10/01/03 19:52:23 lRFuP0Ye
人を裁くのに証拠が必要なことには同意するが、証拠には性質の
問題がどうしてもつきまとう。和姦か強姦かだって、男は和姦だと
思っていても女が強姦だったと訴えれば、それだけで訴えは成立
するし、あとは裁判官の判断次第。和姦だったという強い状況証拠
がなければ、それで犯罪になってしまう。つまり証拠は、女性の内心
にのみあるわけで、それは名誉毀損でも同じだろうということ。
名誉を害されたという内心を、裁判官を納得させられるだけ示せれば
いい。
内心の問題には、どうしても主観が混ざってくる。司法には主観を入れては
いけないとして、じゃあ内心の問題だからって、内心にどかどか踏み込んで
きていいのか?
和姦を強姦とされてしまうのは、エッチした相手との信頼関係が結べて
いないのに、エッチをしたという行為があってこその問題。
名誉毀損だって、相手が怒るだろうという一線の加減もわからずに
内心にどかどか踏み込んでものを言うからこその問題。これだって
広い意味で信頼関係の問題だ。
つまりは信頼関係を築けない、もしくは信頼関係の無い中ではどういう
言動が許されるのかという距離感を掴めない中での問題は、それが
できない側に罪を課すのは、それは人間の社会性という中では
重要なルールだろう。証拠には内心が含まれようと、主観が含まれようと、
それはつまりは、社会性を逸脱したという証拠が基準となるのだから、その社会性
を基準に裁判官が判断を下すことは、別に問題でもないし、証拠だって
問題はなかろう。
ま、法社会学的には当たり前の話だが。