08/02/14 11:25:39
南大門炎上―韓国の悲しみを思う
かつて、こんな社説があった。「祖先からうけついだよき遺産は、決して現代人の専有物ではない」
「国民も国会も政府も、文化国家としての自己の姿を、もう一度直視する必要があろう」
1950年7月3日、「国宝を焼く」と題した朝日新聞の社説である。
前日、京都の金閣寺が若い学僧の放火で全焼した。そののち、この事件を素材に三島由紀夫や
水上勉が小説を書くことになる。当時の日本人にとって、実に衝撃的な出来事だった。
こんなことを思い出したのはほかでもない。韓国の国宝第1号で、ソウルの正門として
日本人観光客にもなじみの深かった南大門が放火で全焼したからだ。
金閣寺と南大門はともに14世紀末にできた木造建築だ。幾多の戦乱を乗り越えて生き延びてきた点も似ている。
今回の炎上を目の当たりにしたソウル市民が「子孫に顔向けできない」と嘆く姿を見ると、とてもひとごととは思えない。
南大門は日韓のさまざまな歴史を見つめてきた建物でもある。
16世紀、豊臣秀吉軍が朝鮮を侵略し、首都の王宮が焼失した。その際、
加藤清正らが南大門から攻め込み、東大門からは小西行長らが入った。
1910年の韓国併合後、日本は王宮を覆い隠すように朝鮮総督府の大きな庁舎を建て、権勢をほしいままにした。
それでも残った南大門である。修復を繰り返したとはいえ、この巨大な門を見上げると、
苦い記憶も含めて、いや応なく過去の日韓のかかわりを思い起こさざるをえなかった。
そうした建物の修復や防災対策に隣人として協力できることはないだろうか。
韓国はただちに復元の準備に取りかかるだろう。日本にも木造建築の修復技術などがある。
知恵を貸す余地があるかもしれない。
南大門に限らず、韓国では最近、文化財の火災が相次いでいる。放火も少なくない。その反省も広がっている。
今回、消防と文化財庁の連携の悪さ、消防士の文化財建築への理解の乏しさが被害を広げたようだ。
李明博・次期大統領がソウル市長時代に門の周りを市民広場として整備したのに、防災・防犯の面は手薄だった。
日本では、金閣寺が放火された前年に法隆寺の壁画が焼失したことをきっかけに文化財保護法ができ、
自治体レベルでも様々な取り組みを重ねてきた。
例えば、京都市消防局予防部には文化財係が置かれ、市民や社寺の連携で「文化財レスキュー体制」ができている。
奈良では、県警の文化財保安官が各地の消防と協力して文化財の防犯や防災に目を光らせている。
こうした試みは、韓国にも参考になるだろう。
隣国の悲しみに思いを寄せ、歴史遺産の修復や保護に協力できれば、日韓の溝を埋めることにも役立つに違いない。
ソース:朝日新聞
URLリンク(www.asahi.com)
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