08/01/28 05:17:48 r+QbJxLf
永劫の流転から離れてしまうということは、
これまでずっと執着を持って、こだわって、かかわってきた世界から
離れてしまうということです。
私は、そこには一抹のさみしさを感じます。
これは、執着の残留だと思いますけれども、
いわば、弥陀の救いというのは、弥陀の早業によって、
強制的にこの執着から切り離されるようなものであり、
法性への回帰をうながされるようなものです。
やはり、これは、凡夫の性質としては、本来望むようなものではありません。
それであるが故に、荘厳な浄土のイメージが説かれていると思います。