07/10/12 16:32:33 0
(>>20のつづき)
そもそも、人間の行動が理論上は非合理的であるとしても、それには理由があるだろう。
最善の解を求めるのではなく、後悔の種を避けつつ次善の解を求める。これこそが、
人間に与えられた最高の知恵かもしれないのである。
そんな思索にふけっているときに、ネットで西村吉雄氏の『オープンソース活動と民主主義』と
題したコラムを読み、いたく感動した。少し長いが一部を引用してみたい。
不特定多数に信をおくという意味で,Web2.0は民主主義に通ずる。実際グーグル社はその
ホームページで“Democracy on the web works”と宣言している。しかし、不特定多数はときに
愚かで暴力的な集団と化す。
ネット上の不特定多数の振る舞いへの批判も激しい。
事典内容に関して意見が対立し、激しい書き換え合戦などがウィキペディアでもあるという。
そのときには「管理者」が調整する。「良い方向に働く力が微妙に勝っている。参加する人が
多ければ多いほど、より良くなると感じる」。管理者を3年以上続ける今泉誠氏はそう語る(安田朋起
「ウェブが変える1」、『朝日新聞』朝刊)。
この経験は本質的である。民主主義はもともと最良解を保証するシステムではない。尭や舜
(中国の伝説的な名君)が常にいるのなら、名君にまかせたほうが良いに決まっている。けれども
生身の名君は必ず老い、そして乱心する。
「ご乱心の殿よりは衆愚がまし」。これが民主主義だと私は思う。
そうか、何だかんだと考えてきたけど「小さな一歩が大きな動きを誘発する」という現象は、
考えてみれば民主主義の代表的手法である「多数決」そのものではないか、と気付いた。
過半数で可決なら、51対49でも可決。けれど、わずか一人が反対に回れば否決となるのである。
そして、51対49よりも51万対49万の方がいい。それがウィキペディアの教訓である。
それをネットが実現してくれる。そして、これから先、まだまだ「ネット人口」は増えていく。
そうなれば、もっともっと良くなっていく。そう思えば、私のように「鈍感力」のない、先のことが
心配で心配でしょうがない人間にも、何やら光明が差してくるように思えないでもない。(以上、抜粋)
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