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久米島守備隊住民虐殺事件
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太平洋戦争(大東亜戦争)時における沖縄戦の最中から終戦後に発生した、日本海軍守備隊による同島民の虐殺事件。久米島事件とも呼ばれる。
復員した鹿山は事件から27年後の59歳当時は徳島県に在住していたが、沖縄本土復帰を控えた1972年4月2日号の
『サンデー毎日』に掲載されたインタビュー記事の中で事件について概ね事実であったと認めたが、動機については
「スパイ行為に対して厳然たる措置をとらなければ、アメリカ軍にやられるより先きに、島民にやられてしまうということだったんだ。
なにしろ、ワシの部下は三十何人、島民は一万人もおりましたからね、島民が向こうがわに行ってしまっては、ひとたまりもない。
だから、島民の日本に対する忠誠心をゆるぎないものにするためにも、断固たる処置が必要だった。島民を掌握するために、
ワシはやったのです。」
また8月18日には仲村渠一家4名虐殺については「アメリカ軍から食料品を受け取った」として、
谷川一家(釜山出身)7名虐殺についても同様であったが「『朝鮮系』で家族は二人だったか、三人だったか。
命令して部下にやらせたのです」と事実であると認めた。また事件を振り返って、
「少しも弁明はしません。私は日本軍人として、最高指揮官として、当時の処置に間違いがあったとは、
ぜんぜん思っていないからです。それが現在になって、法的に、人道的に悪いといわれても、
それは時代の流れとして仕方がない。いまは、戦争も罪悪視する平和時代だから、あれも犯罪と思われるかもしらんが、
ワシは悪いことをしたと考えていないから、良心の呵責もない。ワシは日本軍人としての誇りを持っていますよ。」
と堂々と自己の正当性を訴えた。