09/01/15 03:33:07
>>473
>>妙見様に見限られたとの伝説
私説というか妄想の類ですけど、妙見信仰者であった千葉氏はじめ
板東平氏たちはその後もサバイバルをしていかねばならず、彼らにとって
心中はともあれ、どうどうと朝敵と呼ばれた将門とのつながりを全面に
出すことは、ある時代までは憚られたのでは。
(武家政権を興した頼朝と妙見、板東平氏の関係などを併せて考えて)
>>475,480
わたしもそんな理由で、感慨深くあの妙見さんは拝ませてもらってます。
「神田神社」も神職さん、氏子さんや崇敬者さんまでいろいろご苦労なされてきたわけだし。
たとえば田安明神なんかも、ちょっと前はご由緒みたいなところに将門というのは
たいした人物じゃないみたいなことが書いてあって、それでいて勝守なんぞが売って
いてびっくりしたことが。
まあ、ああいうのはともすりゃ神職ではなく区の学芸員とかが書いていたりすることも
あるわけで。
そうそう、学芸員っていやあ将門公の首塚を「旧跡指定から排除するよう」と
都を困らせていた話はどうなっちまったんですかねえ?