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産経抄 8月16日
〈たとへば君 ガサッと落葉すくふやうに私をさらつて行つてはくれぬか〉。この恋歌
(相聞歌)の名作によって、河野(かわの)裕子さんの名前を知った。才あふれる女子
大生はやがて妻となり、子をなし、孫を得る。歌人として多忙をきわめた50代半ばか
ら、乳がんとの10年にわたる戦いが始まった。
▼最後の歌集となった『葦舟』(角川書店)で、こんな歌を見つけた。〈一日に何度も笑
ふ笑ひ声と笑ひ顔を君に残すため〉。かつて恋人を挑発した視線は、病を気遣う夫への、
慈愛に満ちたまなざしに変わっていた。
▼細胞生物学者の夫、永田和宏さん、長男の淳さん、長女の紅さん、一家4人がすべ
て歌人だ。それぞれが家族のことも詠むから、一家の事情は読者に筒抜け。漫画『サ
ザエさん』にちなんで、「歌壇の磯野家」とも呼ばれる。
▼表現者同士、傷つけ合うこともあったはずだ。和宏さんは、河野さんの病気を詠んで
も、出来栄えがよければ、『「やった!」と思う』そうだ。4人が昨年9月から、小紙大阪
版夕刊で始めたリレーエッセーのなかで、歌人の業の深さを告白している。
▼その和宏さんが先月31日付のエッセーでは、自分の仕事を支えてきた、河野さん
の「相槌(あいづち)」を失う不安を語る。身もだえする姿が見えるような文章だった。
河野さんは「受けて書かないと」と翌週、自宅で看護してくれる家族と医師、看護師
への感謝の気持ちを綴(つづ)った。
▼別れの訪れは、それからまもなくだった。「うちはね、いい家族だと思うのよ」。担当
記者が河野さんから何度も聞いた言葉だ。〈遺(のこ)すのは子らと歌のみ蜩(ひぐらし)
のこゑひとすぢに夕日に鳴けり〉。遺された家族は、リレーエッセーをいつか再開させる
という。