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共生のページ:退去強制命令取り消し求める中国籍家族 「再び一緒に食卓を」 /大阪
◇長男「僕には日本人の血が…」
◇父は入管センター収容「残留邦人の孫」の母は働きづめ
大阪入国管理局から不法入国で退去強制命令が出た中国籍の家族4人=八尾市=が、命令の取り消し
などを求めて大阪地裁で争っている。両親と長男(16)は11年前に来日。工員の父(44)は昨秋、
茨木市の西日本入国管理センターに収容された。府内の私立高校へ通う長男は「どんなに忙しくても、
一緒に夕飯を食べるのが家族の決まりだった。慣れ親しんだ日本で再び食卓を囲みたい」と話している。
【平川哲也】
昨年10月4日。帰宅した長男は、うずくまる母(37)の後ろ姿を見た。「お父さんがまた捕まった」。
母の目から薄く、涙の線が伸びていた。
母が偽名の旅券で入国したとして、同局は04年10月に家族を摘発。子どもたちに配慮したのか、
父だけを翌月末まで収容した。約2年の仮放免を経て、再び父が収容された理由が、審査の結果、
家族4人に退去強制命令が出たことにあると知り、悲しみと憤りがない交ぜとなって立ち尽くした。
「来日してからは、一度だって悪いことをしていないのに。中国へ戻っても生活できる保障は
何もないのに。なぜだ」
■ ■
訴状などによると、母は中国残留邦人の孫と言い聞かされて育ったが、立証可能な資料を収集できず
に96年、家族を伴って来日した。別の残留邦人の子孫と偽ったため、定住者の在留資格を得ていた。
出身地の中国東北部の黒竜江省は旧満州にあたり、来日後も親族を探していた。
その一方で、両親は身を粉にして働いた。父は小さな工場で汗にまみれ、母は日の出前に弁当店へ
向かった。長男は3年前に父の背を追い抜き「大きくなってよかったな」と言われた。父は仮放免中、
命じられた入管への出頭を欠かさなかった。大皿に盛った母の手料理を家族4人で囲むと、しぜんに
笑みが漏れた。
家での会話は中国語だが、子どもたちは日常会話しかしゃべれない。日本で生まれた次男(8)は、
中国語の読み書きができない。かつて住んだ同省の家もどうなっていることか。失業率も高いと聞く。
11年間染みついた日本の習慣や言語が、すぐに役立つとは思えない。「僕には日本人の血が流れている
と信じている。何でここにいたらいけないのかな」。宙を仰ぎ、長男がつぶやいた。
(>>2-10に続く)
毎日新聞 2007年6月3日
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