早朝まで“怒りの反省会”、創価学会を番組テーマに…在京テレビ局のタブーを打ち破った「やしきたかじん」が浪速の視聴率男だった理由 [jinjin★]at MNEWSPLUS
早朝まで“怒りの反省会”、創価学会を番組テーマに…在京テレビ局のタブーを打ち破った「やしきたかじん」が浪速の視聴率男だった理由 [jinjin★] - 暇つぶし2ch1:jinjin ★
25/01/04 12:28:21.89 nXvQE7g39.net
早朝まで“怒りの反省会”、創価学会を番組テーマに…在京テレビ局のタブーを打ち破った「やしきたかじん」が“浪速の視聴率男”だった理由



日本各地でテレビから関西弁が流れてくる瞬間は、いまや珍しくない。

大阪芸人の東京進出が当たり前になり、「大阪を捨てるのか」の議論が盛んだった頃を懐かしく思い出す関西人も多いだろう。

関西ローカル圏での人気を全国に拡大させたタレントも多いが、2014年1月3日に64歳で死去したやしきたかじんさんは少し違っていた。



きわどいテーマに切り込むトーク番組を見事に回したり、過激発言で世間を沸かせたり。特徴あるダミ声で時に場をまとめ、時に盛り上げる独特の間合いなど、やしきさんのMCは東京でも十分に通用するレベルだった。

だが、在京局の番組への出演や自身の番組の在京ネット放送は極力抑えるという方針を堅持した。



その背後には東京に対する複雑な思いもあったようだが、当時の関西ローカル圏ではそうした姿勢も信頼の一部となり、絶大な人気につながった。

64歳という早すぎる死に際しても、在阪民放テレビ5局と当時の安倍晋三首相を含む10人が発起人となったお別れ会が執り行われている。



並行して、本業であるシンガーソングライターとしても数々の名曲を残した。「やっぱ好きやねん」「あんた」「東京」など、普段のダミ声とは異なる哀愁を帯びた甘い歌声は、今も多くの人を魅了している。そんなやしきさんの生涯と、地元・大阪での人気を振り返る。




「大阪に行って彼のあまりの人気に面食らいました」というのは、バラエティー番組「たかじん胸いっぱい」(関西テレビ)に何度も出演したことのある東京在住の政治ジャーナリストである。

「大阪ではとにかく一目置かれている人でした。口は悪いけど心は優しい、という感じで、見たことをそのままに言う。文句あるなら言ってこい、という立場を貫いていましたね」



在京キー局にはほとんど出演することがなかったため、関東地方での知名度はそれほどではなかったが、関西地区での支持は圧倒的だった。

「僕は読売テレビで『たかじんnoばあ~』という番組を一緒に作りましたが、深夜の番組にもかかわらず視聴率が25%を超えていましたね」

こう語るのは、やしきたかじんと35年近く交流のある大阪在住の放送作家・古川嘉一郎氏。

「大阪のテレビ局では彼の名前をつけた冠番組が3つあります。『胸いっぱい』、『たかじんNOマネー』(テレビ大阪)、そして『たかじんのそこまで言って委員会』(読売テレビ)です。彼が亡くなっても各局はたかじんという冠を残すと言っています。これは異例のこと。彼にとっては大きな勲章ですね」

“浪速の視聴率男”と呼ばれる所以(ゆえん)だが、その魅力はどこにあるのか。




番組にしばしば出演した宗教学者の島田裕巳氏は言う。

「たかじんさんの番組では、東京のテレビ局では決して触れられない内容を扱っていました。私の専門の宗教で言えば、創価学会などを取り上げた番組は在京テレビ局ではまず不可能です。大阪でそれができるのは、たかじんさんの存在があったからです。

 彼は司会者としては希有な存在でした。収録中も別段、何をするわけでもない。指し棒を持ってうろうろしている。司会者として仕切るというのとはちょっと違う。たかじんさんの真骨頂はどこにあるのかと言えば、議論が白熱して雲行きが怪しくなると、絶妙なタイミングで合いの手を入れてシリアスな話を笑いに変えていました。独特の間合いを持っています。

 あくまで面白い番組作りをして行こうという意識がたかじんさんにはあって、彼がいると他の出演者もその意識を持つことができました。だからどんなに激しく議論しても、最後は笑える番組ができていましたね」


早朝まで続いたミーティング

 番組のための日頃の努力は惜しまなかったという。関西テレビで長年番組制作に携わってきたプロデューサーは語る。


以下、ソース

URLリンク(news.yahoo.co.jp)
URLリンク(i.imgur.com)


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