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<>>302の続き>
「一企業のサポートだけではだめだ」
川淵氏にこういわれて鹿島町の隣、神栖町の中核企業、
三菱油化(株)の本社を北畑氏が直談判に訪れたこともあった。
1990年の暮れである。
「三菱グループでは独自にサッカーチームをもっているのに、なぜ住友を応援しなければならないのか」
北畑氏の協力要請に対して同社の幹部から答えが返ってくる。
三菱では、埼玉県の浦和からフットボールクラブを押し出していたのだ。
北畑氏はあきらめず、地域の実情を訴え、再度協力要請を願い入れる。
「鹿島地域全体が衰退に向かうか、魅力のある町として発展するかの瀬戸際であり、いまは企業や財閥の話をしている場合ではない」
決定を下したのは、この会議を開いていた同社社長の故・吉田正樹氏であった。
「地域のために、協力させていただきましょう」
吉田氏のことばは、まさに地域の願いを象徴している。
<>>304へ続く>