【消される恐怖】朧飛車2【深まる謎】at BGAME
【消される恐怖】朧飛車2【深まる謎】 - 暇つぶし2ch68:66がわかりにくいので書き直し
07/07/27 14:26:10 yxoswdZR
1709~12、五代大橋宗桂(四世名人)の指示のもと、伊藤印達vs六代大橋宗銀の五十七番勝負。ただし、「五十六番」とする説があったり、棋譜の現存しない対局が1、2局あったりする。
※印達、この間に朧飛車を発見か。

1712~13年、印達(15歳)、六代宗銀(20歳)、五代宗桂(78歳)が相次いで「病死」。
※朧飛車発見を知った五代宗桂が印達を毒殺。それを知った印達の父の二代伊藤宗印(後の五世名人)が五代宗桂・六代宗銀の親子を毒殺か。

1723年、二代宗印、「急死」(没年不詳)。
※二代宗印の急死と朧飛車との関連は不明。

1760~61年、二代宗印の息子たち(つまり印達の弟たち)である三代伊藤宗看(七世名人)(56歳)、看恕(45歳)、看寿(42歳)が相次いで「病死」。三代宗看の嫡子である得寿も63年に「病死」(24歳)。翌64年には大橋分家の四代宗与、大橋本家の八代宗桂も「病死」。
※彼らが朧飛車を使いこなせるようになったことによる悲劇か。

1799~1809年、最強名人六代大橋宗英(九世名人)の時代。
※有力者が全滅した伊藤家、八代宗桂が棋才に恵まれなかった大橋本家では伝授されることのなかった朧飛車だが、大橋分家の六代宗英は密かに使いこなす術を知っていた可能性あり。

1830年、大橋柳雪が視力を失い廃嫡、下野。
※同じ大橋分家の六代宗英から朧飛車を伝授されており、そのことが知られ毒を盛られるが、一命は取り留め逃げることに成功した、とする説あり。

1833年、天野宗歩が大橋柳雪と手合わせ。
※朧飛車が宗歩の知るところになるか。

1859年、天野宗歩、44歳で没。宗歩の没後、4人の有力な弟子のうち、市川太郎松、渡瀬荘次郎、平居寅吉は「消息不明」に。
※宗歩が朧飛車を知っていることが何者かに知られたための悲劇か。弟子のうち、小林東伯斎は生き残り、坂田三吉を育てるが、朧飛車が三吉まで伝わったかどうかは不明。

1881年、大橋分家の九代大橋宗与が「獄死」。
※朧飛車との関連は不明


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