12/05/29 12:03:14.51 vfYmtPzA
あまりに驚いたので連投ゴメン
>>589
通い婚から嫁取り婚への移行時期ではあるけど
まず史実www通りに、滋子は上西門院の女房として出仕してて
後白河の眼にとまって手がついても、
「女房がお手付きになって寵を受ける存在になった」だけであって
婚礼を意味するような儀式は無いだろう。
だいたい滋子は男児(後の高倉帝)を産み、その子が立太子した時点で
ようやく「女御」という呼称を許された程度の立場だもん。
通い婚の通例の場合は、おおよそ3日間姫のもとに通った男が
改めて宴席のようなものに招かれ饗応されて
姫の親らと対面して酒肴を交わすような婚礼披露があるけどね。
(ところあらわし と言います)
それとは全く違うことだから。