09/01/19 01:21:38 QnpR01hE0
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南京の民間慈善団体や福祉団体が処理した遺体は、約18万5千体。
その処理数の一番多かったのは、
1929年から南京市社会局に登録されて、慈善事業を推し進めていた崇善堂。
崇善堂はその遺体処理にあたり、自身の職員だけでは処理しきれず、
臨時工を雇ったり、多くの農民や有志の市民に依拠して遺体処理を行なった。
崇善堂の処理した数は、1937年12月26日から1938年5月1日までで、
男性109,363体、女性2,091体、子供813体、
計112,267体と報告されている。
その埋設個所は各隊毎に記録され、1947年3月に南京で開かれた軍事法廷では
その幾つかの埋設個所を掘り起して、人骨数と報告数との確認が行なわれてるよ。
次いで処理数の多かったのは、1923年に設立された紅卍字会で、
この団体の報告によれば、1937年12月22日から、
1938年10月までに、南京域内で1,793体、
南京域外で4,1330体処理したと報告されている。