08/09/05 01:29:49 iTPAo6BL
>>204 《尊師》と《最高導師》との対照的な性格の差、その体験、続き。
高温の溶融プラスチックを溶融温度よりも低温の型に圧入。型の壁面に触れた
プラスチックは固化し、内側では流動が続き、異方性 >>207 は実に複雑です。
>>207 >《尊師》は、人の話に注意深く耳を傾け、確信に満ちた静かな語り口
をする人であるような印象 > mmm たしかに!何か、こわくなってきました。
1989年04月01日は土曜日、毎月第1土曜日が研究会定例日、出席者20数人を前に、
《尊師》から「私の客人として皆さんに紹介する」と声をかけられ、恐縮。
月々の研究会で《尊師》の講話を聴き、しだいに、いろいろな出席者ともなじむ
うち、要するに「取り巻き」はそういう人たちであることもわかってきた。
今日まで、20年近く、会員だが、《尊師》が病に倒れた最近はほとんど欠席。
《尊師》の長年の講話の中では「私は普及には関心がない」という言葉をよく
聞いた。《最高導師》が「普及」と言い続け、タグチメソッドを「規格」に
することが必要と言い続けるのとは完全に対照的。要するに、いい加減な理解の
ままで、JISとかISOとか、規格にして押し付ければよい、という発想が
《尊師》には無く、逆に、《最高導師》にはそれしか無い、ということ!
これは悲しい真実で、《尊師》も本当につらかったろうとモイは思っている。