07/10/12 16:31:46 0
(>>4のつづき)
実際の経済では、古典的経済学で説明できない現象が発生する。それは「人は合理的な
判断が下せない」ためで、この行動原理を反映させた経済学を「行動経済学」と呼ぶ。
この人間的な習性の一つが「損得の受け止め方」の問題で、広く解釈していえば「ネガティブな
出来事をポジティブな出来事より3倍深刻に受け止めてしまう」ということであるようだ。
そうだとすれば、ネガティブな評価はポジティブな評価より3倍大きな反響を人々に与えると
いうことになるだろう。善行を重ねても評価はじりじりとしか上がらないが、悪事によって
評価が揺らげば、3倍の速度で評価が急降下するということか。このため人は、ポジティブな
出来事に期待するよりネガティブな出来事によるショックを避ける行動をとりがちでこれを
行動経済学では「後悔回避」と呼ぶらしい。
もちろん、こうした人間的な感情に支配される行動は、経済学でいうところの「合理的なもの」
ではない。最高の結果が期待できる行為ではないのである。「後悔したくない」という感情を
押し込め、ある確率で損をすることを覚悟しながら理論上もっとも期待値の大きい選択肢を
選ぶのが、最善の結果を得る方法なのだろう。それを可能にするのが「鈍感力」というものか。
さらにもう一つ。「ネット」の存在である。人の行動は、追従にしろ、後悔回避にしろ、外からの
情報によって左右される。「みんな怒っている」ということを知って初めて安心して自分も怒る
ことができるわけだし、「どうも株価はここから下落を続けるようだ」などという噂を聞くから
投資家はうろたえる。その情報が、ネットの普及によって極めて速く、多くの人たちを巻き込む
かたちで流通するようになった。こうなったことで、例えば「人間ならではの非合理的行動」と
いったものの特徴が、一層際立つようになったのではないかと思うのである。
そんなことを書くと、「だからネットはけしからん」「規制すべき」などという反応が返ってくるかも
しれない。けれど、もしもそれが「合理的な判断」であったとしても、決して世界はネットがなかった
時代に後戻りできるものではない。(>>19-30につづく)