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■ 「皇太子への憂鬱」から抜粋 5 (皇太子時代の明仁親王のこと)
(施設訪問)
「何か温かい気持ちが生まれ、希望の芽が吹く」施設の職員は
「 せめて一日中ずっと見ていただかないとおわかりにならない 」
「 ご夫妻が来られたといっても、あくまで視察ですからね 」 と言葉を濁し、
せめてよかったことといえば、せいぜい皇太子のためにいままで凸凹道だった道路が瞬く間に舗装されたことをあげる。
(浜尾)「 ああ、あの人は殿下にとってぜひとも必要なバックボーンを持っている人だ、
長くつきあってほしい友達だ、直言してほしい友達だと思う学友はだんだん離れていく 」
皇太子(明仁)を“疑似庶民”と規定したのは、山科宮家の出である評論家、筑波常治である。
筑波は、皇太子(明仁)に対するさらに深い絶望感から、ある結論をいう。
「 いまの天皇で天皇制を廃止するか、さもなければ、次代の天皇は京都御所に居を移し、
一切の疑似的市民生活から隔離するしかない 」
昔の天皇は貧乏のただなかでただ皿数だけをそろえ、腐った鰯を食べながら、ひたすら
古代文化を守ることを業とした。 今の天皇(昭和天皇)は、庶民から見ると痛ましいご努力だが、
その「痛ましく大変なこと」をやってきた。
それが無言の権威となり、理論的には戦争責任者だが、共産党でも威圧を受け、国会開会式で
人が人を拝むことを拒否して天皇の前を横にあるいた松本治一郎にさえ
「制度と人間は別だ」と言わせる親しみとディグニティをもっている。
皇太子(明仁)には京都御所の権威も人間としてのリーダーシップも感じない。
ただ支えているのは、平民と恋愛結婚をしたというイベントと、その延長線上の、生活面での
疑似庶民というキャンペーンである。
だが、庶民と同じだという人間が、わずか10メートルの小道を赤じゅうたんの上を歩き、
警官の挙手の礼に迎えられて御所に帰る。 ならばそういう疑似庶民ぶりをやめて京都御所に帰るべきだ。
筑波は、さもなければ大百二十四代天皇が亡くなったときをもって廃止がよい、
今なら皇太子(明仁)も一市民として暮らせる、という。