09/04/10 23:40:56 D/XGjZ2T
秀吉さんからお手紙ついた
天正10年6月5日 中川清秀殿へ返信
(略)
信長様・信忠様は(明智の襲撃を)、どちらも無事に切り抜けられた。
近江の膳所が崎に逃げ、福富平左衛門が三度明智軍と槍を合わせ、比類ない働きを
したので、お二人とも何ともないとの事、めでたい限りである。
天正11年4月12日 小早川隆景殿へ
播磨から西は知らないが、東国においては、津軽までもワシの槍先に耐えられる者は
いない。全て秀吉の鞭に応じて、ヒマを開けたので安心してくれ。
(略)
(柴田軍が)討って出たので、即座に駆けつけた所、連中はワシの強さを知っているので
逃げ散ってしまった。さらに押し詰め、攻め殺そうとしたが、敵は高山の城に篭もった。
メンドいので付け城を四~五ヶ所ほど築いて抑え、ヒマができた。
よって二~三日中に上洛するので、(会見の)時期は心配しないでほしい。
天正13年6月15日 佐竹義宣殿へ返信
(略)
去年も話したが、紀州の根来・雑賀が一揆を起こしたので3月21日出馬し、
数日のうちに連中の首を残らず刎ねたので、紀伊の熊の浦まで静かになった。
同様に四国の長宗我部を成敗するため、弟・秀長と毛利輝元を派遣して、
半ば好き放題にさせている。もうすぐコイツも首を刎ねるだろう。
そうすれば西国は筑紫までワシの意のままになるので、来月の20日ごろには
越中の佐々を成敗がてら、富士山でも見に行きたい。その時に会おう。