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名刺の出し方から学んだ
増渕の入団から2年後の'08年、大卒・社会人と高卒がふたたび統一されたドラフト会議で、ソフトバンクから1位指名を受けたのが、近畿大学のエース・巽真悟(31歳)だった。
スラリとした細身の体から投げ下ろされる150km近い直球を武器に、近畿大学時代は19勝4敗、防御率2.22、178奪三振の成績を残し、「関西学生リーグ史上最高の投手」との呼び声も高かった。
秋山幸二監督(当時)からも、「即戦力」として太鼓判を押され、誰もが活躍を期待していた。
だが、当時のソフトバンクは絶対的エースの杉内俊哉を筆頭に、大隣憲司、和田毅、攝津正と、先発・リリーフ共に12球団有数の層の厚さを誇っていた。
才能がひしめくなかで、巽は一軍での居場所を見つけられないまま、8年間を過ごし、'16年のオフに戦力外通告を受ける。通算成績は1勝4敗。トライアウトも受験したが、オファーはどこからも届かなかった。
「社会人の強豪チームで野球を続けてみないかというお話もありました。でも、野球なら野球、仕事なら仕事に集中して人生を賭けたい。そういう気持ちがありました」
自分と同様に「第二の人生」を歩むアスリートのキャリアを支援したい。そう考えてスポーツ関連企業に入社した巽は、そこで自らの「常識不足」を目の当たりにする。
「最初は名刺の出し方から勉強しました。恥ずかしい話、メールの送り方やコピー用紙の交換方法さえ知らなかった(笑)」
配属された部署には、「1分間スピーチ」を行う習慣があった。
「自分の仕事の進捗や展望を短くまとめて話すのですが、語彙が少ないから話がまとまらない。
他の人の話を聞いていても、ビジネス用語が出てくるとついていけず、ただ愛想笑いを浮かべるしかなかった。とにかく、片っ端からメモして、家でひとつずつ調べました」
年収は天と地の差
ただ、ボールだけを追いかけてきた男が、初めて知る社会の「イロハ」。毎日が勉強の日々だった。
「会議で議事録係を任されても、タイピングが遅いから間に合わず、必死でメモをとって、あとでじっくり打つしかない。
所属部署に同い年の上司がいたのですが、仕事のスピードが僕とは全然違う。『知らないことばかりなうえに、仕事も遅い。こんな僕を雇っていて、会社になんのメリットがあるのだろう』と悩んだこともありました