10/12/29 21:35:11
明治の時代までは仏教徒全部が、日蓮聖人の生まれた時代は末法の初めの五百年だと信じていました。
その時代に日蓮聖人が、いまだ像法だと言ったって通用しない。
末法の初めとして行動されたのは当然であります。仏教徒が信じていた年代の計算によりますと、
末法の最初の五百年は大体、叡山の坊さんが乱暴し始めた頃から信長の頃までであります。
信長が法華や門徒を虐殺しましたが、あの時代は坊さん連中が暴力を揮った最後ですから、
大体、仏の予言が的中したわけであります。
日蓮聖人は世界の大戦争があって世界は統一され本門戒壇が建つという予言をしておられるのに、
それが何時来るという予言はやっていないのです。それでは無責任と申さねばなりません。
けれども、これは予言の必要がなかったのです。ちゃんと判っているのです。
仏の神通力によって本化上行日一様こそが現われるときを待っていたのです。
そうでなかったら、日蓮聖人は何時だという予言をしておられるべきものだと信ずるのであります。