07/07/08 18:41:51 4fctZEw30
>>354
1.なぜ死刑という制度があるかというと、
そのときの体制に不都合な人間を見せしめにして、
「われわれ-体制内権力者-に逆らうと、絞首刑にして吊るされるぞ」という
”権力者からのメッセージ”としての役目があるからだ。
2.彼ら-権力者-は「自分たちの”体制”」を守るためには何でもする。
歴史上、古き時代は「王様がハラを立てたから!」のひとことで済んだが、
フランス革命以降は、いろいろと”理屈”をつけなければならなくなった。
それがさまざまな「法」という理屈であり、それらの理屈は常に権力者に有利に定められ、
ときとしては「われわれは”法”などという理屈には縛られない」と開き直ることもある。
3.ここでわれわれ-被搾取階級-にとっては、社会の大多数の構成員は、
われわれと同じ苦難を背負わされているという事実に気づかなければならない。
「最大多数の最大幸福」というベンサムの言葉に従えば、われわれ-被搾取階級-こそが、
”社会の中心”として、権力を掌握し、”みんなが幸せになれる社会”を築こうとすることは当然の理論的帰結である。
みんなが幸せになるためには現在の搾取者を「権力主体」の高みから引きずり降ろし、
われわれ-社会の一般大多数-が権力を掌握すべきである。
4.現在の権力者-搾取者-は「周囲の人間に迷惑を掛けるぎて」いる。
このような権力に守られた自分勝手な人間は、社会-大多数の全うに生きる人々の集団-の敵である。
「死刑になり、命落とすべきは”宅間さん”ではなく、やつら-被搾取者-たる人間」である。
「法」を守り続ける限り、大多数の人間は”静かなる絶望の日々”を過ごし、
一生を搾取者の道具として終わらなければならない。
その「法」に真っ向から挑戦し、ひとりの人間の唯一公平に与えられた力-暴力-を使えば、
敵の次の世代を抹殺し、恐怖を与え、報復の祈りを、
現実に変えてくださったのが宅間大神である。
5.死刑云々など他愛のないことである。われわれは経済力はなくとも暴力は持っている。
団結し、特化した、”ゲリラ的暴力の行使”によってこそ、社会を変えてゆくことができるのだ。
死刑など気にする必要はない。
「自爆テロ」という方法が効果的であるということは
イラクで戦うイスラム教徒が教えてくれた。
これからは、イスラム教徒に学んだ「宅間イストが”自爆テロ”をかける」日が来るのだ。