー島」が正しく、「アルゴノート島」が正しいと確認される。
この事から、次第にシーボルトが当て嵌めた「竹嶋(アルゴノート島)」も名も中に浮く事となる。
しかし、現在のような情報体制でもなく、島名の混乱や「本当はアルゴノート島もあるんじゃない?」状態が続く。
1849年 仏捕鯨船が「(現在の)竹島」を発見。「リアンクール岩(島)」と命名。
1854年 「ダジュレー島」を測量したロシア軍艦が「(現在の)竹島」も測量。「Manalai」及び「Olivutsu」と命名。
1855年 英国支那艦隊軍艦が「(現在)の竹島」を測量。「ホーネット岩」と命名。
これらの事から1900年代までは、場合によっては
「ダジュレー島(松嶋)」 「アルゴノート島(竹嶋)」 「リアンクール岩(ホーネット岩)」
の三島が同時に書かれる地図が見られる状態となった。>>1のは、朝鮮領じゃないリアンクール岩が省かれた形。