09/04/17 00:30:10 MC3q6x/Q
関ヶ原の戦勝のあと、家康は大津城に立ち寄った。
京極高次が籠城し、関ヶ原の決戦直前に開城した城であった。
ここで、家康のお供をしていた山岡道阿弥は、
「京極殿も良く持ちこたえられましたが、残念ながらあと少しのところで、御戦勝に
間に合いませんでしたな。」
と、申し上げた。
これに家康は、呟くように言った。
「持ちこたえた、…か。
奥平信昌が長篠に籠城した時は、こんな物ではなかったぞ。
長篠城は戸も障子も壁も、銃弾のため鹿の子斑のように穴だらけになり、土も落ち板も抜けた。
それを城の者たちは、床板や畳を立て、その影に隠れて、我らが来るまで持ちこたえたものだ。」
長篠とこの大津城では、寄せ手の攻めようも守り手の心構えも、大変に違っていた、
そう言うお話。