07/10/24 00:48:33 5Sd4tp4z0
というより、菊花賞に向けた調教でも通常坂路が中心の音無厩舎がコースを取り入れ、
後ろからの追走で前を差すことを教えていた。そして神戸新聞杯でも抑える競馬を試みて、
どうにかこうにか3着までは持ってきた。その前提があった上で、菊花賞でも行かせる
競馬はしないという前提が音無師にも岩田騎手にもあって、大外枠という枠順の中で、
必死に前に馬を置いて抑える競馬をしようとしたわけだから、音無師の決断が並大抵の
ものじゃなかったことは見てても理解できたよ。
徹底的に抑える競馬をしようとしてお膳立てをしてきたわけだから、それを途中で馬に
負けて戦術を変えてしまうようなことは絶対したくなかったということだと思う。
ここまで調教や前哨戦で積み上げてきたものがあった上で、この菊花賞というレースの
道中で、競馬をするということを覚えてもらわないと勝てないという気持ちの表れだと
思うんだよ。
それで折り合って競馬ができなければ菊花賞は勝てないと思ったうえで、馬主さんにも
理解してもらって苦心に苦心を重ねた上でこの競馬を選択したんだろうし、音無師の
判断は間違ってなかったと思ってる。