08/12/28 21:20:28 HmBeqiO8
>>78 まだ勉強中じゃ。
真実を求める行程は終わりが無いのじゃ。
>>79 何だか知らんが許す。
更に胡散臭くなる予定じゃ。
わっはっはっは。
>>80 おぬしも外見に囚われて人を観ているのう。
仏像のように頭にこぶがあって、重々しく語るのが悟った者と想っておるようじゃ。
それはおぬしの抱えているイメージじゃ。
お釈迦様は出家してから家を持たず、最後まで自ら家々に食事を乞うて周る、乞食僧じゃった。
今で言うホームレスじゃな。
乞食僧を模範とする仏教徒に、どんな立派なイメージがあるというのじゃ。
年中裸で暮らしていた聖者や禅僧などもおる。
そこにはどんな立派な存在のイメージも無い。
おぬしには基本的に自分という者に対する疑いや、どのように在りたいかというイメージへの囚われがあるようじゃ。
それを癒す為に空を使うなら、癒された時点で修行は止まってしまう。
それでは空はノイローゼを癒す為の応急処置に過ぎない。
現実に老病死の苦を体験したなら、誰もが悟りに向かわなければならないと、判る筈じゃ。
死を観るのじゃ。
他人でも、親族でも死に行く姿を観たならば、その時本当におぬしは修行する者に成れるじゃろう。