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志位和夫が共産党書記長に成れた理由
1985年、事件がおきて一躍出世のカギを握る。
<東京都委員会直属の東大大学院支部から76歳の宮本議長に対する勇退
勧告決議案が出されそうになったのだ。
提出理由は、77年の第14回党大会あたりから、宮本議長の指導に誤りが目
立ち始めた事である。特に「民主集中制の規律強化」方針によって、党
内の自由な討論を圧殺する方向に進んでいるのは問題だ、との批判。
ヨーロッパのコミュニズムが自由な討論を基に、先進国革命の新しい方
向を構築いるのと正反対で、由々しい誤りだと批判していた。
こんな事は前代未聞の事だ。党中央にとっては衝撃的だった。・・・それを
阻んだのが志位和夫だった。決議案が5名連名で提出されているのは多数
派工作(分派行動)の証拠と決め付け、5人の査問を通じて5人を権利停止
6ヶ月処分とした。
かくして宮本議長勇退勧告決議案は提出をまぬがれた。志位は宮本に高
く評価され、次の第18回党大会で33歳にして「最年少の准中央委員」に
選ばれ、次の第19回党大会では、35歳にして「新書記局長」に一挙に3段飛
びで選ばれた。
このように民主集中制を上手く使うと、党中央は大抵の事を押し通す事
ができる。>(立花隆 「文藝春秋」2007・09号「日共のドン宮本顕治の
闇」)
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