08/05/06 22:33:24 3uAoxIK9
>>54 鬼和尚さん 回答ありがとうございます。
>何度聞いても判らないのは、やはり個我があるという認識から離れられないからなのじゃ
いくら個我など本当はないんだと気張ってみても、
誰かがあなたの頭を叩いたところで私の頭(肉体)は痛くも痒くもない。
あなたがおいしいものを食べたところで、私の口の中は何の味もしない。
私の知識や思考はあなたのそれとは全く同じではない。
これらは覆しようのない事実です。
こういうことによって区別される認識主体を個我と呼ばないのですか?
それでも個我が無いというなら、どういう意味で無いのですか?
前スレで、叩かれたのに気付かなかったという聖者(?)の話がありましたが、
もし打たれたことに本当に気付かないなら、ただの知覚障害です。
>個我がある以上は、輪廻もあり、永遠の意識から作られる事もあると想定する。
つまり、個我は無いから輪廻もなく永遠の意識から作られることもない、という解釈でいいのでしょうか。
前スレで
427 名前:鬼和尚
>>393 なかなか良いが、死によって悟るという事は無い。
個我の想念は残り、転生のもとになるのじゃ。
と仰っていますが個我が無いのに個我の想念は残って転生のもとになるのですか?
私のようなアホな一般人にもわかるように、もう少し優しく教えていただけるとありがたいのですが、、、