08/01/15 23:49:54 naHeCRg9
そういや元の議論は弩と盾だったな。
思うに、平安末期に専業軍人が少数精鋭化されて、重装備の弓騎兵という
武士の戦闘スタイルに絞られたことが要因だと思う。
この時代、大規模な合戦が鳴りを潜めゲリラ的な反乱を鎮圧するのが主な
戦闘形態になったために、騎馬、徒歩ともに汎用性の高い武士のスタイルが
選択された。馬上の扱いを考慮して手盾と弩は廃止された。
その後、戦闘の大規模化と足軽の台頭によって再び弩の活躍の機会が
生じたかもしれないが、ひとたび廃れた製作技術、訓練技術を復活させる
には大きなコストがかかった。
鎌倉、室町期には軍の編成が在郷の各武家に依存するほど分権化してしまい、
大規模な軍事改革を行えるほどの大きな権力が存在しなかった。あるいは
戦の頻度と弩、盾の再配備のコストの長短を比較した結果、そうした軍事改革
を必要とするほどには大規模な戦は頻発していなかったのかもしれない。
細かく分権化された支配体制を解体し、集権的で軍事改革を断行できる権力を
持つようになったのは戦国大名であったが、その当時、弓に取って代わるべき
兵器はもはや弩ではなく鉄砲であった。そして、鉄砲の威力に対して手盾は
十分な防御力を持つことが出来なかった。
そう考えてみたが、いかがじゃろうか?