08/01/31 23:08:14 07BM2dBm0
「確かにいい曲。でも、違和感を感じる」
暗い部屋でヘッドホンから流れる曲に耳だけでなく、全神経を研ぎ澄まし、千早は音楽を聴き取る。
その様は潜水艦のソナーマンか録音テープから手掛かりを探す科捜研の捜査員に通じる物がある。
「今日は終日音響室を使えるから助かるわ。逆に言うと私も終日予定がないのだけど」
そう言ってから千早はため息を付く。
アイドル候補生になってから、数ヶ月。
周囲の候補生は次々に担当プロデューサーが決まり、デビューしたり、またデビューに向けて、
候補生時代と内容も充実感も違うレッスンを受けている。
翻って自分はと言うと・・・・・・担当する者が現れず、こうして多い空き時間を自主練習にあてている。
「実力では他の娘に劣っていないはず」
アマチュアでの戦績はプロでは通用しないと分かっていても、他の候補生よりも一歩秀でている自信があった。
しかし、現実には自分よりも実績や実力がない候補生に声がかかっている。
「思い切って飛び込んだ世界、でもここにも居場所はないのかしら」
アイドルでもいい、歌えるチャンスが欲しい。
ようやく訪れた好機に飛びついたが・・・・・・現実は厳しかった。
「扱いにくい」「融通が利かない」「敵を作りやすい」
事務所のプロデューサー達が言う言葉に千早はため息を付く。
自分には歌しかない。その歌で生きていこうと決めた。
だから歌に関しては絶対に意見を曲げられない。それでも担当がつかないのでは意味がない。
「このまま暗い部屋で音楽を聞く日々が続くのかしら。私の人生も」
どんな厳しいレッスンやスケジュールにも耐える覚悟はある。堪え忍ぶことも覚悟している。
しかし、この状況に何時までもいるのは、それとは異なる問題だ。
時間は有限だから、心に決めていることがある。
事務所に入ってから四ヶ月経っても担当者が決まらなければ、この事務所を辞めよう、と。
「ふう、決めた時は随分先の話だと思ったけど・・・・・・明日か」
口に出してから落ち込む。この事務所に初めて来た時にした一大決心は何だったのか。
ひょっとして、自分は何処の事務所に行っても担当が付かず、居場所も見いだせないのではなかろうか?
残念なことに今の千早にそれを否定する材料は何もない。
「やっぱり私の味方は誰もいない」
零れ落ちそうになった涙を拭い、膝に顔を埋める。
あの事件以来、家族には見放され、学校でも孤立し、職場でも近寄る者はいない。
今の部屋と同じように自分の人生も真っ暗だ。
「大丈夫、私には歌がある。孤独だけど、自由もある。まだまだやれる」
そう自分に言い聞かせ、目を瞑り、再び音楽に集中する。
そして、以前に聴いた曲に似ていることに気付く。ただし、抑揚の付け方と振り幅は異なるが。
そのことを呟き、目を開けると視界に明かりが差し込んでいる。
「あっ!? 誰、です!?」
今日は終日使えるはずだ。自分の今日の居場所すら、追い出されるのだろうか?
「あ、ごめん、驚かせちゃったな。今、電気を付けるよ」
静かだが暖かな声が聞こえ、スイッチを入れる音と共に電灯が付く。
暗闇になれていた目が光に慣れた時、視界に入ったのは穏やかそうな男性だった。
「初めて見る人ですね。何か用でしょうか? 今、忙しいのですが」
もちろん嘘だ。この部屋から追い出されたくなかっただけだ。
「そう邪険にするなよ。俺は君の面倒を見ることになったプロデュサーだ」
「あなたが、私の?」
彼の言葉に千早の心は躍る。ついに自分にも担当のプロデューサーが付いたのだ。
(いえ、浮かれては駄目ね)
そう自分に言い聞かせる。果たして彼は自分の才能を託すに足る相手だろうか?
「そんなに睨まないでくれ。別に取って食おうというわけじゃないんだから」
「あ、すいません」
どうやら真剣に品定めをしていたらしく、睨み付けるようになっていたらしい。
初対面の相手にそんな風に見られたら、自分だって嫌だ。
「いや、別に気にしてないよ。一緒に仕事をする相手が気になるのは当然だ」
しかし、彼は気にせず、穏やかに微笑んだ。その笑みに千早は警戒心を解くことにした。
才能は不明だが一緒に仕事する人間としては信頼できそうだ。
「どうやら・・・・・・悪い人では、なさそうですね。これから、よろしくお願いします」
そう言って、千早は頭を下げた。
千早は自分が暗闇から救い出されたことにまだ気付いていなかった。
理由は言えないがコンビニ弁当を誰にも見つからない場所で食べることが月に数度ある