日本人が哲学を必要としない理由 3at PHILO日本人が哲学を必要としない理由 3 - 暇つぶし2ch■コピペモード□スレを通常表示□オプションモード□このスレッドのURL■項目テキスト500:考える名無しさん 10/11/28 19:25:08 0 宇宙の始まりを考えたことはあるか? 自然現象を科学的手法により解明しても、 それは、ただの説明であり、 神の存在の否定へとは繋がらない。 「雷は電気です。遺伝子はDNAの螺旋構造です。」 「物理法則は数式で表せます。病気の元は医療で特定できます。」 ご立派な解説ですが、創造主を否定するまでの強い根拠には成り得ない。 ニュートン力学以前の、キリストの時代にも、 リンゴは木から落ちていたでしょう。 万有引力に数式が必要とでも?(笑) 十十十 カトリック+188 十十十 http://toki.2ch.net/test/read.cgi/psy/1286831454/657 501:第三の波平 ◆JXLBbnYqTY 10/11/28 21:50:12 0 理性から労働者へ 労働は近代に生まれ変わったと言えるだろう。資本主義には貨幣売買される労働が求められ た。そして労働価値説として、貨幣と等価な労働が生まれる。この特殊性を指摘したのがアー レントである。ギリシア時代の活動/仕事/労働の区分と比較し、労働は動物的であり、労働 と非労働しかないアダムスミス、マルクスの世界を批判する。 社会主義思想にとって労働とは労働者であり、主体と同じ意味である。しかし現実には社会主 義思想が封建社会ではなく、資本主義から生まれたのは、問題の本質が階級ではなく資本主 義で生まれた富の分配であるからだ。このために啓蒙主義をへて、労働は労働時間という原単 位、労働価値説へ傾く。アダムスミスはいち早く労働価値説のもと国富論がかかれ、マルクス へ引き継がれる。 スミスはマスとしての労働(時間)と主体を、創発により二重化することで主体を守る。マルクス は、資本主義では労働者は労働時間として貨幣価値に還元され、社会主義において主体は取 り戻される、と歴史において二重化する。しかしアーレントの批判は労働時間ではなく、主体と しての労働者にむかう。ここにすでにはじめの還元がある。 次ページ最新レス表示レスジャンプ類似スレ一覧スレッドの検索話題のニュースおまかせリストオプションしおりを挟むスレッドに書込スレッドの一覧暇つぶし2ch